31.「招集」
「──真正面から山越えですか。
ライオス王も大胆なことを考えるものだ」
アルメリア王国の王城、その一角にある応接室の中で男の声が響いた。
青い騎士服は統合騎士団所属を表す、騎士であるにも関わらず眼鏡を掛けている男の前には、軍服の女性が座っている。
「予想していた進軍経路だとはいえ、いざ実行に移されると面食らうね」
「あっ、珍しい。
リナリア様が僕と同意見だなんて」
笑う男の顔を見て、リナリア・ツォイトギアは少しだけ目を細めた。
「意外と気楽そうだ、騎士長殿。
……君の養い子たちが危険に晒されているというのに」
「うん、これでもかなり怒っていますよ」
急務が別にあるというだけで。
彼のいつになく和やかな表情、穏やかな空気感、全て作り物だと分かるそれ。
居心地の悪さを感じてリナリアは背もたれから体を離す。
「あらら、緊張させちゃいました?
これは申し訳ない」
「思ってもないことを言わなくてよろしい」
笑っているようで笑っていないのは、この男……
漏れ出す殺気が尋常ではない。
この場にいる人間が、騎士という万能と接し慣れているリナリアでなければ恐怖のあまり卒倒していてもおかしくなかった。
「子を失う恐怖というのは、何度経験しても慣れないものです、仕事と責任は全うしますからご容赦ください」
「いいや。君がどれだけ有能で家族想いなのか、人間の中では私が一番分かっている。
気にすることではないし……」
むしろ当然の怒りでしょう、と口にしようとしてリナリアはやめた。
あくまでも表面上は穏やかに保とうとしている彼の気持ちを汲もうと思う。
「何故、起こせもしない戦争をアルメリアに吹っかけたのかと疑問だったけど、
まさか実在していたなんて。
リナリアは額に右手を当てた、本当は両手で頭を抱えたいくらいだ。
──人類会議にてライオス王が発した、アルメリア王国に対する戦線布告は間違いなく脅威だったが、同時に実現性を伴っておらず意義も理解できないものだった。
……聖王結界の破損という人類圏全域で見ても異常な事態に見舞われたライオス王国は、一度は国内へ天使の侵入を許した。
鎮圧後も崩壊し侵食された市街地と避難民への対応に追われていたはずだ。
実際、人類軍にもライオスから救援要請が届いていた、リナリアが部隊を派遣した時、確かな災害が聖王領域には広がっていた。
第一階級騎士を複数名抱える聖王騎士団に守護されているとはいえ、国難を迎えていることに変わりはなかったはずだ。
「二代目アルメリア王、我々は貴女を敵国の王として歓迎する」
だというのに、ライオス王はそんな事実すら無かったかのような顔で人類会議に出席し、あの発言をしたのである。
常に冷静沈着、合理的な判断で国を導いて来た正義の王とは思えない異常な発言で、あの場にいた誰もに彼は警戒された。
ライオス王──カインズ・ローグのことをリナリアは昔から良く知っている。
結果、リナリアは人類軍を動かして武力抗争に備える判断をした。
恐らくは彼にしか見えない理想への道程が存在している、その確信があったから。
リナリアが最初に方針を擦り合わせたのは統合騎士団だった。
リチアの北門を封鎖しライオスから他国へ踏み入ることが出来ないよう仕向ける、と。
私兵を率いてアルメリアへ向かうとしたら経路が山越えのみになるように。
……人の身だけでは決して踏破出来ない竜霊山を盾にする作戦だ、リナリアはライオス王が動き出す前に封じてみせようと駆けずり回った。
──進軍経路の予想は出来ていたと言った、なぜならそうなるように追い込んだから。
思惑が何にせよ人間が踏破する術の無い壁を目の前に、彼らは立ち竦むしかないだろうと誰もが判断していた。
……箱庭の人間は万能を打ち破れない、その為の力を持ったものは皆惑星の呪いに殺される、常識だ。
リナリアが救助の為に派遣した部隊から私兵を増やしたところで、竜霊山を踏破する方法が無いなら意味がない。
彼らが動けないでいるうちに総力を結集し、ライオスの民を瓦礫の下から救い出した後に袋叩きにすれば良い。
万能の絡まない「人同士の争い」に対する備えとしての最適解。
リナリアは決して間違ってはいなかった、
──聖王領域に展開された「絶対王令権」
伝承に語られるだけの誰も実在を信じていなかった原初の権能は絶大な効力を放った。
……あの白光は即ち、聖王騎士団に対する絶対的な支配と強制命令を与える権能。
「聖王騎士団」という万能の武器を得てライオス王は、竜霊山を踏破する方法の確保に至ったのである。
……リナリアは思う、彼は何がきっかけで
騎士王伝承なんて一番嫌いなものだろうに、発動方法すら曖昧なモノをどうやって。
いくら不可解だと頭を捻っても起きてしまった事は変わらない。
──聖王騎士団の第一階級、あの庭園で会話した青年と少女の顔を思い出した。
……リナリアはふたりに語った、いくら私兵を集めたところで、他国に完全包囲された状態なのだから戦争なんて起こせるはずもないだろうと。
偉そうな口を叩くんじゃなかったと、思考の隅で叫んでいる自分を彼女は黙らせる。
偵察隊からの報告によれば、聖王騎士団とライオス王に降った私兵たちは既に竜霊山に踏み込んでいるという。
