暗部所属の新人工作員です。初任務として皇帝陛下の偽妃を演じていたら溺愛されてしまいました。……これっておかしくないですか?

たけのこ

第1話.初任務が偽妃ってどういう事ですか?


「――レイシー・キャンベル! 貴女に初の任務を与えます!」


 大陸最大の版図を誇る『アデライド帝国』……その帝城の奥まった薄暗い一室にて私は自身の雇い主であり、この帝国の暗部の一切を取り仕切る裏のトップとも言うべきアデライド帝国筆頭事務官――ベルナール・モフス様の前に跪いている。

 私の幼少期からの訓練が実を結び、晴れて暗部所属の者として初任務を請け負う事になったからだ。

 孤児だった私を拾って下さり、生きる為の術として様々な事を教えて下さったベルナール様には感謝してもし足りない。

 これから言い渡される初任務をどんな手を使ってでも遂行してしみせる覚悟だ。

 ついでに稼いで貯めたお金で立派な一軒家を建てて、そこで美味しい物をたくさん食べて過ごす野望を叶えてみせる!


「その内容ですが――」


 さぁ! どんな任務でもどんとこい! 十年間の集大成を見せてあげますよ!


「――これより貴女には皇帝陛下の妃になって頂きます!」


「はっ! …………は?」


 え? ちょっと待ってほしい……皇帝陛下の妃? え? なに? 頭が追い付かないんですけど?


「それではこれから直ぐに――」


「――ま、待ってください! 皇帝陛下の妃ってなんの話ですか?!」


「……レイシー、貴女は話を聞いてなかったのですか?」


「聞いてました! 聞いてましたけど分かりません!」


 五歳の時分より訓練を始めてはや十年……辛くも厳しいそれを乗り越えて下された初任務が皇帝陛下の妃だけでは全く意味が分からない。

 もしかしたら優秀で経験豊富な先輩達なら込められた別の意図を読んで動けるのでも知れない。

 でも私が習ってきたどの暗号や符丁にも『皇帝陛下の妃』というものは存在しない。


「貴女は言葉の意味も理解できないのですか? なんの為の十年間だったんです?」


「あ、あのぉ……その、ですね……私が習ってきたどの暗号や符丁にも一致しなくてですね……『皇帝陛下の妃』というのはどういう意味でしょうか?」


 ひぇっ! 溜め息を吐きながら月明かりで眼鏡を光らせるベルナール様が恐ろしい!

 もう! もっとしっかりしてよ私の教育係! 今ここで叱責されるのは私なんだからね?! ……私の教育係はベルナール様でした!


「はぁ〜、皇帝陛下の妃というのは皇帝陛下の妃という意味です」


「……」


「……なんです、その変な顔は」


 馬鹿な、暗号や符丁では無かっただと……えっ、それって本気で意味が分からないんですけど。

 初任務が皇帝陛下の妃……いや、いくら考えても意味が分からない。


「ん"ん"! ……仕方がないので一から説明してあげましょう」


「あ、はい……よろしくお願いします……」


 仕方がないからって、普通に考えて業務上必要な事では――ぴっ! 睨まれた!


「……陛下が即位して間もないのは知っていますね?」


「それは……まぁ、はい……」


 現在アデライド帝国の頂点たる皇帝の椅子に座っているのは齢たったの二十二歳という、私とそんなに年齢の変わらないシルヴェストル・ミカエラ・アデライド陛下。

 彼は十五の時に先帝陛下だった兄君を武力でもって排し、そのまま玉座に就くやいなや半ば内乱状態だった国内を自ら軍を率いて再統一した傑物だ。

 即位から七年、再統一からまだ四年しか経っていないというのも信じられないくらいには既に恐怖と強権でもって、皇帝陛下は国内の有力諸侯達を臣従させている……表向きは。


「まだ国内のゴタゴタは終わっていませんし、先帝陛下の時代にちょっかいを掛けてきた外国勢力の排除も完全には終わっていないのは分かりますね?」


「それも、はい……分かっております」


 そう、大陸最大の版図を誇るといってもそれだけなのだ、この国は……中身は汚職や権力闘争によってぐちゃぐちゃで、さらには宮廷内での地位を上げようと外国の後ろ盾を得た者も居たくらいだ。

