第5話 A④ エルマー観察日記

  「母様!大丈夫ですか?さぁ、わたしにつかまってください。」


母親は体調が優れないのか、口から吐血しゴホゴホと咳き込みながらまだ小さな息子に支えながら庭園を苦しそうに歩く。


 「ごめんなさいねエルマー、、。最近は特に、、調子が良くないみたいで、、」


献身に支える息子に母親は青ざめた顔をしながら口を押さえて申し訳なさそうに話す。


 「兄様達がいない今はわたしが母様を守ります!わたしが絶対に治してみせます!」


 「頼もしい子ね、、。貴方がいればきっと我がブラームス家も安泰ね。」


エルマーは気丈に振る舞うが、瞳には悲しみと不安が過ぎる。まだ自分よりも背の高い母親を支えながら城の入り口まで歩いて行く。


「坊っちゃま!奥様!あぁなんて事、、!」


中から使用人達が出てきて少年に代わり母親を介抱して屋敷の中へと運びこんで行く。


 空は暗雲が立ち込めて、やがて豪雨が降り注ぐ。まるでブラームス家の未来を暗示するように真っ暗だ。


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 テレビ型の魔道具の前に多くの悪魔がひしめき合い、画面に映し出された母子の様子に釘付けになる。


 画面の前のポジションを取れなかった悪魔達は声だけでも聞こうとテレビ型魔道具の周囲を取り囲みぎゅうぎゅう詰めになっている。


 「狭ーい!貴方達少しは離れなさいよ!気が散ってエルマーたんを愛でれないじゃないの!」


画面の前、一番良い位置を陣取っていたアリスが周りの悪魔に怒鳴り散らす。


 「そりゃ無いぜお嬢。みんなエルマーのこと気になってんだ。もうお嬢だけのエルマーじゃないんだぜ。」


顎から耳まで立派に生えている金色の髭を片手で撫でながら隻腕の悪魔ドンナーは抗議の声を上げる。

 周囲の下僕の悪魔達もコクコクと小さく賛同するように意思表示をした。


 「しかし、ブラームス家の先行きはかなり暗いですね、、。何やら不穏な権力闘争に巻き込まれているようですし。」


じっと静観していた執事服のレイナードが険しい顔で皆んなの不安を代弁する。


 「わかってるわよ。正直ブラームス家はかなりヤバい状況よ。このままじゃエルマーたんもいつ危険に晒されるか分からないわ。」


爪を噛みながらアリスは焦燥感に駆られる。アリスにはこの6年間で築いた人間界での独自のネットワークがあり、ブラームス家の当人達よりも彼らに何が起こっているのかを把握している。


 ーー最初は本当に幸せを凝縮したような尊い家族だった。


 アリスや彼女に仕える悪魔達がエルマー・ブラームスを見守り始めて6年が経っていた。


 最初はアリスだけがエルマーの幸せに満ちた日々を観察しながらその愛くるしさに1人悶えていたが、いつしかドンナーとレイナードがそこに加わり彼らの眷族もそれに続き、いつの間にか大悪魔・鮮血の花嫁とその軍団皆んなで見守るようになったのだ。


 元々殺風景だった居城の大広間にはエルマーのぬいぐるみやポスターが飾られており、極め付けにはどうやったのかアリスの洋服棚に入ってる服の半分はエルマーの下着や服だ。


 王国の大公爵家であるブラームス家に生まれたエルマーは優しく誇り高い両親と歳の離れた4人の兄と姉達から一身に愛を受けていた。


 家族団欒で食卓を囲み、兄や姉達に魔法の稽古をつけてもらい、使用人達はブラームス家に尊敬の念を抱き仕え、そこには優しさに満ちた美しい世界があった。


  ついに画面越しだけては我慢出来なくなり、よく召喚主を殺した後人間界に留まって屋敷まで見に行ったものだ。


  窓から入り込み、寝室で天使のように眠るエルマーの側まで行き日が昇るまで見つめ続けたのも一生の思い出だ。


 配下の悪魔達もアリスに倣い続々と人間界に手を伸ばしてこの6年であっという間に独自のネットワークを構築したのだ。


 今やその辺の貴族の令嬢よりも王国の情勢に精通していると言っていい。


 「この一年で随分と事態が急変しましたからね。」


レイナードの呟きにアリスは答えずに胸の苦しさに唇を噛む。


 ーーエルマーたんの傷ついた心を思うと私も胸が苦しいわ。


 事態がおかしくなってきたのはちょうど一年前王国の王が病に倒れてそれに連なる王族達まで死んだ頃からである。


 それからはどうやら大貴族達の間で権力闘争が起きたようで死者が多く出た。


 「王家を亡くした王国は慣例に倣って魔水晶が選ぶ者を王に立てる。その選定の儀がつい1ヶ月ほどほど前の事ですね。」


 レイナードからつらつらと独自の情報網から得た情報を話す。


ーーそれからエルマーたんのお母様は急に体調を崩し始めて、父親も兄達も領地から離れている。おそらく選定の儀で何かブラームス家にとって良くない事が起きたと考えた方がいい。


 「他の勢力からの攻撃に遭ってるんじゃねぇのか?ブラームス家は王国の中枢を占める王候補の一角だ。傘下の諸侯も多い大勢力じゃねぇか。この権力闘争とは無関係でいれねぇよ。」


