酩酊

尾八原ジュージ

酩酊

 こんな話はこういう場所で、知らない人でなければできないのだと女は言った。

 知らない女だった。手足の長いそう悪くない見た目で、パブの中は暑いというのに白いウインドブレーカーを着たままだ。顔はいい加減赤くなっていて、いつから飲んでいるのだろうという風情になっている。午前零時、女はいつの間にか僕の隣に座っていて、こんな話はあんたみたいな知らない人にしかできないんだとクダを巻いている。僕もめんどくさいのでウンウンと黙ってうなずき、そして彼女はウダウダとこんな話を始める。


 それはあたしがまだ高校生でセーラー服を着て学校に通っていたときのことなんだけど、あたしには親友がいて、それはさくちゃんという子だったの。あたしもさくちゃんも今でいう陰キャだったんだけど、一個上の合唱部の、そうあたしたちはふたりとも合唱部だったんだけど正木先輩って人が好きだった。あたしたちふたりとも憧れていたのね。でも正木先輩は部長だったし今でいう陽キャだったもんだから、ふたりともどうせ手が届かないだろうってあきらめてたの。

 でもその年の秋にさ、いきなりさくちゃんが言うんだよ私正木先輩に告白するって。先輩の誕生日は冬だからマフラー編んで渡すって、その時告白もするっていうわけ。今なら付き合ってもいない女の子にマフラーもらって喜ぶもんかねと思うんだけど、当時はめちゃくちゃすごいじゃん偉業じゃんって思ったのよ。それにさくちゃんは陰キャだったけど美人だったから。そりゃもう顔もよく知らん男子に告白されるくらいよ。よく考えたらあたしなんかよりもずっと分がいいわけだ。これは告白成功しちゃうかもって思うじゃない。思うよね?

 別にさくちゃんは編み物得意とかでもなかったんだけど、秋から頑張ればまぁ初心者でもマフラーくらい何とかなるらしいのさ。おばあちゃんが得意とかで教えてもらって、案外上手にやってたっけ。あれちょっと見てて面白かったな。最初こんなにちっちゃいんだよね。これがマフラーになるの? ほんと? みたいな感じなのね。でも編針を動かしてるうちに、どんどん長くなってさ。マフラーっぽくなるんだよ。さくちゃんは学校に編針持ってきて、あたしと一緒に図書委員会でさ、貸出当番してる間なんかにそれを編むわけ。うん暇だからね貸出当番。編み物くらいできるんです。不思議だったなぁ、真っ白な一本の毛糸がさ。ただの棒でいじってる間に真っ白なマフラーになるんだよね。あたしは編み物なんかからっきしだから全然わかんないんだけど、とにかくそういうもんなんだよ。一本の毛糸がマフラーになるんです。不思議。

 何だかんだ十月が終わって十一月になって、マフラーはあとちょっとでできるかなって感じになった。もうかなり見た目がマフラーだった。あたしは怖くなったんだな。これが出来上がったらさくちゃんは正木先輩に渡すんだろうなって。そんで好きですって言ったらさ、さくちゃん可愛いからさ、たぶん先輩もオッケーしちゃってふたりは彼氏彼女になるんだろうなって。そうなったらあたしどこへ行けばいいんですかね。行く場所なんかどこにもないじゃん。あたしも陰キャだったからさ、ともだちなんかさくちゃんしかいないくらいのアレだし、部活だって行きたくないじゃん。さくちゃんと正木先輩がいるんだもん行けないよ。

 そんであたしはさ、貸出当番をやってた放課後にね、さくちゃんがトイレに行ってる間にマフラーをとってさ、一本の糸からできてんのはわかってるからね、編針を抜いてつーっと糸をひっぱったの。そしたらどんどんどんどんマフラーがほどけてってさ。足元にどんどん糸がたまってってほんと、儚いこと夢のごとしよ。冬でさ、日暮れが早くってさ、図書室は全然人がいなくって明かりが点いてるのに何だか薄暗くって、棚の後ろから誰かが突然出て来そうな、でも誰もいなくってさ。どっかで吹奏楽部が『キャラバンの到着』を練習してるのが聞こえて、あたしは何だか悲しくなって、泣きながらマフラーほどいたんです。そしたらさくちゃんが戻ってきてさ、真っ青な顔してルイちゃん何やってるのって言うんだ。あたしのことなんか心底見損なったって感じの顔でそりゃドラマチックなのね。貸出カウンターの中にさくちゃんがずかずか入ってきて、あたしはそうじゃないんだよって、何かそうじゃないのかわかんないんだけどとにかくそう言いながらさくちゃんにほとんど白い毛糸に戻っちゃったマフラーを投げつけて、どうしたらいいかわかんなくなって図書室を飛び出したの。走りながら何がしたかったんだかわかんなくなってきちゃった。あたしは正木先輩をさくちゃんに取られるのが嫌だったのか、それともさくちゃんが正木先輩に取られるのが嫌だったのか……カバンは置いてきちゃったけど定期券とお財布だけは制服のポケットに入ってたんで、それで電車に乗っちゃってね。そのままどんどん行けるところまで乗って、適当なところで降りちゃったの。そう、そして今に至るんです。電車に乗ってる間に十年くらい経っちゃったのね。今はほら、そこの波野運送ってところで事務やってる。しがないOLなんです。セーラー服なんて遠い昔だよね。あれどこに置いてきちゃったんだろ。

 そんでさ、あそこの席見てよ。なんかの映画のポスターが貼ってあるでしょ、そこの前のふたり席だよ。あそこに一人で座ってさ、何か飲みながら編み物してる女がいるじゃない。あたしさっきちらっと見て来たんだけどさ、あれがさくちゃんなんだよ。まだマフラー編んでるんだ。正木先輩はどうしたのかな。もうさくちゃんも先輩とかどうでもよくって、マフラー編む方が大事なのかもね。これから声をかけにいくかどうか迷ってるんだけど、どう思う? かけた方がいい? かけない方がいい?


 そう言って女が指さした先には、映画のポスターはあったけれどもふたり席なんてものはなかったし、編み物をしてる女の子ももちろん見当たらなかった。ただコンクリートむきだしの壁があるところを指して、彼女はまるで恋人の仇でもとりにいくような真剣な顔で――ただし酩酊していて真っ赤だけども――そう言ったのだった。

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