〈2〉情熱スキャンダラスなゴシップ・ワンナイト

 都内にひっそりと佇むバー『liKIDリキッド』。

 リーズナブルかつ豊富なモクテル(=ノンアル)を提供している他、簡易版の自作も出来できるなど、ひそかに若者にウケているお店だ。



 そこに今、俺は足を運んだ。

 店内で待っていた、恵夢めぐむさんと会うために。



「あら、アラタくん。

 重役出勤とは随分ずいぶんいご身分ね。

 そっちから、喫緊きっきんで呼び付けておいて」



 カランコロンとマドラーを揺らし、オフショルのドレスで、余裕っぽく振る舞う先輩。

 その姿は、普段のアレっりを忘れるほどに、美しく大人びていた。

 


 きっと、入店の際に学生証の提示を求められ、それはそれはパニクっただろうに。

 ここは、未成年御用達ごようたしの、大人禁制の店だから。

 その姿が勝手に脳内再生され、思わず吹き出しそうになったが、どうにか持ち堪えた。



「すみません。

 七忍ななしのやつが、分不相応にもゴネやがって」

「どうせまた、自分の分の宿題を押し付けでもして困らせたのでしょう?

 駄目ダメよ? アラタくん。

 ちゃんと、お友達を大事になさい。

 そんな調子じゃ、立派な大人になんてなれないわ」

「さっすが、恵夢めぐむさん。

 先輩ほどご聡明な方なら、まだ高3なのに春休み返上でピシゲに没頭したー。

 なーんててつは、ず踏まないんでしょうね」

「今、あたしの話はしてないわよねぇ?」



 隣に腰掛け、いつもの仕返しに揶揄からかうと、先輩に軽く足を蹴られた。

 


 不意に、先輩は深刻そうな顔をした。

 そのまま、少し躊躇ちゅうちょした後、俺に尋ねる。



「ねぇ、アラタくん」

なんですか?」

「『パイオニア』って。

 すごく、エモいと思わない?」

「何言ってんだ、あんた」



 早いなー、化けの皮剥がれるのー。

 うわー、マスターや他のお客さんたちが、ドン引きしてるー。



 てか、前にもったなー、この流れー。

 あの時の答え合わせ、今かー。



「違うの。

 そうじゃないのよ、アラタくん。

 ちょっと、真剣に捉えてみて頂戴ちょうだい

「はぁ……」

こと

 だって、『パイオ』に、『ニア』なのよ?

 どう考えても、エモいじゃない」

「分からんです」

真面目まじめに、お考えなさい。

 ちゃんと、人の話をお聞きなさい。

 将来、ろくな男になれないわよ」

「少なくとも恵夢めぐむさんよりかは真面まともだと思うんですが」

「何、言ってるのよ。

 これは、世界の大発見だわ。

 もっと広く、世に訴えるべきなのよ」

「あんたの世界が狭いだけだし、あんまり過激だと違う意味で訴えられるぞ」

「平気よ。

 そしたら、あなたを人身御供に出せばいんだもの」

「この、駄目ダメ先輩。

 せめて、七忍ななしのにしてくださいよ。

 あいつなら、先輩のためなら、喜んで自分を犠牲にしますよ」

いやよ。

 あの子、ギラギラしてないんだもの。

 それに、彼が苦しんだ所で、あたしなにも感じないわ」

「あんたさっき七忍ななしのを雑に扱う俺をたしなめてなかったか?」

「それは、『あなたと七忍ななしのくん』の話でしょ?

