2-9 ★ ケラ
「へっくし」
ガリレオが地球人と同じような顔でくしゃみするが、もう驚きはなくなっていた。単純に慣れたからだろう。ガリレオは腕をさすり、眉間にしわを寄せて「やけに寒くないかい?」と弱音を漏らした。
実際のところ、ガリレオの反応は、仕方がないと思う。二酸化炭素がわずかに多く、酸素は薄いが、ケラの大気成分は地球のそれとほぼ変わらない。記録によれば今は春らしいが、車両から降りたときから吹いてくる風は、鈍い灰色の雲で作られたものだ。二酸化炭素が多いなら、少しくらいは温暖な気候であってほしい。
「あぁ。口まで凍ってしまいそうな気がする」
「僕、寒いのは苦手なんだよ」
「見れば分かる」
ガリレオの服装は、地面まで届きそうなローブを羽織っていただけだった。ホームで出会ったとき「魔法使いか何かか?」と尋ねたが、「僕のところの民族衣装の一つさ」と意気揚々に語られた。しかし、それもホームを抜ける頃には青ざめた顔に変わって、こうして「寒い」と呪文を唱えるように呟くようになった。
「自動調整器が壊れてるのか?」
「最近不調でね。修理するのも、少し面倒だし」
「早めに修理はしておいたほうがいいぞ。放置しておくほうが、もっと面倒になる」
「そんなアマノは、見たところ調整器付きの服を着ていないみたいじゃないか」
確かに、俺はかなりの服を着こんでいた。極寒の極圏を目指して探検にでも行くような人物にでも見えるだろう。調整器が壊れているわけじゃなく、「単純に服を楽しみたいからさ」。
「あぁ、いいね。服を着る生き物の、楽しみの一つだね」
「だろう?」
そんな調子で、外を目指して歩く。酸素が少ないせいで息はし辛いが、呼吸補助機能を内蔵したマスクなしで歩けるのは有り難かった。ステーションを抜ける寸前に気づいたことだが、靴の下から水音が増えてくる様子がなかった。ここまで寒いから、雪が降り積もっていることを覚悟していたが、杞憂のようだ。
ステーションを抜けると、ケラの街並みが現れた。ジャングラのように、惑星全体の地表を埋め尽くすような都市は、そこになかった。アピオンという、あのケラ人が技術大星と喧伝した分身構えていたが、拍子抜けしてしまった。確かに道沿いに、様々なタイプの異星人に合わせて作られたであろう、統一感のない建物や駐車するタクシーが科学都市と感じさせるが、重要なパーツが抜け落ちてしまったように、何かが足りていない。
それとおそらく、道の向こう側の見える小高い丘が牧歌的な雰囲気を醸し出しているせいだろうか。丘の腹部は整備されていない木々が乱立しているようで、文明とはかけ離れているように見える。その上は対照的に、太陽の光を反射し銀閃をちらつかせる、白いドームが鎮座している。
「あれ、なんだろうね」
「さぁ」
「とりあえず、あそこに行ってみようよ」
「あぁ、いいぞ」
近くを彷徨いていたタクシーを呼ぼうとすると、ガリレオが俺の腕を下ろさせた。どっちかはっきりしてくれと、車両がライトを点滅させる。が、ガリレオが乗りませんと手を差し出すと、他の客を探しにどこかへ走り去っていった。
「どうして」
「いや、せっかくだから歩こう」
「あそこまで行くのはなかなか骨が折れそうだが」
「今まで光以上の早さで飛んでいたんだからさ、ゆっくりと歩いて景色を眺めたいんだ」
ガリレオらしい説得だな、と思う。「あぁ、分かった」。
こうして俺たちは、少し距離のあるこの道を歩いて行くことになった。着く頃にはおそらく夜になるかもしれないな、と思う。
駅前の街は、社員寮を寄せ集めただけのような、思った以上に小さいものだったようだ。少し歩いたなと思う頃には、建物が棚に並んだ本のように見えるほど、遠くなっている。
そろそろ少し休みたいなと思い始める頃になると、街と外の境界線が驚くほど鮮やかに現れた。街はこの境界線を隠すように広がっていたのかと疑いたくなるほどに、明瞭な輪郭を持って現れた。
「いや、凄く緑が広がっているね」
「全くだ」
俺たちの前には、申し訳程度の手入れもされていないような草原地帯が広がっていた。背丈の揃っていない青い草や、時折草の間から顔を覗かせる兎のような生き物を見るに、手入れをする気もないのでは、と勘ぐりたくなってしまう。
「これのどこが技術大星なんだろうな」
「でも、まぁ見たところ、公害らしいものは特になさそうだね。あそこにいる生き物は、草を食んでいるわけだし」
