〈Ⅲ〉騒嵐(そうらん)の明日(みらい)

〈1〉母神家 結織とフツウの一日

 それは、なんとも不思議な感覚だった。



 言語化なんて到底敵かなわないような。

 それでいて、共感はきちんと得られそうな。

 そんな、よくは分からずとも、なんとなくは掴める感覚。



「ねぇ。

 起きて。

 起きてくださーい」



 これから一年お世話になる教室にて仮眠を取っていた俺は、誰かに呼ばれた。



 甘く、優しく、暖かく、透明で、綺麗で、それでいて親し気で、どこか懐かしい。 

 可愛かわいらしいけれど、そこまで露骨じゃなく、しかも大人びていて。

 聴いてるだけでさらに眠気を促進させられられるような、けれど意識が覚醒させられもするような。



 そんな、とても魅力的、素的な。

 まるで思春期男子の理想を絵に描いたような。

 そんな、全部乗せの声だった。

 


「……」



 寝惚けていたからか、あるいは本気で思っていたのか。

 その事実は最早、定かじゃない。



 けど……この時、俺は確かに、強く願ったのだ。

 声の主が知りたい、と。



 きっと、この声に相応ふさわしい内面と外面を備えた。

 誰もが焦がれ憧れ胸を打たれ。

 無条件、無抵抗、無防備に恋に落ちる女性だと。



 伏せられていた瞼を開け、俺は答え合わせをした。

 瞬間、己の男としての直感はあながち間違ってなかったのだと、少し誇らしくなった。

 同時に、またしても奇妙な気持ちに包まれた。

 目も頭も心も間違いく、覚めてるし冷めてるはずなのに、それでいてなお、夢の中を彷徨っているような、そんな心境だった。



 この日からクラスメートとなった、母神家もがみや 結織ゆおりという女性。

 彼女は初対面の時点で、それほどまでに、俺の心に、いとも容易く入り込み、住み込み、内側から掌握してしまったのだ。





「エイくん?」



 およそ一年後。

 彼女は、あの時よろしく、けれど場所と関係をアップデートした上で、再び俺を起こしてくれていた。



 目と鼻の先としか呼称しようい、良くも悪くもパーソナルスペースを無視したドアップな距離で。

 寝起きに突然に端正な顔立ちを見せ付けられ。

 余りの展開に動揺し飛び上がり、そのまま壁に頭を打ち付けてしまった。



「え、エイくん!?

 だ、大丈夫だいじょぶ!?」

「あ、ああ……」



 心配させているのも悪いので、えず頭部をまさぐってみる。



 さいわい、打ち所はかったらしく。

 たんこぶなども出来できておらず、痛みもぐに引いた。



「……なんともないらしい。

 世話をかけて、悪かった」



 強がらずストレートに伝える。

 しかし結織ゆおりは、前髪で顔を隠した状態で押し黙り。

 刹那せつな、ガバッと勢いく、けれど柔らかく、俺に抱き付いて来た。



本当ホントだよぉ!

 すっごく怖かったんだからぁ!

 本当ホントに、もう平気?

 なんともない?」

「へ、平気だ。

 なんとも



 いや。

 やっぱり、訂正させてしい。

 全然、なんともくない。



 ピンクと白のバイカラー。

 ハートとリボンが特徴的な桜色のキーネックレス。

 同じく二色で構成されたリボンベルト。

 フェミニンなオフショル仕様。

 シースルーによるイレヘム効果で、ミニにも見えるロングワンピ。



 これまでなかば嘲笑していた、『大人可愛い』という表現が実に的確な。

 どう見てもガチな衣装を纏う結織ゆおりが、あまりに眩し過ぎて。

 俺は、深くにも息を呑んでしまった。



「あー、これ?

 ……お気に召しました?」

「あ、ああ。

 すごく綺麗で……可愛かわいい、よ……」 

「えへへ。

 嬉しい。

 ちょっと頑張っちゃった。

 コンセプトは、ズバリ。

『心を、解いて、開けてみて?』。

 ……です。

 似合って……ますか?」

「最高です!!」



 ついでに言うと、こういう時は敬語でしおらしくなってるのもポイント高いのだが。

 味を占められて連発されても困るので伏せておく。

 あと、意味深に胸に手を当ててるのが、コケティッシュで素晴らしいです。



「ありがと。

 でも、そんなふうに赤くなってるエイくんの方が、可愛かわいいよ」



 などと添えつつ、結織ゆおりは俺に鼻ツンして来る。

 


揶揄からかうのは、止してくれ……」

「あははっ。

 揶揄からかってなんかないよ。

 すっごく、可愛かわいい。ゾクゾクしちゃう……」

「きょ、今日は普通!

 普通の、日だから!」

「あっ。

 いっけない、忘れてた。

 ごめんねぇ。

 つい素が出ちゃったぁ。えへへ」



 はにかみながら舌を出し、頭を小突く結織ゆおり



 心臓が……心臓が、ヤバい。

 保たないどころか、一個じゃ足りない……。

 


「ところで、エイくん。

 本当ホントに、大丈夫?

 まだ頭、痛くない?」



 と、結織ゆおりが話題を替えてくれる。  

 おかげで冷静さを取り戻した俺は、無謀にも反撃を試みる。



「問題い。

 なんなら、触って確かめてみるか?」



 リラックスさせるためにも、そんな提案をしていた。

 自分で言っときながら、一蹴か既読スルーされるのも応えるなと勝手な気持ちを抱き、訂正しようとする俺。



「……失礼します」



 が、それより早く、結織ゆおり本当ほんとうに、俺の後頭部を擦って来た。

 しかも、より強く、近く抱き締めた状態で。



 伝わる鼓動、そして気持ち。

 ほのかに漂う、花とシトラスのブレンドされた香り。

 当たってしまいそう、見えてしまいそうな胸部。

 起こしに来てくれた相手を不安がらせてしまった、という体裁の悪さ。



 それらに作用され、気付けば赤面したまま、目を逸らしてしまっていた。

 


 などと油断していたら。

 俺は、結織ゆおりに組敷かれていた。

 ベッドの上で、異性に、俺は押し倒されていた。



「えと……結織ゆおり、さん?」 

「……心配したっ。

 本当ホントに、心配したんだからっ……。

 だからっ……」

「……『だから』?」



 何故なぜか手をバキバキ、ワキワキさせ、ホラー風味の笑みを見せる結織ゆおり

 その顔は、仕返し心ではなく、悪戯心で満ちていた。



 あ、あれ?

 この流れ、前もったよーな……?

 具体的には、結織ゆおりと保健室に二人きりだった時も、こんな感じだったよーな……?



