第2話 A① 荒野で目覚めて

朽木有栖は27歳の化学教師。美人であることを除けば至って普通の人生を歩んでおり変わってる事といえば、周りの同年代の女達が次々と結婚していく中一人独身を貫いていることくらいである。


 「眠い、、。昨日も遅くまで長引いちゃったな」


  高校の教師は思っていたより多忙で仕事を始めて5年経った今でも楽になるなんてことは無い。

 仕事終わりに下品に鼻の下を伸ばしてご飯に誘う禿頭の教頭。ネチネチと意地悪く目の敵にして大量の仕事を押し付けてくるお局さん。自分のミスは棚に上げて他人の粗探しばかりに熱心な同僚の体育教師。言い訳を語らせたら世界一のポンコツ新人。


 あらゆる理不尽が有栖を襲いストレスでその身を焦していく。


 駅のトイレの鏡を見て自分の顔をチェックすると目の下の隈が主張を強めている。


 ーー25歳を過ぎてから本当に隈取れないな〜


なんてぼんやり考えながら、トイレを出て駅の階段を登っていく。

 そのすぐ横を若い女子高生が友達と楽しそうに駆け上がっていくのを横目に歳を取ったことを痛感する。


 ーー仕事自体は楽しいし、充実はしてるんだけどな...。人間関係は最悪だけど、、、。


駅のホームには妊婦の人もいる。優しそうな旦那さんに支えられながら奥さんの方も幸せそうな笑みを浮かべている。


 「結婚したいなぁ、やっぱり。そんで超絶可愛い男の子を産みたいわ」


 なんて願望がつい口から溢れる。隣にいた立派なバーコード頭のおじさんがぎょっとした顔で見てくるのに気づき少し恥ずかしくなる気持ちを抑える。

そうして、いつも通り電車が来るのを列の最後尾で待ちながらスマホで美少年を検索しながら時間を潰す。


 ーートム・スウィートきゅん可愛いぃ。この灰色の世界を照らす神の遣いだわぁ。


 駅のホームに電車が来るのを知らせるアナウンスが流れて現実に戻り、スマホを閉じて満員電車に飛び込む準備を整える。


 いつも通りの朝だ。


 これから満員の電車に無理やり身体を捻じ込んで見知らぬおっさん達と密着しながら職場の学校へ向かう。

 学校に着けば生徒たちと挨拶して、嫌なお局さんにまた仕事押し付けられて、授業してまた夜中まで仕事して、、、。


 ーー私の人生これでいいのかな?何か足りない気がする、、、。


 しかし、代わり映えのしない毎日のルーティンはけたたましい騒ぎ声で終わりを告げる。


 「誰か引き上げて!」


「駅員呼べ!早く!」


「もう電車来るぞ!」


 ホームの端の方から何やら不穏な騒ぎが聞こえ、野次馬に参加すると、線路に小学生一年生くらいの男の子が落ちているのが見える。


 電車はもう見えるところまで迫ってきて駅員はいない。誰もが怖くて誰かが引き上げることを期待するばかりで動けないでいるようだ。


 ーー何やってんの!いい大人達が!


 考えるよりも先に線路に降りていた。落ちて蹲ってる少年に駆け寄り叫ぶ。

 身体を打ったのか小さい少年は嗚咽を漏らして、涙を流して身を丸めて縮み込んでいた。

 線路の上にはランドセルとリコーダー、体操服、教科書が散らばっていた。


 「ねぇ!君!起きて!早く」


電車が迫る轟音に怖くなったのか、ますます動けなくなっている少年を無理矢理抱き上げてホームにいる大人達に渡そうとする。


ーー思ってるより重いっ。いや私が疲労で力が入ってないからか⁈


 ぷるぷる震える手で少年を持ち上げてなんとかホームにいる大人達に預けると、


 「あんたも危ないぞ!おい、みんな手伝え!」


「手ぇ伸ばして!」


人命が失われる危機を目の前にして多くの人が手を差し伸べてくれる。

 通勤途中のサラリーマン、男子高校生、女子高生、、あれ、うちの高校の生徒もいるじゃん。

 日本も捨てたもんじゃないね。


 「まず、この子を、、、っ!」


男の子が上の大人達に引き上げられ助かることを確信するが、安心する暇も無く電車が目の前まで迫る。


 「お姉ちゃん!」


 上に上がった男の子が心配そうに見返して、視線が交錯する。

 まだ幼児と言っても過言では無い幼くて純真な瞳が有栖を射抜く。


 ーー大丈夫!ギリギリ間に合う!


