2-7 ★ ★ ★
自動調光システムが起動して、車内を隅々まで照らし始める。地球時間と連動しているそれは朝の六時が来たことを知らせている。視界ではまだ光がぼやけており、体も重い。このまま寝ていても、誰も何も言わないが、俺は飯を食べないと一日が始められない体だ。どうにか体を起こして、シャワーを浴び、準備を終えた。ここまで終わると、食堂車のオープンの大体五分前になっている。移動するのもいいが、乗車して以来、窓を開けるようにしていた。開ける、といっても外壁の向こうを透過させるだけだ。そして今日も、どこかが変わったかも分からない星々が、並んでいた。
銀河鉄道に限らず、宇宙を旅すると、景色が変わりづらいことに気づく。そもそも光速を超えているから何も見えないはずだが、航行に利用されているタキオンをレーダーのように使えば、景色を現像出来るらしい。その技術を開発したのは地球人ではない。ということは他の星の人も、真っ暗な窓の外に何かを見たいと思ったことがあるということだろう。とはいえ、宇宙は途方もなく広がっており、目にすることができたとしてもその変化はほとんど無く、退屈だ。ただ、退屈であっても、何もないよりははるかにマシだ。
六時三十分になった。食堂車が動き始める時間になったので、窓を閉めて、部屋を出た。この時間はまだ人足が少ないようで、どこも空いている。レストランは日ごとに変えるようにしていたが、決まって窓際の席を選ぶようにしていた。今日は北米のレストランにした。
「やぁ、おはよう」
「おはよう」
しばらくすると、ガリレオが席にやってきて、そのまま一緒に食事する。五日目にもなると、好みもある程度把握してきた。ただやはり、相変わらず塩を大量に振りかけて好みの味に調整するのは、慣れない。お互いが半分食べ終わったところで、「そういえばさ」とガリレオが切り出す。
「この前買った本、読み終わったよ」
「それは早いな」
思わず、上ずった声で答えた。買った翌日には「驚いたよ。あの本は千ページ以上もあったんだ。しかも歴史だけじゃなくて、地球の技術の基礎理論や使われなくなった計器の説明まで掲載されているんだよ。僕にとってはこんなにありがたいことはないよ!」と興奮して語っていた。それをもう読み終えたということは、彼の頭には今、地球人の宇宙開発史のほとんどが入っているということだろう。それは素直に、尊敬に値した。
「だって、面白いじゃないか。ちょっと待ってよ……」
わざわざ本をレストランまで持ってきていたことに驚いたが、急いでページを捲るさまに気押される。少し待っていると、「ほら、ここ」と指さした。古代の宇宙観が印刷されたページだった。左のページには説明文が印字され、右にはエジプト神話における宇宙観のイラストが載せられていた。女神が横たわり、その上では何かを携えた神が座っている。そんな二人を覆うように、クロールするように体を反らせた神がいて、左右には鳥の頭をした神が昇って、降りている。
「あぁ、エジプト神話か」
エジプトの文化に精通しているわけではないが、特徴的な記号の羅列はよく覚えていた。
「そう、それ! 説明文を読んだら、船に乗るこの鳥の頭をしたのは、太陽の神様らしいじゃないか」
「確か、ホルスというはずだ」
「ホルス、そう、ホルスだ。太陽の神様が、鳥の頭をしているってアイディア、僕の故郷にはなかったから、説明文を何度も読み返しちゃったよ」
ベッドか机かはわからないが、同じページを読み返すガリレオの姿が思い浮かんだ。きっと、読んでいるうちに胸が高鳴ってゆき、居もしないホルスの姿を想像していたんだろう。
「ガリレオの星では、太陽の神様はいないのか?」
「いないことはないけど、簡単にしか表されないんだ」
「円とか球とか、そんな風にか?」
「まぁ、そんな感じだね」
ほら、とシャツの首元をまくる。金色の、金属製のリングがかかっていた。
