32.「防衛準備」

「急な招集に応じていただき、ありがとうございます、皆様。

 ようこそ、アルメリア王国へ」


 謁見の間に響いた声を聞きながら、リナリアは危うく絶句しそうになった。

 見上げた先には玉座がある、身の丈に合わないそれに象徴として生きる少女が腰掛けていた。


 現アルメリア王、ジェシー・ライアット。

 彼女が十四歳の子どもであることは、ここに集った全員が承知している事実だ。


 リナリアの驚愕はその幼さではなく、完成された言動に対してのものだった。

 喋り方から所作に至るまで、まるで前王の生写しかと思うような動作。

 成人前の子どもにこの子の母はなんて教育をしたのだろうと、リナリアは半年前に病で死んだ慈愛の王のことを思った。



 ……リナリアは昔、一度だけ前王に連れられたジェシーと対面した事がある。

 赤子の名残がまだ残る丸い頬と実兄にべったりな姿が微笑ましく可愛い娘だと思った。

 世の穢れなど何も知らない純真さを持つ、何処にでもいる普通の娘だと。


 半年前に行われた前王の葬儀には、リナリアは出席出来なかった。

 それ故、ジェシーの姿を次に見たのは二代目アルメリア王として護衛騎士を連れ、人類会議に現れたあの日だ。


 リナリアは改めて、眼前に突き付けられた事実を認識した。

 この娘は、アルメリア王になるためだけに育てられたのだと。


 誰も声を発さないでいた一瞬の間に、リナリアの隣に立つ気配が動いた。

 黒い軍服を身に纏った女性、人類代表に数えられる王の一人が発言する。


「久しぶりジェシー様。これって公式の議会と同じように進行しなきゃいけない場かな?

 だったら態度を改めるんだけど、それだと人も騎士も立場重んじすぎちゃって大変だって思うの、私だけ?」


 ──コウラン王国の人類代表。

 ルージア・マシェルが放った軽すぎる言葉に、リナリアは思わず口を挟んだ。


「不敬ですよ、コウラン王。

 ここはアルメリア王国の中心地であり、象徴足る王の御前です、言葉を──」


「それもそうですね」


 一見すれば……いや、しなくとも舐めているようにしか感じられないルージアの態度を見つめていたジェシーが頷く。

 は、と言葉を失って流れに置いていかれそうになっているリナリアに向けて、軽すぎる夜の国の王が片目を瞑った。


「リナリア、話しやすい方がいいよ。

 人類会議ではちゃんとするけどさぁ、ここにいるみんなと私たちってお友達だし。

 今って有事でしょ〜立場とか種族とか言ってちゃ始まらないよ」

「……あなたという人は、本当に。

 ほんっとうに……」


 呆れたと一言で済ませるには怒りが強かった、国を背負っている自覚があるのかと。

 怒りに身を任せてもいいような立場だったなら引っ叩いていたところだ、リナリアは本気で嘆いていた。


 コウラン王として冥王領域の民に選ばれているルージアは、リナリアにとって青春を共に過ごした同期の軍人でもある。

 出来る限り公私を分けるべきだと考えるリナリアには、所構わず気安い関係を持ち出してくる彼女の態度は受け入れ難い。

 蚊帳の外に置かれた他国の代表たちの視線が痛かった。


 だが、ルージアの言うことも一理あるのかもしれないとも思う。

 人の王が国の意向を擦り合わせる為に行う人類会議と、今回の議会は違うのだ。

 護衛として控えている騎士達の意向も取り入れたい場面である。

 目上とか目下とか種族とかは一度横に置いて、今だけ対等に話しましょう、とルージアは言っていた。


 ──提案の意図を正しく汲んだジェシーが玉座から立ち上がる。


 むしろ滑り降りるといった方が良い動作だったが、彼女は慣れた様子で段差を下り、並び立つリナリアを始めとした人類圏の中核を担う者たちと同じ目線に立つ。

 

