第二十五話 帰宅
俺とティミーは気を失っているヘレナさんを見守っていた。今はベルナルドさんに運んでもらい、寝具の上で眠っている。恐らく一時的に強烈な心労がかかったせいだろうが、そのうち目覚めるはずだ。
ちなみにベルナルドさんは、村の人たちに何が起こっていたのか説明に回ってくれている。炎魔の病について説明してもらうためにダウジェスも一緒のはずだ。ハイリも今は不在で、辺りに魔物などが湧いて無いか念のため見回りに行ってくれている。
「お母さん早く起きないかなー?」
ティミーはどこかそわそわとして落ち着きが無い。心配半分わくわく半分と言ったところだろうか。ティミーは病に侵されている時の記憶は無いらしいが、ずっと一人だったという感覚はあったらしい。早くお母さんの声を聞いて安心したいだろうに……無理に起こそうとしないなんてなんて優しい子なのだろう! お父さんは嬉しい! もうチュッチュしてあげちゃう! ちゅっ、ちゅっ。
「だ、駄目よ……」
ふとヘレナさんが辛そうに呟く。そうですよねごめんなさい。反省してます。二度とそんなやましい事考えないのでどうか許してください。
「あれ?」
ヘレナさんが先ほどよりも意思の籠った声を漏らす。どうやら目を覚ましてくれたらしい。
「お母さん!」
「もしかして、ティミー?」
「うん、そうだよ!」
ティミーが元気よく返事すると、ヘレナさん被っていた布をどけてティミーを抱き寄せる。
「夢じゃないわよね? 本当に、本当に良かった!」
ヘレナさんが目の端に涙を浮かべる。
「エヘヘ……」
母親に抱かれ頬を朱に染めるティミーは幸せそうで、見てるこっちまで幸せになって来る。
「もう元気になったの? なんともない?」
ヘレナさんはティミーの肩に手を置きしっかり目を合わせる。
「うん、元気いっぱいだよ」
「そう。良かったわ。でもどうして……」
「それはアキが頑張ってくれたからだぜヘレナさん」
声の方を向くと、見回りを終えたのかハイリが雪を払いながら歩いて来る。山の天気は変わりやすいという事だろうか、どうやらまた雪が降り始めているらしい。
「お前もだろハイリ。俺一人じゃ百薬の水を持ってこれなかった」
「なに、その百薬の水を使えるようにしたのはアキじゃねえか」
「それを言ったら一番の功労者はダウジェスだな。百薬の水の存在を教えてくれたのはあいつだ」
ダウジェスには改めてお礼は言っておかないとな。あいつがいなかったら今頃は……いや、考えるのはよそう。ティミーが元気でいてくれている。その結果が今あるならそれでいい。
「二人とも、本当にありがとうね」
「うおっ!?」
ハイリ豆鉄砲を食らったように言うと、不意に暖かな感触に包まれる。
「な、なんか照れんな……」
ハイリが控えめに声を発する。
どうやらヘレナさんがティミー共々俺達を抱きしめてくれたらしい。三人同時に子供たちを抱き寄せるその姿はまさに聖母! 嗚呼マリア様はここにいらっしゃるのだ!
ついでにティミーのぷにぷになほっぺとハイリのすべすべのほっぺに挟まれちゃったのでぐへへ……おっといかん、自重せねば。よこしまな気持ちは抱かないとさっき誓っただろ俺! いやそれにしてもロリっ子のお肌ってマシュマロみたいに柔ぁああ駄目だろうが! 理性仕事しろ! さもなければヘレナさん良い匂いだぞ!
一人ダークサイドと戦っていると、そういえばとヘレナさんが顔を上げる。どうやらご褒美タイムは終了みたいだ。なんというか、まぁ、ごちそうさまでしたっ!
「そういえばベルナルドさんとえっと……」
そう言えばあいつの名前知らなかっけヘレナさん。俺が名前で呼んだりはしてと思うけどまぁあの状況でいちいち全部覚える方が無理な話だよな。
「ダウジェスですね。二人は今村の人たちに起きていた事を説明しに回ってくれてますよ」
「あ、そうそうダウジェスさん。そうなのね。後でお礼を言っておかないと」
ダウジェスは勿論、ベルナルドさんにも随分と助けられた。後で俺からもお礼を言わないとな。
「うぅ、さみぃ」
不意に寒そうに震える声が聞こえる。
「あ、親父」
「お、ハイリも戻って来てたかぁ。ご苦労さん。ヘレナさんは……っと、目を覚まされていましたか! いやぁよかった」
「ベルナルドさん。本当に、この度は何とお礼を言えばいいのか……」
ヘレナさんが立ち上がりベルナルドさんの元へ歩く。
「いや何、俺なんて突っ立って見てたくらいなもんで……アキやハイリに比べりゃあそりゃもう何もしてませんや。それよりヘレナさん、もう起きて大丈夫なんです?」
「ええおかげさまですっかり平気です」
ヘレナさんが胸を張って見せると、ベルナルドさんがデレっとした表情になる。おい妻子持ちしっかりしろ。胸を見るな。見ていいのは彼女いない歴=年齢の俺だけだ。え、それは違う?