「エイくんを……全力擽りの刑に処するぅ♪

 コーチョコチョコチョコチョ〜♪」

「や、やめ、あははっ!

 ちょ、まっ、不味っ、いはっ!

 いや、マジで不味い、ヤバいからっ!?

 止ぁぁぁめぇぇぇてぇぇぇぇぇ!?」



 こうして俺の体は数分間、結織ゆおりの両手に弄ばれ、蹂躙されるのであった。



 今日は……今日は普通の日なのにぃ!!

 言ったのにぃぃぃっ!!

 

 


 何故なぜか入国審査でもするかのごとく入念なボディチェックまで済ませたあと

 ようやく安心、満足したのか、結織ゆおりは脱力した笑顔を見せた。

 


「……問題、無しっとぉ。

 もぉ。これからは、もうちょっとけてよぉ、エイくぅん。

 って……いきなり私が部屋に入って来たのが、原因だよね。

 ごめんね? エイくん」

「い、いや、そんな!

 こっちが免疫無いだけだから!

 こちらこそ、すまん!」

「そぉ?

 じゃあ、お互いさまってことで。

 改めて、おはよう、エイくん」

「あ、ああ。

 おはよう、結織ゆおり

 まさか態々わざわざ、こんな早くから来てくれてるとは予想外だったよ……」

「私だって。

 まさかエイくんが、ここまでリアクションしぃだなんて、知らなかったよ」



 二人揃って苦笑いしたあと、同じく揃って、声を出して笑った。

 まるで、先程のトラブルなんて、吹き飛ばすどころか、最初からかったかのごとく。



「気を取り直して。

 早速だけど、エイくん。

 今日のデート、よろしくね。

 プラン。ちゃぁんと、出来できてる?」

「あ、ああ。

 ここに」



 ベッドの上に置いていたメモ用紙を手に取り、結織ゆおりに手渡す。

 ……ところで何故なぜ、ポカンとしたあと、彼女は吹き出したのだろう。



「では、失敬」



 一言、少し巫山戯ふざけながらげると、結織ゆおりは顎に手を置きながら拝見する。



 別にそんな、大した内容ではないんだが……。

 真面目まじめというか、素直というか、いじらしいというか、可愛かわいらしいというか……。



「ん?

 なぁに? エイくん。

 そんなにジーッと見詰められたら、流石さすがに恥ずかしいし。

 私としても、気になっちゃうんだけど……?」

「へ!?

 あー、いやぁ……。

 ……すまん」

「あははっ。

 変なエイくん」



 穴の空くほどだったらしく。

 照れ笑いする結織ゆおりの表情に、俺までなにやら面映おもはゆくなってしまい。

 えず謝ってしまう。



 結織ゆおりが機嫌を損ねず。

 それでいて追求はしないでいてくれたのが、実にありがたかった。


 

「買い物に、カラオケ、お家デートで映画。

 本当ホントに普通だねぇ。

 恋人同士ってよりも、家族みたい」

「だ、駄目ダメか?」

「ううん。

 私も、こういう、肩肘張らなくていい感じの、好き。

 それに、エイくんが折角せっかく、私の、私達のために、考えてくれたんだもん。

 無下むげになんてしたら、罰当たりにもほどがあるよ」



 そう言いつつ、愛おしそうに、大切そうにメモを抱き締める結織ゆおり

 大袈裟な気がするが、喜んでくれたのは素直に嬉しいし、拗ねる予感がしたので、なにも言わずにおいた。



「それじゃあ、早速だけど。

 身支度整えてもらえるかなぁ?

 朝ご飯済ませたらぐ出掛けたいし。

 少しでも早くエイくんの私服が見たいから。

 私としては、僭越ながら。

 エイくんさえ良ければ、もうデート服に着替えることをお勧めします」

「え?

 ……作ってくれてたのか? もう?」 

「うん♪

 っても、仕込みは先に済ませてたから、温め直して盛り付けただけだけどね。

 あははっ。お恥ずかしい……」

「そんなことないって!

 ありがとう、結織ゆおり

 助かるよ。本当ほんとうに」

「どういたしまして。

 お褒め預かり、さいわいです。

 ちなみに……私にとっては、エイくんの笑顔が、一番いちばんのご馳走……なんてね」

「……すまん。

 俺、そんなに大した人間か?」

「少なくとも、私にとってはね。

 それに、ユウ先輩や、キヌちゃんにとっても」

「だと、いんだがな。

 ……ん?」



 結織ゆおりとの会話で出て来て、はたと気付きづいた。



 そういえば、依咲いさきは?

 いつもなら、偽妹たおの姿で、無断侵入し起こしにお越ししているはずなんだが……。



「あー。

 キヌちゃんなら今、お義母さんとお義父さん、先輩と一緒に、遊園地に行ってるよぉ。

 商店街の福引でチケット当たったから、プレゼントしたんだぁ」

なんで思考が読めた!?

 てか、完全に厄介払いじゃないか!

 恵夢めぐむさんまで付いて行ってるし、タイミングがあからさますぎるんだが!?」

だなぁ。

 普段から贔屓にしてもらってるお店の人達に、お願いしただけだよぉ。

 具体的には、『お勉強しなくていから、福引、サービスしてくれません?』って。

 いやぁ。気前くて助かっちゃったなぁ♪」

なにその、サ開かカムバックか周年祭かサ終のガチャ・キャンペーンみたいなの!?」



 一体、何連したんだ……?

 同情を禁じ得ないな、商店街の人達……。



「むー。

 そういうの、いのぉ。

 ほらぁ。時間が勿体無いから、早く着替えてってばぁ。

 それとも……エイくんは、そういうのが好み?」

「な、何が?」

「だからぁ。

 だらしない格好かっこで出歩いて、周囲からの冷たい眼差しで満足しちゃったりぃ。

 あるいは、私に脱ぎ脱ぎされたり、お着替えさせられたりするのが、趣味ぃ。

 ……とか?

 もぉ。早く言ってよぉ、仕方しかた無いなぁ。

 そういうことなら、喜んで」

「あー、早く着替えたいなぁ、自分で自分だけでぇ!

 すまん、結織ゆおり

 少しだけ、外で待っててくれ!」

「ちょっ……」



 結織ゆおりには申し訳無いが、背後に回り外へと押しやり。

 そのままドアを閉め、鍵を掛けた。



「ちょっとぉ。

 ここまでしなくても、よくなぁい?」

「君はもう少し、思春期男子の複雑な心を理解してくれ!」

「何それぇ。

 ふんだ。いもーん。

 今の内に、エイくんのご飯にだけ、悪戯しちゃうんだからぁ。

 さーてとっ。なに入れよっかなぁ。

 やっぱり、定番の山葵かなぁ?

