第35話.目覚まし


「――ぅぉぉおおおおおお!!!!!!」


 早朝の四時頃――まだ日も昇っていない時間帯に老人の奇声が轟いた。


「何事!?」


 僅かな人の気配での即座に起床できる様に訓練されて来た私にその目覚ましはあまりにも過剰で、驚きに跳ね上がる心臓と共に即座に飛び起きた。

 部屋から廊下に転がるように飛び出し、続いて速やかに左右と窓辺を確認……敵襲が無いことを悟り、いったい誰がなんの目的で上げた奇声なのか疑問が湧き上がる。


「何があった!?」


 少し遅れて隣の部屋から未だにラフな格好のアレン様まで飛び出して来た事で、私も少し冷静になれた。

 ワレンティア属州に隣接する領地の都市に駐留する事にしたのが昨夜のこと……もしや、反乱軍か敵国の軍がついに帝国本土へと進軍して来たのだろうか?

 しかしながら、だとすると奇声があれっきりで終わったのが解せない。敵の侵攻を受けた上での騒ぎなら、もっと多くの人の声が飛び交っていてもおかしくないからだ。


「黒猫殿は寝る時もそのような格好なのだな……あ、いや、今はそんな話をしている場合ではなかったな、先ほどの奇声はいったい?」


「さて、私には分かりかねます」


 そりゃまぁ、寝顔を見られて身バレとか笑えないからね。

 ある程度まで近付かれたら気配で起きるけど、それまで顔を視認される距離まで接近されないとは限らないし。

 そして奇声については私も知りたいところなんだけど、って……レオニートさんが来たね。


「レオニート殿! 丁度いいところに――」


「先ほどの奇声でしょう? お二人に説明するのを忘れていまして、もしかしたら驚かれたのではないかと思ったのです」


「何かご存知なのですか?」


 アレン様が訝しげにする気持ちがよく分かる。

 何故ならあれだけの声量だ、雄叫びと表現しても良いくらい煩かった奇声に対して私とアレン様以外は誰も起きて来ないのだ。

 つまりはレオニート様を含め、彼ら軍内では当たり前の日常風景の一部という事になる。


「あれはスヴァローグ将軍のものです」


「……は?」


 あのジジイは雄鶏か何かか! 早朝に奇声を発するとか意味わからん!


「将軍は毎朝この時間帯に奇声を発しながら寝床を飛び出し、氷の張った湖などに飛び込む習性があるのです」


「……」


「出来れば慣れて頂ければと」


 その意味不明な習性に私もアレン様も思わず閉口してしまう。

 つまりこれからの軍隊生活をする上で、毎朝ジジイの奇行によって強制的に叩き起される事になるのだ。

 ここの兵士たちの様に、さっさとスヴァローグ将軍の奇行に慣れて、大音量の奇声の中でも寝続けられる様になれば良いのだろうが、私は訓練のせいでどうしても飛び起きてしまうだろう。

 そしてアレン様は単純に神経質であるが故に慣れるのは難しそうだ。


「昨夜のあれも?」


「あれも慣れて、というよりは許容して貰えればと」


 昨夜のアレとは、スヴァローグ将軍が自らの部屋に案内されるなり「もっと粗末な部屋がいい」と駄々をこね、下っ端の兵士と部屋を交換したかと思えば「寒くないから」と窓を外し、「怖くないから」と扉をぶっ壊した事だ。

 将軍という地位のある者への警備という点でも、内部に工作員を容易く引き入れてしまうという点でもあまり好ましいとは言えず、散々アレン様と言い合いになった。

 結局のところ夜も遅いし、何かあればスヴァローグ将軍が責任を取るという事で折れる形にはなったが、もう既に将軍の奇行に私もアレン様も疲れ始めている。

 将軍が全く反省も後悔も折れるという事をしないのもそうだが、将軍の部下たちが諌めるどころか「それくらいで許してやって下さい」と擁護に回るのだから理解できない。

 何が将軍を奇行に走らせるのか、何が部下たちを将軍擁護に回らせるのか、付き合いの浅い私たちでは分からない。

 分からないなら仕方ないから、もう後回しにしよう。というかこの空間から逃げよう。


「そうか、では私はこのまま偵察に行ってくる」


「そうですか、了解しました」


「お一人で大丈夫なのですか?」


 とりあえず私は敵地偵察の大義名分があるからな、早朝から変人将軍の相手は疲れるし、ここはアレン様に押し付けてしまおう。

 コチラに頭を下げてから去って行くレオニート様を見送り、心配そうに見詰めるアレン様に向き直る。


「むしろ一人が好ましい」


「……そう、ですか」


 どうやらアレン様、私の事は陛下も認める凄腕だと尊敬してくれている様だが、それとは別に「まだ小さな子ども」だとも認識しているらしい。

 だからこそ、頭では能力に問題はないと理解していても心配をしてしまう様だ。

 見た目に惑わされるなと叱責するべきか、余計な気遣いは不要と突き放すべきか、これも彼の美点だと放置しておくか……ま、レイシーちゃんには関係ないから放置で良いか。


「お気を付けて」


「そちらもね」


 私の姿が見えなくなるまで頭を下げ続けて見送るアレン様にむず痒いものを覚えながらも、さっさと変人とその信者の巣窟から出て行く。

 言うて敵地の偵察って言っても、反乱軍の主力と敵軍が睨み合う州都じゃなくて、帝国本土との境界に近くて反乱軍の数も少ないと見られる町なんだけどね。そこまでの危険は無いと思う。

 とりあえずは、さっさと最寄りの町にどのくらいの反乱軍兵士が潜伏しているか調べないとね。


「独立を目指しているだけあって、一部の住民達が反乱に協力的なんだよなー、めんどくせっ」


 それぞれの民家に匿われると面倒なんだよなぁ……物理的に探すも難しくなるし、食糧も一人や二人分くらいなら各家庭でちょっと多めに買い込むだけで誤魔化せるから、正確な人数が推測しづらい。


「ま、人がその場に居る限り絶対に誤魔化せない事があるんだけど」


 それを調べるのもちょっと面倒というか、嫌なんだよなぁ……やるしかないけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る