第3話 A② 血染めの花嫁
悪魔に転生してからどれくらいの月日が経ったであろうか?体感的には悪魔界で100年くらい過ごした気はするが、人間界に召喚される度に文明レベルが少しずつ発展しているのが気になる。
「やっぱりこっちとは時間の進み方が違うのかしら?」
屋敷の一室、近くにあった豪華な装飾がされた鏡を前に自分の姿を確認して返り血を拭う。せっかく期待して着てきた純白のウェディングドレスが血で真っ赤になってしまった。
「貴様、、っ!こんな事をしてただで済むと思っているのか、、っ⁈」
ぜはぁ、ぜはぁ、と息も絶え絶えに足元に転がっている中年の召喚主が怒りと屈辱に満ちた瞳をこちらに向けて睨んでいる。
「ごめんなさいね。おじさんは趣味じゃないの。それも高圧的でプライドだけが高くて身の程知らずなおじさんは特にね。」
芋虫のように悶えて転がる中年の召喚主を蹴り飛ばすとそのまま面白い程に転がっていき、勢いよく壁にぶつかる。
「ぐごおっ、、。この王国のっ、、公爵であるこの私にぃ、、っ!下級悪魔風情がぁあ、!」
「あらぁ、公爵様でいらしたの?でも残念ね、悪魔である私の前には人間界の地位など関係ないわ。それは貴方を守る盾にはなり得ないわね。」
壁に背を預けて死にかけている中年の召喚主に向かってゆっくりと歩みを進めると、男は自分の危機的状況に気付いたのか怯え始めた。
「なんだ、、⁈貴様の望みは何なのだ⁈何故召喚主である私を、、?」
問いには答えずに男との間の距離を詰めて、掌を向けて赤い魔法陣を展開する。男の恐怖に歪んだ顔が魔法陣の赤い光で照らされより表情が鮮明に浮かぶ。
「あなたは私が仕えるに値しない。それに誰が下級悪魔よ。子宮からやり直しなさい。」
「まっ、、」
男が何かを叫ぶのを待たずに炎魔法を放ち火達磨にする。温度が高すぎたのか一瞬で消し炭になり炎は壁を貫きその先の廊下にまで火が広がっていく。
「良いお屋敷なだけに勿体ないわ。昔はこういう建物とかも好きだったなぁ。」
遠い昔、今は思い出すのさえ難しい人間だった頃を思い返して1人感慨にふける。
返り血で真っ赤に染まったウェディングドレスを着て炎に包まれる屋敷の中を歩く姿は一際目立つ。
ーーん、ここ?
地下まで降りてきた段階で厳重に閉められた鉄の扉を蹴り破ると中には左右に分かれて檻がありずっと奥まで続いている。
「ほんとに醜悪で趣味が悪いわ。悪魔の方がよほど純心ね。」
中には奴隷であろう人々が繋がれており予期せぬ来訪者に驚き戸惑っている様子だ。
「公爵は死んだわ。生きる意志のある者は出なさい。焼き死ぬ前にね。」
パチリと指を鳴らすと檻の錠が解かれて鉄格子が開き、逃亡を促す。
ーーほんとこの100年で私も多芸になったものね。
今しがた披露した開錠魔法を自画自賛する。こんな魔法を使えるのは人間界でも悪魔界でも自分くらいだろう。なぜなら自分で開発した魔法だからである。
奴隷達は状況を飲み込めず疑心暗鬼な目を向けながらも屋敷がただ事では無いことに気づき覚束ない足取りで檻から出て彼女の横を通り過ぎ階段を登って出口に逃げて行く。
「お姉ちゃんありがとう。」
最後に檻から出てきた幼い姉弟であろう2人組が目の前に来て感謝した。ボロボロの服に栄養が足りてないのか歳の割には青白く病的だ。
姉の方が弟の手を強く握り抱き寄せ、血まみれのウェディングドレスを着た異形の悪魔にキッと睨みつける。
「お互いを大切にね。」
そっと頭を撫でると姉の方は困惑したような顔をして弟の手を引き出口へと向かって行く。
幼い弟の方は振り返り手を振りながらフラフラと階段を登って光が差す出口の彼方へと消える。
「愛くるしいわ。やっぱり子供が悲しむこの世界は好きにはなれないわね。」
漆黒の大きな羽を広げて、地を蹴り垂直に跳び天井を突き破って屋敷の外まで飛ぶ。
そのせいか燃え盛る屋敷は半壊して轟音を立てて崩れて行く。
宙に留まり、屋敷から離れて逃げて行く奴隷達を視認して食事を始めることにする。殺した公爵の召喚主と使用人、騎士数名の魂を吸い上げて咀嚼する。