 それとも、辛子……?

 あっ。ハバネロも有りかも?

 ねぇ。エイくんは、どれがぃ?」

「全部、いやだ!

 頼むから、大人しくしててくれ!

 ぐに済ますからっ!」

「なーんだ。

 まらないなぁ」

「分かった!

 話し相手にはなるからっ!

 で、結織ゆおり

 なんか心なしか、クローゼットが整理されてる、むしろ新しい服が追加されてる気がするんだが!?」

 しかも、パッと見で分かるほどに高級品なんだが!?

 どうやって賄った!?

「誠に勝手ながら、エイくんに着てしい服を、三人でセレクト、コーデさせてもらいました。

 あ。お金は、キヌちゃんがノリノリで払ってくれたよー。

 なんか、『推しをファボるは、依咲いさきの使命』とか言ってたなぁ」

「あの子、色々と便利だなぁ!?」

「さて。ここで問題です。

 私が選んだのは、三つの内、どれでしょう?

 さっ。頑張って、私の心を見抜いちゃおー♪」

結織ゆおりぃ!

 勘弁してくれぇっ!」

「どーしよっかなー♪

 あははっ♪」

結織ゆおりぃぃぃぃぃ!!」

 


 ねぇ、結織ゆおり

 俺、結織ゆおりには、当分どころか一生、勝てる気しないよ。





「うん。

 思った通り、似合ってる。

 格好かっこいよ、エイくん」

「あ、あはは……。

 当てられてなによりだよ……」



 食事を終え、スーパーに向かう道すがら、後ろで手を組み軽く前のめりになりながら、満足そうな結織ゆおり

 対する俺は正直、安堵こそすれど、そこまで得意気ではなかったりする。



 それはそうだ。

 なんせ、クローゼットに掛けられていたのは、斜め掛けダブルファスナーが特徴的な赤黒バッファローチェックのパーカーと、空条承太○+アストルフ○みたいな服(なん両立出来できた……?)。

 と、アイドルが着てそうな白と金の煌びやかな衣装だったのだから。



 なんてーか……分かりやす過ぎない?

 本当ホント。揃いも揃って。

 あと、ダメージジーンズは、ちと恥ずかしいな。



「と、ところで、結織ゆおり……。

 結局、俺の朝食に、なにもしてない……よな?」 

「んぅ?」

「いや、その……なにか注いだり、とか……?」

「一杯、注いだけど?

 愛憎♪」

「言い間違えだよな!?

 せめて『愛情』って言ってくれないか!?」

「あははっ♪

 冗談、冗談♪

 焦ってる、焦ってる。

 可愛かわいいなぁ」



 俺をイジり、ナデナデしながらも歩を進める結織ゆおり

 器用だなぁ、本当ホント



「ねぇ。

 エイくんて、そんなに立端たっぱいよね?」

「『ナデナデしやす〜い♪』、とでも言うんだろ?」

「なぁに? それ。

 私の真似マネ

 不合格でーす。

 やるなら、もっとお勉強して来たまえ。

 ついでに、ハズレ。

 罰としてー」



 不意に、肩になにかが乗っかった。



 え、待って?

 これ、あれだよね?

 流れ的に、一つしかいよね、俗に言う肩ズンだよね、これ!?



 ぎゃー!

 手、手ぇ!

 今度は手ぇ触って来た、ぎゃー!!



本当ホント……君は飽きないなぁ。

 うり、うり」



 俺の右手をツンツンし、そのままにぎって来る結織ゆおり



 や、やばい、どうしよう……。

 マウントまでにぎられた気がする。



「ゆ、結織ゆおりさん?

 そんなに首を傾けてたら、疲れるんじゃないかな?」

「お気遣いくー♪」



 参った。

 どうやら、止める気は皆無らしい。



 仕方しかたい。

 このまま、スーパーまで行くとしよう。



 本当ホント……尻に敷かれてるなぁ。





「お待たせー。

 ごめんねぇ、待たせちゃって。

 先に入れててくれて、ありがとぉ。助かっちゃったぁ」

「いや、全然。

 帰ろうか」

「そうだね、旦那様」

「違いますけどぉ!?」

「あ、そっか。

 もう、パパだもんね」

「だからっ!

 お腹擦るのめてっ!?」

「むー。

 わがままだなぁ。

 じゃあ、帰りましょうか。

 あ・な・たっ♪」

結織ゆおり〜……」



 (俺の母から預かっていた分で)支払いを済ませた結織ゆおりが、バッグに詰め終わった俺の元に来た。

 と同時に、振り回され過ぎて泣きそうになる。



 なんか……こうしてると、普通の恋人みたいだな。

 いや、むしろ通り越して、夫婦じゃ……。

 変な噂、されなきゃいけど……。



『只今より、お肉、お野菜コーナーのタイムセールでーす』

「お?」

 


 カートに乗せて運んでいる最中で、そんなアナウンスが聴こえた。



 あちゃー。

 ニアミスっちゃったかー。



「惜しかったなぁ、結織ゆおり

 まぁ、流石さすがに今から買い直すわけには……。

 て……結織ゆおり?」



 なにやら固まり、これからタイムセールが行われるらしいお肉、野菜コーナーを無言で見詰める結織ゆおり



 えず肩を取り、通行人の妨げにならないよう、移動してもらい、そのままカートも運ぶ。

 もりだったが、動かない。

 まったもって動じない。



 あ、あれ?

 そんなに重かったっけ?



 違和感いわかんを覚えつつ、目を閉じ体重を乗せ、今度こそカートを押そうとする。

 しかし、駄目ダメだった。



 な、なんでだ?



「……」

 目を開け視認し、理解した。

 結織ゆおりが、片手で止めていたのだ。

 いや……おかしくない? ちょいちょい思ってたけど、結織ゆおりの圧力、ちょっと規格外じゃない?



 え? これ、どうすればいの?



「ゆ、結織ゆおり

 結織ゆおりさーん?

 ほらぁ。そろそろ、帰りましょー?

 ねー?」

いやだ。

 帰らない。

 まだ買い物しょうぶは終わってない」

「スポ根かバトル漫画みたいなこと言わないでさ!

 ほら、駄々こねないで、ね?

 帰りましょ? ね?

 い子だから」

「『い子』?

 違うよ?

 私、全然良い子じゃない。

 仮にもエイくんを預からせてもらっといて、エイくんにお菓子をあげられない、この体たらく。

 これじゃあ、エイくんを引き取らせてなんてもらえない」

「大丈夫、大丈夫だから!

 えず、帰ろっ!?

 ねぇ!? 頼むから!?

