第二章

ルーメリア学院 入学編

第二十六話 離郷

 道端を歩いていると、雪解けのせせらぎが耳に入って来る。

 ティミーが回復してから二年近く経っただろうか。今の俺の肉体はだいたい十二歳くらいだろう。あれから村には事件も起こらずとても平和だった。

 

 唯一気になる事と言えばダウジェスだが、あれ以来姿を見せていない。

 またひょっこりと現れるだろうと思っていただけに、なんとなく肩透かしを食らった気分だ。まぁ別に会いたいってわけでもないけど、ヘレナさんはお礼言えてないの気にしてるみたいだし、一回くらいならある程度歓迎したのに。

 ハイリは今でもたまに村に遊びに来ているが、今は繁忙期だとかでいない。


「ねぇ、お母さんが話したい事あるんだって」


 おお、その声は我が愛しの娘ティミー! 家の前で小さな手を振ってくれている。

 しかし話したいという事はなんだろう。もしかしていい加減家から出て行けと物を投げつけられたり……いやヘレナさんに限ってそれは無いか。


 突拍子もない想像に苦笑しつつ、ティミーの元へと歩いていく。

 初めて会った時に比べたら幾らか大人っぽくなったものの、まだまだ幼さは残っているな。胸の方もまだまだ出ているとは言い難そうだ。まぁ服の上からじゃわからないだけかもしれないが流石に裸体なんて確認してたらもう俺は人間を名乗る事は出来まい……。


 ろくでもない事を考えつつティミーと連れ立って家の中に入ると、ヘレナさんが座して待っていた。

 その前に俺もティミーも座ると、ヘレナさんはそれぞれに目を向ける。


「アキ君、よく聞いて」


 いつになく真剣な様子のヘレナさんに、しっかりと耳を傾ける。

 そして放たれたのは意外な一言。


「学校、通ってみない?」


 学校? そういえば俺も行ってたことがあるな……今の今まで平和にこの村の中で過ごしてきたせいで、学校とかいうワードはすっかりと抜け落ちてた。


「が、学校……」


 言葉の意味を咀嚼するようにそのワードを復唱するティミー。


「そう。いろんな人が集まる場所よ」

「ひ、人がいっぱい……!」


 ティミーはそう呟くと目を回して突っ伏した。

 この子一応人見知りだもんね……。それにしては慣れるのは早いんだけど相変わらず治っては無いらしい。まぁ村から出てないのに治る方がすごいか。


「でもどうしたんですかいきなり?」


 訊くと、ヘレナさんはおもむろに口を開いた。


「バリクさんから手紙が来ていたの。アキ君にね」


 ヘレナさんがそう言って紙切れをこちらに見せてくれる。


「ルーメリア学院の編入の提案?」

「そう。昔アキ君が強盗団をやっつけてくれたことあったでしょ?」

「そういえばそうでしたね」


 あの時は右も左も分からずあたふたしてたもんだ。


「そのお礼の一部としてアキ君にお話が来たの。ルーメリア学院と言えば王国で知らない人はいないくらいの名門よ。決してアキ君にとって悪い話じゃないと思うの。それにもしかしたら何かのはずみで記憶も戻るかもしれない」


 そういえば記憶喪失設定だったな一応……とはいえ俺はヘレナさんの実の子供ではない。勿論、本当の子どものように面倒は見続けてくれているがこの通り居候という身分だ。当然、学校に行くとなれば学費等様々な事も発生するだろうからお世話してもらった上にそれを払ってもらうなんて流石に申し訳なさ過ぎてできない。


