2-8 ☆ ☆ ☆

「カラスは、太陽の使いなんだよ」


 誰かに肘を突かれたなと感じた矢先に、これか、と思った。窓際の席でくつろいでいたハルウミが、「な?」とでも言いたげに、左の眉を動かす。かといって、それが嫌なものとは思っていなかった。


 通路越しの席に腰掛けているカグヤが、わざわざこっち側の窓を覗いて、大声では言えない話でもするかのように囁く。都市間を高速飛行するバスに、併走するように飛ぶカラスの群れが太陽の使いとはとても思えず「そんな気は、しませんけど」とすぐ返す。


「今も昔も、そうだよ。日が昇る前と落ちる時、カラスは鳴くでしょう?」

「確かにそうですけど、落ちるときはともかく、昇るときは鶏が先に鳴くんじゃないでしょうか?」

「鶏は、そろそろ太陽が昇るんだなって予兆を感じ取っているだけ。つまり、フライング。でも、カラスはしっかりと光を見て叫ぶんだよ」


 彼女はしたり顔でいうが、前住んでいた町では間違いなく、鶏は日が昇り初めて鳴いていた。実家の近くに祖父の家があり、そこで飼われていた鶏たちが、日に向けてけたたましく鳴いていた。養豚場ほどの臭いではないが、それでも鼻を突く獣臭のする小屋だったから、よく覚えている。


「前に住んでいた町は、日が昇り始めてから鳴いていましたよ」

「じゃあその鶏たちはたぶん、カラスに憧れたんじゃないかな?」

「なんですか、その話の逸らし方」


 純粋な疑問を投げてみると、カグヤは不満げな顔を作り、背もたれに寄りかかる。少し返事を待ってみたが、帰ってくることはなかった。


「やっちまったな」

 振り返ると、ハルウミが鼻で笑っていた。彼が笑っている理由が全く分からなくて、「え?」と、少し裏返った声がでた。


「彼女は多分、お前と仲良くなりたかったんだよ。だけど、それをお前が追い返してしまったんだよ」

「そんなことしましたっけ?」

「しちまったんだよ」


 訳が分からず、俺なりに理由を考えたが、答えは出なかった。そんな様子を見かねてかハルウミは少し鼻息を吐いて、目線だけを俺に向けてきた。


「彼女は彼女なりに、お前と仲良くなりたかったんだよ。目の前に見えた生き物から神話を思い出して、それをアマノと共有したかったわけだな。だけどお前は、どうも理解しないで追い返したわけだな」

「と、いうと」


「自分が楽しいと思う話をしているときに『なんですか、その話』って淡々と言われちゃ、普通は話を続けたくはないよ」

「あぁ、なるほど」


 と、努めて冷静に返した。が、心の中では恥ずかしさですっ転んでいた。自分が言ってしまったことを極めて正確に分析されて言葉にされると、雨の日に自分だけ傘を忘れて帰れないような、そんな恥ずかしさがあった。


 だが、ハルウミは、ふっと笑う。


「まぁ、きっと次があるさ。起きちまったことは仕方ない。けど、俺たちの人生は始まったばかりだ、やり直す機会ならまだ沢山あるだろさ」

「なにそんな達観したこと言ってるんですか」

「本当のことだからだよ」


 するとハルウミは席に深く腰掛けた。首の後ろから蟻のように小型のロボットが這い上がり、足を止めると、イヤホンの形になった。「じゃあ、俺、少し眠るからさ」とだけ残して目を閉じてしまった。もう少しでステーションまで着くのだから、起きていれば良いのにと思う。しかし友人の心配事よりも、自分事の方が頭の中で渦巻いていた。


 ハルウミとは反対の、カグヤの方へ悟られない様に視線を移す。先程の眉間に皺を寄せたような表情はないものの、人形のように、無機質な顔で本を読んでいた。それを自分が作ってしまったのかと思うと、嫌な気持ちにが湧いてきていた。


