第8話 南北戦争とリンカーン
大平洋岸に達したことで中西部と西海岸を結ぶ大陸横断鉄道の構想が出てきた。1853年イリノイ選出の上院議員ダグラスはこの構想に熱心であった。それにはネブラスカの準州昇格が急務となった。ミズーリ協定によれば奴隷州であってはならなかった。しかし彼は、南部州の協力が必要とあれば、奴隷制度問題について妥協してもよいと考え、住民の意思で決めてよいという規定を含んだ法案を提出した。カンザス・ネブラスカ法案としてこれが成立したのである。
ミズーリ協定が無視され、北緯36度30分を超えて、ミシシッピ以西のすべてのテリトリーが奴隷州となる可能性がでてきたのである。今後のテリトリーのあり方をめぐる全面的な対立問題となった。この法案に反対する勢力はホイッグ党と民主党の一部を結集して共和党を結成した。
1860年の大統領選挙で奴隷制度拡大反対を掲げる共和党のリンカーン*が当選すると、南部諸州は連邦離脱を決定した。リンカーンは奴隷廃止論者ではあったが、南部州の奴隷制度の存続は認めたのである。ただ拡大には反対し、分離独立は絶対に認めるわけにはいかなかった。そして開戦となった。この時、南部は11州、人口白人550万人、黒人350万人の900万人。これに対して北部は23州、人口2200万人であった。
国軍の優秀な将軍が南部州についたため、はじめは南軍が優勢であり、アメリカの分裂を望んだイギリス・フランスも南軍に肩入れし、北軍は押されていた。しかし、経済力に勝る北部が次第に挽回し、63年1月に出されたリンカ-ンの奴隷解放宣言は、戦争目的を明確にし、北軍の士気を高めるとともに、国際的に北部に理があると受け取られて英仏の干渉を失敗させ、さらにホームステッド法*の施行が西部の農民の支持を受けて情勢は逆転、65年南軍の首都リッチモンドが陥落して終結した。
南北戦争の計62万という死者の数は、アメリカにおける戦死者、第1次大戦の約11万、第2次大戦の約32万と比べてあまりも大きく、その激戦と悲惨さを語っている。
連邦政府と州の独立性の関係、建国以来の南北の地域的対立、奴隷制の存続などの国家としての矛盾がもはや妥協できないことによる戦争であった。北部の産業国家志向と、農業国家として残る南部の対立でもあった。
それが北部の勝利という形によって克服された以上、アメリカが統一連邦国家として、強力に産業化して近代国家を建設することが明確になったのである。
最大の争点であった黒人奴隷制度は廃止されるという大きな前進がもたらされたが、あくまでも法の上でのことであって、現実には新たな黒人差別問題の出発点ともなった。自由になった黒人の多くは北部に移り下層労働者となり、南部に残った黒人は農業労働者か零細小作農となった。
南北戦争はアメリカ合衆国という大国の成立のためには避けられなかった戦争(内戦)であった。奴隷制の廃止といい、農業国家から近代産業国家への道。歴史は妥当な勝利を与えたと言うことだろうか・・。私は独立戦争と南北戦争の二つを合わせてアメリカの独立であったと理解したい。
こぼれ話ではあるが、この戦争で使われた中古小銃類が大量に輸入され、戊辰戦争で兵器として使われたという。
*注
リンカーンについてはいろいろと語られているのでここでは省く。ただ有名なゲティスバーグ演説での一節は、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー草案により日本国憲法前文に織り込まれた。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
*注 ホームステッド法
南北戦争中にリンカーンが公布。家長ないし21歳以上の者はだれでも、男女を問わず、たとえ外国人でも将来アメリカ市民となる意志を表明した者は、160エイカーの公有地の貸与を請求することができ、その土地に一定の改良を加えた上、5年間定住すれば、その土地の完全な所有権を得ることが出来るとした内容であった。これによって西部の農民は北部を支持することとなり、南北戦争で北軍を有利にし、また西漸運動をさらに促進することとなった。
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