 なんでもするからっ!?」



 流石さすがに周囲の目がキツくなって来たので、咄嗟に、そんな言葉が口を突いて出た。

 


 迂闊だった。

 恋愛物を嗜んでいたのなら、熟知しているはずなのに。

 この言葉の重要性、危険性、利便性なんて。



「……」

「ゆ、結織ゆおり?」



 今度はうつむき、押し黙った。

 何事か、と思いきや。



なににしよっかなー♪

 やっぱり、縛る系かなぁ♪ 紐とか、手錠とかぁ♪

 あっ♪ そうだ♪

 服破り〜、目隠し〜、猿轡さるぐ〜つわ〜♪

 亀甲かっこしばりで、吊るしてあげよ〜♪

 首輪〜とリボン〜で、飾り〜付け〜♪

 ラッピングしたら、箱入れて〜♪

 私だけの、可愛かわいいエイくん〜♪

 満面〜しゅ〜、注がせ、くっころだ〜♪

 えんえん泣いても、永遠に〜♪

 出してなんて、あっ……げっ……な〜〜〜〜〜いっ♪

「あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!」

「あ♪

 勿論もちろん、今日はしないから、その内ね♪

 別に『今日だけ特別に』とか、言ってないもんね♪

 流石さすが、私の可愛かわい可愛かわいいエイくん♪

 私の見込んだ通りの、ドジっぷりだね♪」

いやだぁぁぁぁぁ!!」



 実に明るく楽しそうに、義理ソフトSな範囲の歌を、ミュージカルばりに歌唱する結織ゆおり

 案のじょう、後日、俺の近所は、濡れ衣塗れの噂で持ち切りになるのだった……。





「もぉ。

 エイくんぅ。ごめんってばぁ。

 確かに、ちょぉっと、おイタが過ぎたけどさぁ」

「ちょっとかなぁ!?

 なぁ、ちょっとかなぁ!?」



 帰宅してもなお、俺の機嫌は直らないままだった。



 当たり前である。

 こっちは折角せっかくの格安スーパーでの買い物権を失ってしまったのだから。

 結織ゆおりの趣味の実現の代償に。

 これは、怒ってしかるべきである。



「だから、ごめんって。

 ほら。

 代わりにこれ、あげるから」



 そう言って結織ゆおりが手渡して来たのは、一枚のDVDだった。



「……なに?」

「それは、観てのお楽しみ♪

 今でくつろぎながら鑑賞してて♪

 その間に、お昼ご飯作っちゃうから♪

 あ♪ 是非とも、大音量で聴いてね♪」

「……分かった」



 腹の虫が収まらないが、渡された以上は、きちんと観る義務がる。

 こうして俺は、結織ゆおりの指示通り、居間のテレビでDVD鑑賞をすることにした。



 が。



『あなたの心の特効薬♪

 白衣の堕天使ユオリちゃん、降臨〜♪

 今日はぁ、私の主題歌を作っちゃいましたー♪

 一緒に、歌って、踊ってねー♪

 今日もあなたを、幸せに突きオトしちゃうぞ〜♪』



「なっ……!?」



 想定外過ぎる光景に、俺は目と耳と脳、俺を構成するその他諸々を疑った。



 画面の中にたのは、大人っぽい白衣に身を包み、天使の羽を模したアクセサリーをナース帽に付けた、結織ゆおりだったのだ。



 え?

 ぎゃんかわなんですけど?

 何この天使。

 何この天使!?



 わー。

 さっきも思ったけど、歌上手うまーい。



 あっ。

 ダンスも上手じょうずー、すごーい。



 スカート、めっちゃ短いー。

 やっばー。



 今の。

 今の、こう、胸の前でギュッてしてるポーズ、めっかわー。

 足上げてハート作ってるのも、可愛かわいー。 



 可愛かわい可愛かわい可愛かわい可愛かわい可愛かわい可愛かわい可愛かわい可愛かわいいry



みんなー、ありがとー♪

 楽しんでもらえたかなー?

 私の動画で元気になれた人、手を挙げてー♪』

「はぁぁぁぁぁいっ!!」

『うん♪

 とっても、よく出来できました〜♪

 でも、ごめんね?

 そろそろ、お別れのお時間みたい』

「嘘だぁぁぁぁぁ!!」

『寂しいって?

 先生もだよ。

 でもね。

 離れてても、お姉さんとみんなの心は、つながってる。

 みんなが、お姉さんのこと、覚えてくれていたら、想ってくれていたら。

 また元気になれるし、友達になれる♪

 だから、ぐすっ……ユオリのこと、忘れないでね……」

「忘れるかっ……!!

 忘れてたまるかよぉぉぉぉぉっ!!」

「うん♪ 先生も、忘れないよ♪

 それじゃあ、次回の動画で、元気に、健やかに、お会いしましょう♪

 せー、のっ♪ バイバ〜イ♪』

「バイバァァァァァイ!!」

 


 ……ええ。

 気付きづけば見事に、性懲りもく、ノセられましたともさ。



 でもさぁ……コンセプト全否定なのを承知で、言わせてくれよ。

 これ、誰が抗えるの?



 おい、どいつだ?

「ナース関係無くない?」

「ヒーローショーのお姉さん気取りかよ」

 とか今ほざいてたの。



 細けぇことんだよっ!

 可愛かわいいは大正義なんだよっ、世界と命と心と人生と未来、他にも諸々、救うんだよっ!!

 


「ぐっ……」



 突如、今まで感じたことい激痛が、俺の胸に走り、過呼吸になり、体が重く、思う様に動かなくなる。



 俺の心が、本能が、特効薬。

 ユオリちゃんを、欲しているのだ。



「は、早く……。

 早く、ユオリちゃんを……。

 摂取しない、と……」



 禁断症状を起こしながら、必死に体に言い聞かせ、改めて再生しようとする。

 と思ったら、勝手に映像が映った。



 え、 続き!?

 フォォォォォ!!



「あーっ!!

 ユオリちゃ〜ん!!

 可愛かわい〜よぉぉぉぉぉ!!」



「お褒めに預かり、光栄です♪」



 ……。



「……いつから、後ろに?」

「うーん……少し前かなぁ」

「……ずっと、見てた?」

「それはもう、バッチリ♪

 いやぁ。

 思った以上に喜んでくれて、嬉しい限りだなぁ♪

 あははっ♪」

「……」



 え、ヤバくない?