「今日も粗食だわ。」
食した魂の味に愚痴を零しながら顔を顰める。欲にまみれた醜悪な魂などこんなものかと半ば呆れたようにすぐに興味を無くす。
これだけ魂を得たら数日は人間界に留まる事ができるが、さして目的も無いため実体化を解き悪魔に帰還しようとする。
「いたぞ!奴だ!悪魔界に戻る前に仕留めよ!」
声が聞こえた方へ視線を向けると、氷魔法、炎魔法、風魔法、多種多様な攻撃魔法が地上から彼女に向かって放たれるのに気づく。
ーー王都の魔法騎士団かしら?今日は来るのが早いわね。
いつもと違う対応の早さに感心しながら掌を攻撃に向けて防御の構えを取る。
「円環の血界」
炎が、氷が、風が彼女を破壊する前に真っ赤な球体が彼女を包み全ての攻撃を防ぐ。
余波が大気を揺るがし、衝撃波が周囲に走る。霧のように辺りを包む攻撃の残りカスが晴れるとそこには傷一つない美貌の悪魔が優雅に宙に佇んでいる。
「防がれた!団長あれは何の魔法です⁈」
初めて見る魔法では無い別系統の異能に驚く団員が疑問を口にする。
「魔法では無い!アレが奴の神域だ。奴は血を自在に操る。」
ーーあぁ、そういえばこのスキルのことこっちでは神域なんて呼ばれ方してるのだったわね。
くあぁっ、と呑気に欠伸をして凝っていた腕を伸ばしてリラックスすると感に触わったのか騎士団長から怒声が響いてくる。
「鮮血の花嫁!今日こそは貴様を捕らえる!呑気に欠伸をしていられるのも今のうちだけだ!」
前頭部の地肌をキレイに晒した禿頭の騎士団長が魔力を込めて、上級の炎魔法を放ってくる。
続けて団員達も負けじと魔法陣を展開して攻撃を仕掛ける。
久しぶりに会う少々老けた見知った顔に彼女は思わず破顔する。
「随分と歳をとったわねバッソン!前あったときはまだ髪は残ってわよね?」
攻撃をまとめてなぎ払い、戦場に似つかわしく無い会話を始める彼女に騎士団長バッソンも答える。
「何年前だと思っている⁈貴様を最後に見たのは20年も前だ!」
時の残酷な流れに少し寂しさを感じながら攻撃を躱して遊び程度の雷と風の複合魔法を騎士団に向けて放つ。
「早い!避けられんっ」
「皆ワシの後ろへ!」
騎士団長バッソンが団員を全員覆い隠す程の炎防御魔法を展開して目の前に迫る猛威を振るう雷と風の嵐から仲間を守る。
それでも強力な雷を孕んだ嵐を相殺させることは叶わず、せいぜいが威力を逸らすのが精一杯で、嵐は力を逸らされながらも消える事はなく破壊を続けながら別の方向へ向かっていった。
ーーあっちは草原じゃな。なんとか被害を抑えることは出来たか。
暴虐の嵐が過ぎ去るのを確認して、優雅に宙に佇む美貌の悪魔を見上げる。
「毎度毎度世界をめちゃくちゃにしおって。」
睨みつける騎士団長バッソンに無邪気な子どものような薄い笑みを浮かべて彼女は地上に降り立ち騎士団と目線を同じくする。
「時の流れは残酷ね。昔は貴方も可愛い坊やだったのに。」
少し寂しそうに感傷に浸る悪魔の言葉にバッソンも感じるものがあったのか古い友人と言葉を交わすように答える。
「貴様ら悪魔にとっては人間の一生など瞬き程でしか無いじゃろう。」
久しぶりに相対して圧倒的な力量差を感じとり、長い旧知の悪魔とのイタチごっこを振り返るとやはりこの悪魔にとっては児戯に等しかったのではないかと考える。
「死期を悟ったら私を召喚するといいわ。最期くらい膝枕して看取ってあげるわよ。」
何の冗談か美貌の悪魔は慈愛の笑みを浮かべて騎士団長バッソンに語りかける。
彼女らしいものの言い方に、バッソンもフッと笑みを零す。
ーー魔法の研鑽を積み重ねて騎士団長になってもなお届かぬ。いまだに奴は底が見えない。奴に会うのもおそらくこれが最期だろう。
「終ぞ貴様を捕らえることは出来なかったな。今回殺したのは公爵だけか?」
ゲームの負けを認めるようなバッソンの宣言に彼女の赤い瞳に一瞬寂寥感が過ぎるも瞬きをして再び目蓋を開けるとそこには悪魔らしい酷薄さが宿っていた。
「ええ、それとお行儀の悪い騎士と使用人も少々ね。」