「そうだ、お礼と言うと少し厚かましいかもしれませんが、よければうちで夕ご飯食べていきませんか? ティミーも元気になった事ですし、腕を振るっちゃいますよ」
「本当ですかい!? そう言われると遠慮できやせんよぉ?」
「遠慮なんてそんな。こうしていられるのもみんなのおかげなんですから。ところでダウジェスさんはどこへ?」
ヘレナさんの言う通り、ダウジェスの姿が無い。
「アキ君からお話を聞いてお礼を言いたいのですけど……」
ふむ、ヘレナさんも人が良いな。そりゃ確かに百薬の水をくれたのはあいつだが、同時に娘へ殺害予告をした人物でもあるからな。俺がもし親だったなら素直に感謝できないかもしれない。まぁ実際子供なんていた事ないから分からないけど、ベルナルドさんのハイリへの入れ込み具合を見ているとそう感じてしまう。まぁもっとも、俺自身あいつには感謝の気持ちの方が大きいからそれが答えなのかもしれない。
「はて、さっきまでいたんですがねぇ? 外でしょうか? ん? アキが様子を見に行ってくれるだって?」
いや急に来るなこの人。別に言われなくとも行くつもりだったからいいけど。
「分かりましたよ」
「おお、そうしてくれるか! ありがてぇ、俺ぁ寒くてもう限界でよぉ……」
「じゃあ俺の炎で燃やしてあげましょうか? あったかいですよ?」
紺色の炎を指先に出すと、ベルナルドさんが悲鳴を上げる。
「あ、熱いどころの話じゃあねぇよそれは!?」
「ははは、冗談ですよ」
「な、なんだ。よかったぁ……」
ベルナルドさんが安堵の息を吐くと、部屋の中は笑い声に包まれる。
妻子持ちの分際でヘレナさんによこしまな気持ちを抱いた罰だ。あとなんとなく良いように使われる感が癪だっただけで。素直に頼むなり命令するなりしてくれればまだいくらか素直に聞く気にはなったけど。
「それじゃちょっと見てきます」
外に出ると、雪がしんしんと暗闇から降りてきていた。風も無く静かに散る様は、家の中の光に照らされているのも相まって普段より幻想的に見える。
そんな中、ダウジェスは光の漏れ出る窓からは背を向け、少し先を歩いていたので後を追いかける。
「もう行くのか?」
後ろ姿に声をかけると、吟遊詩人は立ち止まる。
「おや、その声はアキヒサ君ですか」
「ああそうだ。ヘレナさんが夕ご飯ごちそうしてくれるみたいだぞ? 食っていかないのか?」
近づくと、ダウジェスは俺の方へと目を向ける。
「そうでしたか。ですが私は遠慮しておきます」
ダウジェスは柔和な笑みを浮かべ誘いを断って来る。はた目から見たらただの嫌な奴では?
「ならせめて顔くらい見せて行ったらどうだ? ヘレナさんもお礼したいらしいし」
「それも遠慮しておきましょう。私はお礼を言われるような事は何もしていませんから。したのはアキヒサ君、あなたです」
「そんな事ないだろ」
結局百薬の水が無かったらティミーは助からなかったんだし。
「いいえ、私一人なら間違いなくティミーさんに手をかけていた事でしょう。そうならなかったのは偏にアキヒサ君が身を粉にしたからこそです。それにしても病魔を紺色の炎で消し去ったのは驚きですが」
「まさかお前が謙遜できる奴だとは思っても見なかった」
だって子供を半殺しにしようとした奴だし。
「おや? それは心外ですね。私とて謙遜の一つや二つしますよ? もっとも、今のは謙遜というわけでは無かったのですが」
ダウジェスはどこか遠い目をした気がするが、気のせいか。
「まぁなんでもいい。百薬の水を飲んでティミーが元気になった。その事実は揺らがない。だから言わせてもらう。本当にありがとうな、ダウジェス」
頭を下げ、感謝を伝える。
今回あのタイミングでこの村を訪れてくれていたのは本当に運が良かった。
「頭を上げてくださいアキヒサ君。そのお気持ちはしかと受け取りました」
「そうか。まぁあれだ、とりあえず俺を半殺しにしようとした事はこれで不問だな」
なんとなく改まった感じが気恥ずかしく軽口が口から飛び出す。
「ふふ、そういえばそんな事もありましたね」
ダウジェスが笑みを浮かべると、耳元に顔を近づけてくる。
「それではもし私があなたを殺したとして、それも不問にしてくれますか?」
突然出てきた言葉に、身体の芯が冷えるような、そんな感覚に襲われる。初めて会った時のような圧力が全身を突き刺してきた。
「おま、それは、どういう……」
「勿論、冗談ですよ」