「こんな風に、線上の鉄糸で輪を作ったら、それが太陽神」
「それが?」
「これが」
「エジプトの、太陽神アテンみたいだな」
「それ、本を読んで僕も思ったよ。ほんと、そっくりだよね」
指で引っ張り、ちゃらちゃらと鳴らす。揺れるたびに、シャツに隠れていた糸が顔をのぞかせた。先端にビーズのように、石が取り付けられているから、おそらく意味のある文字なのだろう。
「その糸には、何か意味があるのか?」
尋ねると、ガリレオは申し訳なさそうに首を落とした。「特にないよ」。
「ないのか」
思わず、席からずり落ちそうになる。ガリレオは笑いながら「ないから、とりあえず故郷の太陽系の惑星を模してみたんだ。もちろん、色もそれぞれの星に合わせてあるんだ」と続けた。確かに、揺れるそれぞれの糸には、一つとして同じ色のない石が取り付けられている。
「それは良いな」
「だろう?」
誇らしげに、ふんと鼻息を漏らす。時折見せる子供のような表情が気になったが、それよりもガリレオの見せる糸に意識が向いていた。何度か数えてみたが、糸は六だけだった。ということはガリレオの太陽系は、六つの惑星から成り立っているんだろう。それ自体は別段珍しいことではない。ジャングラがあった太陽系も惑星は三つしかなかった。それよりもガリレオの星が太陽を、金属の円で表したことの方が面白かった。「ガリレオの星は、世界をシンプルに捉えていたんだな」。
「シンプルすぎて、夢がないよ」
ガリレオは、自嘲気味に笑う。糸を服の中にしまい込むと、まだまだ残っていたフライドポテトに手を伸ばす。数本を一気に頬張らないところは、旅人のイメージに似つかわしくないと思う。
「そういえばアマノは、どうしてすぐアテンなんて分かったんだい?」
「なんとなく、覚えていたからだ」
「そうなのかい? 色々な所を旅してきたけど、神様の名前をぽんぽん口にできる人はなかなか会ったことはないかな」
「さすがに、その星で大勢力を持つ宗教の神様は、誰もが口にできてたけど」と付け加え、ガリレオは口にものを運ぶ。
「あぁ、なるほど。そっちか」
握っていたスプーンを手放して、俺は答えた。
「昔、星が好きな友人に教えてもらったんだ。彼女は星と神話は密接に結びついていると、何度も語っていた」
「面白いね、その子。ぜひ、話をしてみたいな」
「おそらく一生使っても、話題が尽きないだろうな」
「そうなっちゃいそうだから、笑っちゃうな」
「そういえばさ」
食堂車二号を歩いていると、ガリレオが唐突に切り出た。
「昨日は何をしていたんだい?」
「それは朝一番に尋ねる質問じゃないのか?」
「あはは、ごめん。君の星の宇宙史を読んでいたら、どうしても先に言いたくなっちゃってさ」
申し訳なさそうな様子が一つもないから、俺は苦笑いで返して「奇妙なケラ人に絡まれて、本屋で本を買って部屋で読んでいた」。
「ケラ人? 次の駅の?」
「そう」
「奇妙ってどういう感じだい?」
「なんというか、自分の星がどれだけ素晴らしいかを延々と語られて、気が済んだのか、いきなりどこかに羽ばたいていった」
「あー、それは奇妙というよりは、大変だったね」
「ケラ人がみんなあんなだと思うと、気が滅入る」
「まぁ、そうだね。でも僕が知っているケラ人は、どちらかというと、寡黙な人たちだよ」
「そうなのか? 昨日あったやつは、お喋りだったぞ」
「そういう人もいるってことじゃないかな。少なくとも、僕が出会ったケラ人は星の技術を淡々と学んでいたね。以前ジーヴァナーヴ星に行ったことがあるんだけど」
聞き覚えのない星の名前に、「どこだ、そこは?」と尋ねてしまう。
「ジーヴァナーヴ星? 『エアード』っていう、光を固形にする技術を開発しているところだよ。二十年前くらいにその星の一団がエアードの技術を取り入れた『ライトオーケストラ』ってカーニバルを公演し始めて、有名になったらしいじゃないか」
「あぁ、あれか」
