2-10 ☆ ☆ ☆

 防音仕様で厚くなっているはずのガラスを壊しかねない轟音を上げ、十七両の車両が走り出した。昔ながらの線路に沿って駆け、緩やかな放物線を描くジャンパーを飛び出した。真新しい機体らしく陽光を幾重にも反射させながら空を走り、一つの線となって雲の向こうに消えた。


 同級生だけではなく、子供や老人もその光景に圧倒されていた。宇宙が身近になった時代とはいえ、特別な機体が宇宙を駆けてゆく姿はやはり心惹かれるものがある。昔、飛行機がまだ今以上に身近なものではなかったとき、人々もこのような感情を抱いたのだろうか。俺の隣に並ぶ二人も、同じような感覚だろうか。


「アマノ、そろそろ二人に声をかけてこいよ」


 いつの間にかトイレから帰ってきていたハルウミが、少し離れたところで空を眺める二人を指さした。帰ってくるなりの一言だったから、思わず「えっ、どうして、です?」。


「先生がそろそろ移動したがってるんだ」


 ハルウミはそういうが、向こうにいる教師は特に、いつもと変わった様子はなかった。普段通りに佇み、俺たちを静かに、ぼんやりと見ている。


「先生の、どこがそんな感じに見えるんです?」

「よく見ろよ。時計のついている方の腕をさすっているだろう?」


 確かに、彼女はそうしている。が、俺にはただ効きすぎた空調に身震いしているようにしか見えなかった。越してきたころも今も、母が同じことをよくやっている。

「寒がっているだけじゃ?」

「いいから、さ」


 ハルウミが急かすので、二人に声をかけた。サクヤは別段なんともない表情だったが、カグヤは眉をひそめた。「そろそろいい時間ですし、行きましょうよ」と伝えると、どことなく納得してくれた。


「よう二人とも。銀河鉄道が出発する瞬間はちゃんと見られたか?」

「もうまざまざと、凄かったわ」

「サクヤがいうのなら、そうとう凄かったんだろうな」

「ええ、本当、凄かったわ。ハルウミ君、見てなかったの?」

「ちょうど、席を外していたんだ」


「それはもったいない」

「それに、銀河鉄道の便は全部、夜にとるべきだと思っているから、今は見る気になれないんだ」

「どうしてそう思う、んです?」

「そりゃあ、銀河鉄道での旅は爺ちゃんの、そのまた爺ちゃんたちが一生かかってもたどり着けなかった他の星系へのものだろう。昔の人が夢見た宇宙を思い出させるのは、夜だけだ。だから夜を駆ける銀河鉄道を、俺は見たいんだ」


「なるほど、ですね」

「ハルウミ君、ロマンチストね」


 サクヤが茶化すが、何か違和感があった。いつもと変わらない達観したような、俯瞰したような口ぶりだが、自分の本音を言うために誰かの口調を真似ている、そんな違和感だった。


「ハルウミ君」


 訝しんでいる俺の側で、カグヤが口を開いた。


「どうした、カグヤ?」

「宇宙は、いつでも夜だよ。地上がどれだけ輝いていようが、飛んでしまえばいつだって出迎えるのは夜なんだよ」


 おそらく彼女は自分なりの考えを口にしているだけだ。だが俺から見れば、言い合いをしたいように見える。だがハルウミはふっと微笑み「あぁ、そうだな。宇宙はいつだって夜だ。街がない」とだけ返した。


 二人とも宇宙を語っているのに、どうしようもなくズレていた。ハルウミは地面に足を付けて銀河鉄道を見たいと言っているだけだ。でもカグヤは、既にここから飛び立ってしまっているような物言いだ。そのズレがなんとなく面白く、思わず少し吹き出した。