 この子にトラウマを植え付けてなるものかと、サラリーマンから差し伸べられた手を握り壁に足を付けて登ろうとする。


 線路に散らばったリコーダーや教科書を電車が轢く音が妙にはっきりと耳に響く。


 瞬間、体が宙に浮く感覚が過りその後にくるのは頭を打ったであろう鈍痛。


 ーー⁈手が滑って、、⁈


 起き上がり目の前に迫る巨大な鉄の塊を前に時間は止まる。


 音は消えて世界が真っ白になる。

 痛みは感じる暇も無かった。


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 意識が覚醒すると、目の前にはどこまでも荒野が広がっていた。木は枯れ果て空は真っ赤に染まり雲は真っ黒で雷を孕んでいる。


 生き物の気配は無く、すぐ近くには雷が落ち地面を抉り取る。


 「確か、、駅のホームで、男の子が、、」


 頭には鈍い痛みが走るが、体の感覚はある。ゆっくりと体を起こし手を地面につけた時に見慣れないものが視界に入る。


 自分の手だと思って動かしたそれは、黒い獣のような体毛に覆われていて爪は命を刈り取るように長く鋭くなってる。前腕の太さもまるでゴリラのように凶悪になっている。


 「何コレ⁈」


仰天して仰反ると冷たい感触が駆け抜け全身を濡らしたことに気づく。

 どうやら水溜りに頭から突っ込んだらしい。


 状態を起こして雨に濡れた犬のように体を振って水気を飛ばす。突っ込んだ水溜りに顔を近づけると変わり果てた自分の姿を見せつけられる。


 長い黒髪も丸顔のキレイな顔立ちもそのままだがそれよりも大きすぎる変化に目を奪われる。


 まず前頭部には左右から黒い角が生えてる。それも可愛い感じではなく結構太めである。


 「すっげぇ、これビームとか出るのかな私。」


新しい体の一部に触れて感触を確かめるとしっかりと脈打ってるのがわかる。


 次に耳を確認すると少し尖っているのが分かる。ゲームに出てくるようなエルフみたいな耳だ。


 瞳の色は真っ赤になり、睫毛は少し長くなったか?目に見えるような変化は微妙だが、元々整っていた顔は以前よりも妖艶さを増しているように見える。


 そして何よりも大きな変化は背中から生える巨大な黒い翼だ。肩の関節を自然と動かすように意識せずとも羽を羽ばたかせることができる。


 「死んで天使になったんじゃないよね、、。どっちかていうと悪魔よね。」


 ーー天国がこんな荒んだ景色なわけないじゃん。


 訳の分からない状況に置かれている割には頭は冷静に働いているようで、自分の状態と周囲を確認する。


「死んで地獄に来たのかしら?それとも別の世界に転生したのかしら?」


彼女の問いに答えるものはおらず辺りを落雷の轟音だけが轟く。


 「どのみちここにいても何も分からないわ。」


あたかも元から羽があったかのように、歩くときに足を動かすのと同じように自然と羽を羽ばたかせて地上から空へと飛び立つ。


 「うひゃあ。私空飛んでる!明晰夢ってこんな感じなのかな?見たことないけど」


空に浮かんだことで地上から見るよりも広くこの世界を見渡せる。荒野の先にはこれまた赤黒い山が連なっているのを確認できる。


 ひとしきり空から辺りを見渡すと黒い何か、鳥のような集団が黒い雲の隙間からこちらに向かってくるのが見える。


 「生き物、、よね?できれば人間の方がいいけどそうも言ってられないわ。」


目が良くなってるのかどんどん近づいてくるその一団をあと500mかというところではっきりと視認することができた。


 ーー鳥じゃないっ。悪魔⁈


 悪魔を見たことは無いが、悪魔なんてものが存在するならこういう見た目だろうという典型的な姿である。


 黒い羽を羽ばたかせ、醜悪に歪ませた顔からは殺意が放たれている。足は鳥類を思わせるような形をしており臀部からは長い尻尾が生えている。


 そんな奴がざっと20匹ほどの群れで迫ってくるわけだが、どう見てもお友達になろうとしているわけではないことは明瞭だ。


 ーー異世界転生だったら普通チュートリアルとかあるでしょうが!不親切すぎない?私をこの世界に送った女神様どこよ⁈


 頭の中で悪態を吐きながらもなんとか独力で解決するしか無いと悟る。5年の社会人生活で理不尽は一通り経験したという自負はある。


 ーー売られた喧嘩は買う!最初が肝心よ!


