第二十話 病魔

 集落の方まで出ると、走ってティミーの家へと向かう。

 たどり着くと、何故かヘレナさんやベルナルドさん、そしてティミーが外に出ていた。だがどうにもこの不気味な雲を見物しに来たようには見えない。もしそうならティミーとヘレナさん達との距離が不自然に離れていることは無いだろう。それにティミーが自分の足で立てるとはとても思えない。


「ヘレナさん!」


 呼びかけると、こちらに気付いたヘレナさんが振り返る。


「アキ君!」


 家の前まで走っていくと、ヘレナさんは俺を優しく抱擁してくれる。


「よかった……アキ君まで大変な事になってたらどうしようって」

「……すみません」


 悲哀に満ちた声に、黙って山まで言った事を申し訳なく感じたので素直に謝罪する。


「気を付けてね」

「はい」


 自分の子供が大変な時にそんな言葉が出るとは、ヘレナさんは本当に良い人だと思う。


「ところでハイリちゃんとは会った? アキ君を探してくれてるはずなのだけれど」

「それなら会いました。後で来ると思います」

「そう、良かったわ」


 ヘレナさんが安堵の息を吐く。

 心配をかけてしまったのは申し訳なかったが、それよりも今はやるべき事をやらないと。


「ところでティミーは!」


 尋ねると、ヘレナさんがティミーの方へと目を向ける。


「それが急に起きたと思ったらアキ君が呼んでるって言って……」

「俺が?」


 確かに心で呼びかけたりはしたかもしれないが、まさかそれが聞こえたわけでは無いだろう。だとすれば幻覚か何かか? 俺も子供のころインフルエンザとかにかかった時は変なものを見たりはしたけど。


「おーいティミー。元気になったてぇのかー? とりあえず外は冷えるから、家に入らねぇかー?」


 囁きかけるように呼び掛けるのはベルナルドさんだ。

 ベルナルドさんはゆっくりティミーへと近づいていく。


「ほら、寒いから……ってうおっ!?」


 ベルナルドさんがティミーへと触れようとした刹那、その体はこともあろうか宙を浮く。

 一瞬、何が起きたのか分からなくなる。だが、俺の傍に重々しく落下する男を見て、吹き飛ばされてきたのだと理解するのに時間はかからなかった。


「な、なんだぁ!?」


 すぐさま跳ね起きるベルナルドさんだったが、その表情には混乱が見受けられる。

 まさかティミーがやったのか?


「アキが呼んでる……」

「ティミー!?」


 ただならぬ気配を察知したのか、ヘレナさんが駆け寄ろうとした刹那。

 ティミーを中心とした強烈な颶風が辺りに発生する。

 飛ばされそうになるヘレナさんをなんとかベルナルドさんが支えると、ティミーから黒いオーラが出現した。


「アキが……」

「お、おいティミー! 俺ならここにいるぞ!」


 呼びかけるも無反応。

 代わりに黒いオーラが膨れ上がると、何やらそれは悪魔のような異形を形づくる。

 転瞬、ティミーを囲うように幾つもの幾何学が顕現。そこから植物の根のようなものが出現すると、俺達へと襲い掛かって来た。

 しまった、やられる!


「いけねぇ! フェルスクリフ」


 ベルナルドさんの詠唱。

 目の前に岩石の壁が現れ、植物の侵攻を遮る。流石はハイリの父親とだけあって反応が早い。

 しかし安心したのも束の間、壁に亀裂が入った。


「まずいっ! レイズ」


 ベルナルドさんが強化魔術を使うと、即座に俺とヘレナさんを抱え跳躍。

 後方へと退避すると、凄まじい音と共に壁が崩落する。俺達のいた場所の地面は根によって無残にえぐられていた。


「一体なんだってんだぁ……!?」


 ベルナルドさんが叫ぶ。

 崩落した岩壁の向こうには幾重もの植物の根がうごめく魔境が広がっていた。全てティミーの周りにある幾何学から伸びているらしい。相変わらず黒いオーラは気味が悪いし本当にどうなってんだ!


「ティミー! ティミー!」

「だ、駄目だヘレナさん!」


 ティミーの元へ走ろうとするヘレナさんをベルナルドさんが抑える。

 誰の目から見ても今の状況が普通ではなく、また危険であることくらいは分かるだろう。でもどうすればいいのか分からない。それは恐らくこの場にいる全員がそうだ。とりあえずこの水をかけたら元通りなんてことは無いよな?

