第11話 侵入者
ヴェヌスのリフター2機が護衛する船団が、修理目標の航路表示ステーション近辺に接近してゆく。
「見えてきた。あれだな」
ビューボの高解像度カメラが問題のステーションを映し出す。
「ありゃー」
サンドロがその惨状に声を上げた。
航路表示ステーションは何かで殴り壊されたように破損していた。
「派手にやりやがったな」
その昔は隕石やデブリの衝突で衛星が破壊されることが多かったと聞いているが、今は周囲にデブリキャッチャーが設置されているし、航行保全局が有害デブリを逐一探知し排除するなど管理を徹底しているから、何者かが意図を持って隠密理に接近し破壊しない限りステーションなどがここまで破損するなんて事はあり得ない。
数隻の作業艇がプラント船の下部ドックから発進し、破壊されたステーションに接近した。
作業艇による被害状況の検分が行われる中、ヴェヌスのリフター2機は周囲宙域をくまなく警戒する。
犯罪者は現場に戻るという格言はこの時代でも生きている。
『通信機能……バックアップも含めてダメ。航路表示装置全損』
『姿勢制御ブロック、信号に反応しません。軌道要素変更機能喪失』
下された結論は「修理不可、設備全面交換」だった。
すぐにプラント船から組立済みユニットの新たなステーションの構造物が作業艇に引き出され、牽引されてゆく。
修理よりも交換の方が一見簡単そうに思える。
だがステーション丸ごと交換となれば、新たに設置のセッティングを行わないとならない。航路上への固定、軌道修正の設定、通信回線の開設とバックアップデータベースの記録、信号出力のテスト。
全部一からやり直しだ。
作業宙域の全天にぽっかりと大きく浮かんでいる月は、満月一歩手前の威容を見せて輝いていた。
月面に一際目立つティコクレーターの周囲にも、月の暗い海の中にも明るい街の灯が点って見える。月はアルテラと並ぶ人類の生活拠点の一角だ。
「いい月だな」
「いい眺めですね」
警戒中のビューボのコクピットでサンドロが軽口を叩いた。
つい相槌を打ってしまったナージャに彼の与太話はさらに続く。
「月には昔話があるそうだ。ある時、月から天使が地球に降りてきた。ある男が天使に一目惚れし、水浴びをしている彼女の空飛ぶ羽を隠して彼女に結婚を迫った。月に帰れなくなった天使は仕方なく男と結婚したが、ふとしたことから羽の隠し場所がバレて天使は月に帰ってしまった。そんな伝説」
「俺だったらその哀れな男みたいにならない様に、天使の羽の隠し場所を絶対秘密にしておく。目の前……後ろか。折角すぐそばに居てくれてる天使に逃げられないようにね」
「サンドロさん、仕事中よ」
……まったく女たらしというやつは。
「おい、丸聞こえだぞ。真面目にやれ」
ジョージに突っ込まれてしまうサンドロ。当たり前だ。オープン回線なのに何をやってるんだこの人は。
「補給の時間だ!」
航路保全局の作業班が粛々と作業を進める一方で、作業宙域を警戒しながら緊張感を保つヴェヌス警備班にとっては、その一言がオアシスのように感じられた。
例えそれがむさくるしいイスマイルの声だったとしても。
「若いオネーチャンにもっと色っぽく言われたいねえ」サンドロは欲望に正直だ。
「ナージャ、ちょっと言ってみて」
「イヤです」即座に拒否する。
「ほら、のべつ幕無し口説いてるからだよ」
イスマイルにもつつかれている。ナージャは恥ずかしくなった。
ヴェヌスの2機のリフターは交代で昼食休憩をとる。
警備が手薄になるのでぐずぐずしていられない。迅速にだ。
トレーラー1がビューボに接近し、イスマイルが船外活動でトレーラーから出て、ビューボに取り付いた。
リフターのハッチが開き、トレーラー1に反射したまばゆい月光がコクピット内に射し込んだ。
宇宙線シールドで全く顔が見えないイスマイルのニューマチックスーツが食事と飲み物のパックをシートの隙間からサンドロとナージャめがけて押し込む。