 自分が口にした言葉の一字一句やその時の表情、彼女のそれらをもう一度、頭の中で描く。ついさっきのことのはずだが消えそうな蝋燭の火で照らした部屋のように、何度思い出そうとしても、ぼやけた輪郭しか見えてこない。今までになかったような感覚は、頭の中でスパークを起こし、一層と闇の中へいざなう。ハルウミの言葉が吹かせ、その火は今にも消えてしまいそうだった。


「そういえばさ」

 一人で闇の中で迷っていたら、ライトで照らされたような気がした。何事もなかったような顔で、カグヤがこっちを覗いている。


「どうしてアマノ君は、ずっと敬語で喋っているの?」

「どうしてって、その方が接しやすくないですか?」

「あぁ、なるほどね。確かに」


 一瞬回答に戸惑ったテスト問題が解けたような表情を作ると、「丁寧に喋ってくれるのは、こっちも何となくいい気持ちになるよ」。


「あ、あぁ、そうなんですね」

「でも、ほどほどにしておいたほうがいいんじゃないかな?」

「え、どうしてです?」

「昔生きていたカラスが皆白かったからだよ」


 もちろん、今だって白いカラスがいないわけじゃない。色素が生まれつき薄いアルビノという症状が現れたカラスは、白金のように白いことを知っている。だけど重要なことはそこじゃないと、なんとなく分かった。そう考えられたのはハルウミのおかげだった。「じゃあどうして黒くなったんです?」


「丁寧な言葉で、嘘をついたからだよ。カラスがまだ太陽の使いだったころに、太陽神アポロンの恋人が浮気しているって嘘をついたんだよ。それで激怒したアポロンは恋人を射ちゃっただけど、カラスが嘘をついたって気づいたんだ。でも恋人は死んじゃったから、時すでに遅しな訳で。それでアポロンは激怒して、カラスから白い体と声を奪ったんだよ」


 淡々とした口調で、彼女は恐ろしいことを口走っている。感情の起伏を感じない映画のナレーターはきっと、こういう感じでしゃべるのだろうか。「だから、ごめんなさいっていう感情で太陽に向けて鳴いてるんだよ」。


「でもさっき、カラスは太陽の使いって言いませんでした? 使いっていうと、良いイメージのほうが強いんですけど」

「言ったよ。今もこの先も、カラスは太陽の使い。それに、これはギリシャ限定の話」


「だったらどうしてそういう重い話をするんです?」

「アマノ君が心配になったから」

「はい?」


 少し、神妙な顔持ちになった。夜道を歩いている人をふと見かけ、この人の行く先は安全だろうか、心配になるような顔だ。


「丁寧なことが悪いとは思わないけど、例えば、今のまま皆にずーっと丁寧に接していったとして。どこかで嘘をつくか、それか、そんな自分に疲れちゃう時がいずれ来ると思うの。そうなったら、せっかく築き上げたものとかが、すべて壊れちゃうくらいなら、その前にどこかで程々にしておいたほうがいいと思うよ。太陽が程々な距離にあるから、地球に命が生まれたわけだし」


 自信に満ちた声で言うが、俺はどう返したらいいのか分からなかったので「まぁ、確かに、そうですね」と苦笑いを作った。


「だからさ、そろそろ崩して、自分をもう少し出したらいいんじゃないかな?」


 さっきから自分が何を言われているのかよく分かっていないが、とりあえずなんとなく、心配されていることだけは分かった。それだけで先ほどまで入っていた袋小路から出られた気がした。「何達観したようなこと言っているんですか」。


「私は、思ったことを言っただけだよ」

「何ですか、それ。あと、どうしてカグヤさんは自分にまた声をかけようと思ったんですか?」

「ん? どうしてって、どういうこと?」

「さっき、僕、嫌なこと言ってしまった訳じゃないですか」

「あれが? 私はあんまり気にしてないよ」

「え、そうだったんですか?」


「うん、そう。それに、話し相手がずっと眠っちゃっているんだよね」

「え?」


 体を起こして確認すると、確かに、同じ班のサクヤが俺たちの話に気付く様子もなく、目を閉じている。暇つぶしの相手だったのかと思うと少し残念に思ったが、カグヤの柔和な笑みを見ていれば、どことなく、安心を覚えた。