 どうしよう、この空気。



だなぁ。

 そんなに固まらなくったって。

 私がプレゼントしたんだし、悪びれなくてもいのにぃ」

「い、いや……。

 確かに、そうなんだが……」

「そっか、そっかぁ。

 そんなに私が恋しかったかぁ」



 後ろで腕を組み目を閉じ、見るからに上機嫌な結織ゆおり

 彼女は、俺の目の前に立つと、上目遣いで質問する。



「ところでさ、エイくん」

「な、何かな?」

「エイくんは、私に夢中だよね?」

「ま、まぁ……そう、かなぁ?」

「ふーん。

 はっきりしないんだ?」

「間違い無く完膚きまで夢中です!!」

「へー、そっかぁ。

 私のことしか、考えられないんだ?」

「イエス、マイ・マム!!」

「あははっ♪

 いねぇ。

 もっとしくないぃ?

 ねぇ、ねぇ」

しいであります!」

「んー?

 なにがぁ?

 なにしいのかなぁ?

 お・し・え・て♪」

結織ゆおりが、ユオリちゃんがしいであります!」

「分かればよろしいぃ♪

 大変良出来できましたっ♪

 素直な子は、好感持てるなぁ。

 さてと。そうと分かれば」



 キラキラした視線から一転しハイライトが消えた瞳を恐れるあまり、取り繕う俺。

 それに満足したのか、結織ゆおりは唐突にスマホを準備し、誰かに電話をする。

 しばらくしたあと、着信を取ったのは。



『……なんの用でごぜぇますか?

 3秒以内にお応えなさいませ。

 それと、断っときますが、敵に施しなんざ受けるほど、サキはチョロ甘じゃありゃしませんです』 



 い、依咲いさき!?

 てか、スピーカー!?

 なんで!?



だな。

 そんなことしないって。

 てか、遊園地チケットは施しに入らないの?」

『あれは、部員からのささやかなプレゼントと受け取っておりますゆえ

 いから、とっとと本題に入りなさいです』

「お口が達者だね。

 まぁ、もっとお喋りしたかったけど、分かった。

 端的に言うとさ……キヌちゃんって、すごいよねって」

「ゆ、結織ゆおり

 なにを……」



 悪寒を覚えた俺が、間に入って止めようとするも、口元に人差し指を当てた結織ゆおりに止められた。



 あ。

 これ、従わなかったら、料理も状況も不味まずいパターンですね。



 すまん、依咲いさき

 腰抜けな偽兄を許してくれ。



『……なんもりでおりますですか?

 てんで話が見えて来ませんですよ?』

「別に、変に構えなくていよ。

 ただ敬意、感謝の意を評したいだけだから」

『敬意に、感謝?

 なぜ、あなたが、サキに?』

「だって。

 エイくんの命と体を今日までつないでくれたのは、他でもない、キヌちゃんでしょ?

 私、すごくありがたいんだ。

 あなたがいてくれたおかげで、エイくんは、今日も健康に、生きてくれてる。

 あなたがエイくんに、この一年、美味しくて健康的なご飯を提供し続けてくれたから。

 そうでしょ?

 だったら。これまでエイくんを育ててくれたのは、キヌちゃんと言っても、過言じゃないんじゃないかな?」

『中々、分かってるじゃありませんですか。

 伊達だてに年は取ってないでがんすね。

 そうでやんす。

 サキは、カイせんの恩人でごぜぇです。

 サキがるから、カイせんは飢え死にせず、不健康な生活を脱却し、あまつさえ収入も得ている。

 カイせんは、もっとサキを甘やかすべきですます』

本当ホントだよね。

 私からも言っとく。

 それで、本題なんだけどさ



 あ、ヤバい。

 半音が出始めた。



 結織ゆおりのスイッチが入った。



「あなたが費やし、尽くし、培い、積み上げて来た努力、エイくんはさぁ!!

 私の物になっちゃったよぉ!!」



 あぁぁぁぁぁ!!



 ほらぁ!!

 やっぱり、こうなったぁ、上げて突き落としたぁぁぁぁぁ!!

 こんな風にしかならない気がしてたんだぁ、もぉぉぉぉぉ!!



『……!?

 な、なにをっ……!?』

「エイくんねぇ。

 私のことすっごく褒めてくれたんだぁ♪

『もう、結織ゆおりしかしくない』

結織ゆおり以外、なにも要らない、必要無い』

結織ゆおり最強、最カワ、マジ女神』

 だってさぁ♪

 困っちゃうなぁ、もぉ♪」



 い、言ってない!

 そこまでは、断じて言ってない!

 そもそも、誘導尋問だった!



『嘘だ……!

 サキを騙そうとしてる……!

 カイせんが……サキの先輩が、そんなこと言うはずありません!

 嘘だ……嘘だ、そんなことぉ!!』

「あ〜れれ〜?

 おかしぃぞぉ〜?

 いつもの、色々と緩い敬語は、どうしたのかなぁ?

 ネタも中途半端になってるしぃ。

 そんなに動揺しちゃって、可愛かわいぃ♪」

『……〜っ!!

 いっ、今直ぐ先輩、じゃなくてカイせんに代わりなさいです!

 サキが、自分で確認するです!』

「いっけなぁい。

 もうお昼ご飯の時間だぁ。

 ごめんねぇキヌちゃん、付き合わせちゃってぇ。

 こっちのことなんも心配しなくていから、楽しんで来てねぇ♪

 私も、存分にエイくんと、しっぽりずっぽりがっぽり楽しませてもらうからぁ♪

 あー、そうそう、エイくぅん。

 食事中は、スマホの電源は切っとくのが、母神家もがみや家のマナーなんだぁ♪

 悪いけど、今日だけは我慢して従ってねぇ♪」

『きっ……さまぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!』



 依咲いさきの、これまでで一番いちばんのガチな叫びを、ボタン一つで強制終了させる結織ゆおり

 そのまま本当ほんとうに、スマホの電源を落とした。

 


「あーあ♪

 キヌちゃんイジり、楽しかったぁ♪

 さぁ、エイくん♪ ご飯にしよぉ♪」

「……」


 ……ヤバい。

 もしかして俺、とんでもない地雷っ子と、恋仲になろうとしてるのかもしれない。



 俺がガクブルする中、鼻歌交じりにダイニングに向かう結織ゆおり



 しめた。

 いつ結織ゆおり自由スマホを奪われるか分からないので、今の内にアフター・ケアを。



「も、もしもし?

 依咲いさきか?」

『せ、先輩ぃ……。

 サキは……サキはもう、お払い箱、ですか……?

 サキ……もっと先輩と、一緒にたい……。

 もっと、ご飯作ったり、お話したり、ラジオしたり、ゲームしたり、お布施したいです……』

「お布施以外は大歓迎だ。

 お金は大事にしろ。

 元は俺の小遣いだった分も混ざってるしな。

 それと、依咲いさきは、お払い箱なんかじゃない。

 さっき、自分で言ってただろ?

