第十九話 暗雲

 道中に襲い掛かる魔物も適当に一掃すると、元来た崖まで戻った。ハイリも見た目ほど重傷ではないらしく途中で倒れたりなんてことも無くてホッとしている。と言ってもまだまだ油断はできないけど。疲労は後でまとめてくる事もあるだろうからな。


 景色を見るとすっかり夕焼けになっていた。ふと遠くに目を向けるとディーベス村らしき集落も発見することができる。


「気づかなかったけど一応村も見えるんだな」


 とはいえまだまだ遠そうだ。下手すればもう一日雪山で過ごす羽目になるかもしれない。

 鬱々としつつも先ほどから黙っているハイリを見ると、何やら考えている様子だ。そして、急に顔をパッとあげると俺の方を向いてニヤリと笑う。


「アキ、風ってのは使いようによっちゃ空だって飛べるんだ」


 何どういう意味? よくわからないがこのいたずらをする前の子どもみたいな表情……ろくな事をする気がしない。


「がっちり掴んどくから安心しろ!」


 そう言うと、いつものような片手ではなく背後から両腕で俺の身体を抱きかかえてくる。かすかに何か柔らかいものが背中に触れた気がするがまだまだ発育段階のようだ。って何を冷静に俺は分析してるんだか……。だがまぁお父さんとして娘の発達状況を把握するのは責務だよな! でもベルナルドさんにこれ言ったら殺されるから絶対に顔には出さないでおこう。


 ハイリはそのまま崖の向こうへと飛び込むと、瞬間、正面から大きな風圧がかかる。

 何事かと思って下を見たところ、広がる雑木林の景色がものすごいスピードで後ろへと駆けていくではないか。

 ……つまりこれは空を飛んでいる。


「ハイリ、どうなってんだこれ!?」


 まさかこうも飛行できるなんて思っても無く、気付けばハイリにそう訊ねていた。


「別にどうってことも無い。後ろから強い風を身体に当ててるだけだ。強すぎる風圧とかは風を逆向けに放出することで打ち消して緩和してる」

「は!?」


 おいおい……そりゃどんな芸当だよ。この世界に来て間もない俺にでもわかるけど、並大抵の人間が出来る事じゃない。


「さて、もうすぐで着くぞ!」


 前を見ると、崖から遠く見えていた村はすぐそばまで迫って来ていた。


「ちょっと降りると風が強いかもしれねーから、手前で降ろすぞー」


 ハイリが言うと、身体が真下へと急速に方向転換する。


「ッ!?」


 ジャットコースターに乗った時のあの感覚が下から押し寄せてくると、凄まじい速さで地面が近づいていく。


「やべぇこれ死ぬ! 死ぬこれやべぇ!」

「いっくぜぇ~!」


 嬉々としたハイリの声が暴風の轟音に紛れて耳に届くと、地面の間際で落下速度が軽減する。塵やら砂利やらが周りで跳ね煙となると、ようやく足元で地面を感じることができる。

 と、とりあえず無事みたいか。もし死んでたら今頃空を飛んでいるだろうからな……。


「いやぁ、空っていいなぁ」


 などとハイリはのんきに言うが、俺は生きててよかったと心から思う。


「ったくよ……まぁいい、早くティミーにこれを渡さないと」


 文句の一つでも言おうかと思ったが、一分一秒でも惜しいのでとりあえずそれは押しとどめ、ポケットから百薬の水が入る小瓶を取り出す。


「だな。でもちょっと先に行っててくれ……」


 大して疲れた様子ではなかったハイリだが、急にふっと力が抜けたように膝をつく。


「大丈夫かハイリ!?」

「ああ。ちょっと魔力を使いすぎたから流石に疲れだけだ。あとあばらも数本いってそうだがまぁ大丈夫だろ、すぐ追いつく」

「あばらってお前、大丈夫じゃないだろそれ……」


 やっぱけっこう無理をしてたんじゃないか。


「問題ないっての。こんなもん騎士団やってりゃ日常茶飯事だからな。それよりアキは早い所……」


 心配されるのが煩わしかったのか、面倒くさそうに話すハイリだったが、不意に言葉を止めると何やら遠くを見つめる。


「お、おいアキ……あれなんだよ?」

「は? あれ?」


 ハイリの見る方へ目を向けると、村の集落のある方の空に不自然な黒い雲が見えた。

 たちまちその雲は俺らの頭上も覆うと、同時に冬の寒さではない何か身体の芯から冷たくなっていくような嫌な気配が全身を覆いつくす。


「なんなんだこれは……」


 つい声が漏れるが、それほどまでに辺りを覆う空気は異常だった。


「あっちは村の方だ! 急がない、と!」


 立ち上がろうとするとハイリだったが、またすぐに態勢を崩す。


「お、おいハイリ、あんまり無理するな!」

「クソッ! これが無理しないでいられるか! だってこの雲明らかにおかしいだろ!?」


 歯を食いしばりながらハイリがゆらりと立ち上がる。

 確かにハイリの言う通りだ。こんなのはどう考えても異常事態だ。


「分かった。無理をするなとは言わない。でも少しは休んでおけ。先に俺が見てくるから」


 言うと、ハイリは悔しそうに下唇を噛むが、やがて観念したように座り込む。


「チッ、我ながらみっともねー。だが今のままじゃろくに動けないのも事実だな。五分もすりゃもうちょっとはマシになるだろうけど、一旦はアキ、頼めるか?」

「ああ言われなくても」


 ディーベス村で今何が起ころうとしているのか、あるいは既に起こっているかもしれないが、いずれにせよあそこにはティミーがいる。もし何か脅威に晒されているのなら、何としてでも助けださないといけない。そしてこの水を飲ませて元の元気な姿を見せてもらわないと。


「それじゃあ先に行ってるぞハイリ」

「おう、気をつけろよアキ」


 それだけ言って今は我が家となったティミーのいる家へと向かった。

 その道中、ふと最悪な展開が脳裏をよぎるが振り払う。

 ティミー、生きててくれよ。

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