33.「一掴みの朗報」

 鐙に掛けた足で胴を蹴れば、それが合図となって高度が下がる。


 相棒である金色の飛竜イカヅチの背を、鞍の上から忠明は撫でた。

 金属よりも硬い鱗の下に体温の低い皮膚がある、ぐるぐる鳴きながらイカヅチは降下し赤の砦へと降り立った。


 王都を囲うように建造された赤の砦は、竜王騎士にとって都合の良い発着場所だ。


 中型の飛竜であるイカヅチがギリギリ収まる幅の砦ではあるが、多くの竜王騎士たちが相棒と共に飛んだり降りたりを繰り返す。


 普段は騒がしい赤の砦も今は静かだった。

 大半の騎士たちが防衛準備に追われているし、尚且つ本隊が竜霊山へと出払っているから周囲には誰の姿も見えない。


 王都を見渡せば、人々が列を成して国外へと足を運んでいるのが分かった。

 万が一、防衛戦が崩壊した時に備えアルメリアの民たちはリチアかサザルへと避難を開始している。



 ライオス王国からの侵攻が確認されてから二週間、団長率いる竜王騎士団の本隊は竜霊山の頂へと集結し防衛拠点を築いた。


 そんな中で忠明に下された命令は、手薄になる竜王結界の防衛と、本隊が展開されている最前線の哨戒任務だった。


 竜王騎士団の中で誰より速く、長く飛ぶことのできるイカヅチと忠明にとっては簡単ではないが、不可能でもない任務である。

 今も竜王結界に近い位置にあった天使の巣を幾つか焼き払い、竜霊山で敵影の有無を確認してきたばかりだ。


「またあとでな、直ぐに呼ぶよ」


 イカヅチの背から飛び降り、忠明は自分の頭より大きな竜の顎を革手袋越しに撫でる。

 窮屈な鞍を外して貰えないことから、まだ今日の仕事は終わっていないと理解したらしい相棒は不服げに唸った、装具がチリチリと音を立てる。


 忠明は苛立つ竜の口に餌を放り込んだ。

 イカヅチがいつ機嫌を損ねてもいいように、彼はいつでも干し肉の入った餌袋を鞍に括り付けている。


 卵の頃から一緒にいる忠明に対してだけ、イカヅチは威厳のない素直な顔を見せた。

 干し肉一つでご機嫌になり、束の間の自由を満喫する為、アルメリアの空へと飛ぶ。


 悠々と飛行する金色を見送った忠明は、早足に王城を目指す。

 予定通りなら今頃、謁見の間で各国の意見が出揃っているはずだった。



 ◇ ◇ ◇



「遅参をお詫び申し上げます、我が王」


 各国の王と護衛騎士たちが集った謁見の間の中央には、アルメリア王がいた。

 玉座にではなく皆と同じ目線で立っている。


 謁見の間には見慣れた顔も多かったが、忠明はまず、自身の王へと意識を向けた。

 騎士として彼は自らの王を最も尊重する、それは前王が存命だった頃から変わらない。


 幼い頃から忠明が教育係として接してきた娘は、今も子どもの身でありながら王としての振る舞いを崩さず穏やかに微笑んだ。 


「よく戻りました、我が騎士。

 公式の会議ではありませんから、今日のところは立場も種族も不問にせよ、というのが皆様のご意向です、楽にしなさい」

「仰せの通りに」


 最優の騎士と称されるに値する、規律を重んじた美しい騎士令の形をとって頭を垂れていた忠明は主の意向に従う。


「最前線の状況はどうでしたか、接敵の知らせは未だ受けていませんが」

「大きな動きは見られません。

 ですが……草食竜の群れが北の麓から東へと追い立てられているのを確認しました。

 聖王騎士団は竜霊山の中腹を超え、着実に頂へと近付いているものと報告します」


 アルメリア王は頷くと共に床へと目線を落とした。

 忠明の声に耳を傾けていた誰もが皆、一斉に熟考し出した気配。

 そんな周囲を見渡した翔が口を開く。

 

