2-4 ☆ ☆ ☆


 ハルウミと一緒にいると、世界が音を立てて回り始めた気がした。彼といると、自然と誰かと話すことが多くなり、俺自身が引っ越してきたことを忘れるほど、周りと打ち解けていた。


 それに、小学生の間はやらないようなこともし始めた。もちろん、犯罪的なものではない。例えば、入学式から三週間後の、金曜の話だ。三週間も過ごすと学校での生活にも慣れてきて、いろんな場所に足を運ぶようになっていた。一人の時もあれば、ハルウミに誘われるときもある。その日は、後者の方だった。


「アマノ、今から隣町に行かねえか?」


 数人のクラスメイトと共に俺の前に現れ、誘ってきた。彼の言う隣町とは二駅先のところで、住んでいる町よりも都会的だった。それでも首都よりは幾分遅れているが、中学生が楽しむには十分な場所だ。


「いいですよ」


 二つ返事で答え、俺は彼らについて行く。学校から徒歩十分位の場所に駅はあった。その間をくだらない話で通り抜けて、電車に乗り込む。引っ越してきた頃よりも電車はだいぶ慣れていたし、高速で過ぎてゆく街並みを眺めるのは、立つにしろ座るにしろ、知っている景色が一瞬で変わるようで、いつでも楽しかった。


「そういえばさ、来週の校外学習だけどさ」


 目の前に座っていた友人の一人が、ふと言った。入学式初日に配布された年間行事のデータには、四月の週末に、校外学習の文字があった。校外学習といっても、少し遠くの公園に行くだけだ。どこかの職場の見学も含まれていたが、それには別段興味を持てなかった。


「面倒くさくねぇか?」

「あぁ、分かりますよ」

「だよな。ふつーに学校からどっか遊びに行きてぇよ」

「ですね」

「俺教師の親戚がいるんだけどさ、政府からそういうのをやれって通達が来るらしいぜ。行わなかったら、なんか言われるらしい」


 また別の友人が言ったところで、政府の陰謀論だとか、背伸びした話題で盛り上がった。だがしばらくするとハルウミが「俺は、楽しみだけどなぁ」とぽつりと言った。皆、どこかバツが悪くなり、しばらく黙り込んだ。


 電車から降り、駅から出て、俺たちはアトラクション施設に足を運んだ。それぞれなけなしの小遣いを引き落として、三時間コースで、思い切り体を動かす。中でも盛り上がったのは、やはりスカイスケートボードだった。学校の体育館ほどもある専用空間では、俺たちと同年代の男子たちが、トビウオのように空を舞っていた。


「じゃあいつものいつものやろうぜ」

「いつもの?」


 誰かが言った。俺はその「いつもの」が分からなかった。「じゃあアマノは、最初のうちは見ておけよ」というので、そうさせてもらった。


 友人たちはボードに乗るとすぐさま宙に飛び上がり、一画を陣取ると、そこに機械鳥を放った。鳥は宙を旋回し始めると、すぐさま上下左右に素早く、生きているように飛び回りはじめた。


「あれを捕まえるんだ」


 まだ隣にいたハルウミはそういうと、友人たちに続くように飛んでいった。ジェットのように突進し、苦戦する友人たちの中を突きっきり、あっという間に鳥を捕まえた。


「ハルウミはえーよ!」

「ほんと容赦ないな!」


 感嘆の声が上がるが、ハルウミは驕ることなく「まぁな」とはにかむ。「じゃあアマノも上がって来いよ!」と叫ぶ。


「了解です!」


 とは言ったものの、ボードに乗るのはまだ数度目だったので、バランスを取りながらゆっくりと上昇した。その様を笑われたが、あまり気にしなかった。専用空間では万一のために反重力装置が働いているとはいえ、落ちたくはなかった。ようやく俺が友人たちのいる高度に達すると、「じゃあ、行くぞ!」とハルウミが鳥を手放した。


 心なしか鳥は先ほどよりも素早くなっているようで、俺たちを翻弄する。誰かが捕まえようとするたびに、寸前で身を翻す。そして急に方向を変え、からかう様に空気の揺れを残す。