 あたしは、彼の友達でもなんでもないわ。

 ただの部活仲間ってだけだもの」

「間違っちゃないけど、それはそれとしてひどいですよ」

「……ワンチャン、『これはこれで美味おいしい』、とか言わないかしら?」

「勝手にドM属性まで付けんな。

 確かに、まるっきり、それっぽいが。

 じゃなきゃ、あそこまで好き勝手、き使われたりしないが」



 閑話休題。

 やや落ち着いたらしく、先輩は話と調子を戻した。



「ごめんなさい、アラタくん。

 我ながら、みっともない所を見せてしまったわ」

「そうですね。

 部室や自室、VRならともかく、人前では避けるべきでしたね」

まったくだわ。

 ここに来てから、ピシゲ断ちし続けた弊害ね」

「は?」

「去年の誕生日から、気に入ったピシゲのデータを、スマホに移してるのよ。

 ムービー、スチル、ボイス。

 とまぁ、様々な形で。

 それを定期的に摂取することで、普段は平静を保っていられるのよ。

 でも、ここに来てからは、自制していたから」

「『俺が来て安心したばっかりに、衝動がドッと押し寄せて来た』。

 ……と?」

「そういうことよ。

 っても普段だって、人前ではボイスだけに留めてるし、ヘッドフォンも使ってるけれど。

 傍から見れば、ちょっと過激なドラマCDを嗜んでいるふうにしか取られないでしょうね」

「そらそーでしょ。

 そもそも、ピシゲのデータ持ち運んでる人とか、存在し得ないですし」

「誤解しないで頂戴ちょうだい

 あくまで個人の範囲内よ」

「違う違う、そうじゃ、そこじゃない」

ついでに言うと、自分の想像だけで慰められるようにもなったわ。

 あたしを別人に置き換える、摩り替えることで、他の創作を使わずとも、エクスたっせるようになったわ。

 あなたのおかげよ、未希永みきとくん。

 あなたとした、あの日のデートのおかげ

 本当に……感謝しても、し切れないわ」

「なぁあんたさっきからネタなのか本気なのかグレーなままエンドレスで俺まで巻き添えにし続けるのめてくんねぇかなぁ!?」



 本当ほんとうに。

 毎度、毎度、なんというか。

 憧れてはいるし、とんでもない美人だし、好意も恩義もるけども。



「『恋愛対象にだけはならない人だ』」


 

 グサッと、独白を的中される。

 先輩は指鉄砲を構え、俺のハート目掛けて撃ち。

 ガンマンさながらに回転させ、出てもいない煙を吹き消し。



「図星?」



 と、頬杖を付いて、強気かつ妖艶に微笑ほほえんだ。



「……お見逸れしました」



 素直に参ったので、頭を下げる。

 そのまま、しばらく伏せていたいと思った。



 理由なんて、決まってる。

 先輩を、そういうふうに位置付けていない。

 付け加えれば、タイム・リミットだって残り少ない。

 


 つまり。

 これから俺は、彼女を。



 中学時代から5年、絶えず焦がれていた先輩を。



 本性が割れ、少なからず引きながらも、なおも関係を絶たずに、断てずにいた恵夢めぐむさんを。



 内の生徒なら誰もが、一度は意中の相手に定めただろう、あの庵野田あんのだ 恵夢めぐむ先輩を。



 ろうことか。

 恐れ多くも、袖にしようというのだ。



 こんなの、神さえも恐れぬ暴虐、冒涜に他ならない。

 きっと、このことを知られた暁には、俺は全校生徒を敵に回し、さぞかし目の敵にされ、Twistarツイスターで炎上させられることだろう。

 いや、やってないけどな、Twistarツイスター

 あくまでも見る専だし、本名でもないけどな。



 Twistarツイスターはさておき。

 それでも、俺はフラなければならない。



 俺が今、もっとも惚れているのは、別の相手。

 俺が手放したくない、離されたくない相手は、別にるから。



「アラタくん。

 顔を上げて頂戴ちょうだい

「……出来できません」

「もう一度、言うわ。

 顔をお上げなさい、アラタくん」

「俺に、そんな資格……。

 ここまで……5年も待たせた、俺には……」

「そう。

 だったら、もういわ。

 あたしから、あなたに仕掛けてあげる。

 ただし、責任は取る代わりに。

 ……どうなっても、どうにかなっても、知らないわよ」

「ーーえ」



 俺の言葉を無視し、力尽ちからずくで顔を上げ。

 そのまま、俺の頬を掴んだまま。

 


