第9話 無重力

 

 朝のヴェヌス・セキュリティのロッカールームから警備員たちが次々と出ていく。

 彼らは全員、0G環境用のニューマチックスーツを着込み、ヘルメットを手にしている。片手には緊急用の個人装備のバッグを下げていて、その姿が今日の現場がアルテラシティ外であることを示していた。


 彼らの後から新人のナージャも列に続いた。

 彼女も届いたばかりのニューマチックスーツに身を包む。

 さすがオーダーメイド、この前レディース既製品では閉まらなかったバストがきっちり収まる。息苦しさもない。ナージャは安心した。


 宇宙装備姿の一団は事務所の一角にあるデスクに向かった。

「ジョージ・バード、以下3名。航路ステーション工事警備に出動します」

「ご苦労様」


 今日出動する警備班4名がケイリー班長に敬礼で出動報告する。

「くれぐれも安全第一で臨むように」

 ケイリー・マツダ班長は一瞬、かつて元軍人だった頃の鋭い眼光を目に宿して出動班4名を見送った。


 本日の現場は、トランスアルテラ12号線・航路表示ステーション交換修理の警護だ。

 第1アルテラと第3アルテラを結ぶ基幹航路がトランスアルテラ5号線。その支線がトランスアルテラ12号線だった。


 そこは盗賊(マローダー)が頻繁に出没する宙域でもある。

 これまでも航路表示ステーションに破壊行為をされ交通網が麻痺する事態が頻発していた。


 近年、管理公社による保守点検作業にも危害が加えられる事例が増えたので、2年ほど前から民間警備会社が保守管理要員の護衛を請け負うようになっていた。

 今回、ヴェヌスがその一角に食い込むことに成功したというわけだ。


 4名は総務部の前でもクルトとルーシーに敬礼する。


「ご苦労様です」

「気を付けるのよお」


 実直に返礼するクルトに対し、ルーシーは席を立って、警備員1人1人をハグして回る。これは彼女の恒例だ。

「ちょ、ルーシー、もういいから」

 イスマイルなんかは露骨に嫌がっているが、ルーシーは出動する人員に絶対これをする。


「しっかり働いて、次に繋がる仕事をして頂戴」

 新人研修も兼ねているということもあって、今回のフィーは諸経費込み5200アトルにディスカウントされているのだそうだ。これは、ハッキリ言って格安だ。

「金額の問題じゃないのよ。あたしらの責務は社会に貢献すること!それがわが社の利益!」


「こういう小さな仕事の一つひとつの積み重ねで、我々は成り立っています。そして市井の皆様の安全も」

 クルトが言い含める。冷徹そうな風貌からは意外に思えるほど、地道で真摯な思いの丈を彼は語る。


 ヴェヌス・セキュリティの社是、それは「人命は未来」。


 今回の依頼は格安だが、ヴェヌスは決して普段からダンピングをしている会社ではない。クルトもルーシーも、自社の理念と利益に反する行政指導や顧客の要求に対しては、敢然と立ち向かう優秀な交渉人だ。業界ではこの2人を「モンスターチーム」と呼んで畏敬しているという。

 ヴェヌスのような小さな警備会社が舐められたり潰されたりしない理由は、この二人がいるからなのだ。


「無事を祈ります」

「行ってきます」


 ジョージたちは格納庫へと向かい、既にリフターが搭載され、準備の整ったトレーラーに乗り込む。

 留守を守るウォーレンとレイモンが敬礼で見送る。


 ジョージ・バード、サンドロ・コローニ、イスマイル・ハミード、そしてナージャ・ヴァリアエワ。

 4名が乗り込んだヴェヌスのリフタートレーラー「トレーラー1」は、朝の涼やかな風の中、ヴェヌスを出動していった。




 市街地を30分ほど走り、アルテラシティの構造体中心部へと向かう。そこが港湾ブロックであり、アルテラシティの表玄関となっていた。


 道路標識に従い、トレーラー1は港湾ブロックに入り、第34ロックと表示されたトンネルに進入した。トンネル内をしばらく進み、突き当りに大型ゲートのあるスペースで停止する。


『ブレーキを掛けてお待ち下さい。アームが保持します。ご注意下さい。完全にアームが保持完了するまで、0Gモードへの移行はお止め下さい』


 自動音声のアナウンスが流れる。周囲の壁から大型アームが伸びてきて、トレーラーの車体を固定する。目の前のゲート上部に固定が完了したことを示す青ランプが点灯すると、ジョージはトレーラー1を0Gモードへと変形させた。

 アームによって床面から持ち上げられた車体の下で、12輪のタイヤが車体内に引き込まれ、代わりに姿勢制御スラスターがアクティブになる。車体後部ではメインスラスターが露出し、宇宙空間の航行に備えた。