地球で一度だけ見たことがある。太陽やや電球から降り注ぐ光が実体を持ち、それでいて、触れたときのほのかな暖かさは、光そのものだとしか言えなくて、驚いた覚えがある。「あの技術は確かに、凄い」。
「そう、あれ凄いよね。で、その技術をどうにかモノにしようともがいていたね。自分たちの技術が一番だって奢ることなく、必死に」
ガリレオは出会った人々のことを淡々と語るが、昨日のケラ人からはとても想像が出来ない。どちらかというと相手の技術をすべて吸収した後に技術を発展させ、元の技術をあざ笑っている姿が脳裏に浮かんだ。
「俺は、腹黒そうだと思う」
「そっか。でもよく、雲を見て空を見ずっていうよね」
「俺たちの星では、木を見て森を見ずという」
「じゃぁあそれで。たぶん、そういうことじゃないかな? 昨日出会ったケラ人がどんな人物であれ、それは雲の一切れに過ぎないんだと思うよ」
言われてみれば、確かにそうかもしれないな、と思う。他のケラ人を見かけない分、比較対象がなかった。なんとも言えない、というのが正直な感想だ。
「それにさ、相手のことを悪く言うのは疲れるんだよね。悪口をいうのは気楽なんだけど、残るものが少ないんだよね」
「まぁ、確かに、な。だが以前、悪口がマナーの星に赴いたんだろ?」
「それは、相手の文化に合わせるのがマナーだから。それに、純粋な悪口はあまりなかったし、盛り上げるためだけのようなものだし、気楽だったもんだよ」
矛盾しているような言い方だったが、ガリレオの表情を見るに、本当にそう思っているんだろう。
「それに今、僕が興味あるのは」
言葉をすぐには続けずに、立ち止まった。俺の様子を伺いながら、勿体ぶって言った。「アマノが昨日、どんな本を読んだか、なんだけど」。
「なんだ今の間」
「やってみたかっただけだよ」
「なにやってんだ」と鼻で笑い、「地球の文明が衰退した八十万年後の世界に時間旅行して、帰ってくる小説を買った」。
端的に物語を説明すると、「八十万年後?」とガリレオは顔を顰めた。
「だから地球人の文明が衰退した八十万年後の未来まで旅して、いろいろあって帰ってくる話」
そう言うと、ガリレオは顔を更に歪める。
「ちょっと、どういう本か想像できないや」
「文字通りだ。ただ、ガリレオが買ったような本ではなくて、小説と呼ばれるものだ。口伝や個人とかが思いついた物語をつづったもの」
「あぁ、なるほど! おとぎ話みたいなものか」
「少し違うが、まあそんなもんだ」
「なるほどね。それで気になるのは、どうして未来に行くような物語を書いたんだい?」
「作者本人にしかわからない質問をするなよ」
「あ、ごめんね。そういうことじゃなくて、どうして未来を旅するって発想が出てきたのかなって思って」
「ガリレオの星には、そういう物語はないのか?」
「過去に旅する話ならいくつかあるけど、未来に行く話はないかな」
「ならきっと、その日一日にちゃんと満足できる文化なんだろうな」
「そうかな」
「きっとそうだろう。地球人は、よく過去を悔やむんだ。『あの時ああすれば』ってのが多くてな。個人の胸の内に閉まっているときもあるし、こうやって本を作って誰かに伝えようとする時もある。そうやって明日、つまるところ未来だな。そこに希望を見出そうとするんだ」
「アマノもそういう、『あの時ああすれば』ってのは感じたことがあるのかい?」
「そりゃあ、何度もある。そればっかりだ」
「あぁ、そうなんだね」
「ガリレオはないのか?」
そう尋ねると、今までの人生を思い返すように、ガリレオは瞼を強く閉じた。しばらくして「思い返す限りは、ないかな」。
「そうか」
「まぁ、僕の場合、できるだけ楽しいことだけ思い出すようにしているから、記憶に残ってないだけかもしれないけどさ」
「それは、良い考え方だな」
「だろう?」
レストランにいたときと同じように、得意げに鼻息を鳴らした。これはガリレオの癖なのかもしれない。