 恵夢めぐむさんは、俺にキスをした。

 今度こそ、寸分違わず、俺の唇に。



「めぐ、さ……?」



 口付けを終え、離れる恵夢めぐむさん。

 自分でも分かるほどにトロンとした目で、見詰めた恵夢めぐむさんは。

 今にも泣きそうな、それでいて清々せいせいしてそうな表情を浮かべていた。



「……好きよ。

 アラタくん」

「……え?」

「あなたに、『先輩』って呼ばれるの。

 好きよ。

 呼び捨てにされるのも、それはそれで、趣がるけど」

「あんたさぁ……。

 ……あんたって人は、さぁ……」



 この期に及んではぐらかす恵夢めぐむさん。

 その悪女、偽悪者っりに、気付けば笑ってしまった。



「どーせ、またアレでしょ?

 お決まりの、『バーストっぽいから』、とかでしょ?」

「そうね。

 でも、それだけじゃないわ。

 あなたに名前を呼ばれるのは、心地がいのよ。

 本当よ?」

「どうだか」

なによ?

 部長様の言葉が、信用に値しないとでも?」

「今の部長は、俺です」

「じゃあ、後進のためにも、教育的指導」



 ムードも台無しにするがごとく、頬を抓ってくる先輩。

 そのまま、彼女は涙しながら、けれど声は震わせないまま、毅然として喋る。



新甲斐あらがい 未希永みきとくん。

 あなたはまだ、誰の恋人でもない。

 そして、あたしとあなたは、勝手知ったる中でもある。

 ましてや、ここはバー。

 さすれば、キス程度の間違いの一度や二度、ノーカンよね?」

「風評被害、めろ」

「まだ在校生の内に、先輩として、最後の命令よ。

 今夜の、あたしとの蜜月は、忘れなさい。

 これからの3ヶ月。

 あなたは、彼女のためにだけ、リソースを割きなさい。

 あのシンデレラで、シャーリーテンプルで、コンクラーベな、恨み深き女狐の攻略にだけ、専念なさい。

 あなたの過去、今、未来、その他諸々。

 すべてを賭けて、射止め、射抜いてご覧なさい。

 他のことは、あたしが。

 あたしたちが、なるべく肩代わりしてみせる。

 無論むろん、テスト対策もみっちりと、ね」



 俺の肩に手を置き、アドバイスする先輩。

 


 いつもみたいに、頭を撫でてはくれなかったのは。

 きっと、俺を男として立たせるため

 俺にも自分にも、俺を子供扱いさせないため



恵夢めぐむさんは……。

 恵夢めぐむさんは、それでいんですか……?

 俺との、今日のこと……。

 忘れちゃっても、いんですか……?」

「忘れないわ。

 絶対に、忘れない。

 こんな大事な、好きになった人のこと

 忘れてなんて、なるものですか」

「ははっ」



 まったく。

 どう考えても、どうかしてる。



 勝手に、不意打ちでキスしといて。

 勝手に、惚れて腫れさせといて。

 勝手に、俺の代わりにフッて。

 勝手に、酔っ払った所為せいにして。

 勝手に、「忘れろ」とか命令しといて。

 そのくせ、自分は全部、覚えてるとか。



 宿題や、勉強だけじゃない。

 あの先輩をフるという大罪まで、背負ってくれようだなんて。

 それでいて、袖にしたかどうか微妙にすることで、防御策、予防線を敷こうだなんて。



 確かに、先輩を断ろうだなんて、狂気の沙汰だ。

 しかし、引く手数多な先輩がフイにする分なら、なんの問題もい。

 そんなの、『ハナコー』では日常風景でしかない。



 それでいて、いざ誰かに追求されても、真相が不鮮明なら、稚児ややこしいことにはならない。

 いくら曖昧模糊としていても、それがすべて、事実である以上、それ以上の踏み込みをめる。

 