リフターのコクピットは気密構造にはなっている。
だが生命維持装置の酸素を節約する為に普段は与圧をしていなかった。
でも食事のときはさすがに空気を入れないとならない。
イスマイルが離れ、ハッチを閉じた後、ビューボのコクピットは空気が導入される。小さなメーターパネルに気圧が表示され、0.8気圧まで数値が向上したところで止まった。
「ナージャ、バイザー開けていいぞ。飯だ!」
サンドロの声にナージャはヘルメットバイザーを上げた。
大きく息をつき、少しだけ、ほんの少しだけすっきりした空気を胸に吸い込む。それでもスーツの循環空気と比べると大違いだ。
空気があるので前席でサンドロが昼食包みを開ける音が生音で聞こえた。
「やっぱスパムじゃねーか!」
「しょーがねーだろ、それしか出来ねえもんよー」
スパムサンドは飛び散らないから片付けが楽なんだぜ、と言うイスマイル。
今日びは0Gでも食べカスが飛び散らないパン(酵母と焼き方を工夫してある)がちゃんとある。昔の宇宙食は靴クリームや残飯のような見た目だったらしいが、もうそんな時代じゃない。
厳重に包まれた食事のパックを開くと固いライ麦パンを使ったスパムサンドが出てきた。
ナージャは一口齧り、あまりのしょっぱさに顔をしかめる。
……これならガーゴのアレのほうがマシかな。
でも食べないとスタミナが持たない。我慢してサンドイッチを頬張った。
パックからストローで飲むドリンクはこれまた途轍もなく甘いエスプレッソだった。糖分補給のつもりなのだろうか。
イスマイルの味覚は信用しないことにしようと心に決めたナージャだった。
外ではイスマイルが推進剤タンクを交換している。
0G空間でのリフターの推進剤は、添加物を加えた氷だ。つまり水だ。
特殊な添加物はアルミニウムをベースにしていて、普通は燃えない水をプラズマアークジェットの推進剤に変えて推力を生む。
交換作業自体はカセット式なのですぐに終わる。
食事も含めて、補給は慌ただしく進められた。警備に穴を開けるわけには行かないのだ。
ホットスパーも交代を待っている。
ビューボから離脱したトレーラー1がジョージへの補給に向かった。
「トレーラー1、ヴェネチア1とコンタクト」
「しばらく頼んだぞサンドロ」
ホットスパーが補給に入った今、この瞬間、現場の警戒はビューボだけが頼りだ。
ナージャは少しでも貢献しようとレーダーモニターを注視する。できることは何もないとはいえ。
全く動きがなく、平穏を保っていたレーダーモニターの外縁に機影が現れた。
登録されているトランスポンダ信号に基づきレーダー反応を自動識別するビューボのAIも、それが所属不明機であることを告げている。
「サンドロさん!」
ナージャが声を上げる寸前にサンドロも警戒モードを切り替えていた。
「どうやらお客さんが来たようだ」
捜索データは瞬時にホットスパーに転送されている。それでもサンドロはジョージに通信を送った。
「ジョージ!667.271に不審機!」
「キャッチした。作業班に退避要請を出す」
ジョージは航行保全局作業班に作業の中断と安全確保までの一時退避を要請した。それを受け入れた作業班は作業艇をプラント本船に避難させる。設置作業は大詰めに入っていたが、何より作業員の安全が第一だ。
「使い魔」監視用ドローンが送ってきた所属不明機の画像が解析される。
「ドリスコル76の改造タイプだそうだ」
「典型的なテクニカルだな」
AIが判別した機種はアステロイド・レジャー用のレクリエーションリフターだった。スラスターが多く機動性に優れていて、頑丈で積載能力もそこそこあり、よく紛争でゲリラが
「だが脚(航続距離)は長くない。何処かに親分がいるはずだが……」
かなり遠方に潜んでいるか、あるいはシレッと民間の大型船のふりをして何食わぬ顔で航行しているのか。
不審リフターの進路を予測した監視用ドローンが接近して警告サインを展開した。