 不摂生で自堕落な生活から開放し、俺を今日まで生かしてくれたのは、他でもない。

 依咲いさきじゃないか。

 と、ところで、依咲いさき

 今、どこだ?

 周りに、母さん達や恵夢めぐむさんはるか?」

『い、いえ……いやな予感しかしなかったので、別行動してました。

 今は丁度、ゲーセンの、防音完備の個室で大声測定の出来できるコーナーに……。

 おかげで、自己新どころか、施設最高のスコアを叩き出してしまいました……』

「そ、そうか……」



 ……なんで、そんな、お誂向き過ぎるゾーンが……?



 まぁ、い。

 不幸中のさいわい、えず、周囲には、俺の両親や先輩は勿論、いぶかしんだり居合わせたりした証人はなかったわけだ。

 ここら辺の機転の良さは、さしもの依咲いさきというべきか。



 何はともあれ。

 おかげで、これから俺の言う、ともすれば歯の浮くよう台詞セリフを傍聴される危険はわけだ。



 そして、結織ゆおりも……。

 ……良し。

 どうやら丁度、最後の仕込みの真っ最中らしい。



依咲いさき

 今から兄ちゃん、ちょっとアレなこと言う。

 一度しか言わないから、よく聞いてくれ。

 ただし、ヘッドフォン、録音、ヘビロテは許可する。

 あと、少しでも引いたら、教えてくれ。

 なんなら、ドン引きすると同時に、通話も縁も切ってくれて構わない」

『そんな愚の骨頂みたいな真似マネ絶対ぜったいにしませんが……分かりました。

 ……はい。

 準備、出来できました。

 本当ホントに、録音しますからね?

 ヘビロテしますからね?

 撤回とか撤去とか消去とか、しですからね?

 あと、ご存知とは思いますが。

 サキの愛用する最新型ヘッドフォンは、微小な音も正確に捉えますからね?

 今、音量最大にしてるんで、叫んだりするのは勘弁願います。

 そんで、これからしばらく、サキは無言を貫きます。

 でも、RAINレインでコメントはするので。

 ちゃんと起きてるし、聴いてるので、油断大敵、鈍感厳禁です。

 それと、カイせん

 さんざ期待させて、その気にさせて、興醒めさせるのも、言語道断ですよ?』

「あ、ああ。

 応えられるよう、尽力する。

 じゃあ……行くぞ?」

『……どうぞ』

 


 大見得切った手前、一旦、深呼吸する。

 と同時に、なにやら向こうから『……んっ……♪』とかいう、なにやら結織ゆおり染みた声が聞こえた。

 そう言えば、この子、吐息系のボイスドラマとか好きな声フェチだったっけ。



「……依咲いさき

 お前がしい。

 お前のご飯が、笑顔が、応援が、長文が、『マジカル起きて』が、自由な敬語が、メタいネタが。

 ……かろうじて友達以上の範囲の、キスがしい。

 俺は、際限無く、お前がしい。

 俺には、お前が必要不可欠だ。

 サキってばマジ最強、サキ強、最カワ、マジ天使」



 なるべく照れないようげる。

 すると、『もっと。』と、文章で催促された。



 俺は改めて周囲を再確認し、覚悟を決める。

 ええい……ままよ!



依咲いさき

 ここだけの話な?

 これは、他の誰にも、くれぐれも秘密にしてしいんだが……。

 正直、俺は、お前の料理の方が、結織ゆおりのご飯より好きだ」

『どれ位ですか?』

「い、今直ぐ、たらふく、てか一生、食べたいくらいだよ」

何故なぜですか?』

「初めてだからだよ。

 外食以外で、あんたに美味しい食事に有り付けたのは。

 お前がどう思ってくれてるのかは知らないが。

 我が家の味はもう、為桜たお一色、一択なんだよ。

 てか、はっきり言って、そこら辺の飲食店なんか目じゃないレベル。

 うまい鮨◯クラスのだよ。

 しかもさ?

 可愛かわいい後輩、妹が、毎日ノリノリで、笑顔で作ってくれてるんだぜ?

 日本広しと言えど、それを独占してる高校生は、俺だけだ。

 お前のおかげで、俺は世界一、いや宇宙一の果報者だよ」



 しーん……。

 ついには、メッセすら付かなくなった。



 あ、あれ?

 やっぱ、やりぎた?



『……カイせん

 もういでやんす。

 ご馳走様でありんす。

 おかげでサキも、どうにか生き長らえますです』



 不安がっていたら、いつもの調子に戻った依咲いさきの声がした。

 どうにか、難は逃れたか。



「そ、そうか。

 かった。俺もホッとしたよ」

『さいでますか。

 まったく……カイせんは、本当ホントに幸せ者でごぜぇますです。

 サキにこんなに愛されるなんて。

 後にも先にも、カイせんだけですよ。

 精々せいぜい、幸せを噛み締めつつ、向こう百年は生きてくださいです』

「健闘はするよ。

 可愛かわいい後輩と妹が、美味しいご飯、食べさせてくれるからな」

『左用でがんす。

 じゃないと、罰当たり、サキ当たりです。

 サキは、平坦で平凡な人に仕えたまま一生を終えるなんて、真っ平ごめん被ります。

 それにしても随分ずいぶん、時間かかったですね。

 あんなに簡単純なのに即答出来できないなんて、ちゃんちゃんばら可笑しいでがす。

 やっぱりカイせんには、サキが付いてないと駄目ダメみたいですますね』

「そうだな。

 ところで、依咲いさき

 またさっきみたいに結織ゆおりがちょっかい出して来たら、ぐ知らせろ。

 可及的かきゅうてきすみやかに、助けに行くから。

 先輩にも、そう伝えといてくれ。

 っても、そんなこといのが望ましいんだがな」

まったくです。

 サキはもう、カンカンマンタンガ○です。

 でも、カイせん

 カイせんも、あの女には逆らえないんじゃあ……?』

「なぁに、問題いさ。

結織ゆおりを嫌いになりたくないから、みんなに過度な攻撃はしないでくれ』。

 とでも釘刺しとくわ」

『……なるほど。

 確かに、それなら効き目がありそうでございますです。

 しかし、こう……ヤキモキしますです。

 カイせん、いつからそんな、チャラくなったです?

 女性の扱い、妙に手練てるです』

「ま、まぁ、付き合いは長いからな。

 それに、ほら、ギャルゲーとかやってるし」

『フィクションとリアルは、似て非なる物なんですが……。

 まぁ渋々、納得してあげますです。特別ですよ?