 おまけに、先程の奇行。

 あれにより、ここのマスターや居合わせた人達に、彼女は「残念美人」として認証、印象付けられた。

 彼女の言動が噂として知れ渡ることで、信憑性が増すかもしれない。

 あるいは今、この場に、内の生徒が混ざってるかもしれない。

 ここは、立地条件的にも好まれてる場所だから。



 つまり。

 俺にも先輩にも、危害は加えられないかもしれない。

 すべて、計算の上だったのだ。



 ああ……。

 本当に……。


 

「……ひっでー、女……」

「一つ賢くなったわね。

 これも、ある種の社会経験よ」

「……っせーよ」

「安心なさい。

 なにも、『あたしすべてを忘れなさい』とまでは言ってないわ。

 今夜のあたしの、一時のあやまちを、若気の至りを。

 あなたは、黙秘すればい。

 いずれ、あなたとの情熱スキャンダラスなゴシップが明るみに出る、その時まで。

 それまでは、あたし防人さきもってみせるわ。

 あなたは私の最初の、一番いちばんの。

 たった一人の、可愛かわいい後輩。

 最後まで、しっかり面倒見なくては、ね」



 ついに、泣き崩れる。

 


 そんな俺を、先輩は優しく受け止めてくれた。

 その胸で、抱き締め、匿ってくれた。



「……いくなんでも、ここまでします……?

 ただの、可愛かわいい後輩に……」

「さぁ?

 世間の定義なんて知らないし、興味もいわ。

 でも、あたしは今、あなたを無性に、無償で包んでいたい。

 あなたも、満更でもない。

 であれば、それでいじゃない。

 細かいことは、いいっこなしよ」

「……この、思わせ振りだけ女……」

「口の聞き方がなってないわね。

 いから、そのまましばらく、泣いてなさい。

 あわよくば、その涙で、あたしをバスターになさい」

「……もう下ネタ紛いでもなんでもねぇ。

 ただの、意味不明な詐欺師だ」

「そう?

 じゃあ、それも前向きに視野に入れて検討してみようかしら。

 図らずも、新しいビジョンと出会えたわ。

 ありがとう、アラタくん。

 いえ……『未希永みきと』」

「……うっせぇよ。

 頼むから、それだけは止めてくれよ、先輩。

 いいや……『恵夢めぐむ』」



 呼び方と関係を改め。

 俺達は、仕切り直して、乾杯した。

 そして、一口で含んでから、不意に。

  


「『乾杯』って、エモくないかしら?」

「もうえーわ。

 前しっぽでも付いてんのか、あんたは」

「確認してみようかしら」

めとけ、社会的に死ぬぞ」

「じゃあ、未希永みきとに確認させようかしら?」

「あんた一体どんだけ俺を抹殺したいのさっきから」



 恵夢めぐむの脳天に、チョップをお見舞い。

 恵夢めぐむは、少し戸惑ったあとうれしそうに笑った。



 それからしばらく、あれやこれやと作戦を練り。

 トイレで席を外している内に、恵夢めぐむは消えていた。



 テーブルに残してあったのは、改善策や他のアイデアなどを記したメモ。

 そして、ちょっとした書き置き。



「P.S.

 お会計は済ませておいたわ。

 精々せいぜいとくとブヒらせてご覧なさい」



「ははっ……」



 どこまでも先手を打たれ、完敗し。

 俺は、思い知らされた。



 やっぱり恵夢めぐむは、飛び切りに、飛び級に、優れたヒロインだったのだと。

 それに対して、自分はなんと、愚かで情けないのだと。



「……ちくしょう……!!」



 声を殺し、自分に殺意を向ける。

 怪訝そうな目で見られぬよう、注意しながら、自分を攻める。



 俺は……俺は、最低だ。

 なにが、『男』だ。

 なにが、『彼氏候補』だ。



 俺のどこが、『可愛い後輩』であるものか。

 ここまで彼女を追い込んで、巻き込んで、待たせて。

 そのくせ、最後の夜の勘定まで、先に払わせて。

 こんなやつのどこに、気に入る要素なんぞるものか。

 


