第十七話 ロサの祠


 しばらく走ると、少しずつ岩に緑が見え始める。やがてたどり着いたのは苔むした断崖に囲まれた行き止まりだった。しかしその代わりに何やら亀裂のような洞穴がある。付近に人工物と思われる柱がある事から、恐らくこれが祠なのだろう。だとすればこの先に水が。


 中に入り片手に火をともし周りを照らしながら狭い洞穴を進んでいると、少し先にほの明るい光が見え始める。


 光に近づいていくと、そこは大きな空間になっていた。

 突き当りの壁には大きな像が埋め込まれ、周りには様々な文様が彫られている。その手前、中央には祭壇のような石舞台があり、明らかに人の手によって作られたような場所だ。何かの遺跡だったりするのだろうか。


 とりあず石の舞台に上がり周りを見渡してみるが、肝心の水が見当たらない。

 デマだったのか、あるいは既にここにはもう無い? だとすればティミーは……。

 ふと、心の中に黒点が生まれるのを感じる。これは絶望というやつだろうか? あるいはもっと違った別の……。


『闇に呑まれるな。決して……願わくば闇を救う者になれ』


 ふと、頭の中に男の声が響く。


「誰だッ!」


 咄嗟に振り返ると、何やらこちらに近づいてくる人影があった。


「これはすみませんアキヒサ君。驚かせるつもりはなかったのですが」

「お前、なんでここに……」


 大きめのひさしの帽子に、長い銀髪。柔和な笑みを浮かべリュートを持つそいつはダウジェスだった。


「それは勿論、アキヒサ君に百薬の水を授けるためです」

「百薬の水だと……? それは祠にあるんじゃ」

「そうですね。少し言い方が悪かったようです。厳密にはこの場所で出せる、という方が正しかったでしょうか」

「この場所で出せる? それじゃあまるで……」


 こいつが出すみたいじゃないか。


「お察しの通りですよ。アキヒサ君」

 

 ダウジェスは軟らかな笑みを浮かべると、話し始める。


「ここは古代、この世界の創造神である女神ロサを祀るための祭壇でした。時代を経る中で養老の祠や滋養の祠などと呼ばれ親しまれてきましたが、今となってはこの場所を覚えている者はいないでしょう。故にもっとも適切な名称はルーツに遡りロサの祠、とするべきでしょうね」

「ロサの祠……」


 シンプルだがどことなく神秘的な響きを感じさせるのは、やはりこの世界の創造神とやらの名前が冠してあるからだろうか。


「でもお前百薬の水? 出せるんだよな? 一体何者なんだよ?」


 俺がこの世界から来たじゃない事をすぐ見破ったりしてくるし。


「そうですね。ロサに縁のある者とだけ言っておきましょうか。この場所を知っていたのもそのためです」

「なるほど……」


 熱心な信者なのか、あるいは祖先とかそういう感じだろうか? 

 とは言え、考えて答えがでるものでもない。それよりも、もう一つ気になった事がある。


「なぁダウジェス」

「どうしましたかアキヒサ君」

「どうせここに来るなら付いてきてくれてもよかったんじゃないのか?」


 確かに俺が一人で走っていったんだけどさ、所詮子供のかけっこだから追いかけようもあっただろう。人を半殺しにする魔術を持ってるくらいだし、一緒なら相当楽できたと思うんだよな。道にだって迷わないだろうし。


「そうしたいのはやまやまだったのですが、ゆえあって私はこの祠には簡単に立ち入れず、一人で来なくてはなりませんでした」

「故ね……」


 胡散臭いな。こいつが言うから尚更胡散臭い。


「まぁそれは些末な事では? それよりもアキヒサ君には大事なことがあったはずです」

「そうだティミー!」


 こうしてる間にもティミーが居なくなってしまうかかもしれないんだ。悠長に長話なんてしてられなかった。


「頼む! ダウジェスだけが頼りなんだ!」

「ええ。勿論です。ただ、此処へ来る前に話した通り、水を得るためには大きな代償が必要となります」


 そう言えばそんな事を言ってたな。だがもとよりティミーのためなら命すら投げうつ覚悟だ。


「……やっぱり、命とかそういう感じのやつなのか?」


 尋ねると、ダウジェスは静かに首を振る。


「いいえ。百薬の水とはありとあらゆる病を治す奇跡の水です。故にそれは奇跡によってしか生み出す事は出来ません」

「奇跡?」

「はい。幸いな事にアキヒサ君にはその奇跡が宿っています。代償はその奇跡……」


 ダウジェスが言葉を区切るとその奇跡の名前を口にする。


――深層魔術【創造クレアーレ】です。


「代償が、創造クレアーレだって?」

「はい。もし百薬の水を手に入れるのであれば、今後アキヒサ君の身に深層魔術は無くなり、使えなくなります」

「なるほど」


 それが何を意味するのか、少なからずこの世界で生きていくのに難易度は上がるのは明白だ。今まで多少無茶してきたのも、何かあれば深層魔術がどうにかしてくれるという保険があったからだ。

 俺は決して完璧な人間ではない。そんな俺がそれを手放し、果たしてこの世界を生き抜くことができるのか?


