魔女狩り、目覚め 1-2 Shindo
シャワーを浴び終わって、
本当はこの家とこのベッドの持ち主だけが使うべきであって、居候の自分は床なり廊下なりで寝るのが正しいと、彼は自覚はした上でだ。
以前に彼女へ――
だから必然的に、零夜と天溟はこのシングルベッドを背中合わせにして、二人で使うことになっている。
秘匿された戦場へ飛び込んだ天溟はまだ帰ってこない。時刻はすでに午前〇時を回っている。話すことがあるからと連絡があったが、あれから二時間は経っていた。玄関のドアを開ける者は一向に現れず、待つ気持ちよりも眠気が勝る。
防音性に優れたマンションの一室はあまりにも静かで、眠るには最適だ。真下にある道路からの車の走行音、ましてや騒がしい人々の声や雑踏なども聞こえてこない。街の中にあるのに、あらゆる喧騒から切り離されたような場所。時折寝返ったときの、ベッドの軋む音だけが、広々とした天井へと広がる。
カーテンのない大きなガラス窓から差し込む街の光が、月明かりのように天井に映り込む。街の中心部にある1LDKのタワーマンションの一室の光景は、音はせずとも明るい。そして、自分たちのような若者が暮らすには、身に余る優雅さだと居候ながらに彼は思う。
街の人間の羨望と嫉妬を一手に担うようなこのマンションに住んでいるのは、退職した大企業の役員ややり手の投資家、実業家、経営者が多いらしい。ついでに、地下にある駐車場に並んでいるのは、ほとんどが高級車だ。
家主、つまり天溟がどれくらいの資産を持っているかはともかく、二十歳未満でこんな部屋を自費で購入したのだから、彼女のしている仕事の収入は並大抵のものではない。
薄目で天井を眺めていると、意識がぼんやりとしてくる。普段二人で眠っている一人用のベッドは相変わらず落ち着かないのに、それでも睡眠欲の方が上回る。
彼の意識が薄らいできた頃、重厚な玄関の扉が開く音がする。しかし起き上がるような気力は残っておらず、眠りかけの体は重たい。入ってきた人物はすぐに部屋の奥までは来ず、玄関の途中にある脱衣所へ向かったようで、しばらくするとシャワーから水の流れる音が聞こえた。
どれくらい、水が流れていく微かな音を聞いていただろうか。時間の経過ははっきりとわからない。布の擦れる音。ピトピトと裸足でフローリングの床を歩く音。
そして、零夜の体に誰かの体が重なるように触れていた。甘い、脳を麻痺させるような誰かの香り。他でもない、この部屋のもうひとりの住人の匂い。
「――帰ったのか」
眠りかけの喉を鳴らすようにして、感触に応じる。
まだほんのりと湿っている長い髪が手の甲をくすぐり、天溟は懐に顔を押し付けた。
「ええ、さっき。今日は疲れたわ」
くぐもった声が、耳と骨伝いに響く。
「例のやつが……?」
「いいえ、別の。しかもかなり手強い相手で、こっちの剣が全く通らなかった」
噛み殺すような声で不手際を悔いており、怒りが混じっていた。こんな風に彼女が弱さを訴えるは、滅多にない。普段はもっと平然としていて、淡々と仕事をこなしている。
「剣が通らないって……天溟の剣って岩やら鉄やらを斬れるようなのだろ」
「でも素手で受け止められたのよ。わけがわからないわ。しかもあれは能力に依るものじゃない。能力は別にあったの」
「二つの能力?」
「あり得ない。能力者には一つの能力しか与えられない。先天的に宿すたった一つの力と、死ぬまで向き合うのが宿命だもの」
「ちなみに、そいつの能力は何だったんだ?」
訊くと、零夜の体の上を這うように顔を近づけて、考えを巡らせていたのか、少し経ってから答えた。
「おそらくは高速移動。瞬間移動に限りなく近い、とてつもない速度での高速移動。でもそれだけじゃないわね、もう一つ何か隠している要素があるはず」
「単純な高速移動じゃないってことか?」
「本人がそう言ってたの」
「半分くらいネタバラシしたってことか」
