第4話 建国の父たちの時代 その1
*建国の父達の時代:ワシントンから第5代大統領モンローまでを指す(1789~1825)
アメリカは現在、民主党、共和党の2大政党制である。ハミルトンの連邦党、ジェファーソンのリパブリカン党がアメリカにおける政党の始まりとされる。
2代大統領アダムスこそ連邦党であったが、そのあとはリパブリカン党(民主共和党)の大統領が続く。リパブリカン党は実質的には現在の民主党の先駆けである。この党は強力な中央政府よりも州政府の権利を重視した。農業的利益をはかること、外交においては、イギリスよりは王制を廃し共和制を樹立したフランスの肩を持った。
国政選挙の対抗勢力だった連邦党は(1820年には消滅していた)、後のホイッグ党、共和党の系譜になっていく。
アメリカ合衆国『建国の父』とは、独立宣言または合衆国憲法に署名した政治的指導者、あるいは愛国者としてアメリカ独立戦争に関わった指導者たちを指す。著名な人物として次の7人が上げられる。
George Washington John Adams Thomas Jefferson James Madison (Benjamin Franklin) (Alexander Hamilton) (John Jay)
この内、前記4人は建国期の大統領を勤めている。
【初代大統領 ジョージ・ワシントン】(1789~1797)2期
出身州バージニア。一家はバージニアでの中流の郷士であった。青年期は測量を学び、生まれ育ったバージニアの地形について知悉(ちしつ)するようになった。フレンチ・インディアン戦争にバージニア市民軍の大佐として従軍、戦争後は現役から退き、その後の16年間はバージニアの農園主として過ごす。その間裕福な未亡人と結婚して黒人奴隷100名を持つ大農園主となった。南部州では農園には黒人奴隷は普通のことであった。
第1次大陸会議の代議員に選ばれたが、最初は独立戦争には消極的であったとされる。1775年大陸会議はワシントンを植民地軍総司令官に任命する。独立戦争が終わると彼は司令官職を退き、退役して農園に戻った。憲法制定議会には説得されて出席し、満場一致で議長に選出された。ワシントンは自分の意見は先に云わず、充分聞いた上で判断するタイプであった。
1789年4月30日ワシントンはアメリカ合衆国初代大統領に就任した。選挙人投票100%の票を得た大統領は、現在までワシントンだけである。歴代大統領のベスト3はワシントン、リンカーン、フランクリン・ルーズベルである。ちなみに4位はジェファーソン、5位はセオドア・ルーズベルトである。
副大統領 にジョン・アダムズを起用し、国務長官に トーマス・ジェファーソン、財務長官に アレクサンダー・ハミルトンと、対立する実力者二人を閣僚に起用したのは、ワシントンであればこそ出来たこととされる。
永続的な大統領を望む声もあったが、3選出馬はせず、大統領職は2期までという以後の慣習を作った。例外は大恐慌、第2次大戦という難局期で4選されたフランクリン・ルーズベルトのみである。のちにアメリカ合衆国憲法修正第22条によって2期までと法制化された。
辞任挨拶では、連邦制もとでの国民の団結を説き、党派を組むことは否定しなかったが過度の党派対立は戒めた。外交においてはヨーロッパの紛争に巻き込まれない中立を説いた。アメリカは独立戦争においてフランスの支援を受け、米仏同盟を結んでいたのであるが、イギリスとフランスの対立には一方に組することを拒んだ。やむを得ない時の同盟であっても、それを長く続けることはよくないとした。
【第2代大統領 ジョン・アダムズ】連邦党(1797年- 1801年)1期
マサチューセッツ州。父親は自営農であり、ピューリタンの司祭、民兵隊では中尉、町では学校や道路を監督した町会議員という質実な家庭に生まれ育った。ハーバード大学卒。法廷弁護士を勤める。
マサチューセッツ湾植民地の代表として大陸会議に出席。独立宣言記草委員の5人に選ばれる。大陸会議からヨーロッパに派遣され、イギリスとのパリ講和条約締結では交渉団の中心役を担った。
独立宣言においては、ジェファーソンが原文を起草したが、当初の原文には奴隷制反対の立場を明らかにする文言が盛り込まれていた。アダムズは「建国の父」達に多かった奴隷制大農園主ではなかったが、13植民地の分裂を防ぐため、独立宣言の文章から奴隷制解放の部分の削除を求めた。
ワシントンのもとで2期副大統領を勤め、1796年の大統領選挙では連邦党候補として、リパブリカン党(民主共和党)のジェファーソンと選挙を戦い僅差で勝った。大統領職について、ワシントンの閣僚を引き継いだだけでなく、ワシントン政権の主要な計画も継承し、アダムズが新しく大きな提案をすることは無かった。その経済政策はハミルトンのものの継承であった。
当時イギリスとフランスはナポレオン戦争による戦闘状態であった。ハミルトンと連邦党はイギリスの肩を持ち、ジェファーソンと民主共和党はフランスの肩を持っていた。
独立戦争時にはアメリカに味方したフランスであったが、アメリカがイギリスと結んだジェイ条約が問題となった。その個所は「イギリスの敵国(事実上フランス)の私掠船*に対する補給の禁止」条項であった。アメリカを同盟国と見ていたフランスはこれを裏切り行為と見た。また独立戦争時の債務をアメリカは王政時代のものであるとして、共和政フランスに支払いを拒否した。
この様な事もあって、1798年から1800年にかけての宣戦布告なき海戦、いわゆる「擬似戦争」に突入し、格段に勢力差があり強力なフランス軍による侵略の可能性が生じた。ワシントンを司令官に戻し、アダムズは海軍を再構築し(アメリカ海軍創設者とされる)戦争に備えるとともに、ナポレオンに特使を送り戦争を回避する努力をした。一連の抗争は、1800年9月に一応の決着を見るが、これにより米仏同盟は破棄された。
*注
私掠船(しりゃくせん):海軍の能力が及ばない事態の時、国は解決策として民間船に私掠免許を発行した。
彼の息子ジョン・クィンシー・アダムズは第6代アメリカ合衆国大統領になった。親子2代の大統領はブッシュ親子までなかった。歴代大統領10位にアダムスはある。
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