「いや」


 愚問か。元々命など捨てるつもりで来ていた。生きる選択をもらえるだけでも十分ってもんだ。迷うことは無い。ティミーを助けるために俺は創造クレアーレを捨てる。


「分かったダウジェス。俺が深層魔術を捨てる事でティミーが助かるなら俺はそれで構わない」


 目を見てはっきり言うと、ダウジェスには珍しく厳かな様子で頷く。

 

「分かりました。では早速、百薬の水を創造します」


 そう言ってダウジェスは像の方へと歩いていくと、それを背にこちらへと向き直る。

 

「行きますよ」


 ダウジェスの問いかけに頷くと、瞬間、世界が暗転する。

 闇に包まれていると、ふと周りは無数の光る点が覆い尽くし始める。その光景はまるで宇宙のようだ。その中で、一際明るく光る星がある。


それを何を思うでもなく見ていると、そこから何かが近づいてくるのを視認できた。

 白銀に輝くその毛並みに厳かな獣の体躯。まるで虎のようば生き物だ。

 荒く力強そうな姿だが、どこか心を落ち着かせるようなそんな心持ちがする。


 その虎はこちらに近づきやがて俺を突き抜け通り過ぎると、ダウジェスの声が空間に響く。


「アキヒサ君、水を入れる器を」


 ハイリに貰った小瓶を懐から取り出すと、ひとりでに俺の手を離れた小瓶は宙に浮く。

 同時に景色が元の洞穴に戻ると、どこからともなく水が現れ小瓶の中を満たした。

 小瓶が俺の手元へと収まる。


「それが百薬の水です。しかし今後、アキヒサ君の身に深層魔術が発現する事は無くなったでしょう」

「そっか」


 少し寂しい様な気はするが、哀愁にかまけている暇はない。一刻も早くこの小瓶をティミーの元へ届けないと。


「それじゃあ、俺は行くけどダウジェスはどうする?」


 尋ねると、ダウエジェスが力なくほほ笑む。


「すみません、同行したいのはやまやまなのですが、かなり体力を使ってしまったので少し休んでから行こうと思います」

「……そうか分かった。ほんと助かったダウジェス、ありがとう」

「それはティミーさんが元気になってから仰ってください」

「それもそうだな。それじゃ、俺は行くな」


 一体どういう原理なのかは知らないが、少なくとも今この手元には百薬の水がある。一刻も早くこの水をティミーの元へ届けたかった。

 元来た道を戻ろうと身を翻すと、ふとダウジェスに呼び止められる。


「アキヒサ君」

「なんだ?」


 すぐに行きたいところだったが、何か重要な事なのかもしれないので足を止める。


「普通の魔術は今まで通り扱えると思いますが、今あなたは深層魔術を失った状態です。その事はお忘れなきよう」

「ああ、そんな事か。そうだな、それなら分かってる」


 これからはもっと慎重に動く必要がある。幸いな事に普通の魔術はようだから無茶さえしなければそれなりには生きて行けるはずだ。


「ですが安心してください。あなたはきっと、すぐにまた大きな力を得ることになるでしょう」

「そうなのか?」


 まぁ本当なら願っても無い事だけど、今はとにかく急ぎたい。


「はい。もし何かあった時は湧き出る感情に従うのです。そうすればきっと、あなたはその力を格段に飛躍させる事ができますよ」

「よく分からないけど胸に刻んどくよ。それじゃあ、俺は行くぞ」

「はい、お気をつけて」


 ダウジェスの視線を背中に感じつつ、俺は祠の外へ向かう。

 予言めいた事を最後に言われた気もするが、まぁ深く考えるのは後だ。ダウジェスの事だし、何か適当な事を言ってるだけかもしれないしな。


 それよりも、今大事なのはティミーにこの水を飲ませる事だ。

 ハイリもあの岩場でとっくにゴーレムを片付けて待っているだろう。

 あと少しだティミー。俺が絶対に助けてやるからな、どうか頑張ってくれよ。


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