2-14 ☆ ☆ ☆
気が付いたとき、山々に囲まれた星空がやけに奇麗に見えた。隣には幸いカグヤがいたが、気を失っている。体を動かそうとすると、全身がまるで軋むような痛さに襲われた。自分たちがどこから落ちたのかは分からないが、クラスメイトの手元のライトすら見えないほど、とてつもなく高いところから落ちたようだ。この程度の怪我でラッキーだと思う他ない。
まだ痛むがどうにか体を起こすと、肌が凍るような寒さで身震いした。腰に付けていた調整機を確かめると、スパークを上げて、故障している。最悪だ。
迷子になったときに感じるあの嫌な感覚に苛まれていると、カグヤが意識を取り戻した。自分の状況を確認するように辺りを見回す。まだ意識がはっきりしていないのか、「アマノ君?」と呂律の回っていない調子だ。
「怪我は、していませんか?」
「全身痛いけど、大きな怪我はしてないみたい」
「ならよかった、です」
よくはなかったが、そう言うしかない。もっと気の利いた言葉を返せればよかったが、思いつかなかった。それよりも取り巻いているこの静閑な寒さが、汗をゆっくりとでも凍てつかせていくことが問題だった。
「アマノ君、やけに寒がっているけど」
「調整機が、故障してしまいました」
「え、大丈夫なの?」
「何とか、はい」
その時、星明かりに照らされて、初めてカグヤの顔が見えた。あの全てを見てきたような済ました表情はそこに無く、これから何が起こるか分からない故の、あの表情だ。俺が焦りたいのに彼女がそうしているものだから、鼻の奥が透き通るように、自然と落ち着いていた。
「私のは……」
確認しようとすると、小さな破裂音と共に、彼女の調整機も壊れた。無理に動かした生なのだろうか。どっちでもいいが、お互い何も言えなかった。五体満足で呼吸をしているのが不思議だったが、かえってそれが残酷に思えてくる。ただ、このまま死ぬのは嫌だと、言葉に出さずとも理解していた。
「どうしま、しょうか」
「とりあえず・・・・・・暖を取るべきだよね」
「えぇ」
「だったら、なんとか頑張って、火を起こしてみようよ」
「山火事になるかもしれない、ですよ」
「でも、狼煙になってくれるかも」
「確かに」
そう聞くと名案だと思えてきた。体の中にまだ残っているエネルギーを振り絞って、大きな枝を見つけ出し、遠い昔に見た資料映像を参考にしながら、必死に擦り合せる。焦げた匂いが少し立ったが、空気に水分が多いせいか、枝は燃え上がる様子を見せない。
「点かない、ですね」
「まだ摩擦が足りないのかな?」
「もしかしたら、そうかもしれません」
そこからしばらく続けていたが、やはり火は点かなかった。汗をかいた分、寒さが凍みてくる。
「頑張って、明かりを探そう」
「えぇ、そうしましょう」
とんだナイトウォークになったな。そんな皮肉を吐く余裕もなく、俺たちは歩き続けた。初めのうちは無言だったが、まだ生きているか確認するように、カグヤが喋りはじめた。
「アマノ君見てよ」
「何をです?」
「ほら、北極星」
寒さでやられ始めているんだろうか。指先から腕まで全てが細かく揺れている。その咲きにはあるのは、星で敷き詰められているはずの宇宙にぽっかりと穴が開いた場所で、一際輝く星だった。普段見えている世界の中に、名前があることに驚いた。北極星の回りに散らばる星々もきっと名前があるのだろう。
「あれですか?」
「そう、あれ」
「あの星がどうしたんです?」
「あの星は、目印だよ。北極でほとんど動かないから、航海士達の目印に使われていたんだよ」
「ほとんど?」
「ほんの少しだけは動くんだけどね。誤差みたいなものだよ。あの星を見つけてしまえば、後は家に帰るだけだったんだよ」
「昔の人は頭がいいんですね」
「星から物語を教えてもらっていたんだよ」
そう語るカグヤは今にも力尽きそうだが、生き生きとしていた。星々を読み解くことで、自分の力としているかのようだった。
「それで、あの北極星がどうしたんです?」
「だから、あれをたどれば帰ることが出来るんじゃないかな?」
火こそつかなかったが、妙案だと思えた。