 幼い王の側には竜王騎士の少女がすぐに控えた、右胸で第二階級を示す徽章が光る。

 リナリアはアルメリア王の傍に護衛騎士の姿がないなんて、と密かに驚いた。

 前王が存命だった時から傍にいた竜王候補の青年は今、この場にいない。


 間近で見るほど分かる、竜の国を背負った少女は正真正銘の子どもだった、小さく幼い体を才の全てで武装した女の子。


「これで喋りやすくなるでしょうか。

 ルージア様のご提案通り、今日に限って皆様、発言はご自由に」


 とんでもないことになった、と思うのはリナリアだけか。

 この場の収集は誰がつけるというのだろう。



「えぇ、それでは結局進行役を押し付けられた私がまず話しますが」

「ごめんって」


 一国の城内、しかも謁見の間で大人が円陣を組んでいるとか何の冗談だろうか。

 もう細かい事を気にするのは辞めたリナリアの言葉に、ルージアが笑っている。

 辛うじて体裁を保ったリナリアは舌打ちを堪え、狂犬のような目付きで笑う女を睨み付けるに留まった。


「……現状の確認から入りましょう。

 アルメリア王──いいえ。ジェシー様、現在の貴国の状況についてお聞かせください」

「はい、承知しました」


 話を振られたジェシーは頷いて、淀みなくすらすらとアルメリア王国に降り掛かった戦火の報告を始める。


「二週間前、ライオス王国はアルメリア王国への侵攻を開始しました。

 経路は竜霊山の踏破、王権レガリアによって支配された聖王騎士団を戦力の主軸とした、精霊や竜種を排除する形での進軍です」


「恐らく現段階におけるライオス王の主目的は、聖王騎士団による竜王騎士団の討滅と我が国の市街地の破壊。

 後方から続く人類軍の精鋭部隊による王都の制圧だと考えます」


「竜王騎士団は現在、竜霊山にて戦線を展開中、接敵の報告は未だ受けていません。

 皆さまご存知かと思いますが、聖王騎士団は白兵戦において一強を誇ります。

 戦線が壊滅し、突破された場合──」


「竜王信仰に生きる我が国の民は狂乱し、アルメリア王国は崩壊すると断言します」


 ジェシーが述べた事に対する異論は出ない、皆が共通した認識を持っていることを明確化したリナリアは深く頷いた。


「今回の事変において、人類軍は聖王領域での救助活動を優先し部隊を派遣しました。

 その結果、ライオス王の私兵を増やす要因を生み、事態の深刻化を招いた責任が私にはあります。

 ジェシー様、深くお詫び申し上げます」

「謝罪など必要ありません。貴女は貴女の戦いをしたまでのこと、自身の役割を果たすことは生きる上で最優先の事項です」


 温情だ、とジェシーの声音だけで理解したリナリアは深く下げていた頭を上げる。

 こちらを真っ直ぐに見つめる少女の眼差しには王才がはっきりと現れていた。

 民を第一に、国土を愛し人類権全域の平和を願っている者の瞳。


「……ジェシー様」

「今は対等な言論の場、そうでしょう?」


 ふふ、とジェシーが笑う声をリナリアは初めて耳にした。

 微笑む所作まで母親に似ていた、これは単なる遺伝か、施された教育によるものか。