あそこさ、と指さした先には、確かに兎の小さな群れがいた。ある個体は骨付き肉でも食べるように座り込んで草を囓り、ある個体は茎を足で折り曲げている。空気が冷えているので気がつくのが遅れたが、芳しくないが糞の臭いも僅かにする。ただ、どの個体も一本ずつ食べ終わると、まだ腹が空いていたのか、飛び跳ねて草むらの中へ消えていった。
「変な感じだ」
「何がだい」
「最近、地球で見るような生物ばかり見るから、だ。ケラ人はカラスだし、今は兎を見た。まだ地球は遠いのに、もう帰ってきた気がする」
「それはたぶん、早く帰りたいっていう、アマノの願いが世界をそう捉えているだけじゃないかな?」
「帰りたいということに理由はないんだ。ただ、帰りたいだけなんだ」
「今更故郷が恋しくなったのかい?」
「かもしれないな」
「それに、今知ったんだけどああいう生き物を、君の星では兎って呼ぶんだね」
「あぁ」
「たしか、月に住んでいるんだろう? 本にそう書いてあったよ」
「いや、兎は月に住んではいない。月のクレーターを地上から見上げたとき、そう見えただけの話だ」
「やっぱり君たちの星は、面白い発想をするね」
「ガリレオの星にもそういう話があるだろう?」
ガリレオは少し、考え込んだ。気づかない間に心の底に住んでいた物語を思い出すことは、きっかけさえあれば、つい最近出会ったばかりのように簡単に飛び出てくれる。だが「あんまり、覚えてないや」。
「じゃあ思い出したら、その時にでも教えてくれ」
「あぁ、そうするよ」
ドームまでの距離がようやく半分を過ぎた頃、日もちょうど傾き始めていた。その頃には車両を降りた頃よりも体が温まってきていたが、ガリレオのくしゃみは止まらなかった。
「へっくし」
ここまでの道中で何度も鼻をかんでいたので、さすがに「大丈夫か?」と尋ねられずにはいられなかった。
「全然平気さ。銀河鉄道の生活が少し長かったから、まだ慣れないだけだよ」
「なら、いいんだが」
「それに。寒いのは、きっと太陽があんな風になっているからだろうね」
「あぁ、あれか」
指さした先先は、この星の太陽だ。ダイソン光球といっていたが、表面全てが覆われているわけではないようだ。漁師が海めがけて網を架けるように、惑星大ほどありそうなパーツが群れているようで、その隙間から光が漏れている。そのために落ちてくる陽光が僅かになり、肌寒いのはそのせいだろう。
「太陽が煌々と輝いていないのは、どこか変な気がするよ」
「あぁ、違いない」
「それに、ケラの太陽がダイソン光球になっているって知らなかったな」
「そりゃあ、初めて訪れたんだろうから、しょうがない」
「ちょっと違うかな。僕、いつもは次の駅のことはできるだけ調べておくようにするんだ。その方が色々と不都合も起こらないからね」
「偉いな」
「単純に、自己防衛と知的興味からの行動だよ。でも地球の宇宙史やアマノから借りた本を読みすぎて、ケラは調べてなかったんだよね」
「どれだけ地球に興味が沸いているんだよ」
「そりゃあ、似た生き物の話は興味が沸くだろう?」
目の前で不敵に微笑むガリレオや、草むらにいた兎を思えば、俺だって少なからず興味が沸く瞬間があった。論文を何枚も重ねて書いてゆくようなものではなく、そこらかしこに氾濫する情報を眺めて楽しんでいるような感覚だが、それでも接点を見出したのは確かだった。
そんなことをしているうちに、ドームの鎮座している丘の麓まで来ていた。日はまだ空に留まっているようだが、目の前の半球状の建造物が遮光している。ふと振り返ってみると、街の方へと伸びている光は、その隙間を埋めようとすることはなく、まっすぐと伸びていた。円状に出来た影は、銀河ステーションとその街の人々に夜がやってきたと錯覚させ、光を灯し始めさせる。
「あのドーム、どうやら宇宙局らしいね」
宙に浮かんでいた光子掲示板には、『ケラ宇宙局』とある。飾り気のない文体の公用語C文字の後ろには、円環状に配置された星の上を飛ぶ鳥のシルエットが描かれている。シンボルになっている鳥はおそらくカラスだろうが、微妙にくちばしの形が違うような気がした。
「あ、アマノ。どうやらドームの前までタクシーが出てるみたいだよ」
「乗るのか?」
「乗ろうよ。さすがに、少し疲れちゃった」
「だから最初に言ったんだよ」