通常、自分の能力は可能な限り言わないのがセオリーだ。能力とは長所でもあり短所でもある。いかに強力な能力を持っていても、何らかの脆弱性が含まれており、時には足枷となってしまうことがあるからだ。
だからこそ、「力」を明かすというのは、自らの弱点を見せるのと同等だ。ましてや敵対関係にある相手に向かって、完全とはいかなくとも明かすというのは、本人にとって全くメリットがない。
「それだけ基礎的なスペックでの力量に自信があるわけだ……」
「まあ、こっちの手の内を明かしてもらえると思ったのかもしれないわね。絶対に明かさないけれど」
「……無理に抑えなくたっていい。本当にまずいと思ったら、躊躇いなく暴れてくれたっていいんだ。もちろん、人目につかない範囲で。ともかく、力を加減したのが原因で大怪我を負うなんてことは避けてくれよ、寝覚めが悪くなりそうだ」
釈迦に説法とは重々承知した上での発言だ。それでも彼は言わざるを得なかった。責任は彼にあるのだし、代償を支払う義務もある。本来溢れんばかりの才能を持つ彼女に枷を与えてしまった。その枷を外してあげられるまでは、新堂零夜という男は彼女の所有物だと認識で構わなかった。
「俺に出来ることならなんだってやるから、ちゃんとここに帰ってきてくれ」
「だったら、今ここであなたのものを奪ってもいい?」
頭の中が蕩けてしまいそうなほどの、蠱惑的な吐息に似た囁き。本気とも冗談とも取れない、平常時と変わらぬ抑揚のない様子は、むしろ理性を擽ろうと意図的にそうしているのか、あるいは生まれつきの性分なのか。
「なんだか……言い方に、語弊があるというか……」
首筋に吐息がかかり、八重歯が触れる。銀の銃弾も十字架も通用しない、使おうとも思わない。柔らかな髪と肌が密着して、腕に擦れる。
湿った唇が、迷い込んだ虫を捕食せんとする食虫植物のように、零夜の首の一部を挟み込んだ。指先さえ動かせず、意識が惑わされる。彼女の中へと溺れて、もがくことすらできない。
ああ、それもいい。奪ってしまってくれと、彼女の侵入を許しそうになる。
「いえ――やっぱり直接はダメかしら、傷が残るものね」
「それもあるけど、色々と……」
そう、と素っ気なく応えると、突き立てていた八重歯と唇を離す。邪な感情が惜しいと思わせる。所有物が望むには、身に余るが。
「血はきちんと錠剤に詰めて、彩華さん経由で渡す。そっちで我慢してくれ」
「新堂くんを傷物にするのは悪いものね。それに、
零夜の上に身体を預けたまま、彼女の瞼が降りていく。二人が眠るには狭いベッドの上で脚を絡ませながら、天溟は彼の髪を撫でて、首元に顔を寄せた。
こうして触れ合っている時、零夜はふと思うことがある。天溟にとっての俺とは何なのだろうか。ただの協力者なのか、都合のいい偶然知り合った男なのか、あるいは愛玩動物に似たものか。彼女の意図は読めない。決して口にしないし、顔にも出さない。いかなる時も冷淡な表情で、しかし優しく、血と身体を求めてくれる。だがそこに愛があるからなのか、支配欲によるものなのか読み取れない。
不満があるわけではなかった。だが、彼女が彼に依存する理由もまたないはずなのだ。その気になれば代わりはいくらでもいる。彼の血の代わりはごまんといるのだから。
零夜にその真意はわからない。
ならばせめて、勝手にその愛情に似た感情に勘違いをしてもいいだろうか。彼女がその気でなくても、他の男に同じ行為をしていたとしても。それを優しさと受け止めて、甘んじていたいと思う。
――もしかすると、彼女が依存しているのではなく、俺が彼女に依存しているから、そう錯覚させているだけのかもしれない。
彼女は彼の血を求め、彼は彼女の愛を求める。協力関係という名の依存、互いに繋ぎ止めるために絡み合う。
生かされているだけの空っぽな器で、誰かに愛されることを知らないから。彼女の愛を必要以上に求め、そして応えたいと願ってしまう。
「何考えているのかしら、新堂くん」
