第六十二話 現実
ウィンクルムに戻ると騒ぎが起きていた。
「おい、邪魔だ!」
「お父さんお母さんどこ!」
「おい馬車はまだか!」
「馬車なんて知るか! 街道沿いに行けば魔物も大丈夫に違いねえ!」
「ああ神様!」
「皆さん落ち着てください! 我々騎士団が制圧に向かっています! 安心してください、街中に敵の姿は確認しておりません!」
民衆は激しく狼狽し逃げ惑う中、ウィンクルム騎士団の人が必死でそれを収めようとしている。
これは一体何事だ?
「あの、これ何が起きてるんですか?」
キアラが近くにいる騎士団の人にたずねる。
「その制服は学院の……だとすれば学院には行かない方がいい。今少し厄介な事になっているんだ」
「厄介な事?」
「そう、何者かに学院が襲撃されていてね。でも騎士団が制圧にかかってるからすぐに事態は収まると思うけど……」
「みんなは……生徒は!?」
「ある程度は避難してるんじゃないかな、ただ僕はここ担当だから詳しい事は……ちょっと君!」
騎士団の人の話を最後まで聞くことなくキアラは人の流れを逆走しだしたので、俺が代わりにその人に一礼しておくと、慌ててその後をティミーと共に追いかける。
学院を襲撃……。一体誰が何のために? ともあれ学院には加護がある、カルロスを超える術者はいるとは思えないので無効化される事はないはずだ。何せ教師陣まで圧巻させるレベルだからな。
だがやはり心配ではある。仮に気を失っただけでもどこかに連れ去られたりするという可能性はあるからな。とにかく今は皆の安全を確認しないと。
とにかく、走る。
どれくらい走ったか、学院に近づくにつれて、逃げている生徒たちがちらほらと確認できる。
焦る気持ちに足を取られそうになりながら、人々の間をくぐり抜け、ようやくキアラに追いついた。
「なんで、みんなケガしてるの?」
信じられないという風にキアラは声を漏らす。
荒い呼吸をなんとか呑み込みながら前方を見やると、そこには痛みに悶える者、治療を受けている者、足をかばいながらも必死で逃げて行く者、介抱されながら学院から離れようとする者、もちろん無傷でいる者もいたが、とにかく普通ではありえない光景が目の前に広がっていた。
「ど、どうしたのこれ!?」
キアラがうろたえながらも近くの生徒を引き留めると、その生徒は顔から汗を垂らしながら口を開く。
「い、いきなり黒いローブ奴が現れたんだ……そ、そいつは奇妙な魔術を使って……」
「奇妙な魔術?」
キアラが問うと、その男は「ああそうさ」と言って話を続ける。
「そいつはフードの間から眼を光らせて僕らの事を見たんだ。そしたら、身体が重くなって動かせなくなったんだ。他も全員そうだったみたいだよ……。そこに運が良く騎士団の人達が来てくれてその目線をそらしてくれたからここまで来れたんだけどね。でも途中何人かは……き、傷を負わされて……そうだよ、加護が壊されたんだ! 加護が! 奴はそう言ってた!」
一通り話し終えると我慢が出来なくなったか、最後は半狂乱に声を上げると、そのまま学院とは反対側の方へと走り去っていった。
加護が壊されただと? 馬鹿な。いやでも現状そうとしか考えられないか……。
大まかな事は分かった。だが詳しい事はまだ判明していない。これは実際行ってみて確かめるしか無いな。たぶんまだ学院内にも生徒はいるだろうし。
それに、眼を光らせたというのは少し気になる。ヒスケもまた同様に眼を光らせ姿を消したからだ。ヒスケとその黒いローブの奴は何か関係が……あるいはヒスケ本人か。
「アキ、私、中の様子見てくる」
キアラの気持ちも同じだったようで、ひたと学院の方を見つめている。
「俺も行く」
「分かった。ティミーはどうする?」
俺が行く意思を伝えキアラは頷くと、ティミーに問いかける。
「え、えっと……」
どうしようかと迷う様子を見せたティミーだが、やがて意を決したように視線を合わせる。
「私は残るね。みんなケガしてるから、一人でも早く楽になってほしい」