タクシーに乗り込んだところで、初めて運転手がケラ人であることに気づいた。アピオン以外で初めて見るケラ人だ。そういえば、この星の住人をまだ見ていなかった。街で乗らなかったタクシーの運転手もケラ人だったのかは、窓ガラスの向こうが見えなかったので分からない。ただ、街から抜け落ちていたパーツは、ケラ人の存在感だったと理解した。昔の地球人が思い描いたように、街に住んでいる人物は、その星の文化を背負っている。技術大星なら、何かしらの技術を身に纏ったケラ人が、一人くらいは飛んでいてもいいだろう。だがそれがない。銀河ステーションとその街は、貸し出されただけの箱のような、そんな空虚さがあった。
「運転手さん」
「何でしょう?」
「このあたり、ケラ人はあまり来ないのですか?」
「ええ、来ませんね。というよりも、最近どの街もあまり人なんていませんよ。いるのはあなたたちみたいに来てくれる観光客くらいです。我々にとって、今のこの星は寒すぎるんですよ」
少し疲れ気味の声音だったので、それ以上は話しかけなかったが、ケラの状況が芳しくないことだけは分かった。ほんの十分程度の乗車だったが、少しだけ長く感じられた。乗車賃を引き落として、ドームの前で降りる。
下から見たときよりも、ドームは遥かに大きかった。ガリレオが、頭が背中に着いてしまいそうなほど見上げるので、「さすがにみっともないぞ」。
「いやはや、本当に大きいね」
「ジャングラで見たほどではないが。それに、見ろ」
俺が指さした先には、人だかりが出来ていた。顔ぶれは主に銀河鉄道にいた地球人のようだが、ちらほらと、他の星系の人々も顔を覗かせている。ざわめき声で溢れているが、耳をつんざくような、「今日ここにお集まりいただいた皆様!」と甲高い声が通り抜けたところで、静まりかえった。
「げっ」
「『げっ』って何だい」
「あの中央の台に立っているのが、昨日言ったケラ人だ」
「あぁ、あの少し小柄な方かな?」
ガリレオはどうにか背伸びをしながら、アピオンの姿を見ようとしている。
「そうだ」
「男性にしては、少し声が高いね。ケラ人にしては珍しいや」
独りごちるように、ガリレオは目を輝かせていた。旅好き故に久しぶりに見るこの惑星の住人に、懐かしさを覚えているのだろうか。かつてガリレオがあったケラ人がどのような人々だったのかは分からないが、少なくともあの人物の話に耳を貸すのは時間の浪費だろう。「昨日話しただろう、話をもう忘れているのか」、と言いかけたが、「ここにお集まりの皆さま!」アピオンの演説が始まったので、そのまま黙ることにした。
「我々ケラ人は、未だ混沌たる宇宙を光で満たすため、日夜技術を開発しているわけであります! その発展は日が昇るごとに、日が落ちるごとに前進を進め、今では、我々は太陽から直接エネルギーを得る技術すら開発することに成功しました! 無知蒙昧な数多の生命の為の灯火を、我々が生み出しているのです!」
「あぁ、確かにこれは大変だね」
意気揚々に語り続けるアピオンを見つめながら、ガリレオは涼しい顔をしていた。
「だろう?」
「でも聞いていたほどじゃないかな。たぶん、彼は自分に出来ることを精一杯やろうとしているだけだよ」
「あれが?」
「あれが」
アピオンの語り口を何も聞いていなかったが、あの演説にガリレオは何を見いだしたのだろうか。旅人であるから、あのような人物を見てきて慣れているだけなのだろうか。
「今日この場に集まることの出来たあなた方は、最高の名誉を獲得できるといえるでしょう! 私が指差す方向をご覧下さい!!」
アピオンが指さすように広げた片翼に、聴衆の注意が注がれた。とりあえず合わせておけと、遅れて、俺も同じ所を見上げる。金属同士が擦れ合って軋むような、鈍い音が辺りに響く。目を凝らすと、ドームがゆっくりと開いていってる。
「改良に改良を重ねた新たなる技術が、今、あなた方の前に現れます!」
地の底から唸るような重低音と、一定のリズムを保ったブザー音が鳴っていた。しばらくすると枯れ葉色の、まっすぐな枝を無理矢理円状に加工したようなヘッドを持つ機体がゆっくりと顔を覗かせた。
「新型のパーツ群を乗せたシャトルが、今! あなた方の目の前で打ち上げられるのです! それでは我々の技術を、とくとご覧あれ!」
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