「邪魔するぞ、少年」



 落ち込んでいる俺の横に、相席する女性。

 俺のクラス顧問で、庵野田あんのだ家の長女、芽悧めぐり先生だ。



「……ここ、大人禁制ですけど?」

「同伴ならセーフだろう

 それに、迎えに来ただけだ。

 別に、注文も長居もしない」

「もう、恵夢めぐむないのに?」

「そうだな。

 巡瑠めぐるが、いつになく真剣な面持ちで、恵夢めぐむを励ましていた。

 今度会う時は精々せいぜい、気を付けるとい。

 内の次女は、今にも仕留めに掛からんほど、君に義憤ぎふんを宿していた。

 あんな真面目まじめモードの巡瑠めぐる、そうはお目に掛かれんぞ」

本当ほんとうに、そうなればかったんですよ。

 俺なんて」

なんだ。

 めずらしく卑屈、弱気だな。

 だらしないぞ、少年。

 君の本番は、まだ先だろう?」

「先生に。

 あんたに、俺のなにが分かるってんですか」



 危うく立ち上がりそうになりながら、先生を睨む。

 彼女は、普段通りの仏頂面で、俺を眺めた。



「君だって、同じだろう。

 君に、恵夢めぐむなにが分かる。

 君とて、彼女のすべてを履修しているわけではあるまい」

「……っ」



 その、通りだ。



 俺に、恵夢めぐむさんの気持ちのすべてなんて、分かるはずい。

 ここで雁字搦めになっていた所で、なんの意味もいかもしれない。

 こんなの、単なる自己満足、自惚うぬぼれ、お門違い、傲慢だ。



 そもそも、最初から決まっていたことじゃないか。

 3人の中から、誰かを選ぶって。

 それはつまり、2人は候補ではくなる。



 その所為せいで、大なり小なり苦しむってことで。

 やっぱり、こんな悩み、なんの罪滅ぼしにもならなくって。

 


 それでも。

 それでも、俺は。



「『恵夢めぐむの力に、なりたかった』

 ……だろう?」



 先生は、見事に言い当ててみせた。


  

 いや、違う。

 ここまで来たら、言い逃れ出来できない。



 やっぱり、俺は分かりやすいんだ。

 自分が考えてる以上に、ずっと。



恵夢めぐむの悲しみを、苦しみを、少しでも軽減したかった。

 それは、立派な気持ちだ。

 紛れもく、君の優しさだ。

 なにも、恥ずべきことじゃない。

 それも、ある意味、正解だ。

 最適解ではないにせよな。

 だがな、少年。

 そうすることかえって、彼女の尊厳を素手で、土足で、無粋に踏みにじるかもしれんぞ?

 それは、恵夢めぐむ所望しょもうする所ではい。

 妹が君を手放したのは、君に構われたいからじゃない。

 自分という屍を越えさせようとも、君を先に行かせたかった。

 君を、ハッピー・エンドまで招きたかった。

 自分を傷付け、蹴落としてでもな」



 背凭れに身を預け、天井を見上げる先生。

 俺は、今度こそ八つ当たりしないように注意した。



なんで……。

 どうして、そこまで、してくれるんですか?

 俺……なにも、返せてないのに。

 これから返せる保証だって、万に一つもいのに」

すべての関係が、貸し借り、打算だけで成り立ってるわけじゃない。

 不平等、無償に片付く、落とし前が付くケースだってる。

 この世は、そこまでビジネス・ライク、リッチに出来できていない。

 かれこれ、17年も生き長らえてるんだ。

 君だって、もう知ってるだろう?」

「だからって、借りっ放しじゃあ。

 恩を受けてばっかで。

 そのくせ、仇で返すなんて。

 そんなの、あんまりじゃないですか」

「君が気付いていないだけだ。

 君だって充分、恵夢めぐむを助けてくれている。

 じゃなきゃ、ここまで気前く振る舞うはずいだろう。

 甘く見てくれるなよ、少年。

 内の三女は、愚かじゃない。

 人一倍、不器用なだけだ」



 説法をする先生の前に、グラスが置かれた。

 店長からのサービスらしい。



「ほら、見ろ。

 こういうイレギュラーだって、起こり得る。

 こういうボーナスだって与えられ、あやかれる。

 しくも居合いあわせただけの、頼まれてもいない時間外労働で、君に偉そうに絡んでいる、指図してる、この私にですら、差し出される。

 当然だろう?

