2-5 ★ ★ ★

 さて、何をしようか。


 一人、部屋の中で考え込んでいた。昨日はこれから一か月ほど過ごす部屋を、自分が過ごしやすいように整えていた。だがアパートのような部屋とは違い、物を動かすたびに、どこか申し訳なさを覚える。ベッドや机は鉄道の所有物だし、何より、ホテルのように定期的に清掃が入る。もちろん断りを入れることが出来るが、一週間に一度は、確実にクリーニングが入る。部屋の品質維持などもあるのだろうが、勝手に自分の生活を覗かれるような、言いようのない不安を覚える。


 だがそんな不安をよそに、俺はモールの見取り図を眺めていた。本屋やショッピングセンターのほかにも映画館とかがあるわけで、なんでもできる。その中でも気になっているのが映画館だった。現代的なものではなく、古典的な、画面に投影するタイプの映画を上映しているらしい。だが上映スケジュールを見て、肩を落とした。今日はあまり興味の沸かないジャンルの映画しか上映していないようだ。


 そういう訳で俺は今、本屋にいた。


 ガリレオと別れて時間が経ち、もう昼過ぎの時間だが、本屋は静寂そのものだった。背表紙を眺めて歩き回る足音がよく響くし、棚の向こうで誰かがページをめくる音も明瞭に聞き取れる。そんな中を歩くのは少し気が引けるが、誰も助けにいけない山頂に張られた綱の上を渡っているような、そんな心地よい緊張感があった。


 何を買おうかと目を通していると、一冊の本が目に留まった。昔読んだことがある本だった。試しに手に取ってみると、表紙がリニューアルされている。が、中を十ページほど確認したところ、文章に変わっているところは何一つなかった。一ページ進めるごとに、幼い日のあの高揚感が蘇ってきていた。


 気づけばレジに向かって歩いていて、俺の腕には一枚のレジ袋がかかっている。あの頃の自分が歩幅を大きくする。ガリレオと共に自室に向かっていたときよりも早く、大きく歩かせる。九号車を通り抜けようとしたときだった。


「どうも、すみません」


 少し太い、だが高い声がどこからか聞こえてきた。その方を振り返ると、誰もいない。聞き違いかと思い去ろうとしたとき、「こっちです」と言う声がした。足元からだった。カラスに似た、鳥形の異星人がいる。軽く会釈し、「どうも」、と返すと、彼は口角を目一杯上に上げた。


「どうも、こんにちは。私、ケラ人のアピオンと申します」


 番組の司会者のように、翼を大きく広げ、片方を胸の方に曲げて、深々と頭を下げる。小さな体躯の割に、大げさな動作だ。何か嫌な予感がするが、「あぁ、どうも。地球人のアマノです」と返す。


「あの、あの、アマノさん。お尋ねしたいのですが、あなたは何を学びに、技術大星ケラに向かわれるのですか?」


「はい?」


 予想もしていなかった質問に、眼を丸くしてしまう。アピオンと名乗ったケラ人はつぶらな瞳で、俺の様子を伺っていたが、すぐにくちばしを開いた。


「えぇえぇ、地球は銀河連盟に参加して、まだ三百年にも満たないとお伺いしています。そのような後進星が、銀河連盟の中心星の一つでもある、技術大星ケラに技術を学びに行くのは、自明の理ではありませんか! もしや、この便がどこに行くのかも知らずにご乗車された訳ではないでしょう!」


 甲高い声で喋るものだから、思わず一瞬、耳を塞いだ。アピオンと名乗ったケラ人は、こっちにはお構いなしのようで、歌うように言葉を続けている。


「おや、その様子ではケラをご存じないようですね! ケラはこの宇宙でも最も発展した科学技術を持ち、初めて太陽から直接エネルギーを得る技術をも開発したのですよ! アマノさんは、そのケラをご存じではないのですか!?」


「ケラは存じ上げませんが、ダイソン光球ならよく知っていますよ。あれですよね。同調させた数千機の発電衛星を打ち上げて、太陽の周りを囲む、あの技術」


「ケラをご存じでないのは少々癪ではございますが、ダイソン光球をご存じとは、素晴らしい! あれは我々の星が開発した中で最も素晴らしい発明の一つでございます! それを知っているあなたは素晴らしい!」


 欲しかった玩具を、ようやく買ってもらった子供のようなはしゃぎぶりだ。


「お見受けしたところあなたは科学者か技術者のようですね! でなければ、ダイソン光球を知っているはずがありません! どの星の人もダイソン光球を見ても「あーあの太陽の周りを囲んでいるものってなんだろうねー?」「発電機らしいよー」で終わってしまいかねない! にもかかわらず、その技術を知っている! 素晴らしい!」


 ダイソン光球を知っているが、細かい機能とか基礎理論は、知らなかった。ジャングラで勤めていた会社の営業で、パーツの受注を数十点受け持っていたから、僅かに知識がある程度に過ぎなかった。それにあの技術は現在、あまり評判がよくなかった覚えがある。数千もの発電衛星を作る資材を様々な星系から集めなければならず、中には、一度木星のようなガス惑星が持つ高重力を利用して作るパーツがあり、高コストでしかない。それで賄えるエネルギーがその太陽系のみというところも、芳しくない評価に拍車をかけていた。


 それでも目の前のケラ人は、宇宙一の技術と信じて疑っていないようだ。何か喋っていたが、俺はほとんど聞いていなかった。聞いていたところであまり意味はなさそうだし、仮に俺をほめるような口ぶりであっても、おそらくそれはダイソン光球を作り上げた自らの文明に対して向けられているのが見透かせた。


「おやおや、退屈されているのですか!? 退屈はいけませんよ! 退屈とは一生を終えるまでの大敵でございます! あなたの持っている科学的知見から、ぜひダイソン光球についてお聞かせください!」


「あの、私は科学者ではないんですが」


「なんと! ではどのような職に就かれていらっしゃるんですか? 私の見立てではあなたは宇宙技師であり、中でもかなりの技術をその手と頭脳にお持ちの地球人とお見受けしました! いかがでしょうか!?」


 きっと一人で語っている間に、頭の中で俺がそういう人になったのだろう。俺はそんなに口を動かしていないのに、そういう勘違いをされるのは、気が滅入った。それで、「今は何も。前は、営業を」と短く答えた。するとケラ人は見る見るうちに、その顔が無機質なものになった。興味を引かれたタイトルが、期待する中身ではなかった本を棚に戻すような表情だった。


「なんと、なんと……これはとんだ無礼を働いてしまいましたね」


 先ほどまであんなに騒がしかったのが嘘みたいに、静かになった。


「申し訳ございませんでしたね。見込み違いでした」


 そう言い残すと、隣の車両めがけて、去っていった。一人残された俺は、あっけにとられた。時計を見ると、かなりの時間付き合わされていたことに気づく。この後の予定は無いようなものだったから暇つぶしにはよかった気もする。だが散々興味のない話を語られて「はい、さようなら」の態度を取られたのは無性に腹が立ってきていた。


 部屋に向かう道中、ふと思う。ケラ人は全員、あんな調子なのだろうか。だとしたら次の降車に気乗りできない。もしかすると違うのかもしれないが、それでも怒りは湧き上がってくる。ここで激情に身を任せてもいいことがないとは知っていたので、部屋についたら、ベッドに寝転んで本を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る