第3話.甘味の前では全てがどうでも良くなりませんか?
「ふぅ……」
陛下の今日の分の政務が全て終わり、それと同時に私も陛下の横で大臣や官僚達からの『空気読め』という無言の圧力をニコニコしながら躱すという胃の耐久実験が終わった。
今は夕食後の空いた僅かな時間を二人っきりで過ごすという名目で人払いの為された後宮の一室に引き篭っている。
「我が妃はお疲れの様だな」
お茶を用意し終わった使用人が扉を閉めると同時に小さく吐いた溜め息を耳聡く聞き咎めた陛下が私を後ろから抱き締める。
「……陛下、今は演技をする必要は全くないですよ」
そう、私を悩ませるのはなにも宮廷の狸達からの圧力だけではない……何故か陛下はこうやって人目のない場所でもイチャイチャ演技を続けようとするのだ。
しかしながら
陛下にとっては目新しい物で遊んでる感覚なんだろうけど、私からしたらいつ不興を買って首を飛ばされるか……そうでなくともベルナール様に怒られないか気が気でない。
「いつ何処に耳目があるか分からん……暗部所属であるならば分かるだろう?」
「……今は居ませんよ」
「そうかそうか、それは残念だ」
くつくつと笑いながらも一向に離れ様としない陛下に呆れた溜め息を吐こうとして思い留まる……何故なら部屋の奥の扉から冷気を纏ったベルナール様が現れたからだ。
とりあえず訓練時代からの習慣からその場に跪いておく。
なんてたって、直属の上司だからね。
「へ〜い〜か〜?」
あー、ベルナール様がお怒りであらせられる。
「なんだベルナール? お前のせいで可愛い我が妃が逃げ出してしまったではないか」
「今は誰も居ないんですから必要以上にくっ付かなくていいんですよ!」
「お前が居るじゃないか」
「私はガッツリ関係者でしょうが!」
手振りを交えながら「楽にして良い」との指示を貰ったのでその場で立ち上がる。
「それで? 用があって来たのだろう?」
「……偽妃を導入してからの宮中の動きを報告しに参りました。あとついでに将来有望な若手をリストアップしたのでその資料ですね」
そのまま陛下に手を引かれる形で使用人が用意したお茶やお菓子の乗せられたテーブル席に座らされる。
その様子を見てまたベルナール様のこめかみに青筋が浮かぶけれど、私にはどうする事も出来んのです。
「はぁぁ……報告します。私達が用意した偽妃に対する反応は大きく分けて二つです。陛下が即位してから七年が経ち、やっと迎え入れた正体不明の妃に対して静観の構えを取る者達。そして邪魔な偽妃を排除しようとする者達です」
あらやだ私ってば排除されちゃうのかしら。
「予想通りの結果過ぎて詰まらんな」
「まぁ、まだ導入して間もないですからね」
どうやら私が排除されそうな事は予想通りらしい……なにそれ怖い。
てか縁談よけの偽妃やっぱり邪魔だって思われてるじゃん。
「静観している者達は偽妃の出身などを調べて弱みを握ったり、あわよくば二人目の妃を自分達の一族から出せないか画策している連中ですね。今のところは陛下の溺愛演技に二人目の提案は控えていますが」
「演技などと……私は本当にレイシーを愛しているぞ? なぁ?」
「えっ? いや、そうですね……?」
「そこは否定しなさい」
お茶請けのクッキーに手を伸ばそうとしたところで言われた陛下の冗談に曖昧な返事をしたら怒られてしまった。
なるほど、こういう時は「違います」と否定した方が良いんですね。
ベルナール様、私ちゃんと覚えましたよ。
「続けます。偽妃を排除しようという者達は主に私の政敵になりますね、どうやらレイシーの事を私の隠し子か何かだと思っている様で」
「まぁ最有力候補だろうな。それに間違っている訳でもない」
「間違いですよ」
「お母ちゃん」
「貴女は黙ってなさい!」
やっべ、怒られた。
「あとは妃もろとも陛下の暗殺も狙っている者、子どもが出来てない今の内に自分の息の掛かっていない妃を排除しようとする者……このくらいですかね」
改めてお茶請けのクッキーを手に取ってぽりぽりと頬張っていく。
