第二十四話 闇を呑み込む炎

 先ほどは様々な植物が行く手を遮りなかなか到達できなかったが、今度は二人の支援のおかげもあって難なく病魔を射程に捉える事が出来る。


「クーゲル」


 まずは正面から魔弾を打つと、病魔の影が揺れる。

 続いて俺はティミーの横へと回り込み、再び魔力弾を発射。さらに影が揺れる。

 刹那、視界の端に緑の荊がちらつく。咄嗟にそちらへ向くが、ハイリが割り込み荊を風で切り刻んでくれた。


「助かる」

「この植物共はまかせな」


 ハイリが追撃の蔓を短剣でしのぎ、笑みを浮かべる。

 だが安心したのも束の間、俺の周りに複数の幾何学が、顕現。無数の水の弾丸が俺めがけて放たれる。同時、盛り上がって来る岩に阻まれ辺りが一時的に暗闇になった。聞こえるのは激しい激突音と水の跳ねる音。


 やがて音が止むと、また視界が開ける。どうやらベルナルドさんが岩で俺を囲んで守ってくれたらしい。助かった。


 俺は攻撃を再開。ティミーに当たらないよう細心の注意を払いつつ、様々な角度からクーゲルを病魔に向けてお見舞いする。

 悪魔のような形をした影は、その形を大きく崩した。


――行ける。


 そう確信した時、急激に上空の幾何学の量が増える。どうやら本気モードという事らしい。


「させねぇ!」


 ハイリは叫ぶと飛翔。


「アイネガウル!」


 余裕で目視できるくらいの凄まじい颶風がハイリを中心に刹那で広がり、俺を狙う魔術を一掃してくれる。確かこれも上級どころの魔術だっけか。プレステールと言いぽんぽんとそんなレベルの魔術放てるとか凄すぎませんかね?


 しかし感心したのも束の間、今度は俺の周囲に無数の幾何学が顕現した。流石にこちらで対処しないのまずいかと詠唱の準備をするが、杞憂だった。


 即座に現れた岩の板が俺と幾何学の間に顕現し、俺を守ってくれる。ベルナルドさんも流石だ。


 どう見ても圧倒的こちらの優勢。俺は、ティミーに憑りつくあの病魔にできる限りダメージを与える事に集中すればいい。


「クーゲル!」

 

 紺色の球を放つと、病魔の影これまで以上に大きく揺れた。通常すぐに修復を始めるところだが、今回は崩れたままなかなか修復しない。

 ついにやったかと期待するが、突然影は姿を戻し一回り大きく膨れあがった。

 転瞬、ティミーの足元に幾何学が現れると、大量の水が噴き出しティミーを呑み込む。


「まさか!」


 最初に突っ込んだ時の病魔の狡猾なやり口を思い出す。この病魔は俺達がティミーを助けたがっている事を理解していた。状況が劣勢と判断して一矢報いるべくティミーを道連れにしようと考えてもおかしくはない。


「そんな事させるかよ……!」


 気付けば水の中に飛び込んでいた。

 凄まじい冷たさだ。だが水温の問題だけじゃない気がする。もっと身体の芯から冷やしてくるような、そんな感覚だ。

 締め付けられるような心臓の痛さを自覚すると、頭の中に映像が流れ込んで来た。


 血だ。誰かは分からないが、血を流して倒れている人間がいる。かと思えば、目の前に突如として人影出現。しかしその人影もまた何者かに斬られて背中から血を噴き出しているみたいだった。

 

「な、なんだよこれ……」

 

 凍てつくような絶望や、燃えさかるように熱い憤怒、様々な感情がごちゃまぜになり巨大な波として押し寄せてくる。あまりの奔流に頭が割れるように痛い。


 ふと、映像が切り替わった。頭痛が引く。

 そこにいたのは一人佇むティミーの後ろ姿。村人の人たちに話しかけられているが、なんとなく寂しそうだ。先ほどのような激情とは違って幾らか落ち着いてはいたが、胸の中に穴が開いて風が吹き通ったようなそんな感覚がある。


 ティミーが一つため息を吐くと、重い孤独が全身にのしかかってくるような気がした。

 寂しい。辺り一面そんな感情に呑まれていくのが理解できる。

 そういえば出会った頃ヘレナさんが言っていた。時折寂し気な顔を見せるのだと。

 という事はこれはティミーの記憶の一部、というよりは感情の記憶という方が適切だろうか。

 ティミーの姿が闇に隠れて消えていく。寂しさに呑み込まれていくのが分かる。

 

「駄目だティミー! 行かないでくれ!」


 たぶんティミーは孤独だ。今意識の中で独りぼっちに違いない。俺も小さい頃はよくあった。高熱が出て寝込んでいる時、どうしようもない孤独感に苛まれるのだ。それが悪夢となって意識の表面に現れる事もあった。ティミーも今まさにそんな状態なのかもしれない。だとすれば俺が出来る事はその孤独をなんとしてでも解消する事だ。


 手を伸ばすと、突如として視界に泡が見えた。その先に見えるのはティミーの姿。

 俺は今水の中にいる。まさか気でも失っていたのか? 分からないが、なんにせよ今俺は動ける。泡をかき分けティミーの身体を抱き寄せると、急激に息が苦しくなって来た。そうだよな、ここ水の中だもんな。息が出来なくなるのは当たり前だ。とにかく一刻も早く何とかしないと!

