2-11 ★ ★ ★

 放物線状の雲をベンチで眺めていたのだが、太陽が沈むとケラの寒さは一層厳しくなった。はじめのうちは強がっていたガリレオだが、結局「中に入ろう」と根負けしたので、カフェに入った。


 カフェは観光客であふれていた。順番待ちの列も長く、注文の番が回ってくる頃には、俺も幾分腹が減っていた。コーヒーとサンドウィッチを注文したのだが、ガリレオはやはり塩を多めにトッピングする。何名かの地球人がぎょっとした様子でガリレオを見たのだが、俺にとってはもう見慣れていた。


「体を悪くするぞ」

「失った塩分を取り戻したいんだよ」

「なら食塩水を頼んだ方がいい」

「薄味しかないから、こっちの方がいい」


 味を確かめると、満足そうにうなずいた。席が空いていなかったが、カフェの奥はそのまま博物館になっていることに気づいた。どうやらカフェで頼んだ軽食を持ち込んで見回ってもいい、開かれたタイプの施設らしい。覗いてみると、何名もの地球人が展示品を眺めていた。


「アマノ」

「なんだ」

「僕、こういうの、興味が沸くんだ」

「だと思った」


 それで、俺たちも博物館に入ることにした。


 外の寒さをそのまま閉じ込めたように、博物館は静閑な場所だ。足音の一つ一つがよく響くし、ささやき声すらよく聞こえる。ただ、しっかりと防音されているようで、少し奥に入っただけでカフェの喧噪はなりを潜めた。


 展示されている品々は、どこか地球の博物館と似たものを感じた。かつてこの星を闊歩していたであろう巨大な生物の化石やケラ人が築いた文明など、全てが似ている。ただ決定的に異なっていたのは、最初のブースに何かしらの文字が刻まれた大木だった。公用C文字でもなく、いうなれば英語のような惑星の原住文字だ。自動翻訳でも引っかからないような、それほどに古い文字のようだ。


「なんて書いてあるんだろうね」

「『ようこそ人々よ、我々は宇宙一の技術者です』なんてでも書いてあるんじゃないか?」

「あまり上手くない皮肉だね」

「だな」


 そんな馬鹿な話をしていたら、一人のケラ人が俺たちの前に降り立った。深々と頭を下げ、「ようこそ。私、イリジアンといいます」。

「どうも」


 ぶっきらぼうに挨拶を返したが、ガリレオが丁寧に「初めまして」と深々と頭を下げたので、ばつが悪くなった。


「私、この博物館で案内人をさせていただいております。お見受けしたところ、ここにいられる皆様と同じようで、案内が必要かと思いまして。それでお声かけさせていただきました」。


 良くも悪くもケラ人は皆、丁寧に喋るようだ。そう感心していると、「お願いします」とガリレオが言いかけたところで、「待て」と肩をつかんだ。

「なんだい?」

「自分たちで見回らないか? このケラ人が、アピオンみたいなやつだったら、どうする?」

「もしそうだったら大変だけど、こういうのは、直接聴いたほうが面白いよ。文字より、生きている人の方がずっと面白いよ」


 穏やかな顔をしているが、瞳はそうではなかった。雲の向こうでも確かに輝いている太陽のように、煌々としている。こういう瞳をした人を止めることが出来た試しがないので、渋々従うことにした。


「それではご案内させていただきます」


 イリジオンが宙を舞い、俺たちを奥へと導く。最初に連れられたのは、巨大な体躯をした化石の前だった。


「これは現在確認できる、私たちの祖先の化石です」


 化石の上では、復元図がホログラムとして揺らいでいる。自分の身長の数倍もある膝の骨や、地球人が三人丸まってようやく同じ大きさになりそうな頭蓋骨。全てを初めて見るのに、この化石を恐竜と呼びたくなった。地球人が生まれてから出会ったことの無い生物のはずでもなぜか懐かしさを感じるように、妙な親近感をその化石に抱いた。


「この星に住まう生き物と同様に、我々は元々飛べなかったのです。それがある日啓示を受け、空を目指すようになったのです」

「啓示?」

「そう、ある日の啓示です。『星の世界へと飛び立ち、我を見つけよ』。いうなれば神話の第一章です。その言葉は北極星からやってきたといわれていますが、今となっては定かではありません。ともかく我々の先祖はこの啓示を一冊の本にまとめ、空を目指したのです。これが我々の文明の始まりです」