最後にそう言い残して、柔肌を曝したまま天溟は寝息を洩らし始める。激戦を繰り広げた後で、小柄な体に疲れが溜まっていた。しかも制限までかけられた状態で戦っていたのだ。
――少なくとも、この夜には俺と天溟しかいない。
決して永遠ではない、刹那の時に互いの身体を密着させたまま、零夜は一人勝手に愛を知った。
椚礼華の隠された部屋は、おそらく地下深くにある。おそらく、というのは実際に地下にあるのかどうなのかがわからなくて、零夜たちの勝手な推測に過ぎないからだ。建物自体は街中に建っているビルで、一階がエレベーターと郵便受け、それより上はテナントのオフィスビルになっており、小さな事務所が縦に連なっている。
その管理費で礼華は収益を得ているというのは本人談。
平日の午前中、本来高校生であるはずの彼らが、制服も身につけず、スーツを着た勤め人たちの中をくぐり抜けてオフィスビルのエレベーターに入っていくことは、極めて異質な光景だ。
エレベーターに乗り込むと、階数の表記されているボタンを指定された順に押していく。三階、六階、一階、二階、五階、四階――全てのランプが点滅し、消える。最後に「閉」のボタンを素早く三回押すと、エレベーターは通常よりも遅い速度で動き出した。
この間、電光板には何も表示されておらず、エレベーターだけが静かに動作している。その時の挙動で、彼らは勝手に地下へ向かっていると予想しているだけなのだ。
ごうん、ごうんと不気味な音が閉鎖された空間を覆っている間、天溟は一度も口を開かず、腕を組んだまま、四角い空間の角を見つめている。
およそ一分経つと、ゆっくりと扉が開き、薄暗い真っ直ぐな廊下が視界に入る。灯りは足元にある非常灯くらいで、のっぺりとした床に反射しており、最奥には重厚な鉄製の扉が待ち構えていた。並大抵の銃弾などでは貫通することも叶わず、それが二重扉になっていて、無理やりこじ開けて入るのには一苦労する仕様となっている。
二人もいつも来ているとはいえ、地上の明るさや、人の営みの気配が一切排除されたこの場所は慣れない。静寂が支配するこの空間で、自分たちが異物であることを認識してしまうからか。
「ここまで来るだけでも疲れるな」
不満を洩らしながら、近くにある端末からパスコードを入力してロックを解除し、やたらめったらに重い鉄の扉をふんばって開く。当人は外出出来ないから気にならないだろうが、来客者にとっては不便極まりない。
「必要なプロセスよ。敵は侮れないから、これくらいした方が利口ね。そして常に改善と更新をし続ける。だから本当に大切なものを守るときは、厳重に厳重を重ねていくの。あなただってここでは鍵の一つだし、狙われることだってあるかもしれないわ」
「……いつの間にか、俺もそんな大層なものになっていたのか」
「あなた自身の肉体に価値はないわよ。ただ、新堂くんを拷問にかけて尋問でもすれば、自ずと私や礼華さんの情報を吐くでしょう? だから狙う価値はあるの、鍵としてね」
「ああー……そうだな。俺は貧弱な能力者だし、そうだよな……鍵か……」
ここまで躊躇なく指摘されると、さすがに落ち込む様子を見せる。
「あら、誤解させてしまったわね。許して頂戴、あくまで敵にとっては、という意味でね。私にとって新堂くんは誰よりも大切な人よ。ええ。世界中の誰よりも、あなたことを大切だと思っているわ。ええ、きっとね」
ややこしいことを言ってごめんなさいと、そう言って妖しく笑う。
『世界中の誰よりも、あなたことを大切だと思っている』、その言葉は異性としてなのか、それとも血の供給者としてなのか。面妖な顔つきからは判断しがたい。だが、零夜に問いかける勇気はなかった。
「とにかく、下手に捕まるなってことだろ。わかったよ」
「気に留めておいてもらえると助かるわ」