 

――フェルドディステーザ!


 頭の中で詠唱すると、俺達を中心に紺色の炎がさく裂。視界が真っ白に染まると、息をする事が出来た。蒸発させられないかと放った一撃だったがどうやらうまくいったらしい。

 水の中で浮いていた身体は重力に従い落下するが、なんとかティミーを抱きながら着地する事ができた。

 湯気の中、ティミーの体温がじんわりと伝わってくる。相変わらず凄い高熱だ。

 でも今もしかして病魔の姿も見当たらないんじゃ……。


「あぶねぇアキ!」


 不意に、ハイリの叫び声が聞こえる。

 刹那、辺り一帯に黒いオーラが発生し、巨大な旋風が発生し俺とティミーを取り囲んだ。全身がチクチクとした痛みに苛まれると、ティミーが苦悶の表情を浮かべる。


 同時に、またしてもあの血にまみれた映像が流れ込んで来た。脳内を駆け巡る感情の奔流。頭が割れるように痛い。さっきからのこれはなんなんだ! もしかして病魔の感情の記憶とかそういうやつなのか!? 何にせよ、このまま見せられていたら俺自身が病魔になってしまう!

 これに呑まれたらおしまいだ。間違いない。ティミーも苦しそうだし、どうにかしないと。


 思い出せ、俺とティミーが出会った頃を。楽しかったあの時を。今まで過ごしてきた中で明るい記憶や感情を呼び起こすんだ。こんな真っ黒な血塗られた感情に呑まれてたまるか!


 ティミーとの出会い、同じ鍋を囲んだこと、岩場での魔術お披露目会、強盗団を倒したもののハイリに叱られてしまった事だって今じゃ良い思い出だ。雪合戦だって楽しかったしハイリとベルナルドさんのやり取りだって見ていて暖かな気持ちにさせてくれた。

 

「俺は人生を異世界、この世界でやり直す! もっと明るい人生を送ると決めたんだッ!」


 叫ぶと、幾らか頭痛が和らぐ。だが相変わらずティミーは苦しそうだ。

 恐らく未だ周囲で渦高く旋回する黒いオーラのせいだろう。

 でも安心しろ。そんなもんは俺が全部焼き払ってやる!


創造クレアーレ……」


 無意識に出た言葉ではない。何故なら俺の中にそれは今存在しない。

 だから今のは意識的に発した言葉だった。

 けどこの量の病魔を焼き尽くすには、たぶん深層魔術レベルじゃないと駄目だ。

 

炎の巨塔イグニスペルトーレ


 詠唱すると、凄まじい勢いで噴き出る炎。黒色の旋風が紺色へと瞬く間に塗り替えられていく。

 俺が自覚した最初の深層魔術。再現成功だ。ダウジェスの半殺しの魔術から守ってくれたものだが、それだけあって威力も折り紙付という事だろう。病魔の旋風はあっという間に消え去った。

 

 俺達を取り囲む炎の渦が消えると、場に束の間の静寂が訪れる。それを打ち破ったのはダウジェスの声だった。


「今ですアキヒサ君、水を!」


 即座に俺はポッケに入れていた小瓶を取り出すと、ティミーの口元に持って行く。


「頼む!」


 全て飲ませきり祈っていると、不意にティミーの身体が光を帯びる。

 やがてその光は柱となって空高くまで伸びると、暗雲を貫いた。

 空を覆っていたものが霧散すると、夕焼けと夜空の混じった紫がかった幻想的な空が広がっている。


「アキ……?」


 俺の名前を呼ぶ声が確かに聞こえた。

 視線を合わせると、まだまだあどけないくりっとした目は、不思議そうに俺の事を見つめていた。どうやら熱も引いたらしい。


「良かった……本当に!」

「ひゃう!? え、ど、どうしたのアキ!」

 

 つい力強く抱きしめてしまったからか、驚きの声を上げるティミー。

 少し悪いと思いつつも、もう少しだけこうしていようと思った。何より、ティミーがこの場に元の様子でいる事が嬉しくてたまらない。まだまだ小さな身体だが、確かに腕の中にはティミーがいた。

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