 焦燥感ばかりが押し寄せ、下唇を噛んでいると不意に傍で光が見えた。


「馬鹿な!」


 光が弾けると、そこから姿を現したのは銀髪の吟遊詩人だった


「ダウジェス……!」


 こいつならきっと何とかしてくれるんじゃないか。そんな事が一瞬脳裏をよぎるが、その横顔にいつものような余裕はなく、すぐに希望は打ち砕かれた。


「……あんた何者だ? 急に虚空から出て来るったぁ、ちと妙じゃねぇか?」


 ベルナルドさんが身構えると、ダウジェスには珍しく険しい表情を返す。

 だがベルナルドさんが警戒するのは無理も無いだろう。この普通じゃない状況に虚空から出て来るなんて普通じゃない現れ方をしたんだからな。かくいう俺もいきなり出て来るもんだから驚きはしたが、ここは一つ唯一の知り合いとして俺から弁解しておいた方がいいだろう。

 

「ベルナルドさん、この人は敵じゃありません」

「そうなのかアキ?」


 ベルナルドさんが訝しむので、とりあえず百薬の水の事とそれを教えてくれた人だと説明する。半殺しにされた事は警戒を強めそうなので伏せておいた。


「……なるほどなぁ。ティミーが元気になるまでは信用はしきれないが、とりあえず悪かったなあんさん、つい敵意を飛ばしちまった」

「いえ、こちらこそすみません。目の前の光景があまりに想像の範疇に無かったもので、つい警戒されるような振る舞いをしてしまいました」


 ここは両者大人というべきか、自らの過失を認め合い二人は和解する。とりあえずこの状況がさらにこじれなくて済んだのは良かったが、それでも以前目の前には余りある問題が残されていた。


「なぁ、ダウジェス。ティミーは一体どうしちゃったんだよ?」


 ベルナルドさんやヘレナさんは分からないようだったが、ダウジェスならあるいはと尋ねてみる。


「恐らくこれは病魔の暴走です」

「病魔の暴走……?」


 あまりなじみのない言葉だ。


「はい。これはまだあまり知られてはいませんが、炎魔の病とは意思を持った魔力によって引き起こされます」

「意思を持った魔力だって?」

「はい、いわゆる悪魔だとかゴーストだとか、一般的にはそういう名称で語られる事もあります。その中でも炎魔の病のような病気を引き起こすものは病魔と呼ぶのです」


 病魔。俺のいた世界でもそういう言葉はあった。まだ医療技術が発達していない時代、原因が分からない病気はそれを悪魔が引き起こしたものだとして合理的解釈をはかったのだ。


 しかしこの世界では実際にそういう超常的な生き物が存在するらしい。流石異世界と言ったところだが、感心なんてしてる場合じゃない。それよりも尋ねないといけない事がある。


 炎魔の病だ病魔の暴走だどうだなんてどうでもいい。俺が求めるのはティミーがまた元気な姿を見せてくれる事だけ。


「それで、ティミーは助かるんだよな?」


 祈りながら尋ねる。どうかその方法をダウジェスが知っていると信じて。

 しかし、期待とは裏腹にダウジェスは難しい表情をする。


「……それは、難しいと思います。そもそも暴走が始まった段階で普通宿主の身体は持ちません。今立っているのだけでも奇跡なのです。しかしそれも長くは」

「そんな……」


 愕然とした。動悸が激しくなり、嫌な汗が背中に貼り付く。

 ティミーが、助からない?


「嘘だろ? ここに水だって……」

「その水に病魔を浄化する作用はありますが、それはあくまで人の身体の内部での作用です。今のように病魔が外に漏れ出ている状態では百薬の水とて恐らく」

「――!」


 ヘレナさんやベルナルドさんがダウジェスに何か主張しているようだが俺のにその声は届かない。届く余裕が無い。

 ダウジェスの宣告に、腹の底からどす黒い何かがこみ上げてくる。

 それはこの理不尽に対する怒りやら憎悪、そう言ったマイナスの感情なのだと、頭のどこかで俯瞰する別の俺がこの状況を冷静に見ていた。

 ほんと、冗談じゃねぇ。


「冗談じゃねぇよ!」


 ティミーの外にいるから病魔を倒せないだと? だったら俺が半端に姿を見せやがる悪魔を引きずり出して直接叩き潰してやるッ!


「アキヒサ君!」


 誰かの制止を振り切り、気付けば駆けだしていた。際限なくあふれ出るごちゃごちゃした感情に身を委ねれば、自らの内にある魔力が膨れ上がるのを感じる。ダウジェスも言っていた。何かあった時は湧き出る感情に従え、そうすれば力が格段に上がると。

 今がその時だ……ッ!

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