「アマノ君って笑うのね」


 隣を歩いていたサクヤが、不思議な眼差しで俺を見ていた。


「え?」

「私、アマノ君の笑っているところ、初めて見たの。だからちょっと驚いちゃって」

「僕だって、笑いますよ」

「知ってるわ」


 初めて話したときと同じように、ばつが悪そうに、苦笑いを浮かべた。


 ハルウミが言った通り、教師は早く次の行動に移りたかったらしい。他のクラスメイトよりも早く戻ってきた俺たちを見るなり、少し目を大きくした。すぐに元の表情になったが、教員らしく、柔和な笑みを浮かべて「早かったわね」とだけ声をかけた。結果的に示し合わせたようになったのだが、俺たちのすぐ後に他のグループがやってきた。生徒達の物わかりの良さに気圧されたようで、ほんの少しだけ口をすぼめた。


「皆さんが早めに集まったので、バスに乗りましょうか」


 バスに乗るとすぐに出発した。相変わらず空は曇っているし、むしろ銀河ステーションに着いたときよりも悪くなっている気がした。しかしながら技術の発展は素晴らしいもので、事故らしい些細な先触れを感じることもなく、山の麓に到着した。降りる瞬間、牡丹雪でも降ってきそうな空気に出迎えられた。後ろに並んでいたサクヤが「寒っ」と呻く。


「やけに寒いな」

「本当、ですね」

「まるで冬が戻ってきたみたい」


 後から降りてきたカグヤが地面を踏むなり、「サクヤちゃん。足元に注意してね。割と湿っているから」と呟いた。


「あ、本当ね。今日、お気に入りの靴で来たのに、これじゃ汚れちゃう」

「こういうときは、運動靴の方がいいよ。それに、予定表にも書いてあったでしょう?」

「そうだけど、やっぱりこういう特別なときはおしゃれしたくなるじゃない?」

「気持ちは分かるけどさ」


 カグヤが呆れるように軽く笑うと、「これでも貸したほうがいいかな?」とバッグの中からスリッパを出した。なんで今どきこういうものを持っているのかと不思議だったが、彼女ならなんとなく準備しそうだなとも納得できた。


「遠慮しておくわ。絶対足が冷えるもの」

「じゃあ、どうするの?」

「じゃあこうしようか」


 そう言ったのはハルウミだ。背負っていたバッグを腹に持ってくると、そのまましゃがんだ。「ほら、乗っかりなよ」。


「え」

「靴、汚したくないんだろう?」

「ま、まぁそうだけど」

「じゃあ乗りなよ。それに、たぶんその方が疲れないだろうし」


 なかなか人目を気にしないな、と思う。それは俺に限らず、カグヤや他のクラスメイトも同じだった。だがどこか有無を言わせない、清涼な風のような気持ちよさがそこにはあった。


 サクヤは迷いながらも結局、ハルウミに背負われてコテージへと向かうことにした。彼がいつ間違ってもいいように、俺とカグヤは少し後ろを歩く。なんでもできるハルウミとはいえ、やはりふとした拍子に彼女を落としてしまわないか、心配だった。とはいえ俺は失敗するなよと思いながらも、初めて本格的昇る山らしい山に目を奪われていた。


 脇で背を伸ばす草や剪定されずに鬱蒼と生い茂る木々の間に、中腹部までの道があった。舗装されたわけではなく、今までに数えきれないほどの人が歩いて生まれた道だった。その道を歩くことは、生き物の中に迷い込んだような気さえする。揺れる木の葉は髪の毛のようであり、時折肌に当たる風は山の呼吸と錯覚しそうだ。地面から湧き上がってくる冷気が街のそれよりも清潔であり、一歩ごとに文明から離れて行っている気さえした。


「ハルウミ君ってさ」


 カグヤが、ハルウミを睨むようにじっと見ている。

「彼がどうしたんです?」 

「自分のことを知らなさすぎると思うんだ。彼、学校中の女子から人気があること、知らないのかな」


「あぁ」

 一瞬、どう答えようか迷ったが、思ったことをそのまま口にしたほうがいい気がして「たぶん知っているんじゃない、ですかね」。


「だとしたら、悪い男だね」

「えぇ、まったく」


 とはいえ、それで嫌いにはなれなかった。彼と出会って一ヶ月で分かったと一つは、彼は男女関係なく等しく接しているということだ。そこに明瞭な線引きはなく、明日に少しの期待を抱いて今日を楽しむ。それがハルウミだと思う。


