きっかけ 3

 それから彼女と連絡を取りながら何気ない日常を過ごしていたある日、突然母が家にやって来た。

 今思うと前日に連絡はあったのだ。『明日は休み?』という家にいるかどうか確認の連絡が。

 昼過ぎ、連絡通り母が来た。


「お邪魔しまーす。はい、これお土産ね。ご近所さんに貰ったんだけど多すぎちゃって。あたしはいいだけ貰ったから、余った分はあんたにあげる」


 紙袋には、緑茶と紅茶が何種類か入っていて、それが箱詰めされていた。

 パッケージを見ると、どうやら茶葉はティーバッグに入っているタイプらしい。


「ありがとう。でもお茶に合いそうなお菓子、うちにないよ?」


「そうだと思いまして……じゃーん! 持ってきました!」


 母が待ってましたと言わんばかりにバッグから取り出したのは、お歳暮のようなクッキーの詰め合わせだった。

 案の定これも貰ったけど食べきれないという理由で私に処理させようと持ってきたらしい。私は心の底から用意周到な母親だなと思った。

 テーブルのセッティングを終えて、改めて何しに来たのかと訊ねる。


「そんなに怒らないで。あんな内容じゃざっくり過ぎるでしょ。それに、よく知りたいとことか、本当に聞きたいことをスマホだけで済ませるととんでもないことになるよ? 直接話した方がすぐに終るよ?」


 ぐうの音も出ない。眉間に皺を寄せることしか出来ない。

 確かにお互い仕事があるなかで長期間やり取りするのは、例え親子であってもめんどくさい。

 私は観念してもう一度感想を伝えようと、夢日記を持ってきて例のページを開いた。


「これ、夢日記読んで思ったこと書いてみたの。私、色々と忘れっぽいみたいだから。今も何て書いたかあんま覚えてないや」


「梅乃が忘れっぽいかは分からないけど……あー、まぁこんなもんか」


 母は大して興味の無さそうな頷きと納得の反応しかなかった。スマホで感想を伝えた時も『ふーん』と『へー』しか返信がなかったので本当は興味がないのだなと思っている。

 母はメモしたページと夢の内容のページをパラパラと捲りながら呟いた。


「この日記の人たちって、梅乃の前世だったりしないかな? ほら、前世の記憶って子供のうちは覚えている事が多いみたいだし、そうだとしたらちょっと面白そうじゃない?」


 興味がないと思っていたが前言撤回になりそうだ。

 日記から目を離して私を見る母の顔は、見たことがないほどの輝きと好奇心で溢れていた。

 私は遥々うちにやって来た母の話に乗ってやろうと思った。


「確かに、面白そうではあるけど。だとしたら、私は女性の方でいいのかな」


「いや、これ視点がコロコロ変わってるからまだ分からない。『背広を新調した。似合うと良いのだけれど』『簪をもらった。似合うと良いのだけれど』ってところでお互いが思い合ってる描写があるから、両方の視点で夢を見てたんだと思う。それに、なんで日記が途切れた様に終わってるんだろう。恋人が亡くなったなら、最後の言葉とかその後の家族との会話とか、あってもいいと思うんだけどなぁ」


「……傷心だから何も覚えてないとか? それか、自分も後を追ってすぐに死んじゃったとか」


「だとしても、自殺する時の心情とか遺書を書いている時の描写とかあっても良くない?」


 思ったより興味を持っていて恐ろしい。圧がすごい。

 さっきまで死んだような目でパラパラ捲っていた癖に。さては私に渡す前に自分で結構考察を深めていたのか? それか、私のやる気のないメモを見てあまりの温度差に怒っているのだろうか。

 私ももっと真面目に考えなくてはと日記の内容を細かく思い出そうと考えを巡らせる。

 すると母が考え込んでいた顔をあげた。何か閃いたような顔だった。その顔を見て、何が母をここまでさせるのだろうと思った。


「全部分かったよ……やっぱり梅乃の前世だよ……」


「何でそう思うの?」


「日記の内容みたいな事、よく話してたの思い出した。『今日ね、髪に付けるお飾り貰ったの』とか『お月さま見たよー』とか。あたしが質問しても内緒ってはぐらかされてたんだよ。その時、あんたが寝た後に日記帳見たら同じような事書いてたから、あ、これ、スピリチュアル的な何かかなって思って取っておいたんだ」