『警告!コノ先すてーしょん工事中デス!許可ナク立チ入リヲ禁止シマス!警告!……』
1辺1000mに達する巨大な立体画像の警告サインが不審リフターの進路に立ち塞がる。
黄色と白の立体文字の警告が
ただし強制力はない。
いわゆる只の立て看板に過ぎない。
蹴飛ばして行かれたらそれまでだ。
果たして不審なリフターは速度を落とさずに警告サインのど真ん中を突破した。
一応、立体画像を突破する瞬間、ドローンから猛烈な閃光がリフター目がけて焚かれ、不審者の視界を眩惑させる。どの位効果があるのかは定かではないが。
「ジョージ!不審機がドローン規制線を突破!」
「やっぱ停まらんなあ」
あとはリフター実機による警告しかない。
ホットスパーが急加速して不審リフターの進路を塞ぐ。
『そこの所属不明機!これより先はトランスアルテラ第4航行保全局の作業エリアです!貴機は管理エリアに侵入しています!直ちに離脱しなさい!』
返事代わりに不審リフターが何かを分離した。
一瞬、ミサイルか何かのように見えた。
「不審機が投射体を発射!」
ジョージの声が緊迫感を増した。
ただ、打ち出された投射体はミサイルというには速度が遅く、進路が安定しない代物だった。
瞬時にビューボのレーダーと連動カメラセンサーが捕捉し、解析する。
「自家用ドローンみたいなもんらしい」
「無力化して大丈夫か?」
「自爆装置が作動する危険性がある。こちらから妨害を試みる」
ビューボが出力を指向させて物体にECMをかけた。普通なら誘導用のレーダー波は瞬時にかき乱され、電子機器は焼かれてしまう軍事用に匹敵する威力の電子攻撃だった。
だが、飛行物体は不安定ながら航行は止まらない。
「ジャミングの効果がないようだ。あるいはそもそも自律航法装置を積んでいないのかもしれないぞ」
「原始的なオモチャか」
ホットスパーは物体に急速接近した。
手にしたホットグレイブを振るい、物体の制御ノズルらしき部分を弾くように狙い打った。
物体は簡単にスピンし軌道を外れた。明後日の方向へ飛んでゆき、軌道修正の様子もない。
「お粗末だな」
ジョージは拍子抜けしたが、再起動して進路修正してこないか念の為もう少し追跡しようとした矢先、漂流する物体は自爆した。
距離はあったが、砕けた破片がホットスパーの装甲に降り注ぐ。
この瞬間、不審リフターは正式にマローダーと認識された。
「やっぱり爆破装置を仕込んでやがった」
幸い爆発規模は大したことはなかったが、これが警備用リフターではなく民間の船やリフターに直撃したなら相応の被害を与えたことだろう。
分の悪さを悟ったのか、予定通りなのか、マローダーのリフターは爆発を尻目に反転して逃走を始めた。
「マローダー反転、急速離脱する!」
「警察軍に通報する。イスマイル、証拠物件のドローン残骸を回収してくれ」
ヴェヌスのリフターはマローダーを深追いしない。
ナージャは少し不思議に思ったが、研修でケイリー班長に言われたモットーを思い出して納得した。
ヴェヌス・セキュリティは警備会社だ。
警備会社の仕事は戦うことではない。
警備会社の職務は、依頼主の安全を守ることだ。
マローダーの出現で中断していた設置作業が安全確認の後、再開する。
遅れ気味の作業予定だが、ようやく最終動作チェックに入ったようだ。航路保全局とリンクし、ガイドビームのテストを行っている。
もうすぐ作業は終わる。
だが終了まで気を抜くことはできない。
遠くから赤い警告サインと共に高速艇が3機接近してきた。
第1アルテラ警察軍だ。
マローダーと遭遇したヴェヌス警備班は回収したドローンの残骸などの証拠物件や映像データ等の記録を当局に提出し事情聴取に応じなければならない。
家に帰れるまで、もう少し時間かかりそうだった。
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