第6話.お仕事の時間です


 ――パチリ


 日が変わって間もない深夜……カーテンの無い窓から月光が射し込むと同時にレイシーは目を覚ます。

 衣擦れすら許さず、音を一切出さないままにソファから降りて掛け布団としていたカーテンを畳み、自身のベッドで寝ている皇帝陛下を起こさない様に気配すら完全に断ったままドアノブに手を掛け、空けた隙間からゆっくりと滑る様に部屋を出る。


 月明かりの陰となる廊下の端を歩くその姿は目を離せば消えてしまいそうな程に存在感が希薄であり、その顔には昼間の演技や育ての親を前にした時の様な豊かな表情はない。

 化粧を綺麗に洗い流したかの様に顔の情報を削げ落とした彼女を見て、一番印象に残るのは漆黒の前髪から覗く時折月明かりを反射する血の様な紅い瞳だけ。


 だからだろうか――侵入者達も最初その正体に気付けなかったのは。


「……妃、か?」


 長い後宮の廊下を、大きな窓から射し込む月光を挟んで対峙するレイシーと侵入者四名。

 全身を黒や紺色の服装で身を包んだ自分達と違って、目の前の妃は一枚の白いネグリジェを着ただけの姿……だというのに、ともすれば自分達よりも存在感が希薄な彼女に思わずリーダー格が声を漏らす。

 傍から見れば夜中に起きた妃が廊下を少し散歩しているだけとも受け取れるが、自分達の様な怪しい風体の男性を見てもその表情に一切の変化は見られない。


 いや、そもそも自分達に気取らせずに視認できる距離まで近付かれた時点でおかしかったのだ。


「……お前に恨みは無いが死んでもらう」


 しかしリーダー格の男は諸々の不自然さに意図的に蓋をして武器を構える。

 どれだけ気味が悪かろうと依頼対象がすぐ目の前に居る事と、パッと見で武器は持ち合わせていないと分かったからだ。

 隙間風で揺れるネグリジェの動きにも武器を仕込んでいる様な不自然な重さを感じさせる動きはないし、月明かりに照らされて薄らと透けて見える妃の身体のラインからも隠し武器のシルエットは確認できない。


 客観的に見て好機でしかないと判断を下した彼らの動きは早かった。


「――殺れ」


 合図と共にリーダーが妃に向けてナイフを投擲し、それに合わせて後ろから侵入者が二人ほど左右に別れて音もなく駆け出していく。

 ナイフの風切り音以外は一切何も聞こえないその襲撃は、咄嗟にナイフを躱そうと動いた妃が左右どちらかの部下に殺される――筈だった。


「……は?」


 思わず間抜けな声を漏らしたリーダーの視界に映るのは糸が切れた様に倒れる部下二人の姿と、自分が投げた筈のナイフを持って立つ妃の姿。

 僅かに身動ぎしながら喉を抑える部下と、手に持つナイフから血を滴らせる妃の姿から何をされたのかは明白だった。


 なんの事はない――レイシーはただ飛んで来るナイフを掴み取り、そのまま素早く左右の男達の喉を掻き切っただけなのだから。


 そしてそんな芸当を難なくこなしてみせるレイシーを前にして、一瞬でも呆けてしまったのは致命的であった。


「……っ?!」


 先ほどのお返しと言わんばかりに無言で手に持つナイフを投擲し返したレイシーは、そのまま左側に倒れ伏していた男性を掴み上げて自身の前に持って来る事で盾としながら走り出す。

 侵入者達からすれば仲間の死体で妃の姿が見えず、次にどの様な動きをするのかも事前に察知する事が出来ない。

 そんな状況をよく理解しているレイシーの動きは早く、盾としている男の懐をまさぐって暗殺や投擲の為に作られたであろう細いナイフ数本を取り出すと同時に左右から二本ずつ投擲する。


「ちっ!」


 金属質で甲高い音が辺りに響いたと同時――レイシーが最初に投げたナイフに追従する様に壁や柱にぶつかって弾かれた細いナイフが左右から侵入者達へと迫る。

 そう、レイシーは一人で自分が最初にやられた状況を再現してみせたのだ。

 城の廊下と言えどもその広さは有限……残りの部下が邪魔でリーダーがどこに避けようとも被弾は免れない。

 そう判断した彼は素早く自らの部下を盾とする事でナイフの投擲をやり過ごす。


 部下の衣服を握る自身の手に伝わる複数の軽い衝撃をやり過ごすと同時に、武器を抜き去りながら押し退ける様にして重傷の部下の陰から躍り出る――が、そこには既に妃の姿は見えない。

 妃に盾とされ、引き摺られた部下の死体が自身の血で描かれた直線の先に沈む光景しか視界に入って来ない。


「何処に――」


「――うえ」


 ここに来て初めて聞いた妃の声に反射的に上空を振り向きながらナイフを投擲する――


「――ごめん、うそ」


「がふっ――?!」


 ナイフを投擲した先に妃の姿はなく、自身の目線よりも遥か下から突き上げられたナイフで喉を突かれる侵入者達のリーダー。

 彼は何も理解できないまま、ただ淡々と自分達を処理した妃の妖しく光る紅い目を凝視する。

 彼の目には言葉よりも雄弁に「なぜ」「どうして」という疑問ばかりが浮かぶ。


 しかしながら真実は単純な事でしかない。

 レイシーはリーダーが自分の部下を盾にするのを見るやいなや自分が盾としていた死体を捨て去り、リーダーの視界が一時的に塞がっている間に速度を上げて急接近。

 音もなく標的に詰め寄ると同時にリーダーに押し退けられた部下の陰に隠れる様にさらに移動し、確実性を期すために意識と視線を上空に向けさせた上で下からナイフで喉を突いた。


 常に相手の視線から逃れ、時には意図した方へ向ける事で真正面から相対したとしても〝暗殺〟する……それがレイシー・キャンベルという少女だった。


「……生きてるよね?」


「……っ」


 態と急所が外れる様に計算して投げたんだから、生きてるでしょ? と……レイシーはリーダーに盾にされた侵入者へと歩み寄る。

 その目は人間に向ける様なものではなく、単純に情報源としてしか価値を見出していない冷たい物だった。


「眠たいので早く吐いてくれると助かります……あ、掃除もしないと」


 大事な情報源が服毒自殺しない様に猿轡を噛ませながら、廊下の惨状を見やったレイシーが初めて表情を動かす。

 その顔からは「面倒くさいから今度から気を付けよう」という、場違いな感情が読み取れる。


「後処理も私とか圧倒的人手不足」


 その夜、後宮の廊下ではレイシーの愚痴と何かを引き摺る様な音だけが響いた。

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