2-16 ワンダーランド

「よう、アマノ、カグヤ」


 死にかかると、人間は幻聴が聞こえるらしい。もしかすると、もう二度と帰れないなと感じ取ったからこそ、本能的に自分が今一番聞きたい声を頭の中から出しただけなのかもしれない。どちらにせよ、引っ越す前にはこんなことが、自分の身に起こるとも思っていなかった。向こうでは冬でも外で寝られていたのだから。


「大丈夫じゃないみたいだが、大丈夫か?」


 頬に手のひらが生み出す、柔らかな痛みを覚える。その内心臓と同期し始め、この痛みは現実のものだと知った。


「ハルウミ?」

「平気か?」


 ハルウミがいた。重力を忘れたように天地を逆さまにして、そこにいる。夢のような光景だと思ったが、その両足にボードが磁石のようにくっついている。そんな離れ業を見せられてしまえば、体の奥から間欠泉のように笑いが飛び出た。こんなに笑ったのは久しぶりだった。


「よし、平気だな」


 心の底から、満足そうに頷いた。


 馬鹿みたいに大声を出したせいか、咳き込んでしまう。それが気つけになったのか、カグヤが意識を取り戻した。


「ハルウミ君?」

「カグヤも大丈夫そうだな」


 よしよし、と彼女の頭を撫でると、ようやく重力に従って、彼は俺たちと向かい合うようになった。ボードから脚を離すこと無く、カグヤを落ちる木の葉のように抱きかかえた。さすがに両手が塞がっているから、「腰か肩にぶら下がってくれ」。


「とりあえず、飛ばすから、しっかりと掴まれよ」


 するとボードがロケットのように轟音を上げ、俺たちは吹き飛んだ。まるで始めから知っていたかのように、木々の隙間をブレーキ一つかけず、一直線に突っ切った。視界から枝や葉が無くなる場所まで飛んだ時、不思議なことに、妙に感動を覚えた。


 空と宇宙の境目はまだ無く、紺碧の空が広がっていた。死にかけてもありありと輝き続けた星空や、その下の丘の中で灯るコテージの明かりが全く同質のものに見えた。きっとあそこにたどり着けば俺たちは教師に心配されて、そして怒られるだろう。カグヤがいうように星々にも物語があるのなら、あの星のどこかには俺たちみたいに死にかけた異星人だっているはずだ。そして誰かの帰りを待ちわびるように明かりを灯すんだろう。距離の長さだけで、そこに大した違いはないだろうな。


「おや」


 ハルウミの口からそういうことはなかなか聞かないので「どうしたの?」と尋ねずにはいられなかった。


「ちょっと急ぐぞ。たぶん安心したからだろうな。カグヤが気絶しちまった」


 鷹が高所から獲物に急降下するように、体感したことのないようなスピードが体を揺さぶった。掴まっているだけで精いっぱいだったが、それでも堪えた。


 俺たちはだいぶ遠くの、変な場所で彷徨っていたようだ。思っていた以上に、コテージまで距離があった。コテージまでの距離は刻一刻と短くなっていくが、ふと気になったことがあった。


「ハルウミ君は、どうして僕たちを見つけられたんだい?」


 風を切る音に負けないように、ハルウミに聞こえるように大声を出した。かすれていたが、それでも彼には届いたらしい。わずかに振り返り、目を細めた。


「さっきから思っていたんだが、口調が一気に変わったな」

「いろいろあったんだよ」

「そうなのか」


 安心するような、感心するような。肩にほとんど隠れて見えなかったが、そんな表情をしていた。


「見つけられた理由だが」


 からかう様に声を上ずらせ、「コツがあるんだよ」とだけはつらつとした調子で言った。


「コツって、どんなものなんだよ?」

「それは、秘密だ」

「教えてくれたっていいじゃないか」

「教えたところで、たぶん面白くないからやめておくさ」

「そうかい」


 たぶん教えられたところで、俺にはできないことなんだろう。他の人ができるのかも怪しいし、逆にほっとした。ただ、ハルウミのようにはなれなくても、そうなりたいと思えた。自分の持っている力を惜しみなく誰かのために使い、それを驕ることもないようなそんな人に。


 そう思うと、今まで彼に尋ねたかったことを聞きたくなっていた。この一か月の間、ポケットの中に入れっぱなしだったメモ帳を確認するように、聞きたくても聞けなかったことだった。


「ハルウミ君は、どうして僕を気にかけてくれるんだい?」


 尋ねると、彼は目を丸くした。まるで昨日話されたことを再び尋ねられたような、そんな表情だった。


「あれ、話してなかったか?」

「何を?」

「俺のばあちゃん、制服の仕立て屋なんだ」


 あぁ、なるほどな。そりゃあ、俺が来るって知ってたわけだ。


「おばあちゃんに、初対面であんなこと面向かって言うんだからな、気になったんだよ」


 凍り付いていたはずの頬に、雫が走った。それがボードのから伝わる淡い熱のおかげか、それとも恥かしさゆえに頬が赤くなったからなのかは分からなかった。

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