「竜王結界の状況は?」

「特に異常は見られません。

 周囲の群れについても問題なく、全て食い潰してあります、神についても同様です」

「相変わらず頼もしいね、だが。

 そろそろ防衛戦に集中するべきだ、竜王結界の哨戒には統合騎士団から隊を出すよ」


 翔が言っていることは最もで、現実的だ。

 聖王騎士団との戦いが本格化する前に、アルメリアの決戦兵器である忠明は本隊と合流した方が良い。

 聖王騎士団を相手取るというのは、決して片手間で出来るようなことではないからだ。


 神々や天使には人類圏内の状況など関係がない、いかなる時でも万能の襲来に備えておかなければ人類守護は成り立たない。

 竜王結界の防衛を統合騎士団に任せられるようになれば、忠明はようやく目の前の急務に本腰を入れられる。


「内にも外にも敵がいるというのは厄介なものだ、聖王騎士団にも圏外区域からの経路を選んだ別動隊が存在する可能性があるし。

 統合騎士団に戦闘行動が可能な部隊は少ないが……我々は竜王結界とアルメリア王都防衛に最善を尽くそう」


 要するに、背中は任せろと言われていた。

 こんなに頼もしい事が他にあるだろうかと、忠明は思う。

 自身の立場と養い子に向ける情とを、翔は上手く両立していた。


「ありがとうございます」

「君たちが気兼ねなく戦えるようにするのが、僕の仕事だからね。

 それに……うちでもひとり今にも飛び出していきそうな子を抱えているし」


 翔は苦笑いを浮かべながら、期待しているよと言った。



「聖王騎士団に関して質問なんですが。

 ひとり残らず王権レガリアの支配を受けている、という認識で良い、んですよね」


 リーテ王国の名代、海の魔法使いが辿々しく問いを投げる。

 それを肯定したのはアルメリア王だった。


「聖王騎士団の現状については、こちらも偵察隊から受けた報告頼りになりますが。

 総員がライオス王の支配下にあり、神技を用いた強行突破で竜霊山を踏破していると」


「竜種を斬り伏せての前進、今の聖王騎士たちに自我はないと我々は判断しています」


 彼女がこう言い切るのには理由があった。

 竜種の生息地には、全騎士団を通じて不可侵とする決まりがある。

 竜王騎士団が航空戦力として稼働していられるのは、当然ながら竜種が存在する限りの話だ、悪戯に彼らの生活を脅かすことは人類守護に反していると捉えられる。


 同じような理由で精霊の生息地を荒らすことも御法度だ、改めて説明しなくとも騎士ならば皆、常識として持つ価値観である。


 ──人の夢想に精霊が干渉することで姿を現す、実体を伴った現象である精獣は、本来ならば何からも支配を受けない。

 そんな中で原初の竜王との盟約の元、竜だけは人類守護に手を貸してくれる。


 万能を食い殺す法則を持った存在であり、竜王騎士が使役する事が可能である竜種の保全は、人類守護に必要不可欠。

 それを脅かしている時点で、聖王騎士団は正常な判断の下で動いていないと言えた。


「それと、王権レガリアについての補足ですが。

 あれは原初の騎士王が人に与えた権能の器、王石柱レムナントの力を借り受けることで人が騎士に絶対的な効力を伴う干渉を行う為の手段」


「伝承の通りならライオス王国……いいえ。

 聖王領域が保有している『絶対王令権』は、使用者の命を思考の中枢として配下の騎士を実質的な洗脳状態にする事が可能だとされています」


「絶対王令権の支配下に置かれた騎士達には、拒否権がありません。

 彼らは自分の意志と無関係に、同胞殺しを強制されているということです」


 自身が仕える王の声によって再認識させられた現状に、忠明は寒気を感じた。

 それは他の騎士たちも同様だ、己の命が誰に握られているのか改めて突き付けられる。

 ……騎士の本質は兵器である部分にこそある、生き物である事は後付けなのだ。


 忠明から見れば現状は最悪だった、人類は危機に晒され仲間たちは死に直面している。


 『絶対王令権』が発動したということは、原初の聖王がこの状況を許容したことを表していた。

 王石柱レムナントという存在は、遥か高次元から人類の安寧を守護している。

 だから一人一人には寄り添わないし、騎士のことはもっと蔑ろに扱ってくる。

 彼らの解釈ではこの事態すら、恒久的な人類守護へと繋げる道程の一つに過ぎないのかもしれない。