「ハルウミ、お前ハードモードに切り替えただろ!?」


 誰かが言うが「そんなことはしてねーぞ!」と彼は返す。


 負けじと俺も捕まえようと手を伸ばすが、皆よりも早いうちに鳥が離れていった。この遊びが初めてであり慣れていないから仕方がない部分はあるが、それでも悔しかった。


 時間は刻々と過ぎてゆくが、一向に捕まる様子を見せない。誰もが諦めかけていた時、ハルウミが動いた。小さな獲物を捕らえたタカのように急降下し、次の瞬間にはその手に鳥を収めていた。


「嘘だろ!」


 全員が全員、圧倒され、こいつには敵わないと思わされた。



 一時間以上も空をふらふらしていればばさすがに疲れてきて、皆して休憩に入った。誰もが体から滝のように汗を流していたが、ハルウミだけは一呼吸も乱さずに、飄々としていた。


「ハルウミ、なんでそんなに疲れていないんだよ」


 圧倒とも、愚痴とも取れるような言葉が飛ぶと、ハルウミは「コツがあるんだよ」と笑った。そのコツは教えてくれなかったが、教えてもらったところで、俺たちに出来ることはないだろう。


 乱れた呼吸を整えていると、誰かが「校外学習ってさ」と言った。またかと思ったが、それ自体は楽しみなので、聞き耳を立てた。


「姉貴から聞いたけど、あれって男女半々四人の一班で行動するらしいぜ」

「まじ?」

「おぉ、まじ」


 年頃の男子の会話だ。ただ、小学校の間にそのような会話をしたことはないし、ハルウミともしたことはなかったので、何を話せばいいのか分からなかった。しばらく黙っていると「おまえら、気になる子っている?」と、一人が、口にした。


 そこから、蛇口を一気に捻ったように、誰もが思い思いの名前を口にしていく。堂々と言い切る子もいれば、周りの様子をうかがって名前を出す子もいた。どうしてそんなに口早に名前を述べられるのか不思議だったが、彼らにとってクラスの女子は今まで一緒に育ってきたから人ばかりだから、それなりに思うところがあったんだろう。ただ、全員が全員、名前を言っていくと言うことは順番が出来上がっているわけで、そして当然、自分の番は回ってきた。


「で、アマノは?」


 ハルウミを始めとして、全員の好奇の目が折れに向けられ、答えに窮した。引っ越してきて、まだクラスとの女子とは手で数えるほどしか話したことがないから、そう思える子がいなかった。思いついた名前を言うのもいいかもしれないが、それはしたくなかった。「丁寧に」「嘘はつかず、正直に」と親から教えられ育ってきた俺には出来ないことだった。


「いや、いないです」

「おいぃ、それは、つまらないだろ」

「いえ、本当に。まだ、片手で数えられるくらいしか話したことがないので」


 嘘は言っていない。だから淡々と答えた。

 「人は嘘をつくとき、丁寧に喋るんだぜ」と誰かが言ったが、「本当です」と言い切った。

「つまんねぇなぁ」


 誰かが不満げに漏らして、俺の番はそのまま流れた。その瞬間は誰もが白けていたが、ハルウミは「そうか」とだけ言って笑っていた。


 その後少しして、「今度は月面遊泳に行こうぜ」となり、全員で移動した。そこでまた体を動かし、時間が来て、そのまま帰ることになった。八時にならない前には元の駅に戻ってきて、友人たちと別れた後は、ハルウミと一緒に帰り道を歩いていた。彼はそこまで疲れていない様子だったが、体を多く使ったせいで俺はくたびれて、何か話そうとも思えなかった。もうハルウミの家に着こうかという時だった。