何十キロもある鉄の扉が軋む音を立てながら開く。ろくに照明も点けられておらず、間接照明のような暖色の電球が散りばめられたように天井にぶら下がり、壁にはいくつものモニターが並んで貼り付けられている。タイルのように均一に並んだそれらは、この建物の周辺や入口から各階、地下の通路など、この部屋に至るまでのあらゆる経路を警戒し、監視する隠しカメラの映像がリアルタイムで映し出されている。
他にも、零夜には一体何が表示されているのかはわからないが、黒い画面に延々と英数字が表示され続け、何かの計算をしているような画面や、人工衛星が観測した地上の情報、各国の政治・経済・事件などの情報をリアルタイムで更新して表示し続けるものなど、あらゆる国のあらゆる情報が集約され、この部屋の主に伝えている。他にも資金繰りのための投資も機械的にされており、一秒間にどれだけの金が動いているのかは想像がつかない。
傍目に見ればこの部屋は、映画のワンシーンで見るような軍事施設の一つであり、そして事実この部屋は軍事施設に匹敵する性能を持っている。
しかし部屋には主一人しかおらず、観測するのも一人であり、この部屋に縛り付けられたその人物は、延々と移り変わる時の流動を絶えず機械越しに観測していた。。
「どうも、礼華さん」
全身にプラグや点滴を繋ぎ、身体を包み込むようなベッドに近い形状の椅子に座り、片目を前髪で隠した、彼らよりかはいくつか年上と思われる女性。客人の二人を緩やかに迎え、背もたれに身体を預けたまま振り向いた顔は、いくつものモニターの光に照らされている。
長い間この部屋から出ていないこともあり、日照不足の彼女の肌は異質なほどに白く、薄暗い部屋でも見て取れるほどで、眠る姿は生死の分別すらつかない。
「いらっしゃい、まあ適当なところにでもかけなよ」
見た目によらず口調はフランクで生き生きとしている。元よりこんな生活をしていたわけでもないし、根暗というわけではない。止むに止まれぬ事情で地下に潜伏しているだけで、数ヶ月前までは少なくとも一般人寄りという意味で、普通の生活をしていたのだから。
「はあ、どうも」
適当に座るように促され、ほぼ彼ら専用になっている客人用のソファに座る。買って数ヶ月、しかも使用頻度が少ないせいか、ほぼ新品同様の革張りの椅子は、ギュっと音を立てた。
「天溟も座ったらいいじゃないか」
「私はここでいいわ」
そして決まって、天溟は座らない。後ろで手を組んで壁にもたれかかり、礼華の動向を探るように佇んでいる。
「最後に来たのは……えっと、三日か四日程前だったかな」
「六日前ですよ。しばらくは
「ああ、そうか。六日前だったか。いやね、こうして君たち以外に誰とも会わずに地下生活をしていると、時間の感覚を失っていくんだ。時計を見てみても、針が動いているのか動いていないのか、感覚が鈍くなってきて」
「だったらこのモニターに映っているのなんて、気にも留めてないんじゃないですか」
明々としているタイルのようなモニターを指差して訊ねる。
「情報は頭に入ってくるんだよ。でも時間は別だ、外とここでの感覚の違い、日光の有無――、まあ色んな要因があると思うけどね。気がつくと起きて二十時間経っていることもあれば、一時間しか経っていないことなんて頻繁にある。宇宙空間みたいなものだよ、ここは」
「時間の感覚は誰にでもあると思いますけど……。つまり時間の感覚の差が大きいってところですか」
「そう。そしてズレが肥大化していって、一時間経っているのか、あるいは二十時間経っているのかがわからなくなる。事実と誤差を肉体が認識できなくなって、次第に麻痺していく。地下暮らしってのは、そういうものさ」
饒舌に話す姿を見ていると、脚を拘束していることなど忘れていくような気さえする。元気な病人、矛盾する存在だと零夜に思わせる。
「哲学談義はもういいかしら。そんな話をしに来たわけじゃないでしょう」
不機嫌に、突き放すように天溟は本題を促す。とにかく、この部屋に来ている間の天溟は飛び抜けて機嫌が悪い。薄暗い閉鎖された空間への嫌悪感なのか、それとも礼華への敵対心なのか。気に障らないよう、ここにいる間、零夜は極力天溟に寄り添って対応している。