 人類の犠牲が最小限で済むのなら、騎士が幾ら死のうと構わない。

 だって節操もなく生まれてくるんだから、女の腹からも王石柱レムナントからも。



「聖王騎士団との衝突が避けられない以上、竜王騎士団もまた同胞との戦いを強制される立場にある」


 アルメリア王の目が忠明の方を向く、彼は冷静な表情を浮かべたまま頷きを返した。

 分かっている、と。

 覚悟も準備も何もかも出来ている。


 我が王は……ジェシーはきっとこんな残酷な命令を下したいとは思っていない。

 彼女の性格や本質を思えば、必死に押し込められている内心を察するのは容易かった。


 本心を隠して王として振る舞える今の彼女はとても偉い、成長した。

 他でもない忠明がこうなるように教育したのだ、王とは何か、背負うとは何か。

 この娘の信頼だけは裏切れない、自分には忠義を貫く責任がある。


 一呼吸置いてから、忠明は今ある己の見解を述べた。


「警戒対象として挙げられるのは、聖王騎士団の第一階級でしょう。

 どちらの騎士も異常な戦績を誇ります、誰が戦っても勝率は高くない。

 王権レガリアの影響を受けている今、ふたりがどうなっているのかは未知数ですが」


 忠明は何の為に此処にいるのか自答した。

 アルメリア王国を守護する為、竜王領域に生きる全ての民と我が王の安寧の為。

 己が命を捧げる対象は生まれたときにもう決まっていた、それこそ。

 竜王に選ばれた、あの日から。


 取るべき行動は最善だ、一つしかない。



「聖王騎士団の第一階級の対処はお任せください、始末をつけます」


 忠明は幼馴染を殺すことを宣言した。



 ◇ ◇ ◇



 アルメリア王国にて開かれた緊急会議は、各国の方針と各騎士団の配置が決定したところで終わった。

 公式ではないとはいえ、人間も騎士も関係なく意見を交わせる場というのは貴重だ。

 経験したことのない疲労感が残る。


 本隊への合流の為、竜霊山へと向かうことになった忠明は謁見の間を出て直ぐに、自らの部下を探した。


「灯依、ちょっといいか」

「……なんですか、竜王候補」


 大広間へと繋がる通路の途中、丸窓から外を見ていた橙色の髪を持つ少女。

 両腕が指先まで真っ黒な包帯に覆われている事が特徴的な第二階級騎士は、不思議そうな顔で忠明のことを見上げた。


「約束通り、我が王の護衛はしましたよ」

「ありがとう、助かったよ。

 俺が謁見の間に入った途端に消えたけどな、お前」


 苦笑混じりに忠明が言うと、彼女はだってと呟く。


「我が王にお暇はちゃんと言いました。

 怒られるようなこと今日はしてません」

「分かってるよ、灯依はスバル様の護衛なのに俺が引っ張り出したもんだから、拗ねてないかと」


 拗ねてません、と忠明より一つ歳下の少女はそっぽを向いた。

 三井灯依みついひより──忠明が育てた後輩であり直属の部下でもある彼女は現アルメリア王の兄、スバル・ライアットの護衛騎士である。


 竜王騎士団長すら竜霊山に赴いている状況で、哨戒任務に出なければならなかった忠明は手薄になる王の護衛を灯依に任せた。

 他の誰でもなく、一番信頼のおける竜王騎士として忠明は彼女を選んだのだ。


「楽しかったか?」

「……楽しかったですけど。

 我が王と話すのも久々だったし。最近のジェシー様は世話係も不要ですから」


 少し寂しげに話す灯依に、忠明はそっかと笑い掛ける。


「じゃあもう暫く頼むよ。

 俺、今日から最前線なんだ、日の出前には接敵するだろうって予測されている」

「えっ、待ってください。

 一時的にならともかく……この戦いが終わるまでジェシー様とスバル様、どっちも守れってことですか、私に」

「当たり前だろう、出来ないとは言わせないぞ、お前の戦闘性能は俺のお墨付きだ」


 できるけど、と灯依はぶつぶつ文句を言っている、その横を忠明は通り抜けた。


「じゃあな、任せるぞ」

「待ってせんぱい……あの、えっと」


 立ち去ろうとした背中を灯依は呼び止める、最適な言葉を選ぼうと必死に口を動かして彼女は言った。


「聖王騎士団に学舎時代の同期がいるんです、篠塚っていうんですけど」

「知ってるよ、凱先生の娘さんだろ?」


 騎士寮生にとって篠塚凱は唯一の師である、それは忠明も変わらない。