「そんなこと言ってたっけ? あと、前世だとしたら何で日記したりするの?」


「忘れたくなくて、思い出してほしくて……まさか、出会っちゃったりして、運命的に出会っちゃったりして!」


 ひとりでウハウハしている。

 だとしたら、その人は身近にいる人だろうか。

 いや、あまり夢を見すぎるのはよくない。運命などを頼りにしてはいけない。

 でも母が楽しそうにしているなら話を合わせようと、すでに冷めてしまっているお茶を飲み干した。


「でも相手が男みたいで良かった。出会ったとしても相手が女性なら結婚相手に迎えられないからねぇ」


 気合いを入れ直したそばからこの発言だ。思い付いた男を全員結婚相手候補にする母の思考回路が。ウハウハしている理由はこれかと幻滅してしまった。

 通常時の母は大丈夫。明るくて、楽しくはしゃぐ姿はいつまでもとは言えないけど話していられる。そんな母を見ているのは結構好きだ。

 でも、私の結婚の話になると、とてもつまらない。私の将来の事を心配しているのは分かるけど、母が真剣に長ったらしくネチネチ話している姿は嫌いだ。

私の事でそんな顔をしてほしくないから。


「……そんな上手くいかないって。相手が生まれ変わってるとしても出会えるか分からないし、覚えてない可能性の方が高いよ」


「じゃあ他の良い男探しなさいよ」


「今はいいよ。それに、今は仕事が楽しいから」


「嘘でしょ」


 母は声色も表情も一切変えていない。ずっと私の目を見ながら話している。一瞬にして空気が変わったように思えた。目を見て話していても、母の眼光が心臓を貫いてるかのように。

 私だけが動揺している。


「あんた、仕事が楽しいからなんて言わないでしょ。どうせなあなあで勤めてるだけでしょ」


 母のせんべいを食べる音だけが響く。

 こういう重たい空気をがらりと変えられる事が出来たら良かったのに。

 そんなことを思っているのも束の間、母はまたいつもの雰囲気に戻った。


「それか結婚したくないのって、何か理由でもあるの? 別に、余程の人じゃ無い限りその人でも良いんだよ」


「…………」


 母の言ってる余程の人は、借金がある人とか、暴力を振るったりする人のことであって、 もちろんそれも大事だけど、私の考えている余程とは少し違う。

 こんなことを言ったらどんな反応をするか。驚くのは当たり前で、その後が分からない。

 怒って反対されたり、引かれたり、家族ではないと言われたりするのだろうか。

 でも、言わないとこれからの進展は無い。

 今日を私の分岐点にして、今、伝えなくては。


「……余程って……女の子は、余程に入る?」


「うーん、女の……子? 女? えっ会社の同僚とか、同世代とかだよね? 未成年に手出すと犯罪だよ?」


「あ、うん……とにかく私、男の人と恋愛関係になりたくないの」


「でもあんた、高校の時男の子と付き合ってたじゃない? それとも好きな女性がいるの?」


「そんなこと……私が聞きたいよ」


 確かに学生時代は何も考えずに接する事が出来ていた。好きな人がいた事もある。バレンタインのチョコだって渡したりした。ただ高校を卒業した後に付き合った当時の彼氏と当たり障りない夜を過ごした日から急に怖くなってしまった。結局その人とも別れてしまった。

 それに真正面から女性が好きなのかと言われても腑に落ちた訳ではなかった。

 真っ先に芳ちゃんの顔が思い浮かんだが、彼女し対しては恋愛感情なのだろうか。世代も年齢すら違う、でも不思議とその姿を見ているだけで心が落ち着く。

 夢日記を読んで、もし彼女が前世の相手だったらなんて考えたこともなかったが、凄く嬉しくて、それこそ運命を感じてしまう。

 でも、そんな確証はどこにもない。

 私はただ、そんな些細な感情を壮大に膨らませて、自分の婚期を先伸ばしにしているだけだ。それに、彼女を巻き込んではいけない。

 大人の反抗期は面倒臭いな。

 こういうのは世間一般で言うカミングアウトにはならないのだろう。大体、何が言いたいのか自分でも分からないのだ。


「何か酷いことされたの?」


「いや、別に……」


「じゃあ大丈夫よ。優しい男性を好きになりなさい。きっと出会えるから」


 母は優しくそう言った。

 私は何も言えなかった。

 時計を見ると夕方を過ぎた頃だった。

 夕飯時だから今のうちに今日の晩御飯を決めよう。

 あの子の好きな食べ物は何だっただろうか。そんなことを考えながら。


「……そうだ、お母さんって今日うちで晩御飯食べるの?」


「いや、帰るよ。日記の感想聞きたかっただけだし。あと、あんたの話もじっくり聞けたから今日は満足。お茶、ご馳走さまでした」


「お茶はお母さんが持ってきたやつだけど。そっか、じゃあ気を付けてね」


 そして母は身支度を済ませてとっとと帰っていった。


「はぁ……」


 やっと終わった。

 母が出て行った家はとても静かで、一人だなと感じる。

 午前中はダラダラ過ごして、午後は母の接待をしていたから、一日で二日分過ごした気分だ。

『今日を私の分岐点にしなくては』とか大口叩いたくせに進展なしとは、思わず自嘲してしまう。

 とりあえず今日は終わりにしよう。晩御飯を食べて、お風呂に入って、仕事の準備をして早めに寝よう。

 その前に彼女に連絡しよう。


『お母さんが日記の感想を聞きに今日来たよ』


 バイト中だと思っていたが、数分経たぬうちに返信が来た。


『お母様はなんて話してましたか?』


『運命的な再会果たしちゃうかもねみたいなこと言ってた』


『ロマンチックですね

たくさんお話したでしょうから

ゆっくり休んでください』


 そして彼女は「おやすみ」のスタンプを送って会話を終わらせた。まだ寝るには早すぎないか? 彼女も疲れているんだろうか。

 スタンプまで可愛いなと思いながら夕飯の準備に取り掛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る