2-3 ★ ★ ★

「これが本というものですか」


 モールの片隅にあった本屋で、ガリレオは目を輝かせていた。宝石箱を目の当たりにしたように、棚に収められた本をいくつも漁っている。一冊、また一冊と、興味が持てそうなものを探していた。


「やっぱり、本、知らなかったんですね」

「やっぱり、分かりました?」

「あんなに苦虫を潰したような顔をしてれば、そりゃあ」

「あはは、ごめんなさい」


 悪びれなく言われてしまうのは、嫌ではなかった。ガリレオは一冊手に取ると、紙をこすり、「この本を形作っている薄いものって、なんていうんですか」と尋ねてきた。


「あぁ、紙です。植物から作られるもので、地球人がずっと使っている、記録用の物体ですね。昔はすべての記録で用いられていたんですけど、今どきは、本かダイアリーにしか使われていないですね」

「なるほど、なるほど」


 確かめるように、何度もゆっくりと紙の触感を楽しんでいた。ふとした拍子にしわがつかないか心配したが、ガリレオもどうやら察したらしく、そのうち撫でるだけに留めるようになった。


「この紙って、僕らでいうところの糸みたいなものですね」

「糸?」

「そうです。僕らの星はそもそも文字無くて、葉で作った糸の結び目や太さの具合で記録を取っていたんですよ」


 一瞬、糸をやり取りする情景を想像してみる。幾重もの糸を編んで、遠くの誰かに何かを伝える。糸だとやはり紙以上に量がかさばるだろうし、届ける途中で解けるかもしれない。そう考えると、どこか不便だと感じる。しかし地球人にはない、また違った考え方とか、そういったものがあるんだろう。だがやはり、「文字がない世界は、想像できないです」


「まぁ、そうですよね。その気持ち、理解できます」

「と、いうと?」


「銀河連盟に加入した後、公用C文字を使うようになったんですよ。あれって僕らみたいな一つの頭を持つ生命向けの文字じゃないですか。三百年位前、星系間の交流に署名した当時の大使や議長が、それで記録を行おうって制定したんですよ。それで記録はC文字、媒体は銀河連盟の標準的な通信クラウド上で行われるようになったんですよね。それから糸は使われなくなって。僕も生まれたときにはC文字を使ってきましたし、糸の意味もほとんど理解できないんですよね」


「それはもったいない」

「時の流れですよ。仕方ないです」


 そんなことは、と口にしようとする。が、終わってしまったことを残念に言うのは、何か違う気がした。それに、部外者の俺が言ったところで、何になるのだろうか。


「あ、これ面白そうじゃないですか?」

 自問自答していると、目の前に一冊の本が差し出された。『地球における宇宙史』。丁寧に装丁された、分厚い本だった。表紙には英語のタイトルと、アフリカ大陸を捉えた、著名な地球の写真が印刷されている。まだ知り合って数日も経っていないが、「ガリレオさんらしいですね、その選定」

「でしょう」


 「じゃあ買ってきますね」と言い残すと、レジに向かった。俺は店外に先に出る。モールは、地球人で賑わっていた。ジャングラで地球人は、ほとんど見かけたことがなかった。だがここまで多いとなると、住んでいた場所が悪かったんだろうなと思う。それとも、どこかの星系に集団旅行をしていて、ジャングラで乗り換えたんだろうか。手元に何もないから、そんなことを考えて待ち時間を潰していた。


「アマノさん、お待たせしました」


 紙袋を腕に下げて、ガリレオがやってきた。必要ない質問だと思うが、「この後どうします?」と一応尋ねる。


「いやー、この本を早く読みたいですね。地球の人々がどんな宇宙開発を続けてきたか、想像するだけで楽しくなってきましたよ」


 予想通りの返事だった。


「じゃあ、行きましょうか」


 俺が言うと、お互い左に向けて歩き始めた。本屋は宿泊車とモールの境目にあった。ドアを通るとモールの騒がしさが消え、宿泊車の静寂さが俺たちを迎えた。


 自分の部屋まで少し遠いな、なんて考えていると、紙をめくる音が聞こえてきた。隣に眼をやると、ガリレオが既に片手に、先ほど買った本を構えていた。「もう読み始めているんです?」と尋ねると、少年のように目を輝かせて俺を見てきた。


「これ、すごく面白いです! 僕らの星にはないようなものばかり書かれていて」


 とっさに俺は人差し指を立てて口に当てたが、ガリレオの目線は本に向けられていた。そのままページを進めて、言葉を続ける。


「地球人が描いた星座か! 僕らと捉え方が違うな……うわ、各星座のストーリーまで乗っているんだ! すごい」

「ガリレオさん、静かに!」


 思わず、少し強く言った。それでガリレオはようやく我に返ったようで、「あ、ごめんなさい」と小さくなった。本を閉じると、また静閑な宿泊車両に戻った。ガリレオはばつが悪そうに歩を進めていたが、すぐに調子が戻ってきたようで、初めて出会ったときと同じ顔に、もうなっていた。


「ガリレオさんは何号車なんです?」

「十号車です」

「遠いですね」

「そういうアマノさんは何号車です?」

「十二号車です」

「もっと遠いじゃないですか」


 ガリレオは声を上ずらせ、噴き出した。一車両抜ける間笑っていたので、そこまでおかしかったのかと思わず首を傾げる。それに、声が廊下に響いていないかが気になった。


 赤いカーペットが敷かれた廊下を歩き、ドアを通る。しばらく繰り返していると、「もう着いちゃいましたか」とガリレオが呟く。それで、もう十号車に着いたことに気づいた。思わず「意外と、すぐでしたね」と口にする。


「ほんと、ですね」


 どこか、残念そうな口調だった。気にせず歩いていると、「あぁ、僕この部屋です」と立ち止まった。


「では、買った本、楽しんでくださいね」


 手を振って十二号車に向かおうとすると、「アマノさん」と呼ばれ、思わず立ち止まった。「はい?」と振り返ると、初めて見るような表情の無さをして、こっちを見ている。まだ喜と哀しか見たことがなかったから、ふと不安がよぎる。


「なんですか?」

「そろそろ、このかたっ苦しい口調、辞めませんか?」


 考えていたものと違いすぎて、思わず膝が曲がった。と、同時に、知り合ってまだ日が浅いのに、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。


「そんなことですか?」

「そんなこと、ってさ」


 ガリレオは表情も口調もすでに崩していたが、本当に不満に思っているようだった。その証拠に、眉が両方、めいっぱい額に上がっている。だがそれよりも昔、同じようなことを言われたなと思い出して、思わず笑った。


「何で笑っているんだい? 僕は結構気になるんだよ」


 既に崩れた調子で話しかけてきたので、「昔、同じようなことを言われたことがあるんだよ」と返す。


「あぁ、そうなの?」

「そうだよ」

「だったら、その時と同じようにさ、これからはこんな調子で喋ろうよ」

「あぁ、そうするよ」


 そう言うと、満足そうにうんうんと頷いた。ドアのロックを解除し、「じゃあね、アマノ」と手を振る。俺も手を振り、「また明日な」と十二号車へ向かった。


 後ろでドアの閉まる音がした。歩きながら、やっぱり懐かしいな、とふと思った。

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