第3話 吉木館の伝説

吉木館の伝説については、伝承研究部と鬼柏継承部の顧問と、俺たちのクラスの担任を務めている公良宏和きみよしひろかず先生が詳しい。

…普段はそういうのに詳しい感を出していないがとても詳しい。

例えば、南部館では、おそれ田というものがある。

これは、吉宮におけるおんそれ送りという猫川に人々の様々な恐れをオシロイを塗った人形オサトさまに乗せて流す伝統行事があり、それによって、恐れが南部館のおそれ田の所に溜まり、そこで農耕を行うと恐れに祟られるのだと言う。

もちろん、南部館には伊達義光だてよしあきの妹である輝姫てるひめかくまった所という伝承も残されている。

木本では、石丸という力士がおり、北東北のどこかの強豪、良美という者が戦いを挑みに来たが、敗れた。その後、石丸を追っている最中に神山かみやまにおいて、無念の死を遂げた。

今でも神山には「良美山」という良美の名がつく山が存在しているらしい。

真実は神のみぞ知ることだと思うが。

ちなみに、石丸は良美に勝利した後、杜の都として知られるところの最上政宗もがみまさむねの元で働いていたが、巡行中、津波に襲われ岩巻いわのまきで亡くなり、彼の墓は今でも岩巻に残されているそうだ。

吉宮には、先程も言ったおんそれ送りの他には、おんそれ送りの日に、オシロイさまを祀る鬼柏神社にて、村総出でオシロイを塗った人形であるオサトさまを作成し、オサトさまを祀る広尾神社に奉納する。

そして、その日子供たちはオシロイを塗り、神輿みこしを担ぎ、村内を回る。

もちろん、神輿は子供たちが担ぐので相当軽く作られてはいる。その中には、オシロイさまとオサトさまが入っていると伝えられているが、実際に確認したものは居ないし、公良先生が確認しようとしたところ、村の御三家である広尾家、鎌崎家かまさき、寺田家に「オシロイさまに祟られてしまうぞ!」と言われたので渋々確認を諦めたらしい。

ちなみに、広尾家は広尾神社の神主の家系で、俺の母方の祖父が当主を務めている。

…あまり、威厳を感じないが。

鎌崎家は紅花べにばな商人として大成を成し、その財をもって、吉宮村を農村から市街地への発展を遂げるための土地開発事業推進派として影響力をもち、今でも昔ながらの茅葺き屋根の家に住んでいるらしい。

なんでも、俺の母親が鎌崎のおばさん家に行った時に、鬼婆みたいな人が居たらしい。

寺田家は紅花農家として鎌崎家を支えていた。

実は、寺田家が御三家になる前に、神宮寺家じんぐうじという医者の家が御三家として存在していたらしいが、どうやら鎌崎家の吉宮市街地化推進に異を唱えていたらしく、追放されてしまったらしい。

神宮寺家は元は医者の他にも福一萬寺ふくいちまんじという虚空蔵こくぞうさまを祀る寺の住職の家系でもあったが、明治の廃仏毀釈はいふつきしゃくにより広尾神社に変えられてしまってから、影響力が削がれてしまった。

しかし、それを継いだ広尾家は寛大であり福一萬寺時代の信仰対象であった虚空蔵さま信仰を引き継ぎ、オサトさま信仰と結びつけ、今でも虚空蔵さま信仰を村内で存続させている。

神宮寺家は今でも、一応吉宮の中の、若篠宮にて医者をやっているのたが、最近は花江診療所と言うのに患者を取られているらしい。

花江診療所は以前の神宮寺診療所を花江診療所としてオープンさせたものらしい。

-続く-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る