2-2 ☆ ☆ ☆

 小学校を卒業し、地元の中学に入ろうかという間際の冬に、親父の転勤が決まった。急な出来事で家族は慌てふためいたが、ついて行くしかない。三月に友人達と別れ、家族ぐるみで、北の地域まで引っ越した。


 飛行機に一時間程度乗って北に向かい、降りたら今度は電車に乗る。その時まで車か自転車にしか乗ったことがなかったから、全く知らない世界の乗り物のような気がした。電車では窓際の席に座り、自動車以上に速く流れてゆく景色を眺めていた。まだ水も張っていない畑や、空を隠そうとする山々を横目に見ていると、住んでいた場所とは全く違う風景で、目を動かすたびに新しい発見があった。


 その内目的地に着き、母に肩を小突かれ、電車を降りた。駅から出て感じたことだが、親父の転勤先は、都市とも田舎とも取れない町だった。前住んでいた町とはあまり変わらない風景が広がっているものの、北にある分、吹いてくる風は冷たい。どれくらいここで生活することになるか分からないから、早く慣れないといけないなと感じていた。


 そこから四月まで、生活は目まぐるしく進んだ。近所に挨拶周りをしたり、家までの帰り道を覚えたりした。あまりにも一日が早く過ぎ去ろうとするので、車輪を転がすハムスターはこういう気持ちなのだろうかと思った。


 ただ、その中で一番記憶残っているのは、制服を新調しに行った帰り道だった。母とバスに乗って、三駅進んだところに制服店はあった。出迎えてくれたのはいかにも田舎のおばあちゃんと言った外見をした老女で、俺の事情を分かってくれていた。朝ご飯を作るような、慣れた手さばきで俺の体型を確かめると、「入学式には間に合わせるようにするけど、遅れたらごめんねぇ」と、穏やかに告げられた。それまで好きな服で登校していたのだから遅れてもいいやと思っていたので、「遅れても結構ですよ」と返す。俺の言葉に母は困ったように頬を引きつらせたが、老女は「勇敢な子だこと」と朗らかに笑った。


 その帰り道、母が小言を言っていた。とりあえずもう少し大人になれ、というものであったが、覚える気にはなれなかった。それよりもバス停で帰りの便を待っているときに、環状の道の中央に植えられた桜の木が目に留まった。十年以上過ごした場所では、桜は一月中に咲いて散るものであったから、まだ咲いてすらいないことに驚いていた。


「母さん」

「何?」


 俺が何も聞いていないことを察していたのか、その声音は少し荒かった。だが桜を指さし「桜が、まだつぼみのままだ」と告げると、彼女の表情がわずかに和らいだ。彼女は三十年以上も前の場所に住んでいたから、三月の終わり頃になっても咲いていない桜は、珍しかったのだろう。「一年に、二回桜が見れるなんて」。隣にいる俺にも聞き取りづらい声だったが、「咲くのが楽しみだね」と返した。思わず漏らした声が聞こえていたことに驚いたのか、彼女は一瞬目を丸くし、そして「そうね」と静かに笑った。


 制服は三月三十一日に出来上がったと連絡が届いたので、自分一人で取りに行った。


 翌週の月曜日、俺は両親と共に校門の前にいた。四階建ての校舎は小学校のそれとは違いかなり大きく、少し気圧された。しかし校門のすぐ隣で佇む、人々を迎える桜の木の方が印象に残った。数週間前から楽しみにしていた開花は、入学式に合わせたように訪れた。同級生は誰一人知らない場所に入学したが、快く歓迎してくれているような気持ちにさせられた。


 両親は体育館での入学式が終わるとすぐに帰ったが、俺はそのまま自分のクラスに歩を進めた。着席して実感したことだが、やはりクラスメイトの大体は、顔見知りのようだった。小学校の時のような堅っ苦しさはほとんどなく、やはり自分は少し浮いているなと感じた。


 このクラスを担当する教師がドアを開け、教卓に立つ。父や母よりも、はるかに若い教師だった。俺たちを見回し、一呼吸を置いて、「入学おめでとう」と声高らかに言った。彼女はこれから長い間俺たちが過ごす学び舎の説明と、どう成長してほしいという願いを語る。所々に分からない言葉が紛れていたが、末永く、健やかに育ってほしいというような口ぶりだった。


「ではまた、明日からの日々を楽しく過ごしていきましよう」

 にこやかに送り出され、その日はあっという間に終わった。


 次の日から、また新しい生活が始まった。俺以外の生徒は、ほとんど小学校からの知り合いのようなものだから、俺は転入生を見る目で見られた。それでも三日もすれば、どことなく、お互いの距離感を掴み始めた。その中でも一番距離を詰めてきたのが、ハルウミという男子だった。


「お前の名前、なんて言うんだっけ?」


 昼休みに俺の前に現れ、脈絡もなく尋ねられた。問いただすというようなものではなく、どちらかというと、「君の名前をまだ覚えていないから知っておきたい」という純粋なものだった。

「アマノ、です」


 昨日全員に自己紹介をしたばかりなんだけどな、と思ったが、はつらつとした表情の前ではそんな文句もかき消された。


「アマノだったか。俺はハルウミだ。宜しくな」


 ハルウミは爽やかなやつだった。良い意味でも悪い意味でも人を捉えて放さないような大きな瞳をしていて、それが持ち前の快活な表情と合わさると、人を引きつけて止まない爽やかさを醸し出していた。


 俺とは対照的な彼がなぜ声をかけてきたのか初めのうちは不思議で仕方なかった。が、に三日後に理由を尋ねる機会があり、「どうしてすぐに声をかけたんですか?」と尋ねた。


「いや、アマノの顔は見たことがあるんだよ」

「はい?」

「家の近くでな」


 どうやら俺とハルウミの家は近所のようだ。だからバス停でよく会うことが多かったんだな、と納得した。


「俺、家の周りにはあんまり友達が住んでいないからさ、うれしかったんだよね。同級生が近くにいるって分かったのは」


 いつも周りに、人が溢れているハルウミらしくない理由だと思った。だが、まだ出会って日も浅いのに、そう思ってくれるのはありがたいと思った。


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