北極星を目印に。とはいうが、そもそも俺たちはコテージの場所での星空を知らなかった。地図なしで知らない街を歩くようなもので、更に迷い始めたといった方が正しい気がしていた。それでも止まってしまうと二度と動けなくなりそうで、俺とカグヤはとりあえず、歩くしか無かった。ただ歩ているだけだと意識がはっきりとしているかも分からなくなるので、自然と話をしていた。
バスの中でも言われたことだが、彼女は敬語が心底苦手らしい。理由を尋ねてみれば「なんとなく、冷たい距離がある気がするんだよ。全部が全部、そうじゃないとはわかっているんだけどね」とだけ返された。そうなってしまえば、敬語は使えなくなってしまっていた。申し訳なさというよりは、すぐ隣で一緒に歩いてくれる人には、もっと砕けたほうがいい気がしたからだった。
「それで、カグヤさんは」
「さん、も」
「それはたぶん今はまだ無理、だよ。ハルウミ君にだって君付けしないと、なんか嫌なんだよ。カグヤさんだって僕を、アマノ君って呼ぶでしょ?」
「そうだね。アマノ君は、アマノ君だ」
「それでなんだけど、カグヤさんは、どうして星が好きなんだ?」
「なんかアマノ君、ハルウミ君みたいな喋り方するね」
「そりゃあ、一番仲良くしてもらってるから、かな」
「なにそれ」
「今呼吸していることが説明できないことと一緒だよ」
「もっと意味が分からないや」
そんな他愛もない話を続けていれば、冷えた手で握るマグカップのような安心感があった。わずかな温かさでも、今は大切にしたかった。
「そうだね。星が好きな理由は、やっぱり物語があるからなかなぁ」
「物語か」
「そう、物語。星は私たちに直接語り掛けるわけではないけれど、人が見つけてきた物語があるわけじゃない。例えば今目指している北極星だって、物語があるんだよ」
「どんなもの?」
「北極星は一年中休まない子熊の前足だし、小さな北斗七星だったりするわけだよ」
妙な感覚だった。ト音記号のように、あの動かない星から延びる星たちをつなげば北斗七星と呼べそうだ。だがどうしても「子熊のようには見えないな」。
「それだけ、昔の人は想像力豊かだったんだよ。星を見上げるしかなかったから、私たちでは考えつかないような物語を星空に託したんだよ。それに星の物語だけは、どんな人も受け入れてくれる優しさがあるから、知るたびに感動できるの」
「ハルウミ君に負けないくらい、ロマンチストだね」
「それは、どうも」
照れるような仕草はなかった。どちらかといえば、親が昔話をするような、そんな感覚だった。それほどに彼女の中では当たり前のことなんだろう。
それからしばらく歩いていた。肌の感覚が麻痺し、もはや寒さと痛みの境目がわからなくなっていたが、それでも話を続けることで意識を保っていた。だが、ふとカグヤが「そろそろさ、ちょっと休まない?」。
嫌な感覚がよぎった。川辺を歩いているときにふと頭の奥が透き通るようなものであり、何か悟ったといっても差支えない気もしていた。
カグヤは元から肌が白かった。それを差し引いても異常といえるほど、血の気が引いていた。呼吸も続いているのかどうか分からないほどに、体の動きも鈍い。
「疲れたよ」
泣き出しそうな声を聴くと、目の前が真っ暗になった気がした。振り切るよう頭を何度も降ったが、そのたびに視界が二重にぼやける。限界が来ているんだな、とどこか冷静な自分がいた。
「大丈夫だよ」
そんなことを言った自分も、大丈夫じゃなかった。そう言ったほうがいいと思ったから口にしただけで、草を撫でる風よりも心臓の音のほうがよく聞こえた。たくさん歩いていたはずだが、脈打つ感覚が長くなっている。
雲一つなく、星空が見えたのが幸いだった。
たぶん俺たちは、このまま寒さによって死んでしまうのだろう。瞼も重く、ゆっくりと眠くなってゆくのは、たぶんエンジンが切れた車と同じだ。違うのは、生命活動の再起動というものがないというところだろうか。
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