 片手で数えられるくらいしか顔を合わせたことはないが、確か凱の娘は聖王騎士団の第二階級だったはずだ、雄大の部下であり未来と同門の細剣使い。


 灯依はその、とまた言い淀んだ。

 この辺りで忠明は彼女が何を言いたいのか、何となく察した。


「……聖王騎士団は総員が、王権レガリアの支配下にあるんですよね」


 だったら、と一呼吸を置いて、灯依はその橙色の瞳で忠明の真紫を見つめる。

 燃え盛る炉のような少女だ、こういう目をする女には他にも心当たりがあった。

 相手を決して逃がさない深層から来る強さを持った騎士、こういう奴が一番強い。


「みんな、死ぬってことですか」

「そうだな」


 重たい問い掛けから忠明は逃げない。

 こう問われる事を覚悟していた、詰られようが恨まれようが、彼には最優として成さねばならないことがある。

 灯依は一度口を閉じ黙った、決して外気に晒されない両手を握りしめて震えながら。


「……ご武運を。

 あなたの行く道は全て、間違っていない」


 情動を飲み下して、最善を優先する。

 竜王騎士団が誇る第一階級は、部下の騎士礼に見送られ王城を去った。


 


 ◇ ◇ ◇




 晴れた空を見上げれば丁度、相棒が王都の上をぐるりと旋回しているところだった。

 普段は民からの視線を嫌って目視できるほどの低空を飛ぶことはない。

 呼び笛を吹かなくとも勝手に降りてきそうなイカヅチを眺めた後、忠明は歩き出した。


 赤の砦から飛べば二時間足らずで竜霊山だ、暫くは騎士寮どころか王都にも帰って来れないだろう。


 王都は赤色と竜の旗で彩られている。

 普段なら至る所で聖なる火が灯され、行商人と学生たちで賑わっている大通りだが。

 今は武装した人類軍の部隊と、王都防衛に残った竜王騎士たちの姿があるだけだ。


 ……もし自分があのふたりを退けられずに、死んだとして。

 最前線が崩壊し自我を無くした聖王騎士たちが雪崩れ込んだなら、この街並みは全て失われるだろう。


 竜王騎士となった日──いや、もしかしたら生まれた瞬間から背負ってきたもの。

 それを守る為には命と同じくらい大切な家族を殺さなければならない。


 忠明にも本当は、勝てるかなんて分からなかった。

 幾ら覚悟をしていても幼馴染を目の前にして鈍るかもしれない、土壇場になって殺せなかったら、そうでなくとも己の性能がふたりに追いつかなかったら。


 ずっと思考の片隅で滲み続けている思い出がある。

 それは寮で過ごした何気ない瞬間だったり、忘れようもない約束の話だったりした。


 いつだったか雄大が話していた事を思い出す、何より恐ろしいのは自分自身だ、と。

 理性を失くして力に溺れたら、正真正銘の怪物になってしまう。

 そう言って苦笑していた彼が自我を失って、それでも剣を握る様を目の当たりになんてしたらきっと耐えられない。


(未来が憧れてくれた俺は、ここで躊躇ったりなんかしない)


 忠明を進ませる根幹は、結局のところたったひとりの少女だ。

 安否不明と聞いている、偵察隊からも彼女らしき聖王騎士の報告は受けていない。

 だから、怖かった。

 自由を謳歌する輝きに満ち溢れた彼女の瞳が、王権レガリアに縛られている様なんて見てしまったら、自分は正気でいれるのか。


「会いたくねえなぁ」


 忠明は思わず、仕える王や部下の前では決して吐けなかった言葉を呟いた。

 悲鳴をあげている情動を抱えながら、騎士としての機能で無理やり体を動かす。

 こうやって乗り越えた絶望が今まで幾度もあった、皆が口を揃えて呼ぶ最優の名にいつだって忠明は自身の甘えを隠していた。

 

 こんなことでは話にならない。

 自分にはたとえ死んだってやり遂げなければならない事があるというのに──。



「ほら見ろ、やっぱり思った通りだ」


 前進を止めないままに、誰もいないと思って態度を取り繕っていなかった忠明は、背後から掛けられた声に振り返った。


「なんだよ、すげえ驚くじゃん」

 

 立っていたのはひとりの冥王騎士。

 頭から爪先まで真っ黒な幼馴染が、心底面白そうな笑顔を忠明に向けている。

 唐突に現れた恵一の姿を見て、忠明は眉を顰めながら警戒を解いた。


「……お前、なんでここにいる。

 自分の王はどうした、護衛対象だろ」

「大丈夫、使い魔をつけてきた。

 忠明に伝言があってさぁ、謁見の間じゃ流石に話せなかったんで、ひょいっとな」

 