 盛大に感謝しなさいまし』

「無茶言うな。

 これ以上、どう感謝しろってんだよ」

『それは、サキの管轄外、サキの知る所ではないかと』

「こんにゃろめ」



 相変わらず、小生意気でダメ可愛かわいい、憎めない子だ。



 なにはさておき。

 いつも通りになって、一安心だ。



 そんなこんなで、結織ゆおりの与えたダメージを回復させたあと依咲いさきとの電話を切った。



随分ずいっぶん、楽しそうだったねぇ」

「おわぁっ!?」

 


 意表を突かれた拍子に、スマホを放り投げてしまう。



 予測済みだったらしく、結織ゆおりは華麗にキャッチ。

 そのまま有無を言わさず電源を落とし、物申さぬ機械へと変貌させられ、没収される。



「さて、と。

 なにか弁明、るかなぁ?

 ご飯が出来できたから呼びに来たのに、別の子とのイチャイチャで手一杯で、まぁまぁ待たされた、この私に」

「あー、いやぁ……」



 ……弱った。

 依咲いさきに大言壮語してしまった手前、格好かっこ付けたい所だが。

 如何いかんせん、状況が……。



 結織ゆおりの作り笑いが、背後のどす黒いオーラが、ひたすら怖い……。

 いや……でも、ここでガツンっと言っとかないと、示しがつかない……。



 そんなふうに少し悩んでから、やはり気を引き締めた時。

 ふぅ、と。結織ゆおりが嘆息した。



「なーんてね。冗談。

 はいはい、畏まりましたー。

 これからは、エイくんにだけ、エイムしますー」

「そ、それも、どうかなぁ……」

「それが最大の譲歩ですー。

 悪巫山戯ふざけぎましたー。

 エイくんはさておき、みんなには、そんなにひど真似マネはしませんー。

 分かったら、とっとと食べに来なさいー」

「あ、ああ……。

 まぁ……頼むよ」

 


 鼻も臍も曲げてそうなまでに、露骨に斜めな感じで要件だけ告げ。

 ぐに背中を向けてしまう。



「……言っとくけど。

 私、負けないから。

 こんなんじゃないから。

 絶賛成長中だから。

 まだまだ全部、飛びっ切りに上手くなるから」

「ゆ、結織ゆおり……」

「はいはい、うるさいよ、エイくん。

 てか、なにさ、さっきの。

 あーあ、やってられない。

 キヌちゃんだけ、依怙エゴ贔屓しちゃってさ。

 いくら名前に『依』って入ってるからってさぁ」

「いや、単なる偶然の産物ですけどぉ!?

 作者、そこまで考えてませんけどぉ!?」

「そもそも、キヌちゃんだけ一緒に暮らしてるって事実の時点で、鼻持ちならないってのにさ。

 あんなダメ格好かっこいい、美味しさしかこと、言っちゃってさ。

 私、立場じゃないじゃん。

 当事者なのに。

 今日のデート相手なのに。

 散々さんざん、すっぽかしたくせに。

 失礼千万しちゃう」

「あ、後回しにしてたのは、君じゃあ……?」

うるさい。

 黙って喋れ。

 もう知らない。

 エイくんの馬鹿バカ、シスコン、気遣いの鬼、健全王。

 帰る」

「ど、どこに?」

「ダイニング!!

 あぁもう、い!

 早く来なさい、めっ!!」

「ゆ、結織ゆおりぃ!!

 耳はっ!! 耳は、めてぇぇぇぇぇ!!

 わ、分かった、次は!

 次は、結織ゆおりに言うからぁ!」

本当ホント!?

 絶対ぜったいだよ!?

 あーでも、怒りが収まらないから、やっぱり、このままでぇ♪」

「そんな、ご無体なっ!?

 てか、楽しんでるだろ、結織ゆおり!?」

「毎度ぉご乗車ぁ、ありがとぉございまーす。

 特急ぅ8ぉゆおりぃ、発車ぁ致しまーす。

 なおこの列車はぁ、目的地まではぁ私語厳禁でぇお願いしまぁす。

 さもなくばぁ、毒入り料理によりぃ、行き先が地獄となりぃ。

 絶望がお前のゴールになってしまいますのでぇ。

 ご注意くださーい、ご注ー意くださーい」 

結織ゆおりぃぃぃぃぃっ!!」


 

 こうして俺は、ダイニングまで強制連行された。


 

 余談だが昼食は、少し怖いまでにすこぶるウキウキしてた結織ゆおりに、あーんしてもらい放題だった。

 やっぱり、女心は分からない。


 



「ほら、エイくん。

 復唱して。

結織ゆおりは、誰よりも優しい』。

結織ゆおりには、見所しかい』。

結織ゆおりは、ポテンシャルと才能と勝ち目と気品とお金と未来しかい』。

 さん、はいっ」

「ゆ、結織ゆおり……?

 確かに、その内とは言ったけどさ……。

 いくなんでも、こんなに早くぅっ!?」



 昼食後。

 俺は、結織ゆおりに膝枕されながら、例の誓いを果たされんとしていた。



 ……絶賛掃除中の、耳を犠牲にしながら。



「ほらぁ。

 早くしないと、エイくんの耳が、危ないよぉ?

 擽ったぎて、どうにかなっちゃうよぉ?」

「さ、さては君、今日のためだけに、勉強して来たなっ!?」

だぁ。

 今後、将来のために決まってるじゃない。

 それより……ふー♪」

「ひっ!?」

「あははっ♪

 可愛かわいぃ♪

 そもそも、エイくんが悪いんだよぉ?

 親友止まりの異性に、膝枕してしいだなんてさぁ」

「し、仕方しかたいだろっ!?

 男ってのは、そういう生き物なんだよっ!

 女の子っていう、甘くてフワフワした生物に、常にちやほやゴロニャンしてしんだよっ!」

本当ホント、おにぶさんだよねぇ。

 いから早くしろってるでしょーがー♪」

「ゆ、結織ゆおりっ!

 俺が悪かった!

 か……勘弁してくれぇ!!」

いやですー、許しませんー。

 とっととご唱和くださいー。

 さもなくば、もっと台詞セリフがボリューミーになっちゃうよぉ?

 あるいは……私の、エイくんを、誘惑しちゃうかもよぉ?

 キヌちゃんに次いでボリューミーな部分で」

「君は俺を、どうするもりなんだっ!?」

「骨抜き、ごぼう抜き、勝ち抜っきー♪

 ついでにエイくんのハート、射抜き、撃ち抜き、引っこ抜きー♪

 というわけでぇ……フーフー地獄だぁ♪」

めてぇぇぇぇぇ!?」



 もう充分、奪われるかけてるよぉぉぉぉぉ!!