あくまでも天溟と礼華は目的を達成するまでの協力関係であり、仲間ではない。とはいえ、彼らの抱えている問題の解決には彼女の協力なくして解決は困難である。加えて、この場にいる三人の中で最も深刻な状況下に陥っているのは
だから天溟はそれ以上責めることはない。不機嫌さを漂わせても、決して攻めはしない。どれだけ毛嫌いする相手でも、優先するのはあくまで互いの利益だ。
その様子に礼華は余裕の表情を浮かべるのだが、これが更に天溟の機嫌を悪くする。ここにいる間、零夜の胃はずっと痛んでいる。
「おっと、すまないね。それで、君たちがここへ来たということは、何か手がかりを掴んだんじゃないかな」
「例の人物と関係あるかはわからないんですが、動向の気になる能力者がいて」
礼華は「ふむ」としばらく考えて、続けるよう促す。
「昨日の夜、屍と同じタイミングで現れたそうなんです。目的は明かさないままだったみたいですが――」
「もしかして接触したの?」
「むこうから接触してきたみたいですね。だろ?」
天溟に訊ねると、ぶっきらぼうに「ええ」と短く返事をした。
「死人たちとの戦闘を観察しているような口ぶりだったわ。でもあれは死人たちとは無関係ね。目的はわからないけれど、何かを探っていた。死人か、もしくは私たちの方か。その後は交戦状態になったけれど、先に相手が撤退。掴めたのは相手の能力くらいだわ」
「なるほど。相手のステータスについては、あとで零夜くんから聞くとして」
礼華が手元の端末を指先で何度か操作すると、彼女の向かいにあるモニターにいくつかの日付の一覧が続々と表示された。天溟は顔こそ向けていなかったが、視線で表示されていく数字を追っていた。
「死人が現れた日の一覧だよ。出現頻度は、ここ二ヶ月の間で着実に増えてきている。例の事件からだね。件の男の出現は死人の出現頻度に関係しているのか……。もしくは死人の出現とともに現れる君たちの存在に気付き姿を現したのか。情報が少なすぎて推定の域を出るのは叶わないけれど、警戒するに越したことはないだろうね。了解、こっちでも可能な限りモニターしておくよ。ちなみに出現位置は?」
零夜の説明を聞きながら、再び手元の端末を操作し始めると、衛星のカメラ位置を調整し始める。目視では観測せずに、予め入力したデータをもとに特定の速度や動きに追随し、前後の記録データをピックアップして残すシステムだ。礼華が直々に組み上げ、民間企業が打ち上げた衛星に連携している。
「だけど、わたしたちの本当の目的はその男じゃない。あくまで優先すべきは、例の人物。今回の話を聞いて衛星カメラの映像認識システムの一部調整するけれど、あくまで優先度は低いと思って欲しい」
「わかっているわよ、もちろん新堂くんもね。こちらの目的の邪魔をするなら、本気で排除するだけ」
「……正直、こちらでどれだけ捜索を続けたところで、解決するには天溟ちゃんの協力なしではどうにもならない。歯がゆいだろうけど、アレには零夜くんだけじゃ解決できそうにもない」
どうしようもない事実に、ただ息を潜める。
「わたしが脚を取り戻すのも、君が完全に『力』を取り戻すのも、いずれにしても君の協力が不可欠だ。だから極力無茶はしないで欲しい、信頼しているからこそ敢えて言うんだ。こんなこと、何度も言われてうんざりしているのもわかるけどね」
自分の脚をぎゅっと握る礼華は、切実に訴えるかのように、天溟の身を案じた。どこまでが自分のためなのか、天溟のためなのかは、薄暗い部屋の中で表情から察することは難しい。しかしその訴えが完全に礼華自身のためのものであったとしても、彼女は限られた協力者のうち、最も問題を解決するに相応しい人物である幽世天溟に縋るしか、己を救える術はない。
だから協力も惜しまない。資金も、技術も、時間も、知識も、あらゆる面において、幽世天溟が目的を達成するために可能な限りの助力と努力を惜しまないのだ。