ライオス王国による侵攻は本当に始まった、気が触れているとしか思えない正義の猛攻が襲い掛かってきたとアルメリアの民たちは混乱した。
──二代目アルメリア王により招集されたのはリナリアと翔だけではない。
サザル、コウラン、リーテ、他の応接室にはそれぞれの人類代表と護衛騎士が控えていることだろう。
無関係でいられる国などあるわけがない。
アルメリア防衛が失敗すれば、人類圏は今度こそ完全な崩壊を迎えてしまう。
「科学の国が原初の権能なんて持ち出してくるなと、声を大にして言いたい」
「何とかしようはあると僕は思いますよ、他国の
楽観的なようで的確な意図を持つ翔の言葉を聞きながらリナリアは事態悪化の原因が自分にあると考えていた。
……人類圏内の安全を最優先とし、救いを求める民を見捨てない為に送った部隊は結果的にライオスの私兵を増やす事に繋がった。
ライオス王の動向を部下であるライアンに見張らせ、救助活動を優先した責任。
彼の妄執を知りながら
全身全霊での対処が必要だ、ライオス王の私兵に部下たちを紛れ込ませて得た情報と、自身で掴んだ情報。
その全てをアルメリア王へ渡すつもりでリナリアはこの招集に応じていた。
──かつてはリナリアの右腕でもあった男が抱えているのは渇望だ。
■■■の滅びと死をきっかけに、友を亡くし師を亡くし、妻を亡くした成れの果て。
そんな男の姿を見て涙を流し苦汁を飲み込んで、この十五年を耐え続けた軍人たち。
リナリアの下で燻っていた狂気を、カインズ・ローグは解き放った。
ある者は忘れていた怒りを思い出し。
ある者は身を焼き続ける悲しみを抱えて。
原初から終わらない神々の侵攻、迫り来る終末を前にして、押し殺して来た衝動の箍が外れたのだ。
自国の崩壊を目の当たりにしただろう王子との連絡は今、途絶えていた。
彼の安否を確認するのもリナリアにとって最優先事項である。
……
彼らと戦うことになるのは、同格である第一階級の誰かになるのだろう。
幼馴染で殺し合いをするなんて、そんな業は誰にも背負わせてはならない。
騎士であろうが人間であろうが関係なく、家族で命を奪い合うなんて起きてはならないことなのに。
ああ、なんて腹立たしいこと。
リナリアは内心で戦争が始まった事を認めた、このままでは1800年に終結した内戦以来の愚行を再び繰り返させることになる。
握りしめた指に嵌まった冷たさを意識する。終わらせなければ。
──十五年前、目に焼き付いた災厄の光景がある。
あの日に誓った、何者の血も流れない世の実現の為に自分は生きていくのだと。
「僕が怒ったところで正直、どうってことないんですが、怖いのは妻なんですよ」
翔の呟きが聞こえて、長らく熟考に落ちていたリナリアは顔を上げた。
はあ、と自分を落ち着かせるように深く息を吐いた後、彼は苦笑いしながら言う。
「なるべく早めに収集をつけて、子どもたちには皆で仲良く帰ってきて貰わないと。
僕が真っ赤に染まって弾けちゃうかもしれないのでね」
「それは、本当に怖いな」
リナリアは右手で左手の人差し指に嵌めた、少し緩い指輪に触れる。
身震いする体を落ち着かせたくて、大事な父の形見を撫でた。
真紅の髪の統合騎士──騎士寮の管理を担当している女性騎士の姿を思い浮かべる。
リナリアの想像の中でも微笑んでいる彼女には、何者よりも恐ろしい性質があった。
愛という本質に基づいて行動し、その他の
神楽衣夫妻と旧知の仲であるリナリアは、夫婦揃って本気で怒りを覚えると手をつけられなくなることをよく知っていた。
夫の方は理性の塊みたいな性質だからまだ話が通じるけれど……妻の方は感情の制御を失うと本当に危険すぎる、冗談ではない。
「……薫ちゃんが痺れを切らす前に、解決しないと」
翔の言葉にリナリアは首肯した、それはもう深々と。
◇ ◇ ◇
「我が王、皆さまお揃いになりました」
大きすぎる玉座に浅く腰掛けて瞳を閉じていた二代目アルメリア王は、傍から掛けられた声に瞼を上げる。
声の主は王の世話係を務める竜王騎士の少女だった、第二階級であることを示す徽章が見える。
髪と瞳は鮮かな橙色、騎士の中でも飛び抜けて整った顔立ちの騎士だ。
故に、華奢な両腕が指先に至るまで真っ黒な包帯で覆われているのがかなり目立った。
「わかった、ありがとう。
──
少女の名を、竜の国を統べる王が呼ぶ。
良く通る声が謁見の間の空気を一気に張り詰めさせた、玉座を持て余すほどに幼い少女の口から発せられたとは到底思えない威厳と王才を感じさせる声。
「承りました」
灯依と呼ばれた竜王騎士の少女はすらりとした足を動かして大扉へと歩く。
向こうには人類圏を統べる王達と、護衛を務める騎士たちか並び立っているはず。
……己の傍らに護衛騎士はいない。
だが、その程度のことで怯んでいるようではいつまで経っても小娘のままだ。
アルメリア王は大扉が開かれる前に、背筋を改めて伸ばした。
王として初めての大仕事を、少しの緊張も見せず極めて冷静な表情で迎え入れる為に。
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