うーん、刺激的な味がして中々に美味ですのう……甘くないクッキーは中々に新鮮だ。
「なるほど……レイシーよ、今夜私の部屋に来るといい」
「ダメに決まってるでしょう!」
「枕が変わると寝れなくて……」
「貴女は何処でも寝れるでしょうが! なんの為の訓練ですか!」
怒鳴ってばかりのベルナール様の血圧を密かに心配しながらも、私と同じくお茶請けのクッキーに手を伸ばす陛下のその手に自身の手を重ねて止める。
「どうした? 素直になる気になったか?」
「それ毒が入ってるので陛下は食べない方が良いですよ」
「……毒入りを何故普通に食べている」
何故って言われても……そういう訓練を受けて来たからとしか言えませんね。
あと単純に勿体ないじゃないですか、今この国で小麦の値段って物凄く高騰しているんですよ。
陛下の治世のお陰で大分安くなったとはいえ、まだまだこういうお菓子を作るっていう贅沢な使い方は出来んのです。
「後で捕らえて背後関係を吐かせなさい」
「んぐっ……承知致しました」
ベルナール様からの業務命令に対し、急いでクッキーを飲み込んでから真面目に返事をする。
まぁ、あの使用人の匂いは覚えているので捕まえる事は容易だ。
「とまぁ、暫くはこんな感じで妃を排除しようとする動きが目立つでしょう」
「意味がないではないか」
「なんの為に偽妃役をレイシーにしたと思ってるんですか? この子を本気で排除しようと思ったら平野で正規軍をぶつけるくらいしないと無理です」
いや、平野で正規軍をぶつけられたら誰であっても死ぬと思うんですが……私じゃなくても生き残れませんよ。
というか絶対にそんな事しないで下さいよ? 本当に死ぬかも知れませんからね? ね?
……ベルナール様の前でふざける頻度を少し下げようかな。
「こと宮中での暗闘という意味ではこれほど適した人材は居ません。馬鹿正直に真正面から相手の策を潰していけばどんな切れ者だろうと万策尽きるというもの……そのうち排除から取り入ろうとする者達が増えますよ」
「くくっ、我が妃は物騒だな」
そんな……私はただの何処にでも居るいたいけな暗殺もこなせる工作員です。
ただこの国の暗部に所属しているってだけの普通の女の子ですよ。
「表ではイチャイチャ演技を続けて余人が介入する余地を与えず、裏では国内外の各勢力が放った刺客を排除していく事で時間を稼ぎます。……レイシー、証拠になりますので全部は食べないで下さい」
「……はい」
陛下もベルナール様も食べないからってクッキーを頬張っていたら釘を刺されてしまった……ち、ちゃんと残すつもりでいたし!
わ、私がそんな……食い気に負けてしょうもないヘマをする訳がないし!
「……要るか?」
「っ! ありがとうございますっ!」
陛下が懐から取り出した飴玉を恭しく両手で受け取る。
「……陛下、甘やかさないで下さい」
「いいではないか」
「……ッ!!」
「美味しいか?」
「(コクコクっ)」
包装紙から取り出した飴玉を口に含んだ瞬間に広がる甘味と溢れ出る唾液……さすがこの国の頂点である皇帝陛下から下賜された物だけあって美味である。
両手で頬っぺを支えなげれば蕩け落ちそうになりそうな錯覚すら覚える。
「〜〜っ!」
「……本当にコイツは暗部の者なのか?」
「……誠に遺憾ながら歴代最優秀ですよ」
天国や……天国はここにあったんや!
なんという、なんという甘味であろうか!
私はこの味を知らずして十五年も過ごして来たのか!
「んんっ! ……まぁあれですよ、仕事はきちんとこなしますので」
「まぁこれはこれで可愛いので許そう」
「……陛下」
「そう睨むな」
すぐ近くで陛下とベルナール様が何か話してるけれど何も頭に入って来ない。
これは何も私がポンコツで悪いという訳ではないのです。
はぁ〜、幸せ……甘味の前では全てがどうでも良くなりませんか?
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