余裕があるからなのか団長の問いに素直に答える目の前の悪魔に団員達は訝しむように見る。
絶対的強者の前に無防備な筈の悪魔に手を出せず団員達は臨戦体制のまま時間だけが過ぎていくのを待つ。
「わかった。もう帰るのだろう?行くが良い。」
言外に追わないことを含ませて団長バッソンが悪魔に帰還を促すと団員達はギョッとした目で自分達の上官を見る。
「ええ、そうさせてもらうわ。奥さんとお子さんを大事にね。」
悪魔が背を向け顔だけ振り返りバッソンに別れの挨拶をする。足下から実体化が解けていき悪魔界へ帰還して、後には破壊され尽くした屋敷の残骸と荒れ地となった庭園だけが残った。
「何故です⁈団長!奴を追い続けてやっと見つけた先に早々に逃すとはどういうことですか⁈私達はまだ戦う余力を残していた!」
若い金髪の団員が団長の及び腰とも言える決断に納得出来ず激しく追及してくる。
そうだそうだと賛同する意見が団員達から出て来る。
「分からんか?逃してもらったのはワシらの方じゃと言うことに。あのまま続けてもワシらに勝機など無かったわ。」
力量差を見誤る若き団員達をジロリと睨み一喝すると、年老いてなお衰えぬ覇気に思わず団員達は後ずさる。
「奴は、、一体何なのですか?神域を使う悪魔など聞いたことがありません。それに団長と奴は、、、⁇」
ーー内緒よ。坊や。
初めて彼女を見たときの光景と声が今でも鮮明に蘇る。彼女は血の海の中真っ赤な返り血を浴びて扉の隙間から覗く少年に優しい眼差しを向けて唇に人差し指を当てながらそう言ったのだ。
ーーあの時も白いドレスを着ていたなぁ。綺麗だったのぅ。
幼き頃の可愛い恋心を思い出し苦笑する。その様子に団員達は普段厳しい父親のような上官の見たことない表情に唖然となる。
ーーこの記憶は墓場まで持っていく。これはワシと彼女だけの思い出。
団員の質問には答えずに再び覇気を取り戻した表情で団員達を見遣り人生の先輩として警告する。
「次奴に会うことがあるなら戦わず逃げろ。貴様らは彼女の寵愛の対象にはなり得ないのでな。いささか歳を重ね過ぎておるわ。」
騎士団にも関わらず戦いを放棄して逃げろという言葉にも疑問を持つが、何よりも一回り以上年上の団長に年齢のことを言われて団員達は余計に困惑する。
「鮮血の花嫁、世界中でその逸話が残る最も凶悪な悪魔、奴がそれだ。彼女には美しい男児を好むという奇妙な特徴があってな、絶対に子供を殺す事は無いという。」
先程まで相対していた強力な悪魔、「鮮血の花嫁」について詳しく知る者から話を聞けるのはそうそうあることでは無い。団員達は固唾を飲んで耳を傾ける。
と言うのも、彼女と相対した者は殆どが死に絶えるのだから。
「この100年で悪魔としての階級は伯爵級になったと聞く。彼女よりも強大な魔力を持つ悪魔は数多くおれど、彼女よりも敵に回して厄介な悪魔は居らぬ。」
ーー奴には魔力の少なさを補って余りある程の知識の深さと技術、独自の複合魔法がある。それに加えて神域の力もあるのじゃから厄介極まり無い。
「奴があの鮮血の花嫁なら尚のこと放ってはおけません。例え貴方から逃げろと言われても私達は戦います。私達は王国の民の命を守る騎士なのですから。」
若く、凛々しいまだ世間を知らぬ純心な青年の騎士が強い意志を瞳に宿してバッソン団長を真っ直ぐに見て宣言する。
金髪の若い副団長は騎士として何も間違っていない。しかし、まだ彼は知らない。その正義が揺らぐ日が来ることを。
その若さと何色にでも染まる純白な心の行く末を心配してバッソンは小さく呟く。
「変わらぬとよいな、貴様の志は。」
バッソンは薄くなった頭髪を強い風から手で守り荒れ地となった戦場跡を横目に団員に帰還を促す。相対した悪魔の強さと目的を遂行できなかったことへの悔しさに団員達は顔を歪めながら帰還の準備を始めた。
ここで出来ることはもう残っておらずこの一件を王都へ報告するために騎士達はこの場を立ち去った。
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