 恵一がついと目線を動かした先には路地裏があり、そこには陽光から逃れた闇が漂っている。


ってね、俺の得意分野だろ」

「竜王領域内で神技を使うとは良い度胸だ」


 睨み付けると恵一はけらけらと笑った、彼の足元に広がる影が液体のように揺れている、いつ見ても詳細を捉え難い神技を使う。


「移動手段に使ってるだけだから許せよ。

 ほら、詩音ちゃんからお前への預かり物」


 恵一は懐から教本くらいの大きさの包みを取り出し、忠明に投げ渡した。


「鎮痛剤、どうせ使うだろってさ」

「わざわざ持ってきてくれたのか、詩音。

 ……自力でどうにか耐えるつもりだった」


 医療騎士団を表す杖の意匠が描かれた布の包みは、忠明にとって馴染み深いものだ。

 有り難く受け取って、恵一の方を見れば今度は彼の方が顰めっ面をしている。


「なんだよ」

「いいや、忠明って本当に死にたがりだな」


 首を傾げた幼馴染の相手をすることを放棄した恵一は、じゃあなと右手を振る。


「これだけ届けにきたんだ、可愛い詩音ちゃんのお願いだったからな。

 龍海も色々言いたそうだったけど、まあそのうち話す機会もあるだろ」

「助かった、ありがとう」


 忠明が素直に礼を述べると、恵一は思わずといった調子で動きを止めて溜息を吐く。


「……未来の悪癖ってお前に似たんだと思うんだよな」

「なんの話だ?」

「ほら、そういうとこ」


 指差すなよ、と不満を顕にする忠明に背を向けて恵一は問うた。


「お前さぁ、本気で雄大のことも、未来のことも殺せると思っているのか?」


 問いは真っ直ぐに届く。

 気を使うことも態度を取り繕う必要もない親友に対してだけ、忠明は本音を返した。


「他の誰かに任せるくらいなら俺がやる」


 香るのは狂気に変わる直前の親愛。

 返答を受けた恵一の表情は見えない、忠明の目の前には黒い影の化身が佇んでいるだけで、辛うじて呆れられたのは分かった。


「義務感だけで決めた事じゃないなら良い。

 同胞殺しなんて碌なことにならない、そう理解しているのといないのとじゃ、これから来る絶望の質が違う」


 語られている事の意味は忠明にも分かった、仕方ねえなと呟く声が聞こえる。

 半身だけで振り向いた恵一の真っ暗な瞳が忠明を捉えた、きっと夜に狩をする狼はこういう眼で獲物を見るのだろう。


「確証のある情報じゃないから伝えるべきか迷ったんだが、この際だから言っておくよ。

 第三戦区のことは知っているな」

「……コウランとライオスの共同戦線だろ、何かあったのか」


 突然変わった話題にも、忠明は己が持っている知識でついていった。

 恵一は真面目な顔で続ける。


「知っての通り一度踏み行った騎士の大半が帰って来なくなることで有名な戦域だ。

 だっていうのに昨日、俺の部下がひとりだけ生還した」


「報告を信じるのなら。

 そいつは第三戦区で黄金色の翼を持った騎士が飛び回るのを見たらしい」


 淡々と告げられた内容は、忠明を絶句させるに足るものだった。

 そんな彼の姿を見た恵一は、ふっと相好を崩しへらへらと身を震わせる。


「ぬか喜びだったら悪いけどさ。

 ──俺らの妹なら有り得そうだよなぁ」


 忠明が二の句を告げぬ間に、恵一は姿を消した、溶け入るように跡形もなく。

 気配の余韻すら残らない、まるで存在自体が影かのような振る舞いだった。


 独り残された彼はようやく身動ぎをする。

 自分の顔に右手を当てた、留めきれずに口から掠れた笑いが漏れ出る。


 ……そうだ、あの子は舞咲未来だ。

 自由に愛された、騎士寮で一番の規格外。


 彼女が生きているという確証を得たわけでもない、何も事態は解決していないのに、忠明は不敵に笑って空を見上げた。

 己の奥底が確かな安堵を感じている、そんな自分を誰よりも嫌っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱庭世界の終末騎士 revision 1. みなしろゆう @Otosakiaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