第41話.隠れ鬼その3


「お〜、めっちゃ怒ってる」


 どうやら敵は鹿デコイに引っ掛かった様で、私の方まで元気な怒声が聞こえて来た。

 これで向こうに鼻の良い奴が居て、そいつを頼りに追跡している事がほぼ確定した。分かりやすくて良いね。

 そして私はといえば水の気配を頼りに獣道を進んでいた。

 獣道を進んだ先にある水場といえば――お、あったあった。


「……うん、ちゃんと色んな動物の痕跡があるね」


 森の中を流れる大きな川を発見し、そしてそのまますぐ側まで近付く。

 周囲とは違って草がまばらで背も低く、そして川に向かって極緩やかな傾斜が出来ている場所。

 そこは森の動物達が給水と排泄によく使う場所であり、様々な動物の臭いで満ちている。

 そんな場所で服を脱ぎ、脱いだ服を地面に擦り付けて体臭を上書きし、臭いを上書きしたそれで荷物を包んで頭の上に載せ、木の枝などを隙間に挿し込み、ちょっとしたトラップを仕込んでからそのまま川に入水する。

 川の中の臭いなんて追いようがないし、川に入らない部分も動物の臭いで上書きしたので相手の嗅覚に頼った捜索は難しくなっただろう。


「……」


 鼻から上は水面から出しておく。敵だけでなく、獣の接近や落石などに気付けるように。

 嗅覚は水の匂いが強くてあんまり使い物にならないが、呼吸する為に出来るだけ水面よりも上に出しておく。

 木の枝にくっ付いたままの木の葉が掠れて少し痒いけどそれは我慢だ。

 そのまま警戒しつつゆっくりと川を下り、森の外を目指す。


(さて、間に合うかな……?)


 時刻はもう深夜を回っている。今はまだ私を捕らえるメリットが上回っていると考えているんだろうけど、もう少し時間が経てば諦めの判断を下すだろう。

 時間を掛ければ掛ける程に夜の森を彷徨う事による部隊の損耗は増え、私の発見率は下がっていく。

 そして当たり前だが斥候や工作員は私一人な訳じゃない。長時間も拠点を手薄にして、それを帝国軍に悟られて急襲を仕掛けられでもすればその損害は計り知れない。

 その事に敵が気付き、冷静になって穴蔵に戻られる前に私は味方と合流しなきゃいけない。

 もちろん慌てて泳いでいくなんて目立つ真似はしてはいけない。敵はまだ私の狙いに、懸念に気付いていないのだから。


「微かですが、匂いはこっちです!」


「探せ! 絶対に見付けろ!」


 おっと……私のすぐ横を、川の近くを敵の捜索隊がすれ違ったらしい。

 怒鳴り声、水面を照らす松明の灯り、それらが視界の端を通り過ぎていく。

 あの様子だと私の匂いが川べりで途切れた事にすぐ気付くだろう。あとまだ程々に頭に血が昇っているらしい。


(スピードを上げるなら今か)


 敵に発見される可能性があるため、今までは川の流れに身を任せるしかなかったが、思わぬところで敵とニアミスし、その現在位置を知れた。

 今なら多少泳いでも大丈夫だろう。敵の本隊は近くに居ないと分かっているのだから、ちょっと音を立てるくらいは良いだろう。

 もちろん別働隊の可能性も考えなければならないけれど、十人くらいなら余裕で対処できる。


(敵が何時までも森に留まる訳じゃないんだから、私の頑張りを無駄にしないでよ)


 堅物生真面目な補佐官の顔を思い浮かべながら、黙々と泳いでいく――




「どうだ?」


「……ダメです、ここで匂いが途切れています」


「チッ」


 トラップによって焦げた髪の毛をナイフで切り取りながら盛大に舌打ちをする。

 ここまで散々に相手をコケにするメッセージやら、洒落にならんトラップやらでイラついていたが、唯一の手掛かりとも言える匂いが絶たれた事にも腹が立つ。


「上か、下か……どっちだ?」


「……わざわざ森に入ったくらいですから、川を上って我が国を目指すのでは?」


「と、見せ掛けて川を下って帝国に帰還するかも知れねぇ」


 どっちだ? 奴は何処へ向かった?


「……冷静になれ、冷静に考えろ」


 大きく息を吸って、そして吐く……森の湿った空気を肺に循環させ、脳に酸素を送り込む。

 頭が冴え、視野が拡がる感覚を覚えたら今度は目を瞑って思考に集中する。

 相手が何処に向かったかではなく、何をしたいのか? 何が目的なのかを考えろ。動機だ、動機を考えるんだ。

 何故相手はわざわざ自分が黒猫であると俺たちに伝えた? 連邦にそのまま入国するなら黙って逃げれば良い。煽る必要はない。


「誘導、足止めが目的……?」


 奴は自分の価値を分かっている? 自分が黒猫であると知れば俺たちが追ってくると理解していた? 自分自身を、黒猫という名を囮にする事で俺たちを森に誘い出したのか?

 だとしたらそれは――


「――戻るぞ!」


「ボス?」


 騎乗し、声を張り上げて部下たちに指示を出す。


「総員戦闘準備! 急ぎ拠点に戻り敵を討つ!」


 そこまで言えば突然の指示に困惑していた部下たちも、何かを感じ取って強ばった顔で行動を開始する。


「最後の最後まで舐めた真似してくれるじゃねぇか黒猫ォ……!!」


 生意気な小娘にまんまと踊らされたわ! この屈辱は忘れん! 絶対に捕虜にしてやるッ!!

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