「なぁ、アマノ」

「はい?」


 突然話しかけられたから思わず驚き、上ずった声が出た。


「来週の校外学習、楽しみだな」

「僕は、不安半分といったところですけど」

「不安?」


 ハルウミは興味深そうに、首をかしげた。


「さっき、誰かが班分けがあるといっていたじゃないですか。ハルウミ君や友達と一緒だったら良いんですけど、全然知らない人だとどうしようかと」


「そうか? 俺だったら、その人たちとも仲良くなろうかって思うぜ」

「そう思うんですけどね、やっぱりまだ緊張しますよ」

「まぁ、アマノが俺たち以外の人と、話しているようなところはあまり見たことないな」


 この季節に急に吹く突風のように、時折、ハルウミは鋭いことを言う。


「だから不安なんですよ」

「アマノは、正直だな」

「それが、座右の銘なので」

「何言ってんだ」


 呆れたように言うが、「まぁ、ともあれ、楽しみだな」と爽やかに笑う。楽しみ半分でしかない俺は、苦笑いで返した。すると「まぁ、でも」とハルウミがぽつりと言う。


「あの教師だったら、アマノは俺と組むことになると思う」

「何で分かるんです?」

「勘だよ」


 他の誰かだったら「そんなわけないと思いますよ」と言っただろうが、ハルウミだと妙な説得力があった。他の言葉を探しているうちに彼の家に着いてしまい、「じゃあ、また月曜に」と手を振られた。


「はい。また、月曜に」


 そうしてハルウミと別れた後、家に着くまでに考え事をしていた。「気になる子」というのはつまり、誰かを好きになることだろう。そういう話題は、家の中では出なかったし、一度もそう思う事なく小学生は終わった。それに、「好き」という感情はどちらかというと食や映画に向いていた。その好きと皆が言うそれには、空の青と海の青のような、ズレがあるのだとぼんやり感じていた。ハルウミの家から俺の家までの距離は答えを出すには到底短く、今日を使っても足りなかった。


 翌週の月曜日、昼食に入る前に、教師から校外学習の連絡を告げられた。校外学習は金曜だが、今から班分けをしたいらしい。一ヶ月近くもなると、この教師はどことなく、早め早めの行動が好きなんだろうなと分かってきた。


「それで、班分けなんだけど、先生が勝手に決めました」


 教室から不満の声が上がったが、送信された班分けのリストを確認し始めると、その声も少なくなってきた。理由はおそらく、彼女の判断の良さに驚いたからだろう。それぞれの班のメンバーは、よく一緒にいるような顔ぶれで別けられていた。俺は三班であり、そしてハルウミが言ったとおり、彼と組まされていた。そして友人達が盛り上がっていた話題だが、本当に男女半々の組み分けだった。俺とハルウミの隣に、まだ覚えていなかった子の名前が二つ記載されている。


「では、昼食の形に机を直して、班で座ってください」


 机を直して、指定された班に向かう。俺が最初に席に着き、すぐにハルウミが隣に座った。


「言った通りだっただろう?」

「本当ですよ。あらかじめ知っていたんですか?」

「彼女は、俺たちをよく見ているんだよ」

「よく見ているのは、ハルウミ君の方じゃないですか?」

「かもな」


 彼がふっと笑っていると、対面する形で女子が二人、遅れて席に着いた。何度も目にしているはずだが、どちらも話したことはないせいか、見慣れない顔だった。彼女たちが着席すると教師が「はい、では」と口を開いた。


「もう皆さん顔見知りだと思いますが、改めて自己紹介してくださいね」


 そう告げられると、班の間で微妙な空気が流れた。他の三人はおそらく顔見知りであるから、お互いどのような人物か、ある程度把握しているのだろう。そして俺は、ハルウミ以外をよく知らない。言葉にせずとも、全員が全員それを察していた。


「どう、する?」


 右前の子が、困ったように笑う。


「じゃあ、俺から」


 先に動いたのはハルウミだった。朝起きて「おはよう」と親に言うように、自己紹介をすらすら口にする。度胸というか威勢の良さというか、その大胆さが心底羨ましいと思った。そして、彼の番が終わると、なんとなく、次は俺、という雰囲気が漂う。


「アマノです。三月に、南から引っ越してきました。宜しくお願いいたします」


 ハルウミの時とは違い、短く話し終わった。短すぎたからか、先ほど喋った子が困ったように鼻息を漏らした。単純に、どう反応すればいいのかわからなかったんだろう。しかし、目の前にいる子は「アマノ君、ですね」と言って、微笑んだ。失笑や嘲笑といったものではなく、純粋なものだった。


「私は、カグヤです。よろしくお願いします」

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