 それと共に車体のウィンドウには宇宙線シールドが下りて遮蔽がなされる。ロック内の大気が排出され、メーターパネルには新たに真空警告灯が点灯した。


 リフター用トレーラーは小さな宇宙船の構造をしている。単体でそのまま宇宙空間に出ることができ、アルテラ間航行が可能な航続距離と居住スペース(仮眠寝台コットとトイレがある程度)を備えていて、2台のリフターを搭載して遠隔地に展開できる能力があった。


 ゲートがゆっくり開いてゆき、視界が開ける。

 そこには港湾ブロックの最終バースで、目の前には事前の航行申請に沿ったガイドビームが明滅し、それは目的地までのルート上に常に表示されている。ガイドに合わせて航行すれば全く操縦する必要はない。


 静かに前進するトレーラー1。

 ダッシュボードのサインペンが僅かな揺れによって浮き上がった。

 アルテラの人工重力から解き放たれたトレーラーが、港湾バースの虚空を進み始める。


 港の終端部は直径1.5㎞の開口部となって開けている。その先には一面に広がる漆黒の宇宙空間が待っていた。

 目の前のガイドビームの明滅が宇宙の深淵に吸い込まれている。


 幾隻かの他の宇宙船と共に、港湾バースから宇宙空間にトレーラー1は飛び出した。

 ゆっくりと「トリノ」の巨大な構造体が背後へと遠ざかる。




 宇宙空間航行が始まって間もなく、

 ナージャは頭が痛くなり、吐き気を催した。

 これは……まさか、宇宙酔い?


 なぜこんな時に。

 これまで星間航行船だってよく乗ってたし、第5アルテラから来た時だって平気だったのに、何で。


 口元を押さえて身を屈めたナージャにジョージが声をかけた。

「どうした?」

「……ちょっと、気分が……」


「え?宇宙酔い?マジか」

 サンドロが素っ頓狂な声を上げる。


 彼ら先任警備員にとってはもはや宇宙酔いはとっくに克服できている症状なのだが、本来は0G空間に置かれた人間の約7割は発症するという基本的な症状だ。高い身体能力を発揮していたナージャであっても、その洗礼から逃れられなかったということだ。


「小さい船は初めてなんだろ。仕方がないな」

 大型船は人工重力が効いてるし、動揺も少ないし、船内も地上と同じように区画配置されてるから、頭が混乱しにくいのさ。

 小さい船舶のほうが酔いやすい。上下なしオールフラットに作業空間がレイアウトされてるからな、とジョージ。


 よっしゃ俺が、と身を乗り出すイスマイルをジョージはペシッと叩き、

「悪いが自分で処理しろ。これから幾度となく0G下で仕事することになるんだから、付き合い方を自分で覚えるんだ。ほら、タブレットだ」

「……はい」

 錠剤を受け取り、よろめきながらトイレットに向かうナージャ。



 虚無の空間を横切るトランスアルテラ5号線をトレーラー1は進む。

 時折、数百キロほど離れたところを流星のような光の点が追い抜いて行くのが見えた。あれは、同航路を進む宇宙船なのだ。


 トイレから戻ったナージャだったが、まだ気分は良くない。

「落ち着いたか」

「だいぶ」

 酔い止めタブのおかげで楽にはなった。

「構わんから、目的地までコットで寝てていいぞ」

 ジョージが気遣ってくれたが、いいえ、ここでとナージャはトレーラーの助手席に座った。


 サンドロとイスマイルは後ろの補助席でカードゲームに興じている。

 フロントウィンドウの向こうには、時折明滅するガイドビームが虚空に伸びているだけの、一面のスターダストだ。

「何もない空間ばかり見てると、また酔っちまうぞ。何でもいいから他のことしてろ」


 そうは言われたものの、体がだるくてする事なんか思いつかない。

 目の前の星空を眺めるしかできなかった。



 遠くのほうにひときわ明るい星々の固まりが見えている。

 あれは何だろう?


 ナージャの視線の行方を察したジョージがああ、と説明する。


「あそこが、第3アルテラだ」


 アルテラシティ群を遠くから見ると、ああ見えるというのを初めて知った。


「大きさからすると、見えてるのはメヒカリ、ブエノスアイレス、サンパウロ、カタルーニャ、その辺だな」


 カタルーニャ。

 ガーゴの実家がある所だ。


 ナージャは思わず身を乗り出し、光の点でしかない第3アルテラに目を凝らした。

 あそこでガーゴは生まれ育った。

 あそこからガーゴはやってきた。


 何でそんなことが胸に浮かんだのかわからない。


 子供のように見入っているナージャに忠告するジョージ。

「あんまり根詰めて見るな。吐かれちゃかなわんから、休んでろ」


 言われてナージャは身を引き、シートの背もたれに身を任せた。

 車内が明るいせいで、フロンドウィンドウに彼女の顔がうっすら映って見えた。


 外を見てるとき、あたし、どんな眼をしてたんだろう?

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