「我々、人類軍はアルメリア王国の防衛に対する奮戦と尽力を約束します。

 全ては多くの民と騎士の安寧の為に」


 リナリアはそう言って、自身の発言を締め括った。



「──やっと雰囲気が解れて話し易くなってきましたねぇ、いやいや。

 僕としては大変、ありがたい」


 さて、と空気を変えるように響いたのは年若い男性の声だった。

 見やらなくとも分かる声の主は、紫色を基調とした外套を羽織った魔術師。


 サザル王国の人類代表、ウィリアム・アザルブが朗らかな笑みと共に言い放つ。


「こちらの対応も話しておきましょうか。

 我が国はアルメリアからの避難民の受け入れと、精霊騎士団の貸し出しを行います、残念なことに一部隊に限るんですが」

「ありがとうございます、ウィリアム様」


 同盟国であるサザルの王とは昔から面識があるのだろうか、気心の知れた相手に向ける笑顔でジェシーは礼を言った。

 ウィリアムが傍に控えている護衛騎士の背中を軽く叩く、精霊騎士団の第一階級はおずおずと口を開いた。


「……主要部隊の指揮は僕が務めます。

 アルメリア王、微力ではありますが好きなようにお使いください」

「何を仰られるのです、精霊王候補様。これ以上に心強いことがありましょうか」


 う、と対話に長けた者にしか分からないくらい一瞬の間に、精霊騎士の少年が息を詰まらせたのにリナリアだけが気付いた。


 柔らかな表情でジェシーが発した今の発言、何処に息を詰まらせる要素があったのか分からないが……少年の名は桑原龍海くわばらたつみ、曲者であるサザル王に振り回されている印象が強い騎士だが、彼以上に優秀な精霊騎士の話は未だ聞いたことがない。


 ウィリアムは一部隊に限るなんて言ったが、十分すぎる対応だ、精霊騎士団が誇る精鋭をアルメリア防衛に送ると言うのだから。


「リーテの方はどうなんだい、ルカ?

 今日はネアル様の名代だろう、緊張してるんじゃない?」


 ウィリアムはわざとらしく軽薄な態度で、成り行きを見守っている少年に声を掛けた。


「緊張はしているん、だけど。

 おれ……僕は伝言を頼まれただけだから、あんまり来る意味なかったかなぁって思ったりして」


 ……拙い言葉と声が転がり出る。

 リーテ王国の人類代表、ネアル・ステイシーが持病の悪化に伴い床に伏しているという報せはリナリアも受けていた。

 祖母の名代として護衛騎士を連れ、やってきた青年は人間にしては珍しく鮮やかな、緑色の髪と瞳を持っている。


 ルカ・ステイシーという名の彼を、リナリアは知りすぎるほどに知っていた。

 それは彼が緑色の軍服を着ていることからも示されている。


「リーテは今、ちょっと難しい状態にあって。だから他国のように大きな助力は出来ないと、王は仰っています」


 リーテ王国の治安維持を担当するリナリアの部下は慣れない敬語をぎこちなく発した。

 言葉に詰まりかけながら、辿々しく喋る様は見た目よりも幼く感じられる。

 その理由を知っているリナリアは黙って、彼の新緑を思わせる眼を見つめていた。

 