 科学を信条とする星で、「啓示」という言葉は真冬に向日葵が咲くような、ひどく不釣り合いな気がしていた。


「その進化の過程で、飛ぶための翼を得て、代わりに脚を短くしたってことなんでしょうか?」

「突き詰めると、そうなりますね。他の星の生物に関しては私が申し上げることは出来ませんが、我々の先祖はその方が効率的だと判断したのでしょう」

「僕の星でも、鳥はあなたたちに似ています」

「おそらく、文明を持つ鳥人達は、我々の姿に似るのではないのでしょうか? ともあれ、我々は今日まで宇宙をめざし、技術を発展させてきました」


 すると、シダに似た植物が恐竜を覆い隠した。再び森が開くと、開けた草原が現れた。その見た目こそまだまだ異なっているが、ケラ人の先祖はくちばしを器用に操り、枯れ枝に炎を付けた。その枝を咥えて草原の四方へと旅立ち、みるみるうちに翼をその腕に生やした。空を飛ぶ度に園からだは小さくなってゆき、ついにはカラスと呼べるような姿になった。


「こうして我々は文明に必要な熱を手に入れました。その熱を操り、技術を蓄えていったのです。幾度もの気候変動が訪れましたが、それをも乗り越え、我々は宇宙へと飛び出しました」


 街を築き上げたケラ人は、空を飛べるようになってもその上を目指した。街が出来、そしていつしか宇宙へと船を飛ばす。ある船は銀河連盟と交流を結び、ある船は太陽へと接近する。俺たちが目にしたダイソン光球がいつの間にか太陽を覆った。

「様々な生命に我々は遭遇しましたが、今現在、我々はまだ聖典の言葉の主を見つけることが出来ていません。しかし、いつかの為に、邁進を続けているのです」


 嬉々として語る彼女の目は、アピオンのそれと僅かに似ていた。ただ、彼女の目は宇宙の構造を突き止めたいと願う科学者のような、広い世界に向けられていた。存在しているのは自分だけではないと理解しているような、そんな澄んだ目だった。


「へっくし」


 前触れなく起こったガリレオのくしゃみが、厳かに固まっていた空気をぶち壊した。耐えきれず唇が上に動いてしまったが、イリジオンは目を見開き、すぐさま自動調節器に目をやった。


「おや。あなた様の自動調節器は、故障されているのですか?」

「えぇ。最近不調気味で」

「私たちなら、三十分もあれば修理できますよ。若手の勉強になりますし、お代も結構です。修理させていただけませんか?」

「そこまでしていただけるんですか?」

「ええ、喜んで」


 「お願いします」とガリレオが手渡すと、彼女は博物館の外に消えた。不調でもそれなりに機能していたのだろうが、ガリレオは防寒手段を無くした。おそらく障子の隙間から吹いてくる風に背筋を舐められるものが、急に極寒の世界に放り出されたようなものだ。先程以上に身震いするので、「このジャケット、借りるか?」。


「いいのかい?」

「風邪を引かれたら困るんでな」


 ジャケットを渡すと、「これだけで大分変わるねぇ」


「あぁ。地球でも極寒の世界で利用される服だからな。一枚で、大分寒さを凌げるさ」

「ありがとう」


 ジャケットはその裾が膝まで届いていて、ガリレオの体にはひどく不釣り合いだった。それでも防寒性能がよかったのか、「これは確かに温かいね。調整機いらずだ」。


「お二人とも、お待たせしました。ガリレオ様の調整機は、置換セレモニーが終わるまでには修理完了しますので、今しばらくお待ちください」

「むしろこちらこそ、快く修理してくれて、ありがとうございます」


 パレードを率いる団長のように、イリジオンは右翼を胸に当てて、深々と頭を下げた。「私からの説明は以上でございますが、何か疑問点などはございますでしょうか?」


 ガリレオは特に何もなさそうだったが、俺には訊きたいことがあった。


「二つの脚と二つの腕を持つ生物としての疑問なんだが」


 自分がこんなことを口にするのは、どうしても笑いが堪えきれなかった。どちらかといえば、ガリレオらしい尋ね方のような気がしたらだろう。


「ケラ人の本というのはどういうものなんだ? 俺たちは手を使って文字を書き記すのだが、全く思いつかない」


「おや、既にご覧になったでしょう?」


 つぶらな瞳でイリジオンは首を捻った。本という言葉に齟齬を感じたようで、一瞬、なんともいえない空気が漂ったが、「あぁ、なるほど」と俺の質問の意図を理解したようだった。


「おそらくあなたたちは本を木とよく呼んでいます。よく何かに加工されていますが、本は我々にとってそこにあるものですよ」


「では入り口のあれが」


「さすがに、レプリカですが、精巧に再現していますよ。全十章の聖なる文字が記録されています」

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