第二章「兆しの空」竜王領域

28.「原初の竜王」

episode02

『原初の竜王』

 人類に武力を教え、美食の概念を齎した存在。戦場そのものを掌握する権能を持つ。

 対象の真実を見抜くことが出来る瞳を持ち、万物を封じる力を備えた象徴武器「竜槍」を扱ったとされる。

 精獣である竜種を従えたことからこの名で呼ばれ、惑星に現界を許された二十年足らずを戦いに費やした騎士王。

 人間を妻としたが、学んだ情動のうち愛だけを身につけることが出来なかった。

 その為に妻に身投げされ、人を自死させる要因を作ったとして己が心を罪とし、竜槍を用いて封印する。

 現在における竜王領域が没地とされており、竜王の血を継ぐ騎士の一族が存在する。


 竜の意匠が描かれた赤き旗の下、竜王騎士たちは武器を持つ。

 王石柱レムナントとなった彼は王座から独り見ている、繋がれた血が描く真実を──。



 ◇ ◇ ◇


「あなたは私を抱いて、必ずこの惑星を平穏に導くのだと言いましたね。

 ……あの言葉だけが私にとって唯一の真実でした」


 囁くような声を、竜王は聞いていた。


 海を見下ろせる崖の上で、彼と一人の女が向かい合っている。

 権能を備え、同時に精霊眼でもある彼の真紫は宙に漂う無数の色彩を映し出していた。


 ああ、見えるとも。

 これから起こるだろう事の、全ての真実がこの瞳には見える。


 崖の淵、人間の女は赤子を抱えて立っている、あれは妻だ、そう呼ぶべき人だ。

 妻は微笑みを浮かべ囁き続けた。


「私があなたとの子を望んだ時、あなたは拒まなかった……でもアレは肯定ではない。

 あなたには拒むという機能がないのだから」


「私が愛していますと言ったとき、あなたは静かに頷いたけれど……アレも真に心が伴った情動からではないわ、だって。

 あなたには、愛が備わっていないもの」


 妻は少しも悲しそうではない、寂しそうでもない、納得した顔で事実を述べている。

 竜王は妻の言葉を聞き届けた、口を挟む理由もなければ否定する機能も無い。


 愛か、と竜王は考える。

 創造主から継いだ知識の中にはある、だが愛とはなんぞやと問われては答えに窮した。


 箱庭に降りてから名を得た竜王は、悲しみを備え切なさを知り喜びを育て。

 愛だけを、理解することが出来なかった。


「私はあなたを愛しています。

 ……この言葉の真実が分からなくてもいいの、すぐ解るようにしますから。

 心に響かなくともいいわ、あなたの中に残る方法なら他に幾らでもあるんですもの」


 妻は言葉を口遊む、まるで歌うように。

 向けられる愛、その全てに実感が伴わない竜王は、これから目の前で起きる結末を見抜いたまま立ち尽くした。


 どれだけの情動を獲得し人間と近しい形を得ても。

 愛を備えた生き物になるには、二十年では足りなかったのだ。


 人間の願いを叶える為に作られ、だから彼女の夫となり、子を作り、笑い掛けた。

 誰もが自分たちのことを理想の夫婦だと羨んだが、表面上はそうであっても中身は空っぽで、その空洞をどう埋めたら良いのかも竜王には分からなかった。


 妻は眠る赤子を足元に置く。

 人と騎士が子を作る事が出来るという証、次の竜王を生むだろう後継、柔い赤子。

 華奢な指先が微睡む頬を撫でていった。


 母と子の別離が始まろうとしている。


 竜王はこれから起こる現実の全てを見抜いている、理解している、察している。

 その上で一歩も動けずにいた。

 当然だ、人間の選択を阻む機能など備えているはずがない。


「竜王様、どうか私で苦しんで」


 妻は微笑みと共に、そう言い遺した。

 両腕を広げて海へと身を投げる瞬間まで、それは美しい女だった。


 落ちていく妻の姿が、竜王に焼き付く。

 風と戯れる長い髪、己を見つめる慈しみで潤んだ眼。

 海面へと叩き付けられ大波に攫われる細い身体、崖の上で置き去りにされた我が子。


 愛したはずの女、その死に様を見届け竜王は思考した。

 ……幾度となく、試行した。


 これを引き起こした要因が己の機能の中にあって、不明確な愛などでなかったら、この死を理解出来たのだろうかと。


 己が愛を、備えることが出来ていたなら。

 彼女が死を選ぶことはなかったのか。


 だとしたら──。


 僕は心など、最初から備えてはいけなかったのだ。

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