 かつての栄華は見る陰もなく、帝都の大通りから少し道を外れただけで物乞いが顔を出す。

 この国が諸外国から『せる巨人』と呼ばれているのは伊達ではない。


「つまりです、まだ何処の家が完全に味方なのかそうでないのか分からない内から妃など娶れない……さりとて若い陛下がいつまでも独り身で居るのもそれはそれで問題で、新たな権力闘争の火種と成りかねません」


「まぁ、そうでしょうね」


 まだまだ混乱の続くこれからの国内外の情勢次第では様々な家が成り上がっては没落するだろうし、そうでなくても外国の息の掛かった妃などを娶ってしまえば目も当てられない。

 かといって適齢期の陛下がずっと独り身のままでは臣下は納得しないだろうし、次代の皇帝の祖父母という立場を得たい者は多く、縁談攻勢が時間が経つにつれて酷くなるのは簡単に想像できる。


「そこでレイシーには妃――正確には偽妃として縁談よけになって貰います」


「えぇ……」


「不満ですか?」


「偽妃って言われても具体的に何をすれば良いのか……」


 私が受けたのは暗殺者や工作員としての訓練であって、政務とかは全くこなせませんよ?

 あれですか? 陛下にハニートラップを仕掛ける輩共をアサシネイトすれば良いんですか?


「何も難しい事はありません――狸爺共の前で陛下とイチャイチャ演技をすれば良いのです!」


「な、なんだってー?! …………いや無理でしょ」


「無理ではなく、やるのです」


 いやいやいや! キツすぎますって! 初任務から飛ばし過ぎですよ!


「十年間、暗殺や工作の訓練しか受けて来なかった私がイチャイチャ?」


「それはもう、周囲が『そっとしとこう、このバカップル』となるくらいに」


「国内外から〝冷酷無慈悲の魔王〟と恐れられている陛下と?」


「その陛下です」


「腹の底で何を考えているのか分からない大臣達の前で?」


「えぇ、そうです。遠慮は要りませんよ。……なんですか? そのこの世の終わりみたいな顔は」


 あ、死んだわ……享年十五歳とか悲しすぎる。

 まだ夢の一軒家マイホームすら建ててないのに。


「そもそも何故に新人の私なんですか……もっと優秀で経験豊富な先輩方が居るでしょう?」


「……ワタシが一から育てた貴女以外に完全に信用できる人材が居ませんで……」


「この国もう詰んでね?」


「シャラップ! 思ってても口には出さない!」


 私以外に完全に信用できる人材が居ないって中々な状況だと思うのですが?

 おっかしいなぁ〜、宮廷勤めって凄く良い職場だと思ってたんだけど割と泥舟っぽい?


「はぁ〜、それにレイシーなら上層部の誰にもまだ顔が割れていませんしね」


「……それが一番の理由っぽいですね」


「時期が来たらお隠れになる予定の偽妃ですからね、素性不明のままの方が色々と都合が良いのですよ」


「なるほど、確かにいつかは本物を迎え入れる訳ですもんね」


 なるほど、確かに現状では私が一番適任と言える。

 ベルナール様が一番信用できる人材|(らしい)で、尚且つ大抵の事や危険に自分で対処でき、さらには陛下との年の差も常識の範囲内だ。

 むしろもっと歳の差があったとしても、男性側が歳上である限りはそこまで問題にはならない。


「では納得したところで早速明日から励んで貰います! ちなみに拒否権はありません!」


「……」


「返事は!」


「…………はっ!」


 暗部所属の新人工作員です。この度初任務として皇帝陛下の偽妃を演じる事を命じられました。……これっておかしくないですか?

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