2-12 ☆ ☆ ☆

 班で晩御飯を作って、入浴した後、ナイトレクの時間になった。決められたコースを歩くだけの行事であり、汚れてもいい服装に着替えることになった。全員集合したところで教師が説明するが、どちらかというと皆で夜道を歩くことが楽しみでしょうがなく、終始ざわめいていた。真面目に聞いていたが、分かったことは「夜道であるが、安全であること」「道中のいたるところに問題が設置されており、それに答えられたら何かいいことがあること」くらいだった。「銀河鉄道の乗車券かな」とカグヤが言ったが「それはないと思い、ますよ」と返すと「だよね」と本気の様子で残念がった。


「さぁ、それでは皆さん順番に出発しますよ」


 自分の班の番を待っていると後ろで、忘れ物でも思い出したように、ハルウミが「サクヤ、靴は大丈夫か?」。

「えぇ。カグヤちゃんからシューズ借りたから、平気」

「ならよかった」


 なんとなくだが、隣にいるカグヤの表情は曇っているように見えた。それがハルウミに向けられたものなのか、それともこの光景に向けられたものなのかは分からないが、芳しくないことだけは感じ取れた。とりあえず何事も起こらなければいいと思うしかなかった。


「次は三班の皆さんです、行ってらっしゃい!」

「それじゃあ、行こうか」


 ハルウミを先頭にして、俺たちの班は出発した。


 一歩山道に足を踏み入れると、違う世界だった。いつも夜は出歩かないからそう思ったのかもしれない。手元のライトがなければ何も見えない。日常とは違う異質さが歩くたびに耳を鋭敏にさせ、光の外の様子を想像させる。風に揺れる木の葉に驚き、遠くで聞こえる鳴き声が自分を食べにくるかもしれない。見えない世界の不気味さが、そこにはあった。とはいえ、前を歩いていたカグヤの「星が見えないのが残念だなぁ」、と抜けた調子のおかげで、幾分気分は和らいだ。


「そうだな。せっかく銀河ステーションに行ったんだから、星空が見たいよな」

「本当、そうよね」


 震えている俺とは違い、三人は夜に慣れているようだった。もしかすると彼らがまだ小学校の頃には、こういった行事があったのかもしれないな。そう思えると、今こうしているのが馬鹿らしく思えてきていた。


 教師の説明通り、何問もの問題が道中に設置されていた。その度に立ち止まり、四人で答えを考えて、メモに残していた。ただやはり気になったのは、サクヤが何気なくハルウミに近寄ろうと距離を詰めていた。昼間のことがあったから彼女の行動も仕方ないのかもしれないが、気になって仕方なかった。俺と同じだったのか、二人から少し距離を置いて、カグヤが耳打ちしてきた。


「アマノ君さ、今のサクヤちゃん、どう思う?」

「どうもこうも、そりゃあもうあれでしょう」

「あれ、っていうと」

「たぶん、好きなんだと思いますよ」

「だよね」


 自分の思っていることを、誰かの口ではっきりさせたかったんだろう。カグヤはしばらく隣を歩いていたが、その表情は終始険しかった。不思議だったのは、カグヤから感じるその表情がハルウミに向けられたもの、というよりは二人の間にある甘い空気にだということだ。この空気すら暖めてしまいそうな熱さに、うだっているようにも見える。


「なんか、今のカグヤさん、カグヤさんらしい表情じゃないですよ」

「え、どういうこと?」


「僕の勝手な印象なんですけど、カグヤさんってどことなくですが、今この瞬間をどこかかの空から観測しているというか、そんな感じがある気がするんですよ。でも今のカグヤさんは、何というか、ここに足を付けてしまっているというか、そんな気がします」

「それは、星が見えないからかも」


 確かに今は曇っているが、答えとしては違うだろうと思う。


「でもそうだね」


 ため息をつくと、いつものような表情に戻った。


「今の二人を見ていると、追いつけないんだ」

「なにが、です?」

「急に現実が、というか、そういうはっきりとしたものが突然自分の隣に現れたからかな」

「はぁ」

「それで、今までずっといた友達の知らなかった一面を見てしまうと、なんか違う生き物に見えてくるし、よく分からなくなってくるんだ」

「そう、なんですね」


 と返すが、彼女の胸の内がよく分かってはいなかった。ハルウミがあそこまでするのかとは思ったが、彼の普段の一面でしかなかったから、彼女ほど違和感を覚えられない。ただ、カグヤからすると、サクヤのそれはきっと違うのだろう。


「たぶん、なるようになるんじゃないですかね」

「そんなものなのかな」

「たぶん、ですけど」


 当人達の少し後ろでする会話じゃないだろうとは思っていたが、それでカグヤの気が晴れるなら悪いことではないかもしれない。


「いつかは、このモヤモヤも晴れるのかな」

「星を見ていれば、いつかは晴れるんじゃないですかね」


 心にもないことを口にしてしまったが、彼女は「そうだね」と笑った。


 楽しそうに喋る二人だが、時折ハルウミは俺たちがちゃんとついてきているか振り返った。そのたびに手を軽く挙げて、返事をする。表情はあまり見えていなかったが、きっといつもの調子で笑っているんだろう。そう思うと、なんとなく安心した。


「いつか、分かったらいいんだけどね」


 悲しげな声音だったが、月のような僅かに明るい表情が見えたので、「きっと、分かりますよ」。


 ただ、二人に気を取られすぎていたのだろうか。カグヤの足元から、妙につるりとした音が飛び出た。間が抜けすぎていて、一瞬何が起こったのか分からないほどだった。


「へ?」


 カグヤが足を滑らせた。滑らせた、という表現は可愛いもので、コースから足を踏み外し、暗い谷底へと落ちようとしている。


 頭の中で、大音量のブザーが鳴っていた。


 一秒と一秒の間に一分が入り込んだような、世界がスローになっていた。


 自然と手が伸びた。カグヤの冷えた手を握りしめていた。その瞬間に俺の体も一緒に、引力にひかれた。詰まるところ、俺とカグヤは落ちていった。

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