 さもなくば、人生という名の罰ゲームに、いつまでも縛られる道理がいからな」



 店長に向けグラスを掲げ、乾杯し、味わう先生。

 そのまま肘杖をつき、こちらを見る。



いか? 少年。

 無傷で得られる絆なんて、どこにもい。

 空回って、間違って、喧嘩して、苛々して、かえりみて、我慢して、耐えられなくなって、気不味きまずくなって、謝罪して、和解して。

 探り合って、曝し合って、助け合って、惹かれ合って、分け合って、高め合って、励まし合って、労い合って、思い合って、笑い合って。

 より一層、重宝したがり、離れがたくなる。

 親睦、えにしとは、古来より、そうやって深める物だ。

 たとえ、ギブ・アンド・テイクとWin-Winがイコールじゃない。

 あるいは、そもそもなんのメリット、デメリットも発生しない。

 といった、不自然なつながりがるとすれば。

 そんなのは、単なる贋作がんさく

 ただの、急場凌ぎのレプリカだ。

 しのぎを削らずに作られた、見せ掛けだけの、脆く虚しく罪深い、儚き模造刀だ。

 それを頭ごなしに否定するもりはいがな、少年。

 君たちの縁故は、それほどまでに単純ではないだろう。

 幾度とく互いに研鑽、研磨を積み重ね。

 その結果として君たちが立っているのが、『今』という、この大舞台だ。

 こんな所で、こんな形で。

 安易に、激安に、タダで売り捌けるほど

 君たちの積み重ねて来た時間は、無価値ではなかろう」

「先生……」


 

 己をむなしゅうする、とでも言うべきか。

 しかも、嫌な気持ちは一切しない。

 それだけの経験値、雰囲気を、先生は備えていた。



「姉としても、恵夢めぐむの件は残念だ。

 私とて、それが目当てで、君に肩入れしたわけでは断じてない。

 だが、しかし。

 だからといって、半端な態度で、酔狂に妹と付き合われても困る。

 この時代に、この国に生まれたことを憎み、感謝しろ。

 生憎あいにく、現在の日本にはまだ、一夫多妻制は導入されていない。

 つまり、一人だけと付き合い、向き合っていない場合。

 それが明るみに出るやいなや、たちまち社会を敵に回すわけだ。

 君はもう、花嫁を絞りつつあるのだろう?

 だったら、なるべく迷うな。

 後悔しても、傷付いても構わん。

 ただし極力、悩むな。

 これが正道だと、胸を張って突き進め。

 それが恵夢めぐむにとって、一番いちばんの恩返しだ。

 それが、君にとって、唯一の罪滅ぼしだ」



 肩を軽く叩き、先生は続ける。



るんだろう?

 早急に断らなきゃいけない相手が。

 恵夢めぐむ以外にも、まだ」

「……はい」

「だったら。

 今度は、悔やむな。

 そこまで相手を、追い詰めるな。

 男としての覚悟を、おのが矜持を見せ付けてやれ。

 誠心誠意、ことに当たれ。

 さすれば、今回みたいにはなるまい」

「でも、それって……」

「そうだな。

 恵夢めぐむよろしく、彼女を傷付けることになる。

 けどな、少年。

 傷付くからこそ、治ってから、より頑丈になるんだろう。

 それでも、まだ心苦しいというのなら。

 治すのを、君が手伝ってやれ」



 先生は、肩を竦めた。



「あまり思い詰めぎるな。

 いくら『断る』からってな、少年。

 なにも、『関係が断たれる』わけではないだろう」

「……それって、ひどくないですか?

 フッてからも、そばるのを強要するだなんて」

「ならば、2人で。

 それでも足りなければ、4人で。

 全員が納得、満足する形を、新たに構成しろ。

 君たちなら、きっと出来できる。

 互いに正体が割れてからも、そこまでギスギスせず。

 それどころか、さらに無遠慮になり。

 相変わらず、どんちゃん騒ぎに明け暮れていた、君たちならば」

「……可能だと、思いますか?