「なので、アルメリア王国の防衛には

 ──が行くことになりました」


 胸に右手を当て、どうにか喋り終えたと安心した表情で笑う。

 彼はリーテ王であるネアルの孫にして、ライアン・ローグの従兄弟でもあった。


 ルカは人類軍の魔法使い。

 別名を、海の怪物といった。



「ルカ様が、アルメリアの防衛に……?」


 今まで一貫して余裕のある態度を崩していなかったジェシーが目を見開いて聞き返す。

 あまりの驚き様に、ルカは不安げな顔で右隣に立つ騎士を見た。


「ねえ、間違ったこと言ったかな?」

「……問題ありません、ルカ様。

 我が王からのお言葉をそっくりそのままお話しできていましたよ」


 医療騎士団第一階級、久世詩音くぜしおんがゆったりとした動作で頷く。

 柔らかく耳朶を包むような甘い声は、聞いた者に少なからず影響を与えるもの。

 ……それを理解しているからか、詩音は最低限のことしか喋らなかった。


「あと医療騎士団は引き続き協力します、彼女たちはある程度自由に動いちゃうから。

 困ったことがあったら僕に教えて、ください?」

「……感謝いたします。ルカ様、確認なのですが、本当に大丈夫なのですか?」


 ジェシーは表情を改めてルカへ問い掛ける、対して彼は少し悲しげな顔をした。


「やっぱり、僕が行くとかな」

「いいえ」


 子どもの瞳が見つめ合う、腹の読み合いなどない直球の言葉が二人の間では交わされていた。


「私が懸念しているのは、あなたに掛けられたのことです。

 命にまで危険が及ぶ代物だと……」

「なんだ、そんなことか。

 貴女は相変わらず、優しい王様だね」


 優しい、と称されて初めて自覚したようにジェシーは目を丸くしていた。

 懐の奥深くにしまっていたものを誤って出してしまったらしい彼女は、何度か口の中で言葉を転がし選んでから。


「申し訳ありません、未熟な言動でした。

 ご協力を感謝いたします」

「こちらこそ、心配してくれてありがとうございます。

 こんなにも不気味な僕だけれど、一応まだ人間側らしいから命くらい懸けさせて」


 それにね、とルカは微笑んだ。

 一等大切な宝物を抱き締める幼子の如く。


「アルメリアのことも助けたいけど。

 一番助けたいのは従兄弟のことなんだ」


 魔法使いは笑っている。

 彼は海の国からやってきた──禁忌を超える瀬戸際に立つ人間だ。



「ほらね、やっぱり仲良しじゃない?」

「ルージア、あなたの発言がまだみたいだけど?」


 この場を焚き付けた癖に黙っていたルージアに、リナリアは言った。

 総統なんて立場になる前からの昔馴染みであるとはいえ、この女の自由さには振り回されてばっかりだ。


 ルージアが■■と一緒に悪さをした時も、何故か私がお父様に叱られた──。


(あれ、今何考えてたんだっけ)


 突如、何かに思考を遮られてリナリアは額に右手を当てた。

 護衛対象の不調だけは見逃さない騎士長が傍から声を掛けてくる。


「リナリア様」

「何だか調子が狂っただけだよ」


 ルージアのせいだ、とリナリアが睨み付けると流石の彼女も分かったよと苦笑いした。


「コウランは人類軍に王石柱レムナントが製造した武器の供給を平時より優先するのと、アルメリアに冥王騎士団の部隊を幾つか派遣する。

 もう偵察用に動かしてる隊もあるしね」

「はい、おかげで最前線の情報を直ぐに知ることが出来て助かっています」


 ジェシーの言葉にルージアは、おお!と声を上げた。


「やったね天宮、褒められてるぞ。

 人の役に立つなんて凄いじゃないか!」

「……普段は立ってないみたいな言い方やめて貰えますか、そんなことないんで。

 仮に事実だとしたら我が王の使い方が悪いだけです」


 ばしばしと背中をぶっ叩いてくる自身の王に対しうんざりとした顔を向けたのは、冥王騎士団の第一階級、天宮恵一あまみやけいいち


 自分の養い子が上司に振り回されている様を目の当たりにした翔が、腹を抱えて笑いたいのを抑えている。


「あーあ、可哀想に。

 その辺にしといてあげてくださいよ、ルージア様に気に入られると碌なことにならないよねぇ」

「ちょーっと翔ちゃん、お口が悪いな?」


 ルージアと口で戦って対等な騎士は翔くらいだろう、流石は人類と騎士の架け橋だ。

 あはは、と可笑しそうに手を叩きながらウィリアムが口を出す。


「ダメじゃないですかぁルージア様、他所のお子さんをいじめたら」

「ウィリアムくん〜?

 君にだけは言われたくないよー??」


 みんなと私たちはお友達。

 先程ルージアが発した言葉は何にも間違いではなかった、とにかく誰に対しても彼女は気安いし相手からも同じように接せられる。


 垣根が無い、とはルージアのことを言うのだろうなとリナリアは思っていた。

 もし彼女が真面目で品行方正であったなら、私が描く理想の人物像なんだけど。

 なんて考えていることが知れたら絶対に面倒だ、死んでも言わないとリナリアは誓う。


「さて、意向が出揃ったところで本格的に作戦会議をしましょう。

 ジェシー様、貴国の主戦力は竜王騎士団のみと捉えてよろしいですね?」


 場を引き締めるように放たれたリナリアの声に、謁見の間は静寂を取り戻した。

 ジェシーは頷きを返してから口を開く。


「少しだけお待ちください。

 私の護衛騎士が哨戒任務から戻ります」


 彼女の発した言葉が誰を示すのかは、一同、良く理解している。

 ──そしてこの場にいる騎士たちはその優れた聴覚で、謁見の間に近付く足音を聞き取っていた。

 耳に馴染んだ、家族の音を。

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