「よかったら真似してみても良いよ」
「考えておく」
「それでさ。この後、どうするんだい?」
「さぁ、部屋に戻って着替えるところまでは考えている」
「それじゃ、予定は未定ってことかい」
「まぁ、そういうことになるな」
「じゃあ、さ。もしよかったら本を貸してくれないかい?」
「あれを? いいよ」
「やった!」
兎が飛び跳ねるように、通路をスキップしながら歩くので「そんなに喜ぶことじゃ、ないだろう」と言わずにはいられなかった。
「いいじゃないか。嬉しいことは、全身を使って表現するべきだよ」
「そんなもんか?」
「そんな、もんだよ」
勝ち誇ったように、こっちへ平手を突き出す。何のジェスチャーかは分からなかったが、とりあえず、ピースのようなものだろう。
ガリレオは自身が言った通り、俺の部屋に向かう間、ずっと床を少し強く蹴って歩いていた。ボールが跳ねるように歩くものだから、目線を合わせるのに少し苦労する。ガリレオが止まったのは、俺の部屋に着いてからだった。机に置いていた本を手に取って「この本だ」と見せると、「おや、想像と全然違った表紙だ」と眉を目一杯上げた。
「どんなものを想像していたんだ」
「未来へ行く、っていうからてっきり燐光でも描かれているのかと思ってたよ」
「ガリレオがイメージする未来図が分からんな」
「そりゃあ、どうも」
ふてくされたような、苦笑いのような、そんな表情だった。「じゃあ」と、ガリレオが手を振ろうとした時だった。室内全体が、というよりも車内全体に赤いランプが点滅し始めた。「おや」。ほぼ同時に三度ほど警告音が鳴り、合成音声のアナウンスが響く。
『ご乗車のお客様、および全スタッフにご連絡いたします。当車は十時間後ケラ星系へと侵入いたします。侵入後は光速まで速度が落ち始めますので、安全のため自室にご待機ください。繰り返します……』
合成音声は規則的な読み上げ速度で三分ほど繰り返されたが、無視するようにガリレオは線路図を開いていた。「もうそんな時間なんだね」。
更新された線路図を見ると、ポインターは確かに、次の駅まで三光年の位置に来ていた。現在は星系間の空白地帯を走っているようだ。この速度なら、おそらく明日の朝には到着しているだろう。
「結構時間がかかったな」
するとガリレオは首を横に振り、「僕は、あっという間だったかな」とはにかむ。
「次の駅に、何かあるのか?」
「それは知らないけどさ、楽しみなんだよ。どんな星でも」
旅人らしいなと思う。どんなものにも興味を持って足を延ばそうとできるのは、旅人の性なのだろう。
「で、アマノ。次の星、少しでもいいから歩かないかい?」
「気乗りはしない」
「それでもいいよ。ちゃんと自然にできた地面の上を歩こうよ」
少し考えたが、ガリレオがいるならいいかと思う。首を縦に振ると、満足そうに笑った。
「それじゃあ」
ガリレオは一呼吸置くと「今日はこの本、お借りします」。
「ああ、どうぞ。ゆっくり楽しんで」
部屋の奥に引っ込み、椅子に腰掛ける。これから今日、何をしようかと考えるのが、もう日課になっていた。大抵はベッドに転がるか娯楽車に足を伸ばして体を動かしている。ただ、明日には最初の駅に着くとなると、祭りの前日に気が全て抜けてしまうように、何もする気が起きなかった。ただ、一日中本当に行動しないのは、性に合わない。とりあえず、動こう。
そうして、窓を透過させた。向こう側には、やけに大きな光が見える。あれはきっと、次の駅の太陽だろう。車両内に満ちている人工的な光ではなく、偶発的に生まれた巨大なエネルギーが煌々と輝いている。だが同時に、陰りも見えた。はじめは何もない空間を漂う小惑星帯の影かと思ったが、違うようだ。太陽が何か羽織ったように、陰は太陽自体から黒く伸びている。
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