 そんな机上の空論を、現実にすることが」

「さぁな。

 そこは、私の領分ではない。

 だが、信じているさ。

 君たちなら、きっと叶うと。

 数年、教師をして来たがな、少年。

 そんな私でも、未曾有だぞ?

 年齢や性別、趣味といった垣根を超え、ここまで打ち解けたグループは。

 思わず、年甲斐もく夢を見た、期待させられちゃったじゃないか。

 本当ほんとうに、罪な……。

 ……男だな、君は」



 俺の胸を軽く突き、先生は笑った。



「行って来い、少年。

 ど派手に、全力で、当たって砕けて来い」

「砕けちゃ駄目ダメでしょ」

「案ずるな。

 骨と欠片かけらなら、一つ残らず、私が拾おう。

 無論むろん、修復もな」

「そういうこっちゃないです。

 でも……頼んます」

「ああ。

 任せておけ。

 胸くらいなら、貸してやる。

 無論むろん、抱き締めるだけで。

 そちらから触るのは、ご法度はっと、別料金だがな」

「金払えば、いのかよっ!!」

「おうとも。

 ただし、時価だぞ?

 けろ」



 先生にうなずき、俺は立ち上がり、背を向け。

 と見せ掛け、振り向いた。



「先生。

 もう一つ、お願い、いですか?」

なんだ?

 言ってみろ」

「もし、本命が駄目ダメだったら。

 みんなに愛想尽かされて、誰からも相手にされなくなったら。

 俺を、引き取ってはくれませんか?」



 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、目をパチクリさせた後。

 先生は吹き出し、軽くテーブルを叩き、微笑ほほえんだ。



「君は……本当に物好きな男だな。

 こんな売れ残りに、自分を買わせようなどと。

 さっきも言っただろう。

 自分を、そんなにバーゲン・セールするな」

「違いますよ。

 先生は、『残ってる』だけです。

 戦国さながらの現代で、恋愛という名のサバゲーを。

 今はまだ、ろくなプレイヤー、挑戦者が現れていないにぎません。

 俺が、保証しますよ。

 先生は、魅力的だって」

「そのゲーム。

 うに、サしゅうしてるんじゃないか?