 ゆっくりと、肩もみをするような下向きの圧力を感じて、バスが降下し始めていると気づいた。窓の外を覗くと、雲の中からゆっくりと、銀河ステーションの駐機場が表れ始める。


「えー皆さん。銀河ステーションに着きましたが、ベルトの着用サインが消えるまで、席で待っていてくださいね」


 車内アナウンスを使って、担任が注意喚起を促すが、クラスメイトは全員、ざわついて耳を貸さなかった。もちろん俺もその一人だった。


「ハルウミ君。銀河ステーションに着きましたよ」


 頭ひとつ大きな体を何度も揺さぶって、彼はようやく目を覚ます。ほんの短時間の間だったのに、ハルウミは夢の中に入っていたようだ。


「おはようございます」

「あぁ、おはよう」


 バスに乗る前と同じような明朗な返事だが、どこか気だるい。まだ肌寒さを残した風がふと止んで、忘れていた地面の温かさが昇ってくるような、そんな声だ。何度か瞬きし背伸びすると、こっちを見たハルウミは眉を顰める。


「どうしたアマノ。さっきより頬が少し緩んでないか?」

「ハルウミが寝ている間に色々あった、んです」

「あぁ、なるほど。次あったってことか」

「たぶん、そう。」

「言った通りだろ」


 「でもこんなに早いとは思ってなかったな」と付け加えられ、「間違いないですね」と、笑うしかなかった。

「まぁ、銀河ステーション楽しもうぜ。絶対見るところは、沢山あるさ」

「えぇ、うん。楽しみましょう」


 ベルト着用のサインが消え、全員が一様に、通路に並び始める。サクヤとカグヤが前で、俺とハルウミは後ろで足を並べた。ゆっくりとスムーズに出口に向かっている最中、ハルウミは忘れ物でもしたかのように、とんでもないことを口走った。


「そういえば、アマノ。ボードは持ってきたのか?」

「え?」

「だから、スカイボード」

「いえ、持ってきていない、ですよ。それに大体、持ち込み禁止、でしょう」


 少し語気を強めた。こればかりは、間違っていると思ったからだ。だがハルウミはこれこそが正解だとでもいうように、いつもの調子で語る。


「こういう機会に持ってこないのは、もったいないぞ。皆で集まって枕投げでもいいが、せっかくならいつもは出来ないことをしたいじゃないか」


 確かに、そうだ。枕投げはきっと楽しいし、ボードで山を登るのは難しいけど、きっともっと楽しい。だが「いや、やっぱりダメですよ」



「そうでもないさ。それに、俺は景色を見に行きたいんだ。見今晩泊まるコテージは山の中腹部にあるんだろ? 夜明け前にこっそり抜けてさ、少し高いところから朝を迎えたいんだ」


「あぁ、それは良さそうですね」


 本心だった。


「だろう。ボードを走らせて、山頂まで目指そうかとも思っているんだ。どうせならアマノも一緒に行かないか?」


 まだ、少しだが、春の残る季節だ。山頂から見る朝日はきっと格別だろう。星雲のように大地と空気の境目が分からなくなるような朝靄が山々の隙間に立ち込め、そこに光が差し込むのだろう。ぜひ、本物を一度は見てみたい。だがやはり、「それは、お断りします」。


「そうか」

 

 ハルウミ自身もないだろうな、と思っていたのか食い下がることなく、そのまま流してくれた。そのまま俺たちは足並みを揃えて、バスを降りる。


 確かに、この後のコテージで、夜にこっそりと遊ぶのもいいな。だがいずれにしろ、またバスに乗った後の話だ。


 バスを降りて、シックなライトで照らされた駐車場を抜けると、道の向こうに銀河ステーションが表れた。

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