こぼれ話「ライアン・ローグ/1850年春」
──世界暦1850年。
ライアン・ローグがただの少年として過ごした最後の春のお話。
◇ ◇ ◇
人類圏では、「人間の子ども」は何よりも優先すべき宝だと尊ばれる。
……そんなのは当たり前の話だろうと皆が思う、だけど歳を重ねるごとに体裁だけ保った「尊き宝」の正体が見えてくる。
人は今、絶滅の危機に瀕しているのだ。
死に絶えそうな生き物っていうのはとにかく子孫を作るのを優先するもの。
皆が安心したいのだ、自分たちはまだ滅びないって。
たくさん産んだ奴に感謝して、子に期待するのは当たり前で、何も出来ない奴に食わせる飯はない。
だからこの時代に生まれ落ちた子どもである以上、僕は「何か」をしなくちゃいけない、何か大きな事を成し遂げねば。
自分が大人になる頃には騎士王結界が全部破られて、地表が更地になっているかもしれないのだから、そんな未来を回避するためにはもっと躍起にならなきゃいけないのだ。
決してぼんやりと窓の外を見ている暇なんてない、と。
分かっていても、窓の向こうに見える水平線から目が離せなかった。
「あら?」
リーテ王国の中心部、石造りの城の中にある一部屋の窓辺。
頬杖をつきなから海風を感じて、無意な時間を過ごしていた僕は、背後から響いた柔らかな声に振り向いた。
快晴のような瞳を持つ騎士の少女が、微笑みを浮かべて僕のことを見ていた。
「ライアンさま、ごきげんよう。
昼食の時間ですけれど……」
「ああ、わかった。
すぐに行くよ、詩音」
僕が椅子から立ち上がるのを見ると、彼女は笑みのまま部屋を後にする。
水色の髪が遠退く、医療騎士団を表す緑色の裾が扉の向こうへと消えていった。
昼食を終えて、窓辺から見ているだけでは何だから海岸に降りてみた。
歩き慣れた浜、医療王結界によって守られている海域は美しく穏やかだが、圏外区域に差し掛かる遠くの沖は真っ黒だ。
僕は、青と黒で綺麗に別れた海を眺めながら歩く。
十年前に母親が死んだ。
死んだ理由は知らない、どんな人だったかも朧げで、ただ優しくはあったと思う。
母親の実家に預けられる事になって、リーテ王国へと渡り、二歳で僕は一人になった。
ある程度成長してから父上に「次期ライオス王となってもいいように支度をしろ」とか言われた。
具体的に何を求められているかは分からず、謎で、それ以降、音沙汰もなく。
理解する気も失ってしまい、一先ずあの人の事は頭の隅に置き……逃げて、幼少期をやり過ごした。
迎えてくれた祖母からは愛と物語を贈られ、同い年の従兄弟と喧嘩しつつも仲良く暮らし、医療騎士の少女たちと共に過ごす。
生活に文句はなく普通に勉強して、学校に通わせて貰った僕は軍人になろうと決めた。
意義のある人生にしなければと思った。
時代を変えるような「何か」を手にしなければと思った。
父さんも母さんも……自分も、それを望んでいると信じたかったから、決めた。
ライオス王の息子にしてリーテ王の孫という、説明するのが面倒な血筋の上を、今までずっと漂って僕は生きてきたのだ。
自国よりもリーテの方が故郷と言って良いほどだし、ライオスの清潔な純白で形作られた王城よりも、潮騒が聞こえる石造りの王城にいる方が落ち着けた。
ライオスとは違ってリーテは、騎士共生派が八割を占め、原初の医療王を信仰する民たちが生きる国だ。
幼少期の大半をここで過ごしたわけだから、僕が騎士に対して差別意識を持つような育ち方をするはずもなく。
彼女たちに対し不快感を抱いたこともない、種族による差を感じたとしても、ああそういうものなんだ、と大抵は受け流せた。
別に特別なことは何もない、ライアンはただ普通に彼女たちに接していただけだ。