 私は恐らく、長きに渡り、ログインすらしてないぞ?」

「だったら、俺が確かめます。

 終わってたら、リメイクします。

 可能ですよ、俺なら。

 なんせ、俺のバックには、あの『金亀』が控えてますから」

「それは、君の妹君の話であって。

 君なんて、いつ切られてもおかしくないだろう」



 ーーしめた。



 俺が、先生には教えていない、依咲いさき絡みの情報に。

 先生なら、あずかり知らないだろう罠に。

 まんまと嵌まってくれた。



「掛かったな、先生。

 いや……『恵夢めぐむ』」



 近付き、ウィッグを奪い去る。

 思った通り。

 ショート・ヘアに隠された、長い、緑の黒髪が零れた。



「……いつから、気付いてたの?」



 俺が返したウィッグを受け取り。

 正体が露見した恵夢めぐむは、分かりやすく、忸怩じくじたる顔で尋ねた。



「強いて言えば、最初からだよ。

 だって、不自然でしょ。

 あんなぐに、狙い澄ましたみたいなタイミングで、バトン・タッチ式、リレー形式で、俺の前に現れるのも。

 いくら、迎えに来ただけの同伴者とはいえ、冷やかしを公言してる客がるのも、サービスが出るのも。

 いつもは俺を『新甲斐あらがい』、『お前』と呼ぶ先生が、『君』、『少年』と連呼しているのも。

 あの巡瑠めぐるさんをシリアスにさせた、大事な妹を泣かせた相手に、その日の内に間髪入れずに、ここまで好待遇に接するのも。

 あそこまで、恵夢めぐむの気持ちを的確に、簡潔に述べられるのも。

 生徒、歳下とはいえ、結婚に焦りを覚えていて、恋愛に飢えていて、それでいて免疫の薄い先生が、ああも簡単に俺からのアプローチをかわせるのも。

 まるで、覚悟完了、割り切り折り込み済み、失恋直後みたいなテンションでな。

 そして俺を、『可愛かわいい』と表するのは、この世に一人。

 もう一人は、俺を『ダメカワ』と称するからな。

 つまり……本人以外、成し得ない。

 仕込みでしか、有り得ない」

「うぐぅ……」



 俺の考察を受け、崩れる恵夢めぐむ

 その、Kan◯nの月宮◯ゆの口癖みたいな悲鳴が、なんとも、いじらしかった。

 


「……流石さすがに、驚いたわ。

 一度ならず、二度までも……。

 ……とんだピエロじゃない、あたし……」

「まぁ、天丼は駄目ダメだよね。

 おまけに、出戻った結果、墓穴掘ってちゃ世話無いよね。

 折角せっかくあそこまで、最後だけはスタイリッシュに決めたのに。

 正に、『策士、策に溺れる』、ってやつだね」

おっしゃる通り……。

 本当ほんとうに、もぉ……。

 とんだ自傷行為じゃないのよ……」

「まぁ、そんなさまにならない所も、ツボだけど」

「せめて、『好き』っておっしゃいなさいよぉ!!

 確かに、『一途になれ』とは言ったけどねぇ!!

 今くらいは、リップ・サービスしてくれたって!!

 気持ち程度は期待、い思いさせてくれても、罰なんて当たらないじゃない!!

 まだ付き合ってないし、検証だって済んでないんでしょ、どーせ!!

 バーカ、バーカ、未希永みきとのバーカ、女の敵っ!!」

「振れ幅ぁ……。

 落ちる時には、とことん落ちるし、落とすよなぁ」



 弁慶の泣き所を的確に狙う恵夢めぐむ

 流石さすがに、揶揄からかぎたか。

 そろそろ、フォローしないと。



恵夢めぐむ

 いつも、ありがとう。

 俺を、回りくどく、分かりやすく、不器用に叱咤してくれて。

 お礼と言っちゃなんだけど、さっきの件。

 あれ、本気だから。

 くれぐれも、前向きに、よろしくね」

「……なんの話よ」

「『俺を引き取ってくれ』って話」

「っ!?

 あ、あああっ!!

 あんなの時効、無効でしょ!?」

「いーえ。

 俺ははなから、『恵夢めぐむ』に対して言ってたんだ。

 だから、効力は損ねてない」

「このっ……!!

 誰に似たのよ、この子ったら……!!」

「いや、あんた一択だろ。

 どう考えても。

 悔しかったら、なぁなぁで終わらせた、あんたの人の良さを恨むんだな」

「あー、もぉ、分かったわよぉ!!

 落選したら、繰り上げ当選されてあげるわよっ!!

 あなたのこと、恋人として、同士として面倒見るわよっ!!

 あたしだって、満更でもなかったものっ!!

 それまでは、キープになってあげるわよっ!!

 あたしだって、本当ホントは切り捨てたくないものっ!!

 あたしという難文を、ここまで読み込んでくれた熱心な読者を!!

 ただし、本気でりに掛かりなさいっ!!

 それ前提で、最初から手加減なんかして負けたら、承知しないっ!!

 そしたら、問答無用で、チャラだからねっ!?」

「ここに来て、自惚うぬぼれツンデレ覚醒かぁ」

未希永みきとぉぉぉぉぉっ!!」

 


 本気でボコられそうになったので、どうにか恵夢めぐむを落ち着かせ。

 そのまま、本物の先生が迎えに来るまで、疲れて眠る彼女を見守り。

 寝言でさえ俺の背中を叩いてる彼女を微笑ほほえましく思いながら、姉妹を見送った。



 ここまで、俺を買ってくれた恵夢めぐむ

 そんな彼女を退場させた以上、俺も尻込んではいられない。



 最後の数滴を飲み干し、俺は店を出た。

 次なる場所へと、向かうためにも。

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