第二十二話 抗う人間
自力でこちらまで来たらしいが、あの様子だとまだほとんど回復して無さそうだ。
「ハ、ハイリ……」
「な、なぁ親父。これどういう事だよ? 今何が起きてるんだよ?」
ゆらりと身体を揺らし、ハイリがティミーへと近づこうとする。
「だ、駄目だハイリ、今近づいちゃあいけねぇ!」
ダウジェスを突き放し、ベルナルドさんがハイリを抱える。
「お、おい離せよ親父! なぁ、ティミーがあそこにいるじゃないか! 立ってるって事は元気になったんだよな? だったら……」
拘束から逃れんと身をよじらせるハイリだが、ベルナルドさんはそれを許さない。
「違ぇんだハイリ。今ティミーは病魔って悪魔に乗っ取られてる状態なんだ! 近づいたら容赦なくおめーを攻撃してくる!」
「は、はぁ? じゃあ尚更、尚更行ってやらねーと! ティミーを助けないと駄目だろうが! 百薬の水だって頑張ってアキと持ってきたんだぞ!」
確かに俺の手元にはまだ百薬の水がある。だが、今となってはこれも使い物にならない。
「無理なんだ……。もうティミーは助からねぇ……」
「冗談じゃねぇ! 今ティミーは病魔に乗っとられてんだろ!? だったらそいつを叩き潰せばいいだけじゃねーか!」
「駄目なものは駄目なんだッ!」
ベルナルドさんが声を張り上げる。その声からは悔しさがにじみ出ているが、ベルナルドさんにとって最優先するべきはティミーじゃない。ハイリだ。何せ実の娘だ、言い方は悪いが他人の子供とじゃ比較にならないほど大切な存在だろう。それでも恐らく相当無念な事には変わりないだろうが。
「ふざけんな……ふざけんなよ親父! なんとかなるに決まってんだろ! 俺だってもう騎士団に所属するくらい強くなって!」
言い募ろうとするハイリだが、ベルナルドさんはそれを遮った。
「無理だ。ハイリ、おめぇは強い。素でやり合えば俺と渡り合えることだろう。だがな、いくら強かろうとできない事はある。もしできるとすればそれは神だけなんだ」
「んな事言ったって」
重々しく紡がれるベルナルドさんの言葉に、流石のハイリも言葉を失ったようだった。
そう、俺達は神じゃない。ただの人間に過ぎない。普通よりどれだけ強かろうと人間である以上できない事はある。それはハイリも重々理解しているのだろう。何故ならそれを俺に教えてくれたのは他でもないハイリ自身だから。
「俺もそれは分かってるんだけどな……」
つい、呟いていた。
人間は確かに完璧じゃない。全てを完全にこなす事は不可能だ。
でもだからって、全てを諦めないといけないのか? 完全じゃ無いからって何もしないでのうのうと暮らしていくのか? 確かにそうすれば、束の間の平穏は得ることができるだろう。でもそれは問題から目をそらして逃げているに過ぎないんじゃないのか。一体その先に何が待っているというのだろう。
……いや、俺はこの答えを知っている。逃げ続けた先に待っているものが決して良いものではないと、よく理解していた。
思い出されるのはここに来る前のあの無機質な日々。
ほんと、ずっとどん底にいる気分だったよなあの時は。
それがこの世界に来て一変した。ティミーやヘレナさん、ベルナルドさんにハイリやダウジェス、村の人たちにも出会って、まぁ端的に言えば楽しかったのだ。
俺はそんな尊いとも言える日々を守りたい。みんなが願う、あの暖かな日々をもう一度取り戻したい。
「ベルナルドさん」
気付けば口を開いていた。
「確かに俺らはなんでもできちゃう神じゃないです。それは嫌という程思い知らされました。でも」
俺は人間だ。神じゃない。何かできるような器にも無い。だが強盗団を退治した時と今とで決定的に違うのは、まだ結果が伴っていないという事だ。その結果が良い物であろうとなかろうと、諦めたらその結果すら生まれない。
「だからって、大切な人を守ろうって気持ちを諦めないといけないんでしょうか?」
「そ、そいつぁ……」
俺の問いに、ベルナルドさんは言いづらそうに口ごもる。そりゃそうだろう。何せこの人にとって大切な人はハイリに他ならない。だからベルナルドさんのやってる事が間違っているなんて言うつもりはない。ただ、俺は手放しで諦める気はないと、そう伝えたかっただけだ。
「よく言ったアキ! 親父も分かっただろ、確かに俺達はなんでもできない。けどよ、だからって諦めなきゃならない道理もねぇ」
ハイリが我が意を得たとばかりに言う。
やがてベルナルドさんは観念したようにため息を吐く。
「……ああそうだな。父ちゃんどうにかしてたみたいだ」
「親父……!」
嬉々とするハイリに、ベルナルドさんはその肩に手を乗せる。
「ティミーはなんとしてでも助ける。だが、ハイリ、お前はそこで見ておけ」
「は!? なんでだよ!」
嬉しそうな様子から一転、不満を隠さず聞き返すハイリだったが、ベルナルドさんに抱かれて押し黙る。
「勿論ティミーは大切だ。でもよ、父ちゃんにとって一番大切な人はな、ハイリ。他でもないおめーだ。俺だって大切な人を守る事を諦めたくねぇんだ」
「親父……」
この二人を見ていて、つくづく親子なんだと思い知らされた。まぁ母親似なのかあまり顔とかは似て無いけど。というか今後ハイリに妹が出来るような事があっても絶対にベルナルドさんの血は引いて欲しくない。別に悪い顔じゃないが、女の子にはちょっと似合わないだろう。
「ティミーさんは殺さない。あくまでそう言い張るのですね」
黙ってその光景を見ていたダウジェスが、厳かな面持ちでベルナルドさんの方を見る。
「あたりめぇだ。そうだろ? アキ」
「はい。俺は諦めません。絶対に」
「そうですか……」
俺も意思を表明すると、ダウジェスは残念そうに返す。
この吟遊詩人とやり合わないといけないのだろうかと心配するが、杞憂だった。
「分かりました。そこまで言うのでしたら私もお力添えしましょう」
ふっとダウジェスはいつものような柔和な笑みを浮かべる。
「ダウジェス……」
感謝の言葉を口にしようとするがダウジェスはそれを制す。
「ですが、その方法では絶望的であるのは変わりありません。もし皆さんがやられた場合、私は迷わずティミーさんを殺します。それでもいいですね?」
念を押すように尋ねてくる。まぁ俺らが死ぬなんて事があればどちらにせよ止めることはできないしな。それにその条件なら尚更受け入れない理由が無い。
ベルナルドさんへ目を向けると、その気持ちは同じだったらしい。同じくこちらを見るベルナルドさんは、無精ひげの口元に笑みを湛えていた。
「だったら問題ねぇよな?」
「そうですね。俺らがやられるなんて事ないですから」
言うと、ダウジェスはふっと笑みを浮かべた。
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