第2話.この陛下ちょっと切り替えが早すぎませんか?
「――以上がルグラン子爵の罪状になります」
私のすぐ目の前でベルナール様が広げていた羊皮紙を丸め、そのまま脇に抱えながらでっぷりと太った小男を厳しい目で睨み付けている。
「……」
そして同じく黙って小男を見詰めているのはこの『アデライド帝国』の若き皇帝――シルヴェストル・ミカエラ・アデライド陛下その人である。
浮かぶ星々を幻視する夜色の御髪とそこに鎮座する月を思わせる黄金の瞳が特徴的な、美の神が彫った彫刻が如く美しい容姿をした御年二十二歳のこの人は国内外に『冷酷無慈悲の魔王』と畏れられている……現在進行形で。
整えられた夜の帳から覗く月が目の前の罪人を睥睨し、頬杖を付きながら足を組み直す様はまるで「どう調理してやろうか」と言わんばかり。
その威圧感に充てられ、この場に居合わせる官僚達は自分達に飛び火しない様に必死に前を向き続ける。
「……なにか、申し開きはあるか?」
しかしながらその口から出て来た声色からは罪人に対する一切の興味を感じさせないものだった。
もう何度も似たようなやり取りを見てきた私からすれば「あ、どう処分するか決まってるからさっさと終わらせたいんだな」という感想しか抱かない。
「陛下! それは何かの間違いです! 帝室の忠臣たる私が税の横領などする筈がございません!」
「……と、言っているが?」
「信頼できる腹心が集めた証拠の数々です。……なんでしたら、『黒猫』に追加の物証をこの場に持って来させましょうか?」
ベルナール様もこの場に居ない人物に対して無茶を言う。
「黒猫、か……奴が集めた証拠なら信頼できる」
「陛下!」
なんだろう、この茶番は……陛下もベルナール様もシレッとしてるけど内心では少し遊んでるでしょ。
「沙汰を言い渡す。ルグラン子爵は帝国法に倣い爵位を男爵へと降格させ、現当主一族の貴族籍を剥奪とする」
「そんな?! お、お考え直しを!!」
領地と財産は安堵させる事で新しくルグラン子爵――じゃなくて、ルグラン男爵を継ぐ分家の者に貸しを作る事で対立派閥だった彼の家を味方、ないし中立派へと鞍替えさせる政治的な思惑の入り交じった妥当な判決が下される。
通常では有り得ない量の証拠が一気に公開された事と合わせて、この場に居合わせる者たち、ひいてはそこから情報を得る者たちに対して「隠し事はできぬ」「逆らえば容赦はしない」という見せしめと警告も兼ねているのだ。
……とかしたり顔で考えておきながらこれは事前にベルナール様に教えて貰っただけなんですけど。
というか私に政治的なあれこれは全く分からないんですけど。
そもそもそんな教育は全く受けて来なかったんですけど。
こんなんで偽妃に任命するとか笑っちゃいますよね――ぴっ! ベルナール様の方から威圧が!
「そこの平民は私に謁見する資格を持たぬ。……連れて行け」
「陛下! 陛下!」
喚き散らしながら衛兵に連れて行かれる小男に周囲の者たちが注目している間に軽く深呼吸をして気持ちを整える。
政治的な事は全く分からないけど、今はこの国の暗部に所属する者としての任務の真っ最中だからだ。
「――待たせてしまったな、我が妃よ」
ほら来た……何処から出してるのか分からないその甘ったるい声色はなんなのか。
さっきまでの興味なさげな態度の落差が激しくて思わず白けた目をしてしまうくらいだ。
恐ろしい魔王がそれ程までに態度を急変させるものだからこの場の雰囲気と視線が一気に動いてるじゃないですか。
……あの、暗部の者がこんなに注目されるのはどうかと思います……いや、それが任務内容なんですけど。
こうなっては仕方ないと、いつもの様に舞台袖から控えめに陛下の側へと歩み寄る。
「いえ、陛下のお務めをお邪魔してしまった様で――」
「――シルとは呼んでくれないのか?」
私の腰を抱き寄せ、唇を人差し指で抑えた事で言葉が途切れてしまう。
座っている陛下の鋭い眼光で見上げられ、思わず恐怖から震えてしまいそうになる。
「へ、陛下……とても注目されております……」
「シル」
「へい「シル」」
「……シル」
「なんだい? レイシー」
公の場で陛下を愛称呼びするという、胃が引き絞られる様な苦行。
それを強制した当の陛下はというと、それまでの抜き身の刃かの様な目付きから一転して目尻が柔らかくなる。
恐怖の魔王が薄く微笑んだ事で場の空気が少しザワついた気配がした。
気配がしたのにこの場に居る者たちは全員表情が動いてないのは本当に狸だ。
「み、皆さんが見ておられます。私はへい――シルの顔が見たかっただけですから」
「なるほど、我が妃は私の顔見たさにここまで来たのだな……なんといじらしい」
あの、そのまま自身の膝の上に座らせるの辞めて貰っても良いですかね? ダメ? ……あっ、そうですか。
「今日はもうこのまま我が膝の上で過ごすが良い」
えぇ、そんな無茶な……。
「陛下。些かおふざけが過ぎるかと」
ほら、お叱りを受けた。
「マルシャル侯爵か……お前はいつも私と妃の邪魔をするな」
「主君が誤った道に進んだ時、それを諌めるのもまた臣下の務めにございます」
……まぁ、あれよ、私は暗部に所属する道具として働いただけ。
そう、私は自分の仕事をしたに過ぎないのだ……断じて自分の意思で陛下の膝の上に乗った訳ではない。
「妃殿下もです。新婚で離れ難いのは分かりますが、夫の帰りを素直に待つのも妻の器量でございます」
とか甘い事を考えてたらこっちにも来た。
いつもは陛下にだけ小言を言うのだけど、流石に連日だと目に余るらしい。
「ふむ、仕方ないな……」
「分かって下さいましたか」
お、陛下が折れた? 今日はもう部屋に篭ってても良い?
「そこの、我が妃の席を用意しろ。せっかく愛らしいレイシーが来てくれたのだ、傍に置いておかねば勿体ないというもの」
「……」
どうやらまだ勤務時間は続くらしい……控えていた侍従に命じる様は堂に入っているけれど、内容が内容だ。
マルシャル侯爵もその表情はピクリとも動いていないけれど、私に飛ばされる殺気と威圧から内心穏やかじゃないのがよく分かる。
というか隠せる筈のそれを私に対して向けるという事は「お前から辞退しろ」って事なのかなぁ……でもそれは無理な相談ですよ。
だって私、ただの道具ですし……命じられた事しか出来んのです。
なので無言の圧力も黙殺! 文句は
「さて、時間は有限だ。報告のある者は今のうちにするがいい」
いや、貴方がそれを言うのかと……この陛下ちょっと切り替えが早すぎませんか?
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