「お話は嬉しいのですが、あいにく俺は居候という身分です。そこまでしてもらうのは流石に気が引けます。学費とかもかかるんですよね? その他もろもろの費用とかも……」


 そう言うと、ヘレナさんはさも可笑しそうに笑いだす。なにこれ、なんか恥ずかしいんだけど。


「な、なんですか……」

「ふふ、ごめんね、こんな子供が言う言葉とはとても思えなくてついつい」


 ふむ、確かに十二歳の少年があんな事を言うとか違和感があったかもしれないな。実際のところ俺はこんな子供ではないんだけどまぁそれはいい。

 もうちょっと子供らしさを研究した方がいいかなぁなどと思っていると、ヘレナさんはにこやかに答える。


「その点については騎士団が全部負担してくれるから大丈夫。アキ君が心配する事は何も無いわ」

「それなら良かったです」


 まぁ直接的な金銭のやり取りは子供相手にできないけど、学術支援的なものなら大袖を振ってやれるという事だろうか。だとすれば行ってみるのもありかもしれないな。ある程度この世界に馴染んだと言っても俺の知る世界はディーベス村の範疇を出ない。この先大人になってもお世話になり続けていたんじゃ元の世界に居た時と同じだ。いずれ自立しないといけない。そのためにはもっと広い世界を見るべきだ。


「そういう事なら、行ってみようかな」


 呟くと、微笑みかけてくれるヘレナさんだが、おもむろに悲しそうな目をする。


「ただ、ルーメリア学院は王都にあって……」

「この村にはしばらく戻ってこれない、という事ですよね」


 言うと、ヘレナさんが重々しく頷く。

 まぁそれは覚悟していたというかむしろありがたい。王都までは二週間。到底通える距離では無いだろう。と言う事は寮なり宿泊なりで通学中はあちらで過ごす必要があるわけだが、そのための費用は騎士団が全部負担してくれるという。つまりヘレナさんへの人一人養うための経済的負担を無くすことはできるという事だ。子供の身分とは言え中身は成人済だ、無銭飲食生活には思うところがあった。

 

「ねぇそれってどういう事アキ……?」


 目を回していたティミーだったが、いつの間にか復活していたらしい。

 不安そうな眼差しで尋ねて来る。


「もし俺がルーメリア学院に通う事になれば、ここからじゃ通えないから、俺は王都に住むことになる。でも別に……」


 一生会えないってわけでも、と続けようとするも、ティミーに遮られる。


「い、嫌! アキと、離れ離れになりたくない……」

「ティミー……」


 ティミーが視線を落とす姿に、胸のあたりが少し痛くなる。

 まぁ確かに、俺がいなくなればまたティミーは一人だ。村の人たちは今まで通りいてくれるだろうが、同年代の人がいるといないでは大きな差があるか。

 俺もこれまで一緒に過ごしてきたし、確かにティミーが傍にいないのはちょっと悲しいな。


「だったら、ティミーもアキ君と一緒に行くのはどう?」

「え」


 突然告げられたヘレナさんの言葉にティミーが顔を上げる。かくいう俺もそんな提案が来るとは思っても無かった。


「ルーメリア学院については聞いてみたけど、実は誰でも入る権利があるらしいの。実力主義教育? とかで」


 実力主義教育……。言いたい事は分かるがネーミングがなんか絶妙にダサい気がしないでもない。


「で、でもお母さんとは……」

「それは仕方ないわティミー。でもずっと離れ離れになるわけじゃないし、アキ君とも一緒に居れるし、もしかしたら他のお友達だってできちゃうかも」

「でも……」

「勿論、強要はしないわ。これはティミーが決める事よ」


 ヘレナさんがティミーとしっかり視線を合わせる。その眼差しは子供を見守る母親のそれだった。

 しばらく逡巡するティミーだったが、やがてゆっくりと頷く。


「行く。私、アキと学校通うよ」


 ティミーの言葉に、ヘレナさんは穏やかな笑みを浮かべる。その姿は娘の成長に対する嬉しさと、一握の寂しさも内包しているようだった。

 しかしやがてそれは勝ち気な笑みに変わると、さてと言ってヘレナさんは立ち上がる。


「それじゃあ早速支度をしないとね。何せ王都までは二週間かかるもの」

 

 かくして、俺とティミーの学校入りが決まった。

 楽しみ半分不安半分と言った所だが、再び学校生活を送れるならやはりそれは楽しみな気持ちの方が大きいかもしれない。

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