第10話.おかしな陛下
『陛下、本日の宿に到着致しました。開けても宜しいでしょうか?』
「構わん」
馬車の外から聞こえてくる護衛騎士の声と、それに応じる陛下の返事に慌てたのは私である。
何故って? そんなの陛下の膝の上に今も乗せられているからさ!
もう降りるなら必要なかろうと膝の上から退こうとしても陛下がそれを許さないんだから、それはもう慌てるというものですよ。
「失礼しま、す……?」
――終わった。
扉を開けると同時に驚いた顔をする護衛騎士を見て全てを諦める。
陛下の膝の上に座るなんて不敬もいいところだしね、そりゃ驚くよね。
ていうか陛下がここまで気を許す態度を取るのも珍しいし、そういう仲だと勘違いしちゃうんじゃなかろうか。
「さぁ、後でちょっと街を見て回ろうか」
「……」
……マジっすか。
「ここはまだ直轄領だからマシな部類だな」
あの後宿で『正体を隠してる貴人の格好』というよく分からぬ注文を受けた結果として、全身をローブで巻いて顔が見えない様に深く布を被る様にしてから妃の時の姿勢と歩き方、挙動を心掛けてみた。
その試みは上手くいった様で、同行していた騎士や文官達は驚いた様な顔をしつつも何も言わず、顔を暴こうともしないでおいてくれた。
アレン様だけは露骨に嫌な顔をしたけどね……そのお陰で今は陛下と普通に街を歩けている。
……もちろん周囲にはアレン様も含めた護衛騎士や従者の方々も居るけど。
「陛下? 本当に今妃の演技をする必要があったんですか?」
「前にも言っているがシルと呼んでくれ」
「……シル?」
「それでいい」
首を傾げながら見上げる様にして愛称呼びをすれば、陛下は「よくできました」と言わんばかりに上機嫌になって理由を教えてくれる。
……本当によく分からないお人だ。
「なに、こういうところから妃をお忍びで無理やり連れて来させるくらいに冷酷無慈悲の魔王は今の妃を溺愛していると、そう周囲に印象付けるのが狙いだ」
「わざわざ一緒に街を出歩かなくても十分だったのでは?」
「この視察団に紛れ込んだ鼠と、今もコチラを覗き込んでいる者達に対するダメ押しだな……何人居る?」
「視察団の方々を抜くとコチラに意識を向けているのは八人ですね」
建物の中や路地裏から覗き込んでいたり、コチラとすれ違ったと思ったら同じ人が服を着替えてまた私達の前や後ろを横切ったりしている。
十中八九私達の事を探りに来た何処かの密偵だろう。
皇帝の直轄領で皇帝陛下本人を探るなんて危ない橋を渡るんだから、多分これから赴くブルニョン伯爵が放ったのだろうけど。
「陛下、ご歓談中のところ申し訳ございません。何やら怪しい者達が周囲を嗅ぎ回っている様ですので、長時間の外出は控えた方がよろしいかと」
そんな事を陛下と話していると、今回の視察団の護衛隊を指揮するユーゴ・ドゥ・ヴァンサン一等護衛官が声を掛けて来たので口を噤む。
そんな私の様子に気付いたのかそうではないのか、ユーゴ様は私の方へも視線を向ける。
「おっと、初めましてですな。私は今回の視察団の護衛隊の指揮を任されております、ユーゴ・ドゥ・ヴァンサン一等護衛官であります」
あー、そっか、出発時に黒猫として顔合わせはした――顔は見せてないし声も出てない――けど、今の状態では初対面か。
なら陛下の隣に立つ見知らぬ人を無視するのもおかしな話だよね。
とは言っても私が返事の為に喋る訳にはいかないんだよなぁ……変声技術は持ってるけど、妃らしき人としてこの場に立っている訳だから違う声で喋る訳にもいかないし、かといって表向き妃は居ない事になってるから普通に話す訳にもいかない。
「……」
……ここは困った雰囲気を出しつつ黙るのが正解かな。
「私の連れも疲れている様だから丁度いいな、宿に引き返すぞ」
「はっ!」
お、陛下のナイスフォロー!
これで私が喋らなくても違和感がなく――
「これ以上疲れてはいかんからな、私が運ぼう」
「――ほぇ?」
突然よく分からない事を言った陛下がそのまま私を腕に座らせる様にして抱き抱える。
まさか衆目の前でこんな事をするとは思わなくて変な声が出てしまった……とても恥ずかしい。
というかヤバい、長身の陛下に抱き上げられると下から私の顔が見えてしまう。
「演技は必要だろう? レイシー」
「そ、そうです、ね……?」
私が慌ててローブを引っ張る様にして顔が見えない様に隠す私に対して、陛下は何処までも楽しそうに小声で語り掛けてくる。
私を飼い猫扱いする事といい、本当に遊ばれてるなぁ……あれかな、私がたまにベルナール様で遊ぶ様な感覚と同じなのかな。
やっぱり皇帝業務ってストレスとか半端ないんだろうか。
……まぁ、でも演技が必要って事は本当なんだから良いのかな。
今の私は妃として、正確には妃らしき人としてこの場に居るんだから陛下とのイチャイチャ演技をしててもおかしくはない。
ただ陛下におもちゃにされてる気がするだけだ。
……大して面白い反応は返せていない気がするんだけどな。
「どうした?」
「……いえ、なにも」
頭上から不思議な面持ちで陛下を見下ろしていると、不意に目が合ってしまう。
そんな私に対して投げ掛けられた疑問に曖昧な答えを返すと、これまた面白そうに笑ってくれる。
本当によく分からない人だな、と……そんな事を考えながら落ちない様に陛下の首周りへと手を回して、前を向く。
……落ちない様に。
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