第36話.即落ち
「あの町には総勢で二万前後の兵力がありますよ」
偵察から帰還し、作戦会議室にてひょっこり顔を出してそう発言すれば、それまで難しい顔で話し合っていた室内の者たちがギョッとした顔で振り返る。
自分が入って来た窓をちゃんと閉じ、小さな声で「なぜ窓から」と呟くアレン様を無視して中央の机に広げられた地図に新しく情報を書き込んでいく。
それは町の周囲に築かれた罠や、障害、そして変化している地形などの情報。
「どうやって兵力を調べたのですか?」
「処理施設の稼働状況や、働いている貧民に小銭を握らせて」
「なるほど」
人が生活する上で排泄という行為は絶対に我慢が出来ない。必ず毎日行うもの。
衣食住を誤魔化そうが、絶対に出てしまう物は誤魔化せないし、人の糞尿なんてその辺に放置する事なんて出来ないから町に留まる限り必ず処理する必要が出て来る。
処理施設が一日にどれくらい稼働しているのか、処理施設で働く貧民に以前と比べて処理する量が増えた実感がるのかの聞き取りを行えば、だいたいどのくらいの人間が町に居るのかが分かる。
資料によるとあの町の人口は約五万人だから、そこから計算して通常よりも二万前後多くの人が滞在していると推測した。
「それと捕虜収容所はここですね、総督府の兵隊がどのくらい捕まってるかで相手の兵力も変わると思います。帝国帰属派もここに収容されている様です」
「あんな短い時間でそこまで……」
「もう少し予定を早められそうですね」
早朝の四時くらいに出発して、今が正午にはまだ早いくらいだから数時間とちょっとか。
自分としてはそんなに早いとは言えないくらいだけど、まぁ喜んで貰えるなら何よりかな。
「黒猫殿は流石ですね。私も陛下のお役に立てるよう、まだまだ精進せねば」
「お、おう……程々にね」
アレン様って、本当に陛下の事が大好きだよね。
あとそんなに純粋な目で見られると、普段の君とのギャップでソワソワしちゃうから止めて欲しい。
もっとこう、アレン様は目を吊り上げて皮肉たっぷりに詰ってくれないと……いや別に詰られるのが趣味とか、そういうんじゃないけど。
――ダンッ!
床を叩くその音に話し声がピタリと止み、全員の視線が音の発生源へと向けられる。
「二時間後に出る」
たった一言、それだけを告げたのはスヴァローグ将軍だった。
「「「「「了解!」」」」」
ざっと音を立てて足並み揃った敬礼をする幕僚たち。
即座に彼らはそれまでの会話を切り上げ、二時間後の戦闘に向けて意識を切り替えていく。
最低限の打ち合わせのみを終えたかと思えば、すぐに部屋を出て自分たちが統括する部隊を動かすべく行動を開始する。
「凄まじい統率力だな……」
アレン様の言う通り、この場に限りスヴァローグ将軍が皇帝陛下みたいだ。
部下たちが全員将軍の事を心の底から信頼し、敬服しているのがよく分かる。
「貴様らも準備しろ。ここからはノンストップで動き回る」
「え、は、はい!」
「了解です」
ビックリした。急に真面目に喋りだすから一瞬我が耳を疑っちゃったよ。
軍事の事になると意識がハッキリするっていうか、正気に戻るのだろうか?
とりあえずは何時でも行軍できるように準備だけは終わらせておこう。
私はとんでもない経験をしてしまった──庁舎にたなびく帝国旗を見ながらそんな事を思ってしまう。
町を一つ陥落させるのはあっという間だった。私が調査に使った汚物処理施設を経由させて数個の隊に奇襲させ、敵が混乱しているうちに旅人に扮した別働隊が捕虜収容所を襲撃、開放された総督府の兵士たちと合流し、土地勘のある彼らの案内のもと町の要所を効率良く占領という鮮やかな流れ。
随時報告される戦況に対し、スヴァローグ将軍は何ら考え込む素振りを見せずに即答で対応し、まるで一個の生物のように軍隊を操ってみせた。
敵の損耗五千人に対し、コチラの負傷者はたった八人で、開放された捕虜五千人も合わせるとむしろ開戦前よりも数を増やしているという圧勝具合。
「無意識のうちに動かされ、気が付けば勝利していた……陛下があんな言動を許し、信頼して重用なさる訳だ」
呆然としたようなアレン様の呟きに苦笑してしまう。
いつの間にか都合良く使い倒されただけだというのに、それに対する反感や忌避感は全くなく、むしろ不思議な達成感や連帯感が胸を占めている。
まるで巨人の手足になったかのような、筆舌に尽くし難い体験だった。
「早くしろ! 次だ! ワシの孫が生まれてしまう!」
「将軍はそもそも結婚しておりませんよ」
「何を当たり前の事を言っている? ワシに孫など居らん」
そんな凄まじい体験をさせてくれた当の将軍本人は相変わらず変な事を口走っているのがもうよく分からん。
本当に同一人物なんだよな? ちゃんと将軍本人が指揮したんだよな?
「道中にある都市や村落を開放しつつ、州都を目指す。敵軍はその手前の森で撃退する。出陣は三時間後だ」
「了解です」
おっと、町を落としたその日のうちにもう次を目指して出陣するらしい。
本当にここから先は止まらないのか。
「ポチとタマは居るか」
「居ますよ」
「お呼びでしょうか」
すっかり定着した呼び名に反応すれば、鋭い眼光が向けられる。
さてさて、お次はどんな指示が出されるのやら──
「朝飯はまだか? ベーコンとタマゴが良い」
「おじいちゃん、朝飯どころか昼飯も食べたでしょ! 夕飯まで我慢しなさい!」
「老人虐待じゃ! 鬼嫁じゃ!」
……本当に同一人物なんだよな?
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