1-4 ☆ ☆ ☆

 帰りのバスにようやく乗って、しばらく何も喋らなかった。というよりも、ひどく悴んでしまったから、口を動かしたくなかった。車内の温度は生暖かったが、むしろそれがありがたいと思えた。


 目的地は、浜辺のバス停から四つ先だった。少ないな、と思ったが、次の停留所までひどく揺られるし、二十分以上もかかった。かなりの長距離だと分かったところで、カグヤが「それにしても」と小さく言う。


「あそこに居すぎたね」

「すっかり手足が固まってしまったな」

「じゃなくて、レストラン」

「あぁ。まぁ、な」


 俺たちがこのバスに乗ることになったのは、山頂のレストランに居すぎたせいだ。そこでカグヤと二人で軽食を取っていたら、友人たちに置いていかれていた。二人して集合時間を間違えていたから、笑うしかなかった。端末を確認すると、「まだバスの最終便は残っているみたいだから、それで旅館まで来てな」というメールが入っていた。しかも、丁寧に、バスの時刻表も添付されている。何を考えているんだ、と文句を返したくなったが、時間を間違えた自分たちが悪い。「了解。先に楽しんでいて」とだけ送信した。


「気づくのがもっと遅れて、帰れなかったらどうするつもりだったんだろうな」

「たぶん、さすがに迎えにきてくれたんじゃない?」

「その頃には明日になっていそうだな」

「たぶん、そうだろうね」


 二つ目のバス停を過ぎると、そんな他愛もない話が出来るくらいに、体は温まってきていた。小さくうめくと、カグヤは腕を伸ばしていた。ふぅ、と息を吐くと、「やっぱり夜はまだ寒いよね」。


「そりゃあ、な。まだ晩冬だ」

「そんな難しい言葉、よく知っているね」

「これくらい普通だ」

「私はあまり聞かないかな」

「俺だって、ミンタカとかは聞いたことない」

「それは名前だもん」

「名前でも、星の名前だろう。晩冬は季節を指す言葉だ、普通に使われる」

「そうかな」

「常識だよ」


 言った後で、妙に言葉が強くなった気がして、まずかったなと悔やんだ。すぐ隣にいることが気まずく感じる。しかし彼女は「私、知らなかったな」と、何事もなかったかのように笑っていた。その笑顔を見ると、自分が情けなく感じた。


「すまなかった」

「何が?」


 横目に、カグヤがこっちを見たのが分かった。首を動かすことができなかった。


「少し、強く言ってしまって」

「そう?」


 彼女の目が数度、瞬く。その瞬きを確認するように、俺は振り向いた。黒曜石のように、澄んだ瞳だった。


「私は、そこまで気にならなかったかなぁ」

「そう、か」


 それ以上の言葉が出なかった。


 バスが停まった。客を待ち、そしてまた動き出す。しばらくの間言葉が出なくて、俺は窓から外を覗こうとした。だが外気との温度差で曇っていて、わずかな明かりしか見えない。次のバス停まで遠いな、と思った時だった。


「私にとってね、アマノの言葉は、太陽みたいなんだよね」

「は?」


 口を開いたと思えば、その例えが壮大すぎて、頭の中が空っぽになってしまった。思わず彼女を見ると、静かに笑っていた。


「良くも悪くも、いつも、そこにあってくれるから」

「よく分からない」

「分からなくてもいいよ」


 その時には、さらに言葉が出てこなくなっていた。長い間接してきて、こんなことを言われたのは初めてだった。自分が、自分を急かしているように「俺の言葉が太陽だったら、大変だ」と思ってもいないことを口走った。


「どうして?」

「太陽は暑いし、日焼けするし、とにかく不便だ」

「でも太陽がないと、私たち、生きられないよ」


 当たり前のことを言い合うことに、妙な焦りが生まれていた。グラスに入れていた氷が融解するように、悴んだ手が汗ばんでいる。


「それに、太陽を直接見たら、失明するだろう」

「私は、見てみたいよ」

「失明したいのか?」

「望遠鏡を使って、黒点とか見てみたいよ」

「だったら、遮光フィルターを使って観測するべきだ」

「直接、見たい」


 精悍な夜に風が吹いたように、カグヤの語気が、わずかに強くなった。


「見えなくなりたいのか?」

「違うよ。分からないものを、分かりたいだけ」

「どういうことだ」


「アマノ。私はね、誰かが宇宙の全てを解明しても、自分で確かめることはまた違うと思うんだ。誰かが解明したのは道しるべで、自分が確かめたものは思い出になるんだよ。だから何かを、自分の命を懸けて確かめてみたい」


 あぁ、なるほど。


 カグヤはよく、天文学者のように、夜空を見上げる。それは何かの公式や仕組みを解明しようとするものではなく、自分なりの答えを見つけようとしていたんだろう。語らないものに答えを求めようとするのは、一種の祈りにも似ている気がした。


 ふと、呼吸が喉の奥から漏れてきた。納得のもの、というよりは説得に近いところから出てきたものだった。


 その時、バスが停まった。エンジンが一時的に切れた音を確かめると、「ようやく着いたね」と、カグヤはいつもの口調で言った。


 目的のバス停だった。乗車賃を引き落とし、二人で降りる。


 やはり、外は寒いままだった。浜辺にいた時よりも、夜は深くなっていたから、一段と冷えていた。地図を確認し、友人たちがいる旅館を探す。歩いて、十分程の距離だった。


「寒いし、早歩きで行こうか」

「それが良いな」


 早歩き、というよりは小走りで俺たちは旅館に向かった。すぐに大通りを抜けて、旅館への山道へと踏み入る。歩くことに集中して無言だったが、ふと、星々が視界の端から入った。星は結局のところ、遠くにある恒星、つまり太陽だ。


「本当に、太陽を直接見た人なんていたんだろうか」


 何気ない疑問に、カグヤがすぐに答えた。「いるよ」。


「その人の名前は?」

「ガリレオ」


★ ★ ★

「僕の名前が、どうかしましたか?」


 ガリレオと名乗った、異星人の怪訝そうな表情で、我に返る。


「あ、いえ。私の星に、あなたと同じ名前をした偉人がいたので」

「ほぉ。その人は何をされたんですか?」

「確か」


 あの時、カグヤはなんて言っていたっけ。とっさに思い出せず、とりあえず「天体観測の分野での多大な功績が」と答えた。すると異星人は帽子のつばで目を隠し、笑った。まだ何も言っていないのに、自分のことを見透かされたような、そんな笑顔だった。「おもしろいな」。


「え?」


「僕も、星が好きなんですよ。銀河鉄道に乗って、いろいろな星に行っているんです。それで、その星の夜空を見上げたり、星空をどう見ていたかを調べたりするのが、どうしても好きで」


 カグヤみたいだな。そう思うと俺は目の前にいる異星人が、他人には見えなくなっていた。古い友人と再会したような、そんな気持ちだった。だから「よかったら、地球までの航路の間、一緒に旅をしませんか?」という誘いを快諾していた。

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