 幸いハルウミがやらかしてしまうことなく、全員コテージにたどり着いた。


「ほら、ここならもう汚れもしないだろ」


 下ろされたサクヤは、少し惚けていた。これからのことを教師が説明していても、心ここにあらずといった様子だった。カグヤが「サクヤちゃん、もう行くよ」と手を差し伸べたとき、ようやく地に足が着いたらしい。ずっと負ぶわれていてまだ重力になれないようで、よろよろと立ち上がるしかなかった。



 班は男女混合でも、部屋はそうはならない。俺たちは四班の男子と同じ部屋だった。彼らは部屋に着くなり、ハルウミに詰め寄った。


「ハルウミ、なんだよさっきのあれ!」


 絶対に、誰かが切り出すと思っていた。全員が全員詰め寄るが、ハルウミは顔色一つ変えずに言った。「ただの、じいちゃんの真似だよ」


「嘘つけ! 絶対サクヤちゃんに気があってのことだろ!?」

「そうかもしれないな」

「ほら!」

「だが、そうじゃないかもしれない。人間負ぶわれているときが一番落ち着くだろう?」

「確かに、そうかもしれないけどさ」

「そういうことだよ」


 良い意味でだが、ハルウミの有無を言わさないこの雰囲気が好きだった。


「それよりも、早く荷物を置いていこうぜ」


 四班の男子は不満げながらも、とぼとぼと部屋から出て行った。


「それで、実際どうしてサクヤさんを背負おうと思ったんです?」

「だから、爺ちゃんの真似事だよ」

「本当に?」

「本当に」


 柔らかく細められた目を前にすると、何も言えなくなった。ただ、「いやさ、俺。結構な爺ちゃんっこだったんだよ」と喋り始めた。


「雰囲気から、なんとなく分かり、ますよ」


「南米から引っ越してきてからさ、今まで会えなかった分の時間を取り戻すみたいに可愛がってくれたんだ。その時は両親のどっちも忙しすぎたから、俺もずっと爺ちゃんと婆ちゃんとで過ごしていたんだ。本当、楽しかったよ。色々知らないことを教えてくれてさ、自分の見ている世界の、違う見方を教えてくれたんだ。まぁ、それで小学三年生の時だな、爺ちゃんが倒れたんだよ。調べてみたら体に沢山の癌があることが分かってな。癌なんて、歴史の教科書でしか見ない病気だと思ったんだ」


 倒れた、という言葉は鼻の奥が詰まるような感覚だった。転んで地面に体が伏すこととは全く違って、もう立ち上がることが出来なくなる。今まで出来ていたことがもう無理になってしまうのは、きっと体が何か得体の知れないものに支配される感覚なのだろうか。想像するしかなかったが、寂しさだけがあった。


「それで、どうして治療しないのさ、って尋ねたら「せやかて、癌だって俺の体から生まれたもんだからなぁ。背負って一緒に死ぬさ」って明るく笑ったんだよ。爺ちゃんがどういう気持ちかは知らなかったが、もう二度と会えないと思うと悲しくて、抱きついて泣いちまったなぁ。結局ほんの二、三日で亡くなったけど、最後は不思議と笑っていたよ」


 ハルウミの気持ちを推し量ることは出来なかったが、無理に訊いてしまったと後悔が俺の仲にあった。「なんか、ごめんなさい」。

「別に気にするな。終わったことだから」


 いつもの調子だった。だが透き通るような表情が、嫌に目についた。


「それより、皆待ってる。早く行こうぜ」

「ええ、行きま、しょう」

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