30.「竜王領域の人類代表」
夢の中で声を聞く時がある。
それは決まって男性の、知らない人の声、もしかしたら人間でもないのかもしれない。
物心ついた時にはもう、同じような夢を何度も見ていた気がする。
真っ暗闇に声だけ響くこともあれば、何処だか分からない建物の中とか、見たこともない自然の風景が見えると共に聞こえてきたりもする。
声は語り掛けてくることもあれば、独り言を呟いているだけのような時もある。
誰かの記憶を覗いているような、そんな夢も見る。
不思議な夢を見るのだと母親に話してみたら思ってもみない騒ぎになった。
いわく、その声は後に起こる戦いや災害を言い当てていたのだという。
そして物語のように見える記憶は全て、原初の時代から語られる伝承に酷似していた。
天啓だ、と皆が言った。
その日を境に「私」は次の王様になる為に育てられた。
「ねえ、お母様。
私が王様になるのはいつ?」
与えられる教育に不満はなかった、習得することに難儀したものもない。
ただ、母のようになれるのかだけが不安で、安心したくて問い掛けた。
嘘でも言って欲しかったのだ、そんな日なんか来ないよって。
「それはね、ジェシー。
私が死んでしまったときよ」
記憶の中にいる母親はいつだって笑っている、穏やかに。
遍く生命を愛していると言わんばかりに。
──世界暦1855年。
アルメリア王国初代国王、マリア・ライアットが急逝した。
次期国王は前王の遺書に記された指名により、ジェシー・ライアットが務める。
事実だけを羅列してしまえば、なんて簡単に済むのだろうといつも思う。
◇ ◇ ◇
──未だ王という役割が身に染み付いていない、幼い子どもである少女は口を開く。
人類会議への初出席を済ませたばかりで、これから起こるだろう事態への対処に追われていた彼女は、束の間の息抜きをしに私室へと戻っていた。
「しばらく夢を見ていないんだ。
天啓がないと大丈夫なのかって心配になるの、あったらあったで煩わしいのに」
私室の窓際にまで持ってきた椅子に腰掛けて、少女は風に揺れるカーテンを眺めながら言った。
語り掛けた相手は入口のあたりで直立不動だ、いつまで経っても返事が来ないので、少女は溜息を吐きながらそちらを振り返る。
「ねえ、私の護衛騎士さん?
仕事熱心なのは良いけれど、言ったよね、私室では昔のような態度でいてって」
「仰せのままに、我が王」
やっと声が返ってきたと思ったら何だか揶揄われているみたいで、少女は剥れた。
今やこの国の王である彼女の傍らに、臣下である竜王騎士の青年が歩いてくる。
──前王の護衛騎士であった彼、朝川忠明は今も変わらず国王の側にいた。
幼い頃、教育係として忠明が現れたことを少女は思い出す。
……騎士とか人間とか気にしたこともないような年齢で引き合わされたのだ。
きっと母の計算の内だったのだろうと少女は思う、おかげで騎士に対する差別意識なんかとは無縁に育つことが出来た。
竜王信仰の下で生きるアルメリアの民を導く立場に就くものが、騎士を恐れて良いわけがないのだから。
少女──ジェシー・ライアットは不満も露わに口を開いた。
とてもじゃないが二代目アルメリア王とは思えない、そんな言動を許せるほどに少女と騎士は旧知の仲だった。
「名前で呼んで、人前ならしょうがないけど、私を私だとあなたくらいは知っていて」
「……分かっていますよ、ジェシー様。
ちょっと揶揄いたくなったんです、先日は随分頑張っていたようだから」
穏やかに微笑む忠明の顔は親のようだ。
あなたに育てられた覚えはない、とでも言ってやろうかとジェシーは思ったが……彼が優秀な教育係だったことは確かなので何も言えない。
ジェシーが歩き始めた頃に父は病死したと聞いている、兄は多忙であり母親は国王だ。
家族よりも長い時間を忠明と過ごした幼少期だった。
彼は勉強を教えるのがとても上手で、怒らせたら誰より怖いことを、ジェシーはよく知っていた。
「先日って人類会議のこと?
緊張はしたけれど予想した範囲のことしか起こらなかったじゃない。
相変わらずライオス王は私たちのことが嫌いだって」
ライオス王から告げられた戦線布告の言葉を思い出し、ジェシーは居住まいを正す。
アルメリア王になって初めて出席した人類会議で、あんなにもはっきりとした敵意を浴びせられるなんて。
予想していた通りのことだったとはいえ、正直言えば。
「めちゃくちゃ怖かったよ。
なにあの人、あり得ないんですけど」
「それ、俺以外に聞かせちゃ駄目ですよ。
絶対に駄目ですからね?」
本当に困った時の顔で見つめてくる護衛騎士のことを見上げ、反省して口を噤む。
彼にだけ王らしからぬ態度を見せる事をジェシーは自分に許していた。
「アルメリアを守る為には同盟国との繋がりを強くして、人類軍からの協力を仰いで……出来る備えをするしかない、あってるよね?」
「もちろん、その通りです」
自分の考えに対する責任くらいジェシーにだって持てる、けれど背中を押してもらいたい時はあるものだ。
笑顔と共に首肯され、気合いが入った。
椅子からすっと立ち上がり、ジェシーは開け放たれた窓から外の景色を見る。
賑やかな王都と赤の砦が見えた、その向こうに聳え立つ竜霊山、美しい自然。
守るべき故郷を眺めた後に、彼女は振り返った。
「これから先、アルメリア王国は全力でライオス王国の侵攻に対する備えをします。
──協力してくれる?」
返答はもちろん、決まっている。
頷きを返されただけで、ジェシーは嬉しくなって微笑んだ。
私みたいな未熟な王に仕えてくれる者たちと、信頼を寄せてくれる民がいる。
誰ひとりだって死なせるわけにはいかない、己の全てを懸けても良い。
「期待しているよ、私の最優。
忠明の一番強いところ、見せて」
「ご期待に添えるかは分かりませんが、最善を尽くしましょう」
心底楽しそうに忠明は笑っていた。
日々輝きの変わる彼の瞳が、子どもみたいな無邪気さで彩られる。
ジェシーも抑えきれずに笑い声を上げた、今だけは幼い子どものままでいい。
夢を見なくたっていいのだと、言われている気がして嬉しかった。
……今日という日が明日には過去になることを知っているつもりで知らなくて。
これから起こる災厄の事を想像することしか、出来なかった。
──その日の夜、ジェシーはいつになく長い夢を見た。
見えたのは誰かの思い出だ、血塗れの両手をだらりと下げて、天使と神の骸が幾つも転がる戦場に立っているそのひとは、惨たらしい光景を眺めながら呟く。
「なんだ、簡単なことじゃないか。
僕と同じものを造ればいいんだ」
声には何にも情動が無かった。
認識した現状に対して、最適解を示す為だけに紡がれた言葉。
真っ赤な外套の裾が揺れ──その背中をジェシーはよく知っている。
「竜王さま」と夢の中で口にしても、思い出の中にいるそのひとは振り返らない。
独りきりでいる姿を見ると、居ても立っても居られなくて、駆け寄ろうとしたところで夢は終わった。
目覚めと共に涙がこぼれて止まらなくて、それが怒りによるものなのか、悲しみなのかも知れないうちに。
アルメリア王国に戦火は降り掛かった。
己が持つ能力の全てを使い、少女は竜の国を統べる王として立つ。
……誰が死んでもおかしくはない。
箱庭の冬が締め括られようとしていた。
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