第7話 再選されない大統領の時代(16代リンカーンまで)
この時代は民主党とホイッグ党が交互に大統領を出したが、ほとんどが再選されることなく1期の短命大統領であった。ホイッグ党 は北部を基盤にした連邦党から共和党に連なる系譜の党である。
【第6代 ジョン・クィンシー・アダムズ】 民主共和党(1825-1829)1期
マサチューセッツ州。父親は第2代大統領を務めたジョン・アダムズである。父親が駐仏大使の時代、10歳から17歳まで欧州で過ごし、国際感覚と語学を磨いた。ワシントンの推挙があって26歳でオランダ大使に任命される。その後ヨーロッパ諸国の大使を歴任し、エリート外交官として評価を得る。モンロー大統領のもとでは国務長官に起用され『モンロー宣言』を起草する。
大統領時代に、民主共和党はアダムス陣営、ジャクソン陣営と対立し、大統領派は『国民共和党』、ジャクソン派は『民主共和党』の名前を受け継ぎ分裂する。国民共和党は後にホイッグ党を経て現在の共和党へと系譜がつながる。『民主共和党』は民主党と名前を変える。
【第7代 アンドリュー・ジャクソン】 民主党(1829-1837)2期
サウスカロライナ州。アイルランド移民の貧しい農家の息子として生まれる。鞍職人の店で働いたり、学問の機会には恵まれなかったが独学で弁護士の資格をとる。なにより、ジャクソンの名前を高めたのは1812年の米英戦争の活躍であることはすでに記した。
先住民との戦いを何度も経験したジャクソンは「先住民強制移住法」を成立させ、ミッシシッピ川以西に移住させる。ジョージア州に住んでいたチェロキー族1万5千人のオクラホマ州までの強制移動は4人に1人が亡くなるという過酷なもので、この行程は『涙の道』と語り継がれている。
独立戦争に従軍した経験を持つ最後の大統領であった。
【第8代 マーティン・ヴァン・ビューレン】 民主党(1837-1841)1期
ニューヨーク州。弁護士。ジャクソンを強力にバックアップし、その論功行賞で国務長官に就任する。1837年に大統領に就任したが、同年の大恐慌など、在任中におきた恐慌に対して無策で目立った成果を上げられなかった
【第9代ウィリアム・ハリソン】ホイッグ党(1841年3月- 1841年4月4日)
バージニア州。プランテーション所有者。在任期間わずか1ヶ月で死去した。
【第10代 ジョン・タイラー】 ホイッグ党(-1845)1期
バージニア州。副大統領から昇格した最初の大統領。しかし憲法の規定があいまいだったため、代行大統領と軽く見られた。タイラーはホイッグ党には属していたが、元民主党員で南部州権論者の信奉者であり、北部を基盤にするホイッグ党の急進的な政策とはしばしば対立していた。
国務長官を除く全閣僚から辞表を出され、ホイッグ党からも除名されたが頑張った大統領である。「大統領が免職ないし死亡した場合副大統領がこれを継ぐと正式に憲法は手直しされたのは1967年になってである。在任中の功績としては在任末期の1845年テキサス(当時のテキサス共和国)の併合承認がある。
【第11代 ジェームズ・ポーク】 民主党(-1849)1期
ノースカロライナ州生まれ、後にテネシー州に移住。州知事、連邦下院議員を務める。イギリスとのオレゴン境界紛争を決着させ、正式に太平洋岸に領土を持った。またメキシコがテキサス併合を拒絶したとき、対メキシコ戦争に踏み切り、領土を大きく広げた*大統領として高く評価されている。この1850年で構成州は31になり、人口は2300万を数えることとなる。ポークは大統領職を1期のみ務めると約束し、再出馬しなかった。
*注 この戦争で、テキサスを併合し、ニューメキシコ、カリフォルニアを獲得、ほぼ今の国土が形成された。
【第12代 ザカリー・テイラー】 ホイッグ党(1849年- 1850年7月9日)
バージニア州。農園主。軍人。対メキシコ戦争の英雄として、政党の誘いで大統領に立候補当選。ルイジアナの農園で黒人奴隷を使っていたので、南部諸州は期待したのであるが、奴隷州拡大には反対したので南部の一部の州が連邦離脱の動きを見せた時には、軍隊を出動させても阻止すると強い態度を示した。政治家としての能力はともかく軍人らしい潔さで国家の統一に腐心した。在任1年4か月で病死した不運な大統領であった。
【第13代 ミラード・フィルモア】 ホイッグ党(-1853)1期
ニューヨーク州バッファローの辺境の出身。一家は農家で極貧だったため、正規の教育を受けることが出来なかったが、努力して1823年に法曹界入りする。テイラーの後を継いで、副大統領から昇格。
大統領としては、テイラーが拒否していた「1850年の妥協」を受け入れた。この妥協案とは、自由州として合衆国への加入を求めたカリフォルニアを受け入れる代わりにメキシコから割譲された地域(今のユタ州とニューメキシコ州)には奴隷制を認めるかどうかは住民に委ねるという内容であった。この妥協策で内戦ぼっ発は辛うじて避けられたのである。
フィルモアの重要な功績として大陸横断鉄道建設の推進が上げられる。また、ペリーを日本に派遣した大統領であることは記憶されたい。
【第14代 フランクリン・ピアース】 民主党(ー1857)1期
ニューハンプシャー州。彼はカンザス・ネブラスカ法(後で説明)を支持し、ミズーリ協定を撤廃、西部において奴隷制度を拡大することについての議論を再開したことで大混乱を起こしてしまう。結局この混乱が奴隷制度反対の共和党を生むことになる。この混乱でピアースは党に見捨てられ、1856年の大統領選挙では候補に指名されなかった。党の指名を失い、妻の死亡もあり、余生をアルコールとの戦いで費やし、肝硬変で死亡した。
【第15代 ジェームズ・ブキャナン】 民主党(―1861)1期
ペンシルベニア州。裕福な商人の家に生まれる。ブキャナンは人気があり経験豊富な州の政治家で、非常に成功した弁護士であった。ブキャナンは北部と南部の間の妥協を計るも統率力を発揮できず、民主党は分裂し、南部諸州の連邦離脱を防ぐことは出来なかった。現在も歴史家による格付けでは決まって最悪の大統領の一人として位置づけられる。また結婚しなかった唯一の大統領である。
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