第5話.すやぁ……


「――遅かったな」


 私室として宛てがわれた部屋の扉を開けた瞬間に飛び込んできた光景――私のベッドの上で寝転ぶ陛下と、そのすぐ横で眼鏡を光らせているベルナール様を視界に収めると同時に勢いよく扉を閉める。

 後宮の最奥エリアにあるこの部屋には侍女達でさえ呼ばなければ来ない。

 というか、普段は私の着替えを率先してやりたがる彼女達が今日はやけに大人しく引き下がったなって思ったらこれだよ。

 いや、別におかしくないからスルーしちゃったけど。


「……陛下、何故ここに?」


 意を決して再度部屋の扉を開き、そのまま中に入りながら問い掛ける。

 いや、だいたいの予想は付くんですけども。


「それは貴女のせいでしょう?」


「ぴぇっ! ベルナール様?!」


 ひぇっ! やっぱりこの人怒ってる!

 めっちゃ底冷えする声をだしながら眼鏡を光らせてる!

 月は雲に隠れて見えないのに!


「女官長から愛する二人を引き裂く悪魔かの様に罵られる私の気持ちが分かりますかッ?!」


「ひぇっ、すいません!」


「いつも私と妃を引き裂くのは本当ではないか」


「貴方が必要以上にベタベタし過ぎなんですよッ!!」


 ひぇぇ、ベルナール様がいつも以上に怒ってる。

 そんなベルナール様を前にしても陛下はいつも通りなのも凄い……っていうか、冷酷無慈悲な魔王っていう前評判は何処にいったのか。

 舞台裏では私やベルナール様で遊んでる姿くらいしか知らない。


「はぁ、もう……アナタ達は……」


「お、お疲れ様です……」


「誰のせいですかッ!!」


「ひょえっ!」


 気遣ったのに! 気遣ったのにぃ!


「はぁ、もういいです……どの道陛下の護衛は必要でしたからね」


「はぁ……?」


 つまり、あれかな? 私に夜の護衛もしろって事かな?

 というか、そもそも偽妃作戦には不自然にならない様に護衛を配置する事も多分目的に含まれていたのだろうし、問題はないのかな?

 多分ベルナール様は本当に寝所を共にしても良いのか様子を見てた……のかな?


「いいですか陛下? くれぐれも間違いは犯さないで下さいね?」


「なんだ、手を出してはいかんのか?」


「当たり前でしょうッ!!」


 へへっ、旦那、あっしは房中術とか習ってないんで期待には応えられませんぜ。

 ていうか皇帝陛下なら美女の一人や二人や十人くらい簡単に抱ける筈だから、私みたいなのはお呼びではないでしょう。

 ベルナール様が心配している事は陛下が私に手を出す事じゃなくて、私が「陛下にお手付きにされた」と主張する事じゃないかな。


「見ての通り本人はこういう事に疎く、危機感も何もありません。そんな無垢な子に無体を働くほど落ちてはいないでしょう?」


「そうだな、本人に自覚させてからでないと詰まらんからな」


「……趣味が悪いですよ」


「そう怒るな、冗談だ」


 陛下とベルナール様が相談している間に自分の寝床を作ろう。

 ソファにクッションを置いて、カーテンを一枚拝借してそれを畳んだら丁度いい厚さの掛け布団を作ったら完成。

 そのままもぞもぞと手作りベッドの中に潜り込んで就寝。


「……なんか寝だしたぞ」


「特に指示がない場合は決まった時間に寝る様に言ってあるんです」


 それでは皆さん、おやすみなさい!

 ……すやぁ。


▼▼▼▼▼▼▼


「すぅ……すぅ……」


「本当に寝たな」


 私の偽妃を演じるという損な役を演じる事になった少女が寝るソファの、その対面に腰掛けながら言葉を漏らす。

 最初はベルナールが連れて来る優秀な暗部だと言うから、どの様な毒婦が出て来るかと思ったが……出て来たのは奇行を繰り返す子兎であった。

 夫婦としての演技もお世辞にも上手いとは言えん。

 臣下の中には私の一方通行な偏愛に捕らわれた哀れな妃だと思っている者も居る。

 捕えようと思って捕えられる女ではないというのに。


「……私の目には段々と陛下が本気になって来ている様に見えます」


「私が偽者に本気になる愚物だと?」


「そうは申しておりません」


「それにまだ知り合って一ヶ月ちょっとではないか」


 そう、まだレイシーと知り合って浅い……はずだ。


『見てお兄ちゃん! これが私のマイホームだぁ!』


『……ボロ板とボロ布を組み合わせただけじゃないか』


 レイシーの全ての光を吸収するかの様な漆黒の髪と、水晶に血を垂らしたかの様な紅い瞳を見ると昔を思い出す。

 まだ三歳でありながら活発で、年長の私が世話をしないと直ぐに死んでしまうというのにチョロチョロと動き回っていた妹分の事を。


「なぁ、ベルナールよ……お前がこの私を見つけ出し玉座に据えた」


「……」


「だったら多少の我が侭くらい言っても良かろう? お前は私のなんだ?」


「……私の全ては帝国の為に」


「ふっ、皇帝の為とは言わんのだな」


 自分の首が物理的に飛ばされるかも知れんというのに、本当に正直な奴だな。

 いや、それがコイツなりの誠意の見せ方という事か。

 ベルナールがここまで言うのだから本当にダメなのだろう……少なくとも今は。


「仕方がない。今は我慢するとしよう」


「……ふぅ」


 張り詰めていた重い息を吐き出す音が背後から聞こえる……あまり数少ない信頼できる忠臣に心労を掛けるものでもないな。


「さて、他に報告があるなら聞くが?」


「そろそろ物理的な手段に訴えてくる者達が現れるので身辺には警戒を」


「レイシーと同じ部屋で寝る事を許したのはそれが理由か」


 なんの事はない、レイシーという自分が手塩にかけて育てた娘の貞操やら仮に私が彼女に手を出した場合の処理の面倒さ等を天秤に掛けた結果として、皇帝という帝国を動かす心臓部品の保全を優先したというだけの事。

 自らが信頼できる部下も自由に動かせる手足も少ない中でコイツはよくやっている。


「まぁレイシーが居る限りは大丈夫ですのでぐっすり寝て貰っても構いません。……というより彼女には仕事がありますので手を出して余計な疲労を与えないで下さい。貴方の命に関わります」


「分かった分かった……小言の多い義母上だな」


「誰が義母上ですか……」


 優秀な男ではあるのだが、如何せん冗談が通じなかったり融通が効かないのが玉に瑕だな。


「私ももう寝る。お前も疲れを明日に持ち越すな」


「……おやすみなさいませ」


 足音一つ立てずに速やかに退出するベルナールを見送ってから席を立つ。

 そのままベッドへと向かう前に対面のソファで寝る少女の顔を覗き見る。


「すぅ……すぅ……」


「……」


 ……寝るか。

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