ドンナーのもっともな意見にレイナードも肯く。


 「そう考えるのが妥当でしょうね。敵も多い事でしょう。ブラームス家に対抗できる勢力といえば北のダールベルク家、西のアーベルハルト家辺りですかね。」


レイナードが思い当たる敵勢力を上げる。どれも王国における大公爵家で保有する戦力も強大だ。


「レイナード、貴方の手駒達から何か新しい情報は上がって来てないの?」


焦りから苛つきを隠せずに眉間にシワを寄せながら有能な配下に期待する答えが返ってくるのを待つ。


  「まだ何も、、。王宮内部の事になると流石に探るのに時間がかかります。」


 チッと行き場の無い苛立ちをぶつけて舌打ちをする。周りに侍る配下の悪魔達も同じ気持ちなのかそわそわと落ち着きなく動向を見守っている。


 「何者だ!貴様達!ここをブラームス家の城と心得ての狼藉か⁈」


 悪魔達がああでも無いこうでも無いと時間を忘れて論議してる間に画面の向こうでは事態が急展開を迎えていたようだ。


 見遣るとブラームス家の居城の前には20人前後の騎馬隊が入ってきている。

 エルマーは剣を抜き叫び、侵入者に対して交戦の意思を見せる。


 「ご安心を、エルマー様。私は貴方様のお父上、ひいてはブラームス家に仕える諸侯の1人。ファーバー家当主、バルトルト・ファーバーです。諸侯を招いた宴で一度お目にかかりました。」


居城の入り口まで無断で入ってきた馬に跨る騎士達は掲げている旗章を指して自分の身分を証明する。


 バルトルトと名乗る一団の長が馬から降りて膝をつきエルマーに臣下の礼をとる。


 「あ、、あぁ、!ファーバー卿であったか。しかし、このような時期に何用だ?貴殿が来るとは聞いておらぬ。」


バルトルトは面を上げ、目を細めて幼い主君に用を告げる。まるで秤にかけて価値を見極めるように厳しい目だ。


 「お父上の命でエルマー様をお迎えに上がりました。間もなくここは戦場となりましょう。天然の要塞でもある私の城ならば数ヶ月は貴方様を外敵から守れます。どうか、母君と城の者も連れて我が領地へ。」


 容赦の無い現実を突きつけられてエルマーはゴクリと唾を飲む。

 暫くの間逡巡した後エルマーは頷き、母も城に仕える者も連れてファーバー卿の領地へ行くことを決断する。


 「父上は無事なのか⁈兄上達も、、。あれから何の音沙汰も無いのだ。何か知らないのかファーバー卿⁈」


城の者達が荷物をまとめて馬車に載せて準備を進める中、エルマーはファーバー卿に詰め寄り家族の安否を問い詰める。


 「ここに来るまでに随分と時間がかかりました。それからどうなったかは私にも分かりませぬ。ただ、最後に拝見した際は皆様無事でした。」


馬の鞍を直しながらエルマーを横目にファーバーはなんとも要領を得ない答えを返す。


 「そうか、、。今も皆無事であると良いのだが、、」


エルマーは俯き顔を曇らせながら呟くと、気持ちを切り替えて顔を上げて母が待つ馬車へと歩き出す。



 「ファーバー卿ご苦労であった。暫く世話になる。」


 背を向けながらここまで知らせを運んできたファーバー卿を労うと、当主らしく堂々とした振る舞いで家人達の移動の準備の指揮を執る。


遠目から配下の騎士達とその様子を見つめるファーバー卿の目には複雑な感情が去来している。


  「おいたわしや。エルマー様、、。」


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 「信用なりませんね。あのファーバーとかいう男。」


ことの顛末を見届けてレイナードは訝しむような顔で眉を顰めて小さく呟く。


 「あぁ、奴は信用できねぇ!」


「貴族の豚と同じ匂いがするぜ!」


「見たか?悪魔より濁った目してやがった。」


「きっと、あれだ、エルマーちゃんを騙していやらしいことするぜ、あの親父は」


レイナードの言葉に続いて配下の悪魔達が考察を始めて場の空気は、ファーバーは信用ならないという意見でまとまり始める。


 「んで、お嬢はどうなんだ?このまま様子見ですかい?」


大広間に響く声でドンナーが髪をガシガシと掻きむしりながらアリスの思惑を訊ねる。


  「ファーバー家に手の者は?」


アリスは玉座に腰をかけて脚を組み、敢えて主語を省いて問い掛ける。


  「ええ、潜らせております。引き続きエルマー様の様子はこの魔導具に反映されます。他の諸侯にも私の手の者を潜らせましたのでじきに報告が上がってくるかと。」


額に手を置き少し考え込む様子を見せてアリスは配下の悪魔達に出す指令を決める。


 アリスの一挙手一投足を見逃すまいと配下の悪魔達は玉座の前で動き出す準備をする。


 「いつでも動けるようにしておきなさい。いざとなればあちらの世界に割り込むわよ!」


玉座から立ち上がり配下に指令を下すと、地の底から響き渡るようなおぞましい悪魔達の歓声が湧き上がる。


 悪魔界でも屈指の勢力を誇る鮮血の花嫁の軍勢が動き始める。

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