なるほど、確かにそれは良い考えだ。治療をする人は事にはいるのだが、傷を負いながらも逃げる者がいるという事からも察せられるように、治療は追いついて無さそうだ。実際治療してる人と言えば教師陣に数名の生徒だけだからな。たぶん他は逃げたかしたのだろう。
最初、少しだけ驚いた表情をしたキアラだったが、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせる。
「おっけー、頑張ってねティミー」
「うん」
キアラの言葉にティミーは力強く頷くと、すぐさまケガ人の居る方へと駆けて行った。
ティミーは今日も今日とて成長している。
「じゃあ行くか」
「そうだね……」
若干俯いたキアラの声からはどこか緊張感を感じる。
恐らくアリシアやアルド、そしてコリンの姿を確認できていないからだろう。しかもコリンはキアラにとって家族でもある、心配じゃないわけが無い。
「大丈夫だキアラ、あいつらは無事だ。コリンも」
らしくないぞと背中を叩いてやる。
「そう、だよね。ありがとう。行こっか」
キアラは硬かった表情を緩ませると、学院内へと走っていくので俺もまたその後に付いていく。
それに気づいたか、治療の様子を見ていた騎士団の誰かが俺らの事を呼び止めたが無視した。
♢ ♢ ♢
学院内に入ると、外に出ようとする生徒たちを何人も見かけた。やはりまだ全員ここから脱出したわけでないようだ。
しばらく走ると、騎士団数名が何者かと対峙している場面に出くわしたので、すぐさま身体を隠せそうな場所に身を潜める。加護が無い上相手の力量が分からない以上下手には動けないし、足手まといにもなりかねないからだ。
騎士団の人達の先には長身の黒いローブを身をまとった何者かがいる、だがフードで隠れてどんな顔かはうかがい知れない。たぶんあれがあの生徒が言っていた黒いローブの奴。
「あれがたぶんそうだよね」
「ああ、相手を重くするなんてどんな魔術なんだか」
魔法に俺がカルロス戦で使った
「三名だけですか」
考えていると、ローブの人と思しき人物の声が耳に届いた。
「お前らは一体何のためにこんな事をしているんだ!」
騎士団のうち、がたいの良いのが叫ぶと、呆れたとばかりにローブの男はやれやれと溜息をつく素振りを見せる。
「あなたの脳みそは筋肉でできているんですか? ここで答える馬鹿がいるとお思いで?」
「ならば本部でじっくり話を聞かせてもらう! レイズ!」
ローブの男の挑発にも似た発言に乗ったか乗っていないか、がたいの良い騎士団の人は肉体強化魔術を使うと、猛虎の如く斬りかかろうと間合いを詰め、他の騎士団の人もそれに続く。
しかしあの勢いはどこへ行ったのか、急に騎士団の人達は動きを止め、あのがたいの良い人以外の二人に至っては剣を手から落とした。
「う、うわぁ……!」
「ひぃ!」
剣を落とした二人は悲鳴を上げると、ローブの男に背を向け一目散に逃げていく。
今何が起きた? 身体に隠れて男の様子が見れなかった。
「お前ら!」
がたい良い騎士団の人が叫ぶが、どちらも戻っては来ない。
それに対しローブの男は何かを言っているようだがいかんせん、二人の間合いが縮まり声を張り上げてくれなくなったので何を言っているのか聞こえない。
なんと聞き取れないか耳を澄ましていたところ、おもむろにがたいの良い騎士団の人が剣を振り上げるが、その腕は少し震えており、とてもじゃないが目の前の相手を斬るどころではなさそうだ。
しかし次の瞬間だった。
がたいの良い騎士団の人の首筋から黒い何かが、飛ぶ。
ローブの男が赤い模様の入った短剣を持っているのが目に飛び込んだ。
そういう事かよ……。
「……ッ!」
キアラは声にならない悲鳴を上げる。この光景は女の子には過激すぎる。グロゲーなど普通にしてた俺でもきついくらいだ。
すぐさまキアラの頭を抱え込み視界を遮ってやる。
でも改めて認識した。今まで加護のおかげで誰一人傷つかなかったこの学院は、いわば死ぬことは無いゲームの世界と同じだった。でも今は違う。
加護が無くなった今、ここは紛れも無い現実であり、そして人同士が命を懸け合う……戦場だ。
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