「もともと自由なんてないような身だけれど。君が、君たちがわたしにとっての最後であり唯一の切り札なんだよ。この拘束を解いて再び歩くためにも、君たちの力は絶対に必要だ」
「ええ、もちろん」
「……零夜くん? 何か腑に落ちないことがあるのかい?」
不安が顔に出ていたか、彼女の知性によって見透かされたのか。
「あ、いえ……礼華さんの意見については全く異論とかはなくて。ちょっと別に気になることが」
「いいよ、気になることがあるなら言ってごらん」
「死人のことについてなんですが、あれはやっぱり……例の人物が原因、ってことでいんですよね」
部屋の空気が張り詰める。肌に微弱な電流がまとわりつくように、礼華だけでなく、天溟の殺気が、この一帯を支配した。
その問いに、礼華はただちには答えなかった。少し考えるように瞼を閉じて、考えをまとめてから、彼女は口を開いた。
「――あの夜、奴が人を喰らっていたのは覚えているかな」
思考が、歪む。回想する。
一瞬のようで永遠に似た地獄の風景を。
鮮血。
「……はい、もちろん」
剥き出しになった人骨、散らばった体毛。
非現実的な惨憺たる光景。この国の現代においては、限りなくありえないほどの狂気が、異臭と共に満ちていた。鼻を突く腐臭、半紙に撒かれた水墨のように散らばった血痕。そして、人の肉を貪る――一人の獣のような男。
「先に答えておくと、おそらく死人の出現と奴には因果関係があるだろう。これに関してはデータから見るに時期も一致する。先程の人物の件はまだわからないところだけどね。推論の域を出ないものの、原因は奴だと確信しているよ」
椅子を回転させて、モニターの方に身体を向けると、じっくりと背中を預けながら、礼華は続ける。
「あれはただ人を喰らうだけのモノじゃない。喰らうことで己の眷属を増やす、いわば
――事件の日、奴は初めてこの街に訪れ、そして人を襲い、喰らった。最初にこの街で死人が出現したのはあの日だ。以降奴は姿を消して無関係な人々を襲い、意図的かあるいは副次的にか、眷属を増やして野放しにしている」
そうして野放しにされた死人たちを礼華さんが観測し、零夜と天溟が協力して駆除している。もとは一般人であったとしても、死人になった時点でソレはもう人ではない。
「人肉の捕食が目的か、眷属を増やすことが目的か。あの男にとってどちらが真意なのかはわからないけれど、どちらにせよロクなものじゃないわね。無関係な一般人を喰えば死人が増えて、その死人が他の一般人を襲い、また死人が増える。厄災そのものよ」
逆に、あの男を止めることが出来れば死人も出現しなくなるということでもある。やはりあの男を止めることこそが、現状起きている問題の全てを解決する手段となるのか。
「天溟は察してたのか?」
「確信まではいかなかったけど、無関係ではないと思ってはいたわ。まあ、その霞みたいな疑問は今しがたあらかた晴れたけど」
「ま、あくまで推論だからね」
「でもですよ。もし、あの男の目的が喰うことだとしたら、人肉にこだわる理由って何なんですかね。曲がりなりにも人の形をしているのなら、他に食べるものだってあると思うんですけど」
「わからない。奴が人の皮を被った得体の知れない怪物であれば、人しか喰わない習性があるかもしれないね。そういう怪異は古今東西いるものだし」
「ああ、鬼とかまさにそんな感じですよね」
天溟は壁から背中を離すと、コツコツと靴音を鳴らして出口に向かいながら答える。
「それはきっと、あの男と向き合った時にわかることよ」
死人の出現日時の一覧、その最初に記載されているのは、二ヶ月前のある日だ。忘れることも出来ないあの夜、この場にいる全員の運命が歪められた。決して忘れることはないだろう。少なくとも、元凶を断つまでは。
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