 キスシーンで若干、気不味きまずくなりながら(結織ゆおりセレクトの)恋愛映画を一緒に観たり。

 結織ゆおりに師事しながら、ぎこちないながらも二人で料理をして、一緒に観たり。

 一部はさておき、そんなふうに、本当ほんとうに、どこにでもいるカップルみたいに一日を過ごした俺達。

 そんな幸せな時間も、そろそろ終わりを告げる。



「ん〜。

 夜風が気持ちー」



 テラスで夜景を見ていた結織ゆおりが、伸びをしてから、こっちを振り返る。



「楽しい一日だったなぁ。

 エイくんは、どうだった?

 私とて、ちゃんと、楽しめた?」

「ああ。

 お陰様で、休日をエンジョイ出来できたよ」



 続いて外に出つつ答えると、結織ゆおりは笑った。



「あははっ。

 なら、かったなぁ」



 嘘吐き。

 と、思った。

 俺と結織ゆおり、双方に対して。



 内面も外面も可愛かわいいらしい女子高生と送る休日。

 こんなの、男であれば誰もが、喉から手が出るほどに渇望するシチュエーションに違いない。



 実際、俺も心待ちにしていたし、楽しくはあった。

 結織ゆおりだって、同じだと信じたい。



 けど。

 だったら、なんで……。



「『嘘きだから』だよ。

 私も、エイくんも」

 


 手摺に凭れかかっていたタイミングで横から言われ、心臓を鷲掴みにされた感覚に陥る。

 結織ゆおりの神妙な顔だけじゃなく、図星をつかれたことにも、俺は動揺する。



「だって、そうでしょ?

 今日の私、これでもかなりセーブしてた。

 本当ホントだったら、寝ているエイくんに悪戯したかったし。

 もっとエイくんの後頭部をギャグっぽくじゃなく正しく適切にチェックしたかったし。

 エイくんの着替えは私がしたかったし。

 ユオリちゃんにコスプレして誘惑したかったし。

 あんなに素直に素早く自分から謝ったりしないし。

 料理だって私一人でしたかったし。

 バスタオルなり水着なり装備してエイくんと一緒にお風呂に入りたかったし。

 でも、『普通のカップル』がエイくんのリクエストだったから。

 それに応えたい一心で、必死に我慢した。

 けど、やっぱり制御しづらくって、納得行かなくって。

 キャラブレしてまでおどけたり、キヌちゃんに八つ当たりしちゃった」



 ジョークで済ませられる範疇から逸脱した、先程の、依咲いさきへの悪質な嫌がらせ。

 恋敵などと公言しつつも常に周囲を気遣う優しい結織ゆおりにもしては、明らかに度が過ぎている。

 つまり……。



「ああ見えて、まるで本気、本心じゃなかったよね。

 今日の私達。

 だからこそ、今日の感想に、『最高』『満足』『満喫』『充実』なんて、勿体無い言葉は当て嵌められなかった。

 まぁ……他のカップルだって、本性を偽って、相手に好かれそうな自分を演じ合って、探り合ってるかもしれないけど。

 それに、こういうのが心地良いって意見もるかもだし、実際に私だって、悪くはないかなって、思った。

 でもさ……いなって思ったってことは。

 最高、最上、最良ではいってことなんだよ。

 キープでしか、お遊びでしか、恋人止まりでしかない。

 それ以上、その先のビジョンが見えない関係なんだよ。

 エイくんが切望してる、相思相愛や夫婦には程遠い。

 恋人同士として底が、高が知れた状態ってこと

 分かるよね? エイくん」



 結織ゆおりが口で、目で、語りかけて来る。

 俺は、何も返せず、下を向くばかりだった。



「そもそもさ。

 私に対して、こういうオーダーして来る時点で。

 私には脈が、本命候補としての興味がいって、仄めかしてるような物じゃないかな?

 そりゃ、二人の趣味に付き合わされて、エイくんが心身共に疲弊してたのは知ってるよ。

 でも、今回のデート、テストは、最初から、そういう目的、それ目当てで始まったはずだよね?

 私達が置かれてる今の現状と、矛盾してないかな?

 しかも、5日もインターバルを挟んでるんだよ?

 その間に気が変わって予定変更しても、おかしくなくない?

 例えば、『やっぱり、当初の路線で、互いにありのままで行こう』って。

 なのに、エイくんはそれを怠った。ううん……そもそも、そんな発想には至らなかった。

 それって、私には関心や望みが薄いか。

 私のことを深く知って傷付くのを恐れたか。

 どっちかの可能性がるよね?」

「……そこまで、把握してて。

 なんで今日、来たんだよ」



 噤んでいた口を開けて出て来たのは、そんな冷たい、突き放すような一言だった。

 同じくらいに冷めた眼差しとトーンで、結織ゆおりも切り返す。



「エイくんが望んだから。

 私は、エイくんの希望なら、可能な範囲で、すべて実現したいから。

 っていうのは、建前で。

 本当ホントは、今日の内に、やっぱり言ってしかった。

『こういうの、おままごとみたいなのはがらじゃない』

『いつも通り、自然にやろう』

 って。

 そんな展望を切に期待しながら、私は今日、この負け戦に臨んだの。

 でも……エイくんは、そんな素振り、ついぞ、欠片かけらも見せてくれなかった。

 私に、君のすべてを、曝け出してくれなかった。

 今日が終わるタイミングで、ようやく、それらしい雰囲気、醸し出してくれたけどさ。

 もう……遅いよ」



 冷え切った調子で告げ、これまででもっと真面目まじめな、大人びた、諦念と悟りに満ちた表情で、結織ゆおりは言う。



「最終試験だよ、エイくん。

 恵夢めぐむ先輩か、依咲いさきちゃん。

 どちらかを、明日のお昼に選んで。

 正式にお付き合いするかどうかはさておき。

 いつか本命になりそう、なって欲しい方を、二人から選んで。

 二人には、私からお願いしとく。

 学校の、君にゆかりる場所で、それぞれ待っててもらうから。

 私のことは、気にしないで。

 私だって勿論もちろん、エイくんの特別になりたいけど。

 今の君にだけは、今の私だけは、絶対ぜったいに選んでしくない。

 そして、勘違いしないでしいのは。

 これは断じてじゃなくて、ってこと

『あんなこと言ったけど、本当ホントは来てしかった』的な、変な拗らせ、匂わせとか、一切無いから。

 お願いだから、これ以上。

 この前以上に、ガッカリさせないで」



 要件だけ伝えると、別れの挨拶もく、結織ゆおりはベランダを立ち去った。



 ガチャン……、と。

 決して乱暴だったわけでもいのに、玄関の戸を締める音が、妙に重苦しく、大きく響いた。



 それはまるで、結織ゆおりが俺に対して心を閉ざしているような。

 そんな暗喩に、思えてならなかった。

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