それだけで喜ばれるのは、正直異常だと思う。
彼女たちは確かに騎士だけど、自分とあまり変わらない……いや、時々ちょっと変だけど、そこも面白くて。
とにかく僕はリーテで過ごす日々が割と楽しくて、好きだったのだ。
それももう、この春でおしまいだけど。
自分で選んだ道だから後悔はない。
あと一ヶ月もすれば、僕は軍人としてライオス王国に戻る事が決まっている。
王子でも何でもない、一人の少年である自分は打ち捨てられ、この波打ち際にいつまでも残るのだろう。
人類軍総統、リナリア・ツォイトギアは父を制御する手綱として僕をライオスに置く。
そして父は……ライオス王は僕を王子として都合よく使える駒として見る。
板挟みでやりきれなくなる日も来るかもしれない、それでも選びたいのだ。
自分の目で見て、耳で聴いて、頭で考えて、己がどんな未来を生きたいのか選びたい。
ひとりぼっちの子どもが抱いた、ちっぽけな決意、でもないよりはマシだ。
僕には馬鹿みたいな夢がある、夢を見れるのは力がある奴だけだから……。
「あ……しまった、濡れた」
足先を襲った唐突な冷たさに僕は顔を顰めた、ぼんやり歩いているからこうなるんだ、と波に浸かった両足を見ながら溜息を吐く。
ただ眺めるだけのつもりだったのに。
「ライアン?」
とりあえず靴を脱ごうとしていたら、背後から明るく名前を呼ばれて驚いた。
なんだか今日は良く後ろから話しかけられる日だ、なんて考えながら振り向く。
呼び声の主は一人の少年だ。
「海なんか入ってどうしたのさ?」
「ルカか、なんだ」
驚いて損をした、と僕が笑えば少年は楽しそうに体を揺らした。
肌以外、頭の上から爪先までぜんぶが緑色の少年はルカ、僕の従兄弟。
リーテ王国が抱える、海の怪物。
時代を変えられるほどの「何か」を既に持っているルカが、僕に懐っこい笑みを向ける。
「遊んでんならおれも混ぜてっ」
「遊んでないよ、考え事してたら浸かっちゃっただけ……というかお前、
浜の中央へと歩き出しながら問い掛ければ、あははと明るい笑い声が返ってくる。
「まいちゃった! だから今きっとすごく怒ってる!!」
「一応お前、人間なんだから騎士を撒くなよ……馬鹿だなぁ……」
生きるのが気楽そうだと、僕はルカと話すたびに思う。
同い年の従兄弟であるから容姿も背格好も似たようなものなんだけど、なんというか。
僕より生気に満ち溢れているのだ、まるで生きていること、それ自体が楽しいと言わんばかりに。
「ルカはいいよな、気楽でさ」
「そっかな〜、割と毎日大変だけどなぁ、もう少ししたらライアン、いなくなるし」
僕が頑張って得ようとしている「何か」を、こいつは生まれながらに持っている。
「おれさ、変な技術? 持ってるからって怪物扱い嫌なんだよな。
ちゃんと人間の範疇に収まってるのに、普通に生きていくのむりっぽい」
「お前のそれは万能と見分けがつかないじゃん、いつか新種の人類として解剖されるんじゃない?」
「こわいこというなぁー!
おれ、ただこの惑星を助けたいだけなの!」
妬みとか嫉みとか抱く以前の問題で、同じ人間という枠に収まっているのかも疑問なくらいルカは特別だ。
「魔法使いも大変なんだよ?」
「へぇ、そうなんだ」
へら、と笑えば相手も笑った。
どちらから笑い掛けたとか関係ない、とにかく二人とも笑って歩き出す。
「だったら大変同士、手を取り合って終末を生き延びよう」
「だいさんせーい!
ライアンのそーいうとこいいと思う!」
なあ、困った時はいつでも行くよ!
気楽に生きている従兄弟はそう言った、本当かなーって僕は思った。
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