 宙を蹴り自らも悪魔の一団に飛び込んで行く。雷の轟音が耳を掠めながら一団の中心から正面突破を狙う。


 悪魔達が醜悪な顔を更に歪めてノコギリで金属を削るようなけたたましい叫び声を上げながらスピードを緩めずに目の前まで迫ってくる。


 そこまで来て急ブレーキを掛けるように速度を落として上体を上げ、右足を振り上げると悪魔の顎に直撃しバズーカを当てたように悪魔の頭部が吹き飛ぶ。


「私の経験値にぃ〜っ、なれぇえええ」


先頭を飛ぶ悪魔の頭部が爆ぜても後続は間髪入れずに迫ってくるので羽で体を覆い尽くして一旦襲撃を受け止め、思い切り力を込めて羽を広げて悪魔達を虫けらのように吹き飛ばす。


 カエルが潰されたときのような不快な鳴き声を上げながら悪魔達は押し戻される。


 「マルチタスク上等!」


周囲を多くの悪魔に囲まれながら、長い教師生活で培わされた理不尽な仕事量が頭を過ぎる。


 再び宙を蹴り、吹き飛ばされ体制の整ってない悪魔の一匹に速度を保ったまま迫り凶悪になった腕を胴体にぶつけると悪魔の体が両断され血を宙に巻き上げる。


ーー血は我が意を得たり。


 頭に聞き慣れない機械めいた声が響く。それと同時にうちに眠る新しい力が躍動するのを感じる。


 ーー使え。槍となり盾となり鎧となろう。


 脳髄が熱く滾り、新しい力の使い方が叩き込まれる。いきなり脳の容量をかなり占領されたように新しい情報が駆け巡る。


 掌を宙に翳すと殺した悪魔の血が集まり、望むカタチに錬成される。


 ーーなぎ払い、殲滅する武器を


 血は想いを受けてカタチを変え、硬質に変質し巨大なハルバートになる。獣に変わった逞しい腕でハルバートを握り、回し、臨戦態勢をとる。


 「来なさい。レベルアップのための経験値にしてあげるわ。」


 ギョッとる悪魔達にお構いなく距離を詰めて、ハルバートを振り抜き蹴散らす。その足のまま、宙を蹴り反対に飛びそこにいた悪魔達をまとめて斬殺すると、もう半分も残っていない。


 屈辱に顔を歪めながら生き残った悪魔達は勝てないことを悟り、我先にと戦場から離脱し始めた。


 離れていく悪魔達の後ろ姿を見ながらハルバートを持ってない方の手に、撒き散らした悪魔達の血を集める。


「血を操る力、、。転生もので言うところのスキルみたなものかしら?ちゃんと神様からの贈り物があったのね。」


まるで初めて目にする自転車を練習無しで乗りこなせたかのような感覚だ。頭にナビがあるように使い方を教えてくれる。


 それに、今の戦闘で得られたものは能力の使い方だけでは無いようだ。悪魔を殺すたびに内側に何かが入り込み蓄積されているようだ。


 それは得体の知れないものだが、全身を巡り内側から活力を高めているように感じる。


 「やっぱり経験値かしら。もっと探索と狩りを続ければこの世界の事も、自分が何なのかも分かるかもしれないわね。」


地上に降りて冷静に次に取るべき行動を思案する。やはり人間では無くなったからなのか眠気も食欲も無い。代わりに沸沸と湧き上がるのは戦いへの欲求だけ。


 ーーまぁ、自分が何に転生したのかはもう予想はつくけど。


 「とにかく最初は探索ね。この世界に人間がいなくても知能の高い存在はいるはずだわ。」


人間であった時没頭していた某死にゲーを思い出し取るべき行動を決める。


 ーーあのゲームも何の説明も無いんだよね〜。まぁ探索と考察が醍醐味でもあるんだけどさ。


 再び地を蹴り空に飛ぶと頭を切り替える。


 「ん〜、やっぱりあの山に行こうか。近場から攻略よね。」


目的地を決めて羽を広げて羽ばたかせ雷鳴が降り注ぐ中怪しい雰囲気を放つ山脈に向かっていく。

 

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