重々しくのしかかる空気とは裏腹に、非常に軽くおとぼけた声が聞こえる。
「これは吟遊詩人の間で流行っている照れ隠しです」
ダウジェスは俺から身を離し、ぱーっとした笑顔でそんな事を言ってくる。
「そんな物騒な照れ隠しが流行ってる吟遊詩人界隈どうなってんだよ……」
一瞬本気かと思って焦っただろうが。圧まで飛ばしてきやがってよ。
「その様子だとドッキリ大成功ですね」
「何がドッキリ大成功だ。ふざけんな。あーあ、お前なんかにマジで感謝した俺が間違いだった。子供に半殺しの魔術使ってくるような奴だもんなお前は」
「おや? それは不問になったのでは?」
「そうだったな。こんな事なら不問にするんじゃなかった」
頬が急激にげっそりしたような気がする。これでも十やそこらのガキなんだから今からこんなになってたら将来ムンクの叫びになりかねないからやめもらいたい。
「さて、あまり外に出ていても冷えるでしょう。アキヒサ君は家へお戻りください。私はそろそろ行くとします」
「待ってくれ」
さっさと行こうとするので、呼び止める。
「どうしましたか?」
「なんとなく聞いたらあれな気がしたから聞いてなかったけど、やっぱ気になるから聞く。なんでお前は俺がこの世界に転移してきた事を見抜いたんだ?」
ずっと気になってはいた。けどこれまではあまり信用できるような奴じゃなかったし、そもそも聞く機会もそんなになかった。
「それは簡単な事です。何故なら……」
もったいぶるダウジェスだが、やがて口を開く。
「私がロサに縁のある者だからですよ」
「またそれか……」
ほんと、なんなんだそれ。ロサに縁があるだけでそんなに色々知れるもんなの? なら俺も是非縁になってみたいもんだ。
まぁもしそれが適当に言った事だったとして、少なくとも今は教える気はないという事だろう。まぁそれなら別にそれでいいさ。
「じゃあせめてこんな子供の姿で転移した理由とかは思い当たったりしないか?」
これは正直どうでも良かったが、何も無しだと味気ないのでもう一つ気になっていた事を尋ねる。これなら教えてくれるだろう。
「そうですね……それは恐らく」
またしてももったいぶるダウジェスだが、今度は非常に良い笑顔で返してきた。
「精神年齢が反映されたのでは?」
「んなっ……!」
突然ぶっこまれたディスリスペクトについ閉口する。
「なんて、根拠のないただの推測ですよ」
「お、おま、推測だとしてもすごい馬鹿にしてるよねそれ!?」
「ふふ、それでは風が呼んでいるので私はこれにて」
「お、おい逃げんな!」
叫ぶもむなしく、今度は立ち止まる事無くダウジェスは雪の散る闇の中へと消えていった。
くっそ、やっぱあいつ許さん。半殺しにしようとした事実は末代まで受け継いでやるからな!
まったく、精神年齢が十歳なんて、成人を迎えてる男が流石にそんな……わけないよね? あれ、そういえば俺十四、五の女の子に叱られてたっけ……。だとすればそれもあながち間違いじゃ無かった?
いやそんな事は無い、断じてない! あんな奴の言葉に惑わされるな俺!
「あれ、アキー何してるのー?」
出し抜けに家の方から天使の声が聞こえてくる。ああまったく、つくづく癒されるなぁこの子には。ロリっ子を愛でる心がある以上、俺の精神年齢が十歳って事は無いだろう。なんなら壮年のおじさんレベルまでありますねぇ!
「ティミーか、今戻るー」
ダウジェスの行った方から背を向け、明かりが漏れる方へ戻ると、ティミーもまたこちらに歩いて来て出迎えてくれる。待つだけに留まらず迎えに来てくれるなんてなんて良い子!
「ダウジェスさんは?」
ティミーと合流し、家の方へと歩いていく。
「ああ、なんか風が呼んでるとか言って行っちまった」
「ふーん、そうなんだ。一緒にご飯食べたかったね」
「まぁ、そうだな」
ティミーがそう言うなら同意しておこう。個人的にはごめん被るけど。
家の扉を開くと、既にヘレナさんが料理を始めているのか良い香りが漂ってきた。
中は外と違ってとても暖かく、ハイリやベルナルドさん、ヘレナさんが楽し気に談笑している。
俺とティミーもまたその輪に加わると、改めて元の明るい日常が戻って来たのだと実感するのだった。
